人間という生き物は
基本的に怠け者です。
ラクをしたい、
だからこそ色々なことが発展してきたし
また、ラクをするために
脳をフル回転させる“苦労”は惜しみません。
とくに大脳新皮質は
さすが人間の象徴とも言えるものだけあり、
一番なまけ者の臓器です。
そのため、
外側から様々な刺激を与えてあげればあげるほど
その活動は鈍くなっていき、
『もっともっと!!』
と、エスカレートします。
でも、
たとえラクをするためとはいえ、
それを求めるために
脳をフル回転させるのであれば、
別になまけものにならないのでは?
と思うかもしれません。
結論を言うと、
「ハイ、そのとおり」 です。
ただしそれは、
あくまでも
『ラクをするためのモノを開発する人』 に限り、
それを
『利用するだけの人』 は
脳の本質どおり、
なまけものへの一途をたどります。
なぜならば、
「自分で考えて産み出ていないから」です。
ということはやはり、
脳にはいつも
刺激を与え続けてあげなければいけないということになる?
かといって
『もっともっと!!』 になるなと言うし・・・・・・
では、
「外に求めない、かつ脳へ刺激を与える」ためには
いったいどうすればよいのでしょう?
それは
「たったこれっぽっち」のこと に気づくこと です。
人間はマヒしやすく、
何ごともすぐ
「あたりまえ」になりやすい。
日々あたりまえに呼吸し、
食べ、歩き、寝ています。
たとえば、
この肉体が世に出る前から
一瞬も休まず動きつづけて
命をになってくれている心臓。
この心臓を思い浮かべることなんて、
長い人生の中でいったい何度ありますか?
せいぜい人間ドックや検診にいって
何かしらに引っかかったりしたときに
初めて
その存在を思い出したりするぐらいでしょうか。
「あたりまえ」に
そこに存在しているもの、
それが「あたりまえ」ではなくなったとき
初めて人は
ありがたさを感じます。
結論。
「あたりまえ」 の反対語は 「ありがたい」 です。
「あたりまえ」だと思っていることを思い返し、
そのことに感謝してみる。
「あたりまえ」 になってしまった
「たったこれっぽっちのこと」。
これ を思い出すことで
外側の刺激に頼らずに
脳を満足させられることに
気がつけると思います。