自分に合ったヨガを続けることで
シンプルになりますが、
そのカラクリを紐解いていきます。
全ての人には「個性」があります。
この世に生まれ
存在している限り
個性のかたまり以外の
何ものでもありません。
ひとりにつき
それぞれ「生きている目的」があり、
「固体」であれば、
それがたとえ一卵性双生児であれ
まったく違う「結果」を身にまとって
生まれてきています。
この世に生まれてきている
ということは、
「生きる必要がある」
ということです。
裏を返せば
「生きなくてはいけない」
ということです。
前世だとか過去世だとか
先祖だとか祖先だとか
いろいろありますが、
いずれにしても
この「肉体」をまとって
この世に生まれてしまっている以上、
前世や過去世や先祖の
いわば「末裔」です。
今の自分が関連した
何かしらの思考、言動、
また、周辺で起こった
様々なイベントや
出来事などを含め、
そのときに起こった「原因」が
今「結果」となって
「私」として
今ココに存在しています。
つまり。
誰一人として
まったく同じ状況で
生きてきた人間がいないことから、
どんなに「平凡」に見える人でも
間違いなく「個性的」
ということになります。
この肉体をもって
この世に存在してしまっている時点で、
むしろ
「個性」から逃れることはできません。
とりわけ
年齢が若い時代には
「個性的でありたい!」
「私らしく!」
といったところに惹かれがちです。
が、本来
自分の存在が
どれだけ「個性的」かがわかると、
外側を飾ったり
自分を作ったりしようとしなくても、
自動的に個性が輝きだします。
自分の「個性的さ」に気づくと、
自分を「個性的に演出」しようと
飾り付けていたものから解放され始め、
自動的にシンプルになっていきます。
自分の個性に気がついている人は、
あえて「個性」を演出しなくても
もう自動的に、
勝手に個性的です。
"私らしい服装"
"私が際立つアクセサリー"
(以下色々)
・・・・・・・・・を使わなくても
充分に光ります。
外側を輝かせてくれる
キラキラ光るデコレーションや宝石は、
「個性」が輝きだせば
あっという間に色あせます。
太陽の光をマネて作った
電球や懐中電灯は、
本当の太陽の前では
一切の光を失います。
そんな感じで、
自分本来の「輝き」に気づいたら、
「がんばって作った輝き」は
必要性を感じなくなる日が来るかもしれません。
そうやって
「外側」を飾り付ける必要が
なくなるから、
おのずと
「シンプル」になるわけなのです。