6. 出 発
6. 出 発
来るべき超高齢社会の到来を予感した私は、 副苑長をはじめとする仲間達と施設建設の準備に入った。
すでに中野龍昌寺の境内は一杯であり、これ以上の拡大は不可能な状態にあった。まずは建設地を見つけ
なければならない。東京、神奈川の各地を見てまわった。施設建設はどこでも良いというわけではない。
その条件は、
(一)温暖な土地であること
(二)平坦であり閑静であること
(三)役所などの公的機関が近いこと
(四)広報活動がしやすいこと
(五)交通の便がいいこと
(六)上下水道が整っているか、将来整えることができること
(七)入居された方のレクリエーションの場があること
である。
上記の条件を満たす土地を探すために、毎日のように中央線、総武線、東横線、小田急線等の各沿線の
町々を見て回り、その結果現在の地を選んだ。その理由として、
(一)当時は東京都南多摩郡南村とい、南に位置した温暖な地である。
(二)緩やかな丘陵地帯であり、東南に面しており、日当たりが良い。
(三)役所が近く、広報活動に適している。
等々である。当時町田市は合併により市となったばかりであり、隣の相模原市と一緒に首都圏整備法の指
定第一号となったばかりであった。ここに将来の発展を見込んだのである。
また建設資金についても檀家や大学の仲間達に協力を仰ぎ、自分達の貯金等で二百万円の資金を用意
した。こうして昭和三十二年に東京都町田市金森一〇九七番地に五百平方メートルの土地を買い、昭和
三十四年に建設工事は無事始まった。総二階建て六百六十平方メートルの施設を建設し、定員五十人の養
護老人ホームを作る。私達の夢はここにスタートを切った。