12. あとがき
12. あとがき
私の人生を振り返ると、まずその基本は父母の教えである。囲炉裏を囲んで父から毎日聞いた話の数々、
今思うと父は本当に話の達人であった。こんな話を聞いたことを覚えている。ある時、農婦が河原で収穫
した里芋を洗っているとそこにみすぼらしい修行僧が通りかかった。その修行僧が「おいしそうな里芋で
すね」と声をかけると、その農婦は、この乞食坊主めが里芋をとろうとしていると考え、「そうかい、お
前さんにはこれが里芋に見えるかい。これは河原の石だよ」と答えると修行僧は悲しい顔をしてその場を
立ち去った。農婦が家に戻りその芋を煮たが、いつまで煮てもその芋は石のように硬いままで食べること
ができなかった。それからその村で取れる芋は全部そうなってしまった。実はその修行僧は弘法大師であ
り、さみしい、悲しい、欲張りな心が芋を石にしてしまうというお話である。父は、このような話を囲炉
裏端で聞かせながら、子供達にうそをついてはいけないということを教え込んだ。母は大きな慈愛の心で
子供たちを包み込むことによりまっすぐな道を歩むように響いた。私は、これら父母の教えを忘れずに生
涯守ってきたのである。
人生における次の大きな分岐点は出家得度である。岡本碩翁師より受けた教えの数々が私の人生の大き
な道しるべとなった。中でも戦災避難者のO老人が「ただ個人の住職等の世話を受けながら生きながらえ
るのは心苦しい」という遺書を残して玉川上水に身投げしたこと。またそのことを師匠と共に悩み苦しみ、
人は慈善では生きていけないこと、権利として生きることが最上であるという結論に達し、解決策として
老人ホーム合掌苑の建設となったことは、その後の人生を決定づける大きな出来事であった。この「人は
権利として生きることが最上の生き方である」ということは、師から受け継いだ生涯を貫く私の理念であ
る。
世の中はうつろいゆくものである。高齢者の処遇を最も望まれる形というものはその時々の世情により
変化してきた。しかし私は常に二十年先を見通して事業の先行きを考えることを信条としてきた。福祉は
激動の時代を迎えている。これからはしっかりと質を確保して、高いお客様の満足と職員の満足を得るこ
とが大切になる。私はこの五十年間一生懸命に合掌苑の基礎を築いてきた。合掌苑と共に歩んだ我が人生
に何の悔いもない。