追加・再録
1986年(三十数年前)頃の中国西安 その1、西北工業大学
1986年(三十数年前)頃の中国西安 その2、陝西省中級人民法院布告
1986年(三十数年前)頃の中国西安 その3、大学内の掲示物
1986年(三十数年前)頃の中国西安 その6、街中で気になった事柄いくつか
1986年(三十数年前)頃の中国西安 その7、路上で見かけた職業
1986年(三十数年前)頃の中国西安 その8、お雇い外国人のように
1986年(三十数年前)頃の中国西安 その9、法門寺界隈、報本寺塔、武塔小学校
補正 1986年(三十数年前)頃の中国西安 その4、紙銭冥銭
1986年(三十数年前)頃の中国西安 その5、街路に描かれた唐詩
加藤正宏のBlog:ブログ始めました!
つぶやき1 中国の地方都市の日本語教師のつぶやき1
つぶやき2 ヤフーで作成していたピンシャンのブログ再録
中国地方都市の日本語教師のつぶやき (livedoor.blog
)http://fumika saru.livedoor.blog/
第一分館
下記は中国史跡通信
↓ 瀋陽史跡探訪のリンクボタン ↓
2019年3月末をもって、ヤフーのジオシティーズによるHPが削除されました。瀋陽薬科大学でお世話になって以来、HPに関して、おんぶにだっこをしていただいてきた元瀋陽薬科大学で研究室を持ち、学生を指導されてきた山形達也教授(山大爺)のご厚意で、今回もおんぶにだっこで、HPの移転が実現しました。この場で、感謝の意を述べさせてもらいます。ほんとに、ありがとうございました。
加藤正宏 2019年4月7日
奉天・瀋陽-新京・長春ー長安・西安などなど
Yahoo Geocitiesで2005年に作ったWebsite
(https://sites.google.com/site/masakato75/)が
2019年3月31日で消えてしまいました
ここに新しくWebsiteを作って
できる限り以前の資料を収録して保存しています
第一分館はkatofumi75にあり
イギリスの貨幣などを収録しています
わたしのこと
兵庫県の高等学校で世界史を担当していました。さらに中国で日本語の教師として3回、合計7年間を中国で過ごしました。
1回目は1986年4月から88年3月までで、西安の西北工業大学です。
2回目は2000年9月から2002年7月にかけてで、長春(偽満州国時代には新京と呼ばれた首都)の吉林大学です。これら2回は兵庫県の現職教師の籍を保持したまま、休職して、中国へやって来ました。
3回目(2005年9月からの瀋陽薬科大学)は、定年を迎えて、フリーになった状態でやって来て遼寧省瀋陽に2008年7月までいました。
2006年度、教えているのは中薬日本語班の学生31人で、旧版「標準日本語」をテキストとして使っています。1年間で、中級の下までやり終えるのが目標で、1週間に12時間の授業があります。この他に昨年度1年間勉強してきた薬学日本語班の学生30人に、2時間の授業をしています。これらを合算すると、1週間に計14時間になります。
私の中国での楽しみの一つは中国人との交流です。とりわけ、庶民(老百姓)との交流です。
街中で出会う人々と、下手な中国語を使ってですが、交流してきました。どの都市でも、街中で出会った庶民(老百姓)の方、何人もと友人となり、家に迎えられて食事をご馳走になったり、小さな食堂で酒や食事を共にしたりしてきました。時には、路上で車座になり、食事をしたことも何回かあります。
東北の長春や瀋陽では、日本語を話す庶民との出会いも、時にはあり、交流を深めることがありました。これらの方は、満州国(中国では偽満という)時代に日本語を身につけた高齢の方たちです。当時の経験を、生の話として語ってくださるこれらの方たちとの交流は、歴史の教師であったこともあり、私にとっては宝物のようなものです。この国慶節の黄金週間にも、長春でのこれらの友人4人に会ってきました。78、80、81、87歳と、いずれも高齢な方たちです。若かった頃の話を、思い出し、思い出し、彼らは語ってくれます。
また、土日に開かれる、路上の古書・古玩市に欠かさず出かけては、歴史の証言者(物)としての当時の文書・書物などを探し、集めていたので、古書・古玩市の小店主とも顔なじみとなり、交流を深めることになった店主も少なくなくありません。今回の国慶節の長春旅行でも、3年前の私を忘れていず、久しぶりだと言って、小吃店でご馳走してくれた人物もいます。彼らはまったく日本語が喋れないので、私の下手な中国語での交流になりますが、時には筆談を交えるので、意思疎通は十分できます。このような庶民(老百姓)との交流が私の中国での生活を豊かにしてくれていました。
ウイキペディア(その他のネット辞書にも)の『柳条湖事件』
最後の「関連リンク」に私のHPが紹介されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E6%9D%A1%E6%B9%96%E4%BA%8B%E4%BB%B6
中国文のウイキペディア「東北育才学校」に
瀋陽史跡探訪の22「千代田小學校界隈と旧一条通」が
参考文献として採用されている。
注31、 加藤正宏. 旧千代田小学校界隈と旧南一條通. [2016-06-29]. (原始内容存档于2016-08-12). これら入り口の瀋陽市文物局の牌や贈られた時計塔の看板から、この建物が千代田小学校の校舎と勘違いしてしまう。私も最初はそのように勘違いしていたのだが、当時のいくつかの地図で確認すると、これは小学校の校舎ではなく、当時の教育研修所、その前身は満洲教育専門学校(1924年、大連に創られた、数年後には現在の育才中学の地に移転してきたもの)だ。当時の地図で見ると、研修所の西隣、忠霊塔側に建てられた鉤型の校舎がその附属小学校として開校、後に千代田小学校と呼ばれた建物であった。運動場側に出っ張った東の部分が講堂である。
「東北育才学校」で検索可能。
念のためアドレスを記す 东北育才学校 - 维基百科,自由的百科全书 (wikipedia.org)
「中国における“国旗・国歌と教育”」の講演を聴いて
http://www.ne.jp/asahi/manazasi/ichi/kyouiku/cyugoku0005.htm
雑誌『中国銭幣』2001年1月号 答加藤正宏先生
http://d.wanfangdata.com.cn/periodical_zgqb200101026.aspx
http://d.wanfangdata.com.cn/periodical_hebsydxxb-shkx200802025.aspx
Fingerprinting in Manchuria - Yosha Bunko←ここをクリック
満州国の国民手帳の写真上部に加藤とHPの紹介
http://members.jcom.home.ne.jp/yosha/yr/fingerprinting/Fingerprinting_Manchuria.html
上記HPが現在閉じられているようなので、以前再録したものを紹介する。
羊舎文庫 Yosha Bunko
Before and during the tenancy of Manchoukuo
By William Wetherall
First posted 1 August 2007
Last updated 15 December 2009
http://www.yoshabunko.com/fingerprinting/Fingerprinting_Manchuria.html
⁂ 中国人ブログに瀋陽史跡探訪(通信)が引用される
新印書館について HPの一部活用 注(37)
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=32298
唐招提寺でうちわまき これ以外の新聞記事にも掲載
http://www.47news.jp/CN/200905/CN2009051901000617.html
雑誌『収集』に記事多数 HPの「貨幣の項」発表してきた文を参考
大連と瀋陽の紀行文 福原元澄館
http://fukubara.web.fc2.com/htm/20120812p.htm
開始
更新:2016年9月4日 教科書の項―文革時期の教科書―語文の記述からー文革前後の魯迅教材『藤野先生』
(史訪会 第23回学術討論会2016年7月30日で発表)
更新:2016年1月31日 教科書の項―文革時期の教科書―語文の記述からー時の権力者(林彪)と教科書記述の関連 遼寧省中学課本より
更新:2016年1月8日 貨幣の項 今まで発表してきた記事
雑誌『収集』2015年8月号から12月号「叙事詩マナスと、キルギスの紙幣とコイン」
雑誌『収集』2016年1月号から~「トルクメニスタンの紙幣とコイン、ニヤゾフとトルクメンノヒーロー達」
『外国コイン研究』NO45 「中華人民共和国の糧票(その33)安徽省―上―」
更新:2015年8月29日
瀋陽史跡探訪の「満鉄付属地5」に満鉄住宅間取り図の写真追加(栗原節也氏制作)
更新:2015年8月16日 貨幣の項ー二十四孝の銭荘票と花銭のその一。8月中旬までに上記その2、その3をアップ完成する。
更新:2015年8月 教科書の項ー文革時期の教科書ー語文の記述からー時の権力者(林彪)と教科書記述の関連
(文革時代の教科書の紙貼り、墨塗り、切り取りから)
更新:2014年~2015年 貨幣の項に雑誌「収集」掲載の号数
イラン、モロッコ、カザフスタン、キルギスの各紙幣やコイン
更新:2014年4月28日 同善堂 左寶貴 承抱養女契約書
(瀋陽史跡探訪)
更新:2014年1月24日 小論・記事
中華人民共和国における国歌と教育
更新:2013年後半から 収集した中国の教科書について
更新:2013年9月6日 長春 満洲中央銀行発行代用銅幣(?)と称する代物
更新:2013年8月末 貨幣 続 イギリス現行紙幣とその周辺
中華人民共和国初期の課本教科書記述 2013年8月
1:満州国納税告知書裏面に手書き課文
中華人民共和国初期の国語教科書(手許に収集した200冊強の課本)
識字・国語・国文・語文・漢語・拼音字母・漢字簡化方案・文学などなど
初級・高級小学、初級・高級中学、函授、戯曲演員、解放軍士など対象
表紙と目次などの写真もリンク
更新:::2013年3月18日 貨幣 中国の伝統文化 八仙、及び囲碁
更新2012年9月26日 貨幣 中国の伝統文化 三星福禄寿の銭荘票と花銭(吉祥銭)
更新2012年9月21日 貨幣雑誌関連
更新:2011年10月27日
奉天省官立東関模範両等小学校と少年周恩来(瀋陽のHPに)
更新:2011年9月27日 九一八歴史博物館と柳条湖爆破記念碑(瀋陽のHPに)
更新:11年9月今まで発表してきた貨幣関連記事
更新:2010年8月24日 聾仙とヤマトホテル (長春のHPに)
更新:10年6月23日、貨幣関連に追加・雑誌発表、青島の貨幣商劉海さん
更新:09年12月14日 下記シリーズ最終回 その4、旧満洲中央銀行千代田支店及び奉天自動電話交換局
更新:09年12月8日 不可移動文物・旧満鉄図書館などの現状 その3、旧奉天独立守備隊司令部
更新:09年12月1日 不可移動文物・旧満鉄図書館などの現状 その2、旧満鉄奉天図書館
更新:09年11月22日 不可移動文物・旧満鉄図書館などの現状 その1、旧フランス領事館
更新:09年10月11日 瀋陽史跡の「留用」に森川氏のメール追加
更新:09年8月24日 写真が語る満洲4(『満洲・朝鮮民族・日本』と瀋陽西塔付近)瀋陽史跡
更新:09年6月18日 写真が語る満洲3(満洲飛行機株式会社 満人育成工)瀋陽史跡
( 追加:09年6月30日 注6追加 蘭花特別攻撃隊の歌 歌詞三番 )
更新:09年6月7日 写真が語る満洲2(今も日本語が話せる遅さん苑さん) 瀋陽史跡
更新:09年5月27日 写真が語る満洲(郵政局、満州国切手など) 瀋陽史跡
更新:09年5月10日 平安座、新富座、南座、奉天座、大陸劇場・・・・瀋陽史跡
奉天(瀋陽)の劇場・映画館 瀋陽史跡
更新:09年4月8日 瀋陽(朋友の馬さん) 瀋陽史跡
更新:09年1月31日 新京(長春)大同学院 (下)
更新:08年12月28日 新京(長春)大同学院 (上)
更新:08年9月21日 課本・教科書 満州国の教科書
更新:08年9月15日 課本・教科書 民国の教科書 教科書記述
更新:08年8月13日 瀋陽史跡探訪25、 及び23追加改定
更新:08年7月7日 瀋陽史跡探訪24
更新:08年6月23日 瀋陽史跡探訪23
更新:08年5月20日 貨幣
更新:08年3月12日 長春9
更新:08年3月2日 長春8
更新:07年12月15日瀋陽史跡探訪22
更新:9月23日瀋陽史跡探訪21
更新:9月3日
入手している中華民国課本目録
更新:07年7月10日瀋陽史跡探訪20
更新:07年6月28日 瀋陽史蹟探訪19
更新:07年6月8日 瀋陽史蹟探訪
更新:07年6月1日 瀋陽史蹟探訪
領事館や公館が建ち並ぶ・・・
更新:7年5月13日
瀋陽史跡探訪 正陽街 馬家焼麦
更新:07年5月11日
瀋陽史跡探訪12を追加変更
更新:07年4月10日
瀋陽9、満鉄附属地に追加説明
更新:07年4月3日 瀋陽
更新: 07年4月2日 瀋陽
下記3月27日に4月1日の記事追加
(貨幣)
更新:07年3月27日
雑誌「収集」掲載、
「高まる人民幣の収集熱」
中国の社会経済事情にも触れる
(貨幣)
更新:07年4月3日
更新:07年3月19日 瀋陽
更新:07年1月5日 瀋陽
更新:06年12月24日 私の独り言
更新;06年12月20日 瀋陽
更新:06年11月27日 独り言
更新:06年11月26日 瀋陽12
更新:06年10月8日 瀋陽
更新:06年9月28日 瀋陽11
更新:06年8月23日・長春7
更新:7月~8月(長春1~6)
更新:2006年7月5日
誕生:2005年11月11日
中国に暮らして歴史に埋もれた事跡を訪ねます.