16 山東の縦長銭荘票の図柄と中国の伝統文化  

二十四孝の図柄と花銭  2


加藤正宏

山東の縦長銭荘票の図柄と中国の伝統文化

二十四孝(王祥・孟宗・董永など)の図柄

と花銭 -その2

加藤正宏

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三、『二十四孝』の花銭と明治期の修身教科書や歌舞伎・落語

 「後漢の黄香は九歳にして、母を失ひ、思慕して骨立せり、父に事へて力を竭し、暑日には、父の牀枕を扇きて安眠せしめ、厳冬には身を以て席を温めて父を坐せしめけり、家貧にして、諸事心に任せずといへども、常に滋味を盡して、父に薦む。和帝之を嘉し特に幾多の物を賜はりたりと。」(修身小学読本)

 「 幼童父を救ふて猛虎を追ふ 唐の許坦は新安県の人なり十歳の時父に従て深山に入り薬草をとるに猛虎あり俄に来りて父を噬えければ坦大に驚き操る所の杖にて力の限り之を撃ちしかば虎恐れて逃げ去りけり太宗皇帝之を聞き群臣に宣ひけるは坦幼童なれども能く身を棄てて父の危きを救ふ至孝よみすべしとて帛五十匹を賜ひけるとぞ」(尋常小学校生徒用 修身書 第七)

 北斎漫画  ・1930年代香煙(巻煙草)のラベル  ・中国伝統の絵画

「扇枕温衾 黄香」(絵柄番号13)


 北斎漫画  ・1930年代香煙(巻煙草)のラベル  ・中国伝統の絵画

「扼虎救父 楊香」(絵柄番号20)

 前者は「扇枕温衾 黄香」(絵柄番号13)である。

 後者は伝統的な『二十四孝』の故事である「扼虎救父 楊香」(絵柄番号20)とは、素手で虎を撃退させた楊香と異なり杖を使用しており、孝子の名も許坦と異なるが、福建地方で語られていた『二十四孝』の故事である。全国に流布した伝統的な故事以外にもその影響下で多少は故事や孝子を変えたもの、幾つか全く故事を取り替えたものが中国には存在していて、日本にもこのように伝統的なもの以外も伝えられていたのだろう。

歌舞伎の『本朝二十四孝』の四幕目「山本勘助住家の場」の「雪の中で竹の子を掘る」という場面に次のような台詞が出てくる。

返らぬ昔、唐土(もろこし)の、廿四孝はまのあたり。

孟宗竹の笋(たかんな)は、雪と消え行く胸の内。

氷の上の魚おどる、それは王祥。

これは他生の、 縁と縁。

  ♪黄金の釜より逢い難き……。

(名作歌舞伎全集第五巻)

  北斎漫画  ・1930年代香煙(巻煙草)のラベル  ・中国伝統の絵画

「哭竹生笋 孟宗」(絵柄番号21)

 北斎漫画  ・1930年代香煙(巻煙草)のラベル   ・中国伝統の絵画

「臥冰求鯉 王祥」(絵柄番号18) 

  北斎漫画  ・1930年代香煙(巻煙草)のラベル  ・中国伝統の絵画

「埋児奉母(為母埋児) 郭巨」(絵柄番号12)

 この歌舞伎内容は、題名とは異なり、中国の『二十四孝』の故事とは全く関係ないが、この場面で、その代表的な故事、「哭竹生笋 孟宗」(絵柄番号21)、「臥冰求鯉 王祥」(絵柄番号18)、「埋児奉母(為母埋児) 郭巨」(絵柄番号12)のことが触れられている。

 長屋の大家が店子で乱暴な八五郎に、孝行について教え諭したが、結果は・・・という落語がある。勿論、それぞれの演者によって「まくら」や「おち(さげ)」に違いがあり、粗筋は大きくは違わないが、その展開にはそれぞれぞれの味を見せている。その中の一つから、『二十四孝』に関わる内容部分を抜き出してみた。

落語『二十四孝』

(前略)

「なにいってるんだ。満足に口もきけやあしねえ。こまったもんだ。おめえのおとつぁんてえものは、食べる道はしこんだが、人間の道というものを教えねえか ら。おめえのようなべらぼうができあがっちまったんだ。むかしから、親不孝をするようなやつにろくなやつはいねえ。今のうちにせいぜい親孝行しておけ。孝 は百行の基(もと)という……」

「へーえ、そうですかねえ」

(中略)

「じゃあ、どんなことをすりゃあいいんで?」

「どんなことといって……そうさなあ……唐(もろこし)の二十四孝を知ってるか?」

「じまんじゃねえが知りません」

「そうか、じゃあ、この中で、おまえにわかりやすいのをはなしてやろう……王祥という人があった」

「ああ、寺の?」

「和尚じゃねえ。王祥という 名前の人だ。この人は継母につかえて大の孝行、寒中のことだ。おっかさんが鯉が食べたいとおっしゃたが、貧乏暮らしで鯉を買えない。そこで釣竿を持って池 へ釣りにいったのだが、厚い氷がはっているので釣ることができない。しかたがないから、はだかになって氷の上へ腹ばいになって寝たんだ」

「へーえ、アザラシみてえな野郎ですね。つまり氷の上へ寝るのが趣味なんだ」

「ばかっ、そんな趣味があるもんか。からだのあたたかみで氷をとかそうてんだ」

「つめてえねえ、そりゃあ……で、どうしました?」

「氷がとけてな、そこから鯉がとびだしたので、これをおっかさんへさしあげて孝行をした」

「うふっ、笑わしちゃあいけねえ。そんなばかなはなしがあるもんか」

「どうして?」

「だって、そうじゃあありませんか。うまく鯉がとびだすだけの穴があいたなんて……からだのあたたかみで氷がとけたんなら、てめえのからだごとすっぽりと 池のなかへおっこちるのがあたりめえだ。もしも泳ぎを知らなかろうもんなら、あえなくそこで往生(王祥)する」

「なにをくだらねえしゃれをいってるんだ。おまえのような不孝者ならば、あるいは一命を落としたかもしれないが、王祥は大の親孝行だ。その孝行の威徳を天の感ずるところでおちっこない」

「へーえ、そうですかねえ。てえしたもんだ。ほかにありますかい?」

「孟宗という人があっ て、このかたが大の親孝行だ。寒中にな、おっかさんがたけのこが食べたいとおっしゃった」

「おっしゃりゃあがったねえ。唐国(もろこし)のばばあてえものは、どうしてそう食い意地がはってんだい? 鯉が食いてえ、たけのこが食いてえなんて…… そんなばばあは、とてもめんどうみきれねえからしめ殺せ」

「らんぼうなことをいうなよ」

「どうしました?」

「なにしろ寒中で雪がふってる時分にたけのこというんだから、こりゃあ無理なはなしだ。しかし、どうかさしあげたいものだと、鍬をかついで竹やぶへいっ て、あちこちとさがしてみたが、どうしてもたけのこがない」

「そりゃあそうでしょう」

「孟宗は、これでは母に孝を つくすことができないてんで、天をあおいで、はらはらと落涙におよんだ」

「へーえ、まぬけな野郎だねえ。たけのこがねえんだから、やぶをにらみそうなもんじゃあありませんか。天をあおぐなんて、まるっきり見当ちげえだ。ははあ、見当ちげえのことを、やぶにらみってえのは、これが元祖ですか?」

「くだらねえおしゃべりするなよ。すこしだまっておいで……ああ、たけのこがなくては、一人(いちにん)の母に孝をつくすことができない。ざんねんなこと であると、さめざめと泣いていると、足もとの雪がこんもり高くなった。鍬ではらいのけると、手ごろのたけのこが、地面からぬーっとでた」

「へーえ、いい仕掛けになってますねえ」

「いい仕掛けってやつがあるか」

「だってばかばかしいや。いくら親孝行だって、天をにらんで涙をこぼしただけでたけのこがぴょこぴょこでてくるんなら、八百屋に買い出しになんかいかねえ よ。みんな竹やぶへいって、わーわー、泣くねえ」

「さ、そのでないはずのものがでるというのが、孝行の威徳によって天の感ずるところだ」

「なんだい、都合がわるくなると、感ずるんだからなあ、ずるいや……じゃ、とにかく感ずるところとしときましょう。で、それを食わしたらよろこんだでしょ う?」

(中略)

「まだほかにありますかい? その感ずるやつが……」

「なんだい? その感ずるやつてえのは…このほかに郭巨という人がいた」

「ああ、脚がむくむやつだ」

「なんだい?」

「脚気だって……」

「脚気じゃあない、郭巨……この人にも一人のおっ かさんがあった」

「またばばあですかい」

「女房に子供がいた」

「その他おおぜいってやつだ」

「いたって貧乏だ」

「よくもあきねえで、ばばあと貧乏がついてまわるもんだ」

「郭巨夫婦が食うものも食わないで『おっかさん、これをおあがんなさい』というようにしているが、おふくろは孫をかわいがって、自分が食べないで孫にやっ てしまう、わが子のあるために母へ十分に孝行をつくすことができない。子のかけがえはあるが、親のかけがえはない。夫婦相談の上、かわいそうだが、子どもを生き埋めにしようということになった」

「ひでえことをするもんですねえ……それで?」

「山へつれてって子どもを埋めようというんだが、さすがに親子の情にひかれて、一鍬いれては涙をうかべ、二鍬目には落涙し」

「三鍬いれては、鼻水垂らし……」

「よけいなことをいうな……折りから鍬のさきへガチッとあたったものがある」

「ああ、水道の鉄管にぶつかったんだ。水が吹きだしましたかい?」

「なにをいっているんだ。掘ってみると釜がでた」

「釜めし屋の焼けあとですか?」

「そうじゃあない。金(きん)の釜がでたんだ」

「ヘーえ、ぜいたくな釜だ。そんな釜でめしをたいたらうめえでしょうね?」

「いや、その釜じゃあない。金のかたまりを一釜、二釜という」

「へーえ、そうですかい」

「掘りだしてみると、天、郭巨にあたうるものなり、他の者これをむさぼることなかれと書いてあった。すぐにこれをお上へとどけると、おまえにさずかったも のだというので、これがじぶんのものになり、たちまち大金持ちになったという」

「しかし、あてずっぽうに掘ってよく堀りあてましたねえ」

「そこが天の感ずるところだ」

「危のうなったら天が感ずるってやつですな。」

「また晋の国に呉猛という人があったな。この方の家は貧しくて、年老いた父親がいたが、夏にも蚊帳を吊ることも出来なかった。」

「おれんちとこも、蚊帳はねえから、吊った例がねえ。」

「その方はな、父親が蚊に食われないようにと、おのれは裸になり、身体に安い酒を吹き掛け、『父を刺さずに我を刺せ』と言うて父親の横に腹ばいになって寝た。」

「そんなことしても、だめ、だめだって。蚊は酒の匂いが大好きやで、そらあー、あっちこっち食われてしまう。ああ、痒ゆうて我慢できん。」

「さ、それが蚊が一匹も現われず、食われなかったんだな。」

「えっ、なんでだす。また、また『天が感じた』というやつですか。」

 北斎漫画  ・1930年代香煙(巻煙草)のラベル  ・中国伝統の絵画 

「恣蚊飽血 呉猛」(絵柄番号19)

  北斎漫画  ・1930年代香煙(巻煙草)のラベル  ・中国伝統の絵画

「聞雷泣墓 王裒」(絵柄番号16)

  北斎漫画 ・1930年代香煙(巻煙草)のラベル  ・中国伝統の絵画

「滌親溺器 黄庭堅(山谷)」(絵柄番号24)

 取り上げられているのは、「臥冰求鯉 王祥」(絵柄番号18)、「哭竹生笋 孟宗」(絵柄番号21)、「埋児奉母(為母埋児) 郭巨」(絵柄番号12)、「恣蚊飽血 呉猛」(絵柄番号19)である。この他に、演者によっては、「聞雷泣墓 王裒」(絵柄番号16)、「滌親溺器 黄庭堅(山谷)」(絵柄番号24)なども組み込まれることがあるという。

北斎漫画  ・1930年代公園(巻きたばこ)のラベル  ・中国伝統の絵画

1930年代公園(巻きたばこ)のラベル・中国伝統の絵が 北斎漫画 ・

 北斎漫画  ・1930年代香煙(巻煙草)のラベル  ・中国伝統の絵画 

「行傭供母 江革」(絵柄番号10)

  北斎漫画  ・1930年代香煙(巻煙草)のラベル  ・中国伝統の絵画

「刻木事親 丁蘭」(絵柄番号9)

  北斎漫画  ・1930年代香煙(巻煙草)のラベル  ・中国伝統の絵画

「拾葚異器(拾橘供親) 蔡順」(絵柄番号14)

  北斎漫画  ・1930年代香煙(巻煙草)のラベル  ・中国伝統の絵画

「売身葬父 董永」(絵柄番号8)

 十二肖花銭

天女

 演者としては、二十四も故事があるのだから、選り取り見取りというところであろう。「鹿乳奉親 郯子」(絵柄番号6)、「刻木事親 丁蘭」(絵柄番号9)、「行傭供母 江革」(絵柄番号10)、「拾葚異器(拾橘供親) 蔡順」(絵柄番号14)であっても良いわけである。八五郎(はっあん)の気を引くなら、天女を一時は妻に出来る「売身葬父 董永」(絵柄番号8)も面白いところだろう。十二生肖の花銭の面に天女を刻んだものも、この故事に関わりがあるそうだ。

 しかし、何といっても王祥と孟宗の故事は欠かすことは出来ない。この二つの故事は日本でも中国でも庶民(老百姓)に馴染みやすい故事だったのだろう。

 王祥と孟宗の故事を面背に配した橘子型の花銭

 中国では早い時期から王祥と孟宗の故事を面背に配した橘子型の花銭が登場している。それぞれ絵柄以外に「王祥臥冰」「孟中哭竹」と文字を刻む。蔕の部分は縁が雲彩或いは海浪ようで、その中は逆さ蝙蝠になっている。前者が祥雲であれば「寿山福海(寿は山のように高く、福は海のように深い)」の寓意を示し、後者はいわゆる「倒蝠(到福=福がやって来る)」の吉祥絵柄を示している。広く一般に親しまれてきた花銭のようで、私も一枚所持している。

 王祥の故事のみを扱った橘子型の花銭

面の中心には太極の双魚図

背は水面から跳ね上がった鯉

 特に王祥の故事は老百姓(庶民)に人気があったようで、次章の透かし彫りの花銭にも刻まれているが、王祥の故事のみを扱った橘子型の花銭が存在する。面の中心には太極の双魚図を置き、「王祥」「臥冰」の文字を十字に交差させる。背は水面から跳ね上がった鯉を刻む。蔕部分は上記の橘子型と同様、逆さ蝙蝠である。

 それにしても、庶民感覚の八五郎をして、「ばかなはなし」「ばかばかしい」と発せざるを得ない話しが『二十四孝』の孝行話ということになる。