05 長春の常平通宝収蔵家

加藤正宏

  書信館出版「収集」2008年6月号(08年5月20日発行)に掲載さた「長春の常平通宝収蔵家」の補足として、掲載できなかった写真をここに掲げてご紹介する。

 雑誌に掲載された写真はここには載せていないそれらの写真やその内容そのものについては「収集」6月号を見ていただきたい

長春の常平通宝収蔵家

漢城博物館よりも、

上海博物館よりも

品種は多いと豪語

加藤正宏

長春の古玩城(骨董ビル)

 二〇〇〇~〇二年の駐在以来の、二度目の長春駐在である。任務は同じく日本語教師であるが、今回は短く、昨年(二〇〇七年)十二月末から本年の二月末までの二ケ月であった。でも、長春には古玩城(骨董ビル)が四軒、旧書城(古書ビル)一軒あり、過去に知り合いになっていた古書や骨董を扱う店主が営業しているところも多く、私の収集している教科書(満洲国期、中華人民共和国初期、文革期)はもちろん、満洲国期の品々、古銭や古紙幣を手の上に載せて見せてもらう機会が多かった。

 満洲国の文教部発行の「初級小学校 修身教科書」(第三冊)、「初級小学校 日本語教科書」(下冊)、「初級小学校 国文教科書」(第一、六、七、八冊)は少し値が張ったが購入してきた。満洲国期の品物は購入まで到らなかったが、好意に甘えて、新京大同学院の徽章、満鉄のマーク(Mにレールの切断面を組み合わせる)の入ったナイフやホーク、皿や椀、更に満洲国皇室の紋章が入った皿など、写真に撮らせてもらった。

満鉄のマークの入った皿や椀やナイフやホーク

 現在では、外国銭を扱っている店も、外国紙幣を扱う店も、それぞれ一軒ではあるが、長春にもできている。古銭の方は骨董と共に扱っている店も加えて数えれば、各ビルに数多くあり、また古銭専門の店も少なくはなく、いろいろと見せてもらった。ただ、残念なことに私自身が古銭の基本的な知識を十分に身につけていないので、漢、唐、北宋、遼、明、清の古銭や玩銭を見せてもらっても、珍奇なものなのか、どこにでもあるものなのか、区別ができず、また、贋銭も多い中国のこと、とても手が出せない。

 ある時、骨董がメインで古銭も扱っている人物が、常駐の店でなく、もう一軒の高価な骨董を並べた店に案内して、常平通宝を見せてくれた。彼は長春でも最も繁華街である重慶路に面した和平大世界というビルの四階と五階に店を構えている。通常の店舗は四階(長春市重慶路和平大世界四楼古玩区 X-47)に、特別なものは五階の店舗に並べている。

 この、重慶路は満洲国時代には豊楽路と言われたところで、豊楽劇場やモンテカルロなどというダンス倶楽部があった通りだそうだ。ダンス倶楽部はもう無いが、豊楽劇場は外観を保ちながら、今は大きな薬局になっている。和平大世界ビルの近くで、満洲国の痕跡をそのまま留めているのは道路にあるマンホールの蓋である。「新京」とい文字、満洲国の首都であった名前がそこには見られる。

右から新京とあるマンホールの蓋

常平通宝の収蔵家・郝景山(不枯崖)

 まだ、四十代半ばだが、北京でわざわざ陶瓷について学習し、その専門家の資格をも得ている人物だ。彼がこの骨董に身を入れ始めたのは彼の二十代の頃の給与が、他の人より随分良かったこと(一般に月給が千元にとても及ばない頃、彼は外資系の長春鈴木モーターに勤め、三千五百元得ていたのだそうだ)、そして、西安を始めとして、中国西北部の各地に出張に出かけては、その地でこれだと思った骨董を買い集めた。骨董のブームにも乗って、現在、このビルに二つの店舗を構えている。

 その彼が、過去に日系の企業にも勤めていたということで、中国語で話せる日本人の私に好意を寄せてくれたのだろう。満鉄関係の品物を見せては、必要なら写真を撮ってもいいと言ってくれたり、少しここで休んで話して行けと言ってくれたりしていた。一度は奥さんも加え、食堂で御馳走してくれたこともある。

 ある時、中国の古銭を見ながら、中国東北地方を支配した遼や金の古銭は勿論、吉林省は朝鮮と接している(延辺朝鮮自治区)から朝鮮の古銭も多くあるのではないかと水を向けてみたところ、急に大きな声で「総量では及ばないが、漢城(ソウル)の博物館、上海の博物館が収蔵しているよりも、私の方が常平通宝の品種は多い。」と嬉しそうに話し始めた。そして、高価な骨董を集めた五階にある店舗に案内してくれて、ショウケースに入っている常平通宝を見せながら、「この中に入っているのは一般的なものだけだから、明日もう一度訪ねておいで。自宅に保管している珍品を持って来て見せてやるから。」と言う。この五階の店舗はほとんどが陶瓷で、古銭は常平通宝しか置いてなかった。四階の掛軸や民具や硯や纏足の靴や古銭や様々なものが置かれているのとは違い、ここは整然としていた。これは東京の博物館あるのと同じだとか、これは遼の時代の物だと言って陶瓷を誇らしげに取り出し見せてくれた。門外漢の私には正に猫に小判であったのだが・・・。この五階の店舗の品は彼にとってそれだけ自慢のできる品物なのであろう。勿論、常平通宝の収蔵についても、誇りと愛着を持っているからこそこの五階に展示しているようだった。

収蔵量と彼の珍品とする常平通宝

 彼曰く、「品種で言えば、漢城(ソウル)の博物館の常平通宝の種類は千五百強、上海博物館のそれが千五百弱で私の方が多い。総量で言えば、もちろん博物館の方が多いけれど。」と。彼の言っていることが事実なのかどうか、私には分からないが・・・・。とにかく、以下の枚数の常平通宝を所持しているとのこと。その大半は、七、八年前に長春の著名な収蔵家から譲り受け、その後も、関心を持って追加し続けて、現在の収蔵枚数になったのだそうである。

総量枚数 5000多枚

品種 1731枚

珍品(貴重品) 84枚

折2~折5 系類 431枚

江、開、京、平、工、圻、武、備、尚、宣、

守、原、全、賑、?、海、戸、黄、営

統、訓、咸、禁、均、沁、典、昌、川、春

小平 平系85枚、経系16枚、均系15枚、禁系36枚、

圻系18枚、武系24枚、宣系6枚、松系10枚、

営系68枚、賑系18枚、?系54枚、

平系86枚、咸系4枚、恵系33枚、

戸系522枚、訓系221枚

 彼が珍品とする84枚の常平通宝の中から写真に撮らせてもらった。

彼が最も珍奇だとするのは「合背」だそうで、常平通宝の文字が面背ともにあるものであった。私のデジカメでは彼の言っているよな「合背」をきっちりとは捉えられなかったのだが、非常に稀有な品で、歴史的にも価値があるという。

次いで、珍品だと彼が考えるのは材質がほとんどが錫でできているもので、これも少ししか見ることができない品で、やはりこれも歴史的な価値があるものだという。一般に材質は青銅(銅と錫の合金)が普通であるから珍しいということであろう。

次いで多く見せられたのは「揺頭」の銭貨である。日本で言う「錯笵」や「重文」にあたる。代表的なものを取り上げてみると、常平通宝の文字が全て左右にズレて二重に刻まれているもの、「平五」の内郭右に「二」がある背面が45度の角度で全て左に回転してダブっているもの、背面の左の「五」が上下にズレてダブったもの、常平通宝の「平」と「宝」が角度ズレで明確に二重に刻まれているもの、「訓天」の内郭左に「二」がある背面が、全てブレて太い字になったかのように見えるもの、背面の内郭下の「十一」がダブったもの、「典當五」の五が上下にダブり、内郭下「二」がダブって三に見えるものなど。

D 内郭右に二重の太陽がある「営三」。

E 背が「全」のみの単字銭。

F 白銅の無背。*小平銭との大きさの比較

G 背が「開」の一~五。

H 背が「開」の左星二、四~十。

I 背が「開」の右星一~七、九。

J 背が「開」の左月一、二、五、七、十が2枚。

K 背が「開」の右月二、三、四、九、十。

L 背が「開天」の右一~十(八を除く)。

M 背が「開天」の右から左へ十一~十五。

N 背が「開地」の右一~十(四、九を除く)。

O 背が「開地」の右から左へ十二~二十(十五、十六、十九を除く)。

P 背が「開日」の左一~十(六を除く)。

Q 背が「開日」の右一~十(八を除く)。

R 背が「均(?)日」の「西」。これは四の「揺頭」か?

S 背が「圻天」の左一~九、九2枚。

T 背が「圻天」の右二~五。

U 背が「圻二」の左一、九。「圻二」の大きさの比較。

V 背が「統當五」の六2枚、七、八、十、十一、十七、十八。*参考十七の面背。

W 背が「平當五」の一、四、十。

X 背が「戸當五」の二、三、六~九。

Y 背が「戸當五」下月の三、五2枚、六3枚、九。

以上彼が珍奇だという銭貨を写真に撮らせてもらった。

その前日撮らせてもらったのが、常設ケースに並べてあった一般的なものだと彼が言う賑と平天である。Zはその中のいくらか写真写りの良いものである。

Z 背が「賑三」と「平天七」。

以上が写真に撮らせてもらった銭貨である。

このときまでの、私自身の「常平通宝」に関する知識は李氏朝鮮で鋳造されて200年近くも流通していた銭貨であるという程度であった。彼が手にしていた図録を見せてくれたが、それは韓国版の「韓国貨幣価格図録」(著者:金仁植、出版社:図書出版、初版一九七六年、〇二年二一版)で、ハングルでの説明しかなくて私には分らなかった。図版と価格を見比べることができる程度でしかなかった。彼もハングルが読めないようだったから、

彼の豪語を鵜呑みにしていいものかとは思うのだが・・・・・。

G   開の一~五

H   開の左星二、四~十

I    開の右星一~七,九

K   右月二,三,四,六、九,十

L   開天右一~十(除く八)

N   開地右一~十(除く四,九)

O   開地右から左へ数字

P   開日一~十(除く六)

Q   開日右一~十(除く八)

S   圻天の左一~九

T   圻天の右二~五

V   統當五の各種

W   平當五の一、四、十

X   戸當五の数字

Y  戸當五の下月と数字

Cの④   常平通宝面に角度ズレで二重に

C-②   45度で回転

R   西は四の揺頭か

Z   賑三



C-⑦  ダブって二が三に

R   左記の西と比較

Z   平天七

V   統當五の十七

文献について

 「常平通宝」についての日本語の解説は、『東亜銭志 十五』77、78頁 奥平笠南 著、1938年(昭和十三年)発刊、同氏の遺稿「『東亜銭志 補遺』第二巻97頁から101頁、1966年(昭和41年)発刊が参考になる。これらの書には常平通宝銭の鋳造開始時期や、背文の説明が官署、地名などを紹介して詳しく説明してある。また、月刊画報『今日の韓国』1980年8月号『朝鮮時代の貨幣 常平通宝(サンピヨン・トン』47頁~49頁にも詳しい記述がある。なおこの画報では常平通宝当二銭の背面『?』と千字文順銭(天地玄黄宇宙洪荒)、常平通宝中型銭の背面『営』と五行順銭(火土水木金)、常平通宝当一銭の背面『?』と数字(一~五)と左に星の銭貨幣、常平通宝当十銭(試鋳貨)、常平通宝当百銭の写真が掲載されている。

 中国文による文献は多々あると思われるが、『古銭新典』(1988年までの発見、発表を記載)上、540頁、著者:朱活、三秦出版社や、『馬定祥批注 歴代古銭図説』丁福保 原著、馬定祥 批注、上海人民出版社1992年(なお、丁福保 原著は1940年初版)にも常平通宝の記載が見られる。

 これらの文献のエッセンスだと私が感じた部分の解説は、雑誌「収集」2008年6月号に紹介しておいた。関心があれば、見ていただけたらと思う。勿論、それでは満足されない向きは原典に当たられて自ら確認していただきたい。

 なお、ハングルの文献も当然あろうと思われるが、ハングルの解からぬ私の手には負えないものである。

(2008年5月記)

東亜銭志』

画報『今日の韓国』

『古銭新典』など