13  山東の縦長銭荘票の図柄と中国の伝統文化 

八仙及び囲碁 その3


加藤正宏


山東の縦長銭荘票の図柄と中国の伝統文化

八仙、及び囲碁 (その3・囲碁)

加藤正宏

三、囲碁

 雑誌『収集』2010年12月号で、囲碁の対局にについて少しご紹介し、八仙の李鉄拐と呂洞賓の対局についても触れた。ところで、聚源永の銭荘票背面の下半分の図見ていただこう。八人の人物が見られる。子供のように描かれているのは、時として子供姿で描かれるという藍采和であろう。そして、左手前で碁を打っているのは、その姿からして、何仙姑と呂洞賓であろうか。八仙中でもこの二人は碁に長じていたと言われる。

 一つの故事逸話がある。安徽省明光市(省の東北約120キロ省境、隣接の江蘇省南京市から西北約105キロ)にある女山は海抜128メーターの小さな山だが、世界でも一、二の完璧な噴火口が残っている休火山であり、噴火時の壮観さを十分に想像できる仙気が漂う山である。そこには適当な洞窟もあり、仙人たちが集い活動しているという故事が生まれた。李鉄拐・張果老・呂洞賓・何仙姑などは常時ここにやって来ていたという。そんな中で、次のような逸話が生まれた。

 女山麓の小さな村に李九先という頭の良い青年が居て、科挙の地方試験は早く合格したのに、中央試験は何度受けても合格せず、少し自棄を起こして酒を飲んでは天に向かい地に向かい不満を託つようになり、同じ発音から李酒仙と呼ばれるようになった。その彼が酒を何杯も飲んで、ふらふらと女山に入りこんで、さ迷い歩くうちに、ある洞窟の中から「好棋(その打石は素晴らしい)!」という声が聞こえてきた。棋迷(碁狂い)であった彼は洞内に少しずつ入っていった。そこでは中年男性と若い女性が碁を打っており、その傍らで老人がそれを観戦していた。声をかけ挨拶しようとすると、老人が口に手を当てて声を出すなとの合図、そこで黙って老人の傍らに立ち、観戦する。中年男性の打った手を見て、思わず李酒仙は「好棋」と叫んでしまった。李酒仙がやって来ているのに気がつかなかった対局者たちはその声に驚き飛び上がってしまった。そこで、李酒仙は礼を欠いたこと侘び、自分の名を告げた。すると、若い女性が「私たちは全員集まっても八仙なのに、あなたはどうして独りで九仙なの」と笑いながら言う。「九先」も、「酒仙」も、「九仙」もみんな発音が同じだからだ。若い女性は自分たちが八仙であることを明かしたわけで、李酒仙も若い女性が何仙姑、中年の男性が呂洞賓、老人が張果老であること知った。この後、李酒仙の碁好き知った三仙がそれぞれ一局ずつ対局し、この間、お腹の減った仙人たちが神通力で料理を取り寄せ、息を吹きかけ酒を生じさせ、会話を楽しんでいるうちにあっと言う間に三日が過ぎた。そして、三仙が「私たち蓬莱山に帰らなければならない」と言って飛び立って行き、残された李酒仙は山を降りた。我家に帰ってみると家の周囲の樹木は大木になり、門口に老婆が座っていて、その老婆が顔を上げて李酒仙を見るや、驚いて家の中の者に声をかけた。そうすると、「お婆ちゃんどうしたの?」と10代後半の若者二人が現われた。この老婆、李酒仙の妻であった。三仙と過した一日は人間界の十年で、三十年が過ぎ去っていたのだ。若者は彼が今回初めて出会う孫であった。

 この最後の、仙界と人間界の時間の流れが違いなど、雑誌『収集』2010年12月号で紹介した『爛柯』の逸話に通ずる。

 聚源永の銭荘票

 聚源永の背面





 背面の下部

 棋仙詩画選仙銭

南宋の朱熹

(朱子学の祖)の詩

『爛柯山』

 

 花銭に棋仙詩画選仙銭がある。図柄も幾つかあるようだが、いずれも正面は対局図で上部に「碁仙」の文字が見られる。背面には「局上閑争戦 人間任是非 空交採樵客 柯爛不知帰」の文字が刻まれている。これは南宋の朱熹(朱子学の祖)の詩『爛柯山』である。人間(じんかん)とは人の世界つまり世間、樵客とは『爛柯』逸話の主人公である王質のことである。仙人たちの碁盤上の静かな戦いを見ていた樵も、人間世界に立ち返れば、そこは空で何も無く、斧の柄が爛れぼろぼろになっているのが分かっただけであった。

 唐の孟郊の詩にも『爛柯石』があり、「仙界一日内 人間千載窮。双棋未遍局 万物皆為空。樵客返帰路 斧柯爛従風。唯余石橋在 猶自凌丹虹。」と詠んでいる。仙人の世界の一日は人間の世界の千載に当る。二人が対局し未だ終わらずして、万物はみんな空となる。樵は帰路にあたり、斧の柄は爛れて風に従いぼろぼろと崩れ落ちるのを見た。仙人の対局していた場所には、唯一、虹のような石橋が、現在はあるのみである。

 孟郊や朱熹が頭に描いた爛柯山は浙江省衢州市近くの山であろうが、爛柯山と言う山は、山西省にも、陝西省にも、広東省にもあって、それぞれに爛柯の逸話が伝わっているという。仙人は童子頭をした老人であったとも言われたり、李鉄拐と呂洞賓であったと確定しているものもある。仙人は不老不死ということもあり、童子姿で描かれることもあったようだ。李鉄拐と呂洞賓が対局していたという確実な逸話が伝わっているのは、八仙が集う五岳の一つ北岳恒山で、恒山の琴棋台がその対局の場であった。

王質を描く絵画 

 

 忠治堂の銭荘票

  大義徳の銭荘票

銭荘 票 未完成雛型

 仙人と囲碁の伝説は数多く、また多くの文人が爛柯を題材にした詩を詠んでいる。古代において中国文化の影響を強く受けてきた日本でも、たびたび絵に描かれたり和歌に詠まれたりしてきている。紀友則の「ふるさとは 見しこともあらず 斧の柄の 朽ちし所ぞ 恋しかりける」(古今和歌集)や式子内親王の「斧の柄の 朽ちし昔は 遠けれど ありしにあらぬ 世をもふるかな」(新古今和歌集)などがその例である。

 劉海さんの銭荘票には、本誌2010年12月号で紹介したのを含め、異なる図柄のものが三種ある。残った二種の一つは義和號と忠治堂の銭荘票、もう一つは友桂軒、杏村居、大義徳の銭荘票である。大義徳の銭荘票である。

前者のそれは李鉄拐と呂洞賓の対局のようだ。

. 後者は12月号のそれと同じく、年齢を逆転させた管輅の逸話だろう、観戦者の傍らに食べ物を入れた籠が見られる。

 

《参考図書》

*『今昔物語』集の巻第十一 本朝仏法部 上巻

佐藤謙三校注 角川文庫 1964年

*『中国花銭』張振才ほか3人 上海古籍出版社 1992年

*『古銭新典』(上)(下) 朱活 三秦出版社 1991年

*『銭幣 収蔵鑑賞全集』戴志強 吉林出版集団有限責任公司 2008年

*『中華吉祥物図典』劉秋霖 百花文芸出版 2000年

*『吉祥図案』中国書店 1986年

(ネットへの上梓:2013年3月上旬)