03 中華人民共和国糧票 

その18

加藤正宏

中華人民共和国糧票 その18

加藤正宏

 今回は山西省の市や県(日本の県と異なり、市より小さい行政単位)の糧票を取り上げる。省都の太原や石窟で有名な大同などが都市としては日本でもよく知られているところではなかろうか。今回も、小中学生の教科書から紹介してみたい(拙訳による)。

中国地理 八年級第二学期 上海中小学課程教材改革委員会

華東師範大学出版社 1988年12月印刷

 (49頁~)・・・中華民族主要発祥地の一つ。区内には豊富な石炭、・・・など自然資源がある。・・・・。山西省の石炭資源の埋蔵はとりわけ豊富で、全国で明らかになっている埋蔵量の約3/1を占める。・・・・。山西大同、陽泉、・・・等は全国の著名な大型炭鉱である。

高級小学課本 地理 上冊 人民教育出版社 1964年

 (36頁~)山西省の多くの地域は石炭の層が厚く、埋蔵量も大きく、わが国の重要な石炭基地である。主要な炭鉱は大同や陽泉等の地である。大同炭鉱は本省の東北部にあり、全国最大の炭鉱の一つである。・・・・。太原は山西省の省都で、本省の中部、汾河跨ぐ両岸に開け・・・・。10年強の建設を経て、鉄鋼工場、機器製造工場などができ、太原は重工業発達の都市に既になっている。

小学課本 地理 上冊 人民教育出版社 1984年

 (60頁~)我が国は世界でも石炭資源の豊富な国である。我が国の石炭埋蔵の大部分は黄河流域の各省の地下にあり、山西省の埋蔵量が最大、全国の石炭埋蔵量の3/1を占めるに到っている。全省の80%の県、これらの全ての県の地下に石炭があり、そのために山西は『石炭海』と呼ばれている。山西の大同炭鉱は・・・・全国でも著名な炭鉱である。

 大同と陽泉の糧票(購貨券なども含む)を紹介しておこう。 

63年の購物分値?片(カード)

大同市の糧票と購貨券の表裏、

大同駅、炭鉱の工場


陽泉市の購貨券の表裏、文革の最高指示あり

 1961年大同市購貨分値証の1分、1972年大同市糧票の1市斤、1970年大同市商品購貨券1張である。1961年の1分購貨分値証の丸印の文字は「大同市商業局」であるが、70年の購貨券は文化大革命真っただ中の票で、丸印の文字は「山東省大同市革命委員会生産組」とあり、当時の様子を伝えてくれる代物だ。図柄は炭鉱の町を表す図柄だ。72年の1市斤糧票の裏面の丸印の文字も「山東省大同市革命委員会/糧食局」である。これも文革時期のものだ。

 1970年陽泉市購物券0.1張、1張、どちらにも最高指示が記載されている。これらも文革時期のものだ。0.1張に「要節約閙革命」、1張には「抓革命促生産」が記載されている。丸印の文字は「陽泉市商業局革命委員会」だ。この2枚は表裏のデザインを見る限り、紙幣と変わりがない代物だ。ところで、地図で陽泉の下にあるのが昔陽で、ここに前回紹介した大寨がある。 

 また、教科書を引用(拙訳による)させてもらおう。

高級小学適用 地理 五年級用 人民教育出版社 1953(48)年

 (10頁~)河北省を西に向かい、太行山を越えるともう山西省である。山西省の地勢は河北省に比べ高く、黄土高原の一部である。中部の太原四周と汾河中下流一帯は地勢が低く、土質は比較的肥沃である。黄河が西と西南の境を流れる。汾河は省内最重要河流で、北に源を発し、太原の西を流れ、西南に向かい黄河に流れ込む。省都太原は汾河の東岸にあり、工業発達し、全省の政治、経済、文化、交通の中心であり、また華北の一つの重要な工業都市である。大同は北部の交通中心、附近には大炭鉱があり、埋蔵量は豊富である。市の西15キロに雲崗石窟があり、天然の石壁に大小いくつもの仏像が彫刻され、これらの幾つかの仏像は千年強以前の北魏時代の彫刻芸術品である。 

 山西省の省都である太原の糧票を紹介しよう。 

1980年代の細糧票 太原


1980年代粗糧票 太原


83年91年の細糧票と粗糧票 太原

 1980年代の細糧票と粗糧票と、83年91年の細糧票と粗糧票と、70年の面粉照顧券、63年の購物分値?片(カード)、61年の糧油奨售化肥購買票、柴油購買票である。細糧とは米や麦などであり、粗糧は玉蜀黍、高粱、粟、豆などの雑穀を指す。市斤は500グラム、公近はキログラムだから、83年91年の細糧票と粗糧票は4枚ともに同額の5キログラムの糧票である。面粉照顧券は珍しい糧票の呼称である。字義からすると、小麦粉優待券というところだろうか。これも文革時期真っただ中の糧票だ。最高指示として、「備戦、備荒、為人民」とある。備荒とは飢饉に備えるということでる。最高指示と記載があるのは林彪が文革の中心にあった時期のものである。

 丸印の文字は「太原市糧食局革命委員会」で、文革時期のものだ。63年の「?片」も珍しい呼称だ。また、記載された文字にも珍しい字がある。「購物」の「購」の字だが、現在の簡体字の右は「勾」であるが、記載されているのは「井」である。その他にも珍しいと思えるのは、厘や分の単位は通常の使い方ではないことだ。辞書で引いてみると厘は長さでは1尺の千分の1、重さでは1斤の1万分の1とあり、分は厘の10倍にあたる。例えば重さで考えると、1斤は1市斤のことであるから、500グラムであり、1分は0.5グラムということになる。1厘であれば0.05グラムとなる。余りにも小額だ。日用工業品のカードであるこれらのカードに記載されている単位としてはどうしても適当とは思えない。化肥購買票、柴油購買票の図柄はどちらも、山西省の工業と農業を表現した図柄になっている。農業の方は棚田とトラクターが描かれている。柴油とは重油のことである。

70年の面粉照顧券


61年の糧油奨售化肥購買票、柴油購買票

 70年と75年の購物券であるが、70年のそれが文革の真っただ中の券のため、最高指示の記載や丸印に「太原市商業局革命委員会」と記載されている。しかし、文革も終わりかけた75年のそれには、これらは見られず、語録(「発展経済保障供給」「要節約閙革命」「抓革命促生産」)さえ記載されていないものも出てきている。

購物券、文革期の最高指示を記載

 運城市や汾水沿いの市や地区の糧票を紹介しよう。これらは、文水県、臨汾市、聞喜県、運城市の糧票である。文水県のそれは1956年57年だけのことはあって、繁体字で記載されている。

文水県の糧票(表裏)

 臨汾市の糧票の呼称は主食食品券で、この呼称も珍しい。臨汾市の西、陝西省と境に壺口瀑布がある。

臨汾市の糧票  緑に着色部分参照

 聞喜県の1991年の糧票は私の所持している最新の糧票である。言い換えれば、糧票の存在意義が無くなって、廃止が近まっていた時期に発行された糧票である。運城市は山西省の南端にあり、省都の太原より、陝西省の省都西安に行く方が便利だとも言われる。


運城市の糧票

聞喜県の糧票


 教科書を引用(拙訳による)させてもらう。

高級小学適用 地理 第一冊 東北人民出版社 1953年

 (28頁~)山西省は河北省の西に面し、地勢は比較的高く、西北黄土高原の一部をなす。四周は群山にぐるりと取り囲まれ、東部には太行山があり、形は弓形で、本省と河北の天然境界をなす。西部には呂梁山があり、南部には中條山がある。中部には太原盆地と汾水中下流一帯は地勢が比較的低く、土質も比較的肥沃である。黄河が西と西南の境を流れ、本省と陝西、河南両省を分けている。汾水は省内最大の河で管?山に発し、南に向かって流れ黄河に流れ込む。・・・陽泉は炭鉱で最も有名、・・・運城の塩池で取れる食塩は省外にも売りに出される、・・・汾陽の汾酒(高粱酒の一種)も本省の特産。・・・・大同は・・・附近に大炭鉱があり、市の西15キロに雲崗石窟があり、天然の石壁に大小いくつもの仏像が彫刻され、これらの幾つかの仏像は千年強以前の北魏時代の彫刻芸術品である。

初級中学課本 中国地理 上冊 人民教育出版社 1964(63)年

 (100頁~)本省は春秋時期には大部分が晉国の領地で、そのため簡単に晉とも称する。面積は十五万強平方キロメーター、人口は千六百万近くになる。東部の各省の中で、本省の面積、人口はどちらも中ほどである。・・・・・。全省は三つの区域に分けられる。(一)東部は太行山脈を中心に山地地区で、その中の五台山、北岳久恒山はどちらも名山である。太行山脈は華北平原の西に聳え立ち、見晴らしが利きくし、娘子関など沢山の堅固な関所がある。(二)西部は呂梁山脈を中心にした山地地区である。黄河が呂梁山脈の西南端に接して貫通し、壺口瀑布を造成する。瀑布は三十五メーターほどの広さで、激流が漲り逆巻き、その轟きは数里に到る。(三)中部は一つながりの盆地で、どれも断層が陥落してできたものだ。北から南まで、比較的大きな盆地は大同盆地、太原盆地、運城盆地などがある。 汾河は本省中部を貫く最大の河川で、北部に発し南部に向かって流れ黄河に流れ込む。流域面積は全省の約四分の一を占める。・・・・・・。

 石炭資源が豊富 山西省の石炭資源は大変豊富で、炭田面積もずいぶんの広く、ほとんどの都市や町や村には石炭資源があった。石炭が広く分布し、埋蔵量が大きいだけでなく、ほとんどが浅いところに埋蔵されていて、採掘しやすい。本省の石炭の大部分は瀝青炭で、鋼鉄工業の素晴らしい燃料であり、最も良い生活用の石炭でもあった。全省の炭鉱はとても多く、大型なのは大同、陽泉、太原、○安などにある。大同鉱山は本省最大の鉱山で、また、全国大鉱山の一つである。・・・・・・・・。太原は全省の中央、太原盆地の北端にあり、本省の省都で、最大の経済、文化の中心である。都市の西には汾河が流れ、都市と工業のために用水として便利である。太原の西山、東山どちらも大炭鉱である。石炭工業以外に、鋼鉄、大型機械製造、化学工業など重工業も発達している。・・・。

 大同は大同盆地の中にあり、・・・・、石炭工業を中心とした新工業都市である。大同は南北朝時期に一度は北魏の首都となったことがある。都市の西十数キロの雲崗石窟は中外に名をなし、石窟は山に切り開かれ、東西1キロにわたる。岸壁の洞穴の中に、無数の彫刻が刻まれている。大きいのは6、7丈、小さいのは僅か数寸、彫刻は精巧で、携帯優美である。これは千年強以前のわが国人民の偉大な芸術結晶である。

付記

 2006年10月1日から6日まで、中国の現地旅行社のツアーに参加し、山西省を旅行してきた。瀋陽から大同、大同では九龍壁や世界遺産の雲崗石窟や恒山懸空寺へ、そして、その日のうちに五台山へ行き一泊、五台山は日本の高野山の規模を何倍にも拡大したような仏教聖地といえようか。2千メートル以上の高地である。五台山観光後に太原へ、途中、山西の酢工場を見学する。翌日は太原から南に向かい、テレビの舞台になった祁県の旧家「喬家大院」へ、世界遺産の平遥古城を参観し、太原に戻る。最後の日、太原の晋祠を見学、大同に戻る。

入場券や写真で山西省の紹介をしておこう。

旅行社のプラン

恒山懸空寺

大同の雲崗石窟

大同

大同の九龍壁

五台山

平遥古城