イギリスの現行紙幣と、その周辺 その4
加藤正宏
先ず兵庫貨幣会の「泉談その221 イギリスの現行紙幣と、その周辺(4)」の内容を削除や追加しながら、70年代の旧紙幣を紹介させてもらう。
兵庫貨幣会誌 昭和57年8月号
旧10ポンド紙幣について
図は10ポンド紙幣の表・中央にあるもので、百合を図案化したものである。その形からイギリス連合王国を形成するウェールズの象徴である水仙あるいは韮ではないかと、筆者は考えていたのであるが、イギリスの知人に問い合わせたところ、百合とのことである。このように指摘されてみると、筆者の考えには少し無理があるのには、すぐ気がつく。というのも、イギリスを象徴するのであれば、2シリング(フローリン)貨や6ペンス貨に見られるように、バラ(イングランドの象徴)、クローバー(アイルランドの象徴)、アザミ(スコットランドの象徴)と共に図案化されなければいけないのであって、ウェールズだけの象徴である水仙が、単独で用いられるのは連合国としては不都合と思われるからである。
百合に思いが及ばなかったのは、イギリスそのものと結びつかなかったからであるが、しかし、百合だとするなら、この百合が10ポンド紙幣の中央にデザインされているいわれがあるはずである。
そこで、よく調べてみると、背面のフローレンス・ナイチンゲールとの結びつきを見いだすことができた。ナイチンゲールが彼女自身の象徴として用いたのが、この百合であったからだ。彼女はこの百合の象徴をフローレンス(フィレンツェ)の都市の紋章から採用したといわれる。というのは、彼女が生まれたのが、近代初めにルネッサンスの中心となった、このフローレンス(フィレンツェ)という都市であったこと、そして当時そこに住んでいた両親が彼女の洗礼名をフローレンスと名付けたからである。
この10ポンド紙幣の背面はナイチンゲールの肖像と、彼女が「クリミアの天使」とか「ランプを持ったレディ」と呼ばれるようになった一場面が描かれている。透かしも20や50ポンドのエリザベス女王と違ってナイチンゲールのそれである。
描かれている場面は「夜中、時々はそれも真夜中、フローレンスは全てが順調に行っているかを見届けるために、足元を照らす小さなランプを持って、見廻るのを常としていた。そのような彼女に荒くれた兵士達は、通り過ぎる彼女の影に口づけをして感謝するのであった。」というようなところであろう。
この引用文は、てんとう虫出版の、右頁が絵になっている子供用の歴史シリーズ『フローレンス・ナイチンゲール』(80年に現地イギリスのナショナル・フォート・ギャラリー書籍部で購入したもの)からの筆者の拙訳によるものである。この表紙の裏書には「世界中の看護婦と病院はイギリスの最も偉大な婦人であるナイチンゲールに恩義をこうむっている。彼女の名はいつもクリミア戦争を通じて連想されているが、それよりも、病院が今日見られるような形に改善されるにいたったのが、彼女の忍耐強い生涯をかけてのとりくみによるものなのだということを連想すべきである。これはその彼女の物語である。」とあり、また本文には、子供の頃の人形を相手とした看護遊びや、犬のケガの手当から始まって、クリミヤ戦争での活躍やその後の活躍を記し、最後に「フローレンス・ナイチンゲールはイングランドばかりでなく、世界中の最も偉大な女性の中でも特に忘れられない存在である。今日の能率的な病院や、献身的な看護婦は不朽の恩義を彼女に負っているからである。これらを通じて、全ての人間がこの偉大な、慈悲深い婦人の影響をこうむっているからである。」という文で終わっている。
日本でも戦前から、彼女のことについて教えられてきたから、80代以上の人は修身の教科書による内容で彼女のことを知っていると思われる。写真はその教科書の一頁を紹介したものである。
この写真の頁とほぼ同じ内容が「ランプを手にした婦人」という見出しで、イギリスの歴史教科書にも記述されている。その記述中に。
「彼女のことを『ランプを手にした婦人』とよんだ。それは、彼女が、彼女の出した指図がことごとく実行されているかどうかを確認するために、夜一番最後に病棟を見廻ることを日々の日課としていたからである。」とあるが、まさに紙幣に描かれたのはこの場面であろう。この「ランプを手にした婦人」という見出しは「病気との闘い 公衆衛生と医学」というタイトルの章の中にある。
個人的な徳の高さを評価する日本(修身教科書では「博愛」という見出しであった)とは違って、イギリスでは社会制度の発展に寄与したことに、評価の対象を置いているようだ。
日本では、まだまだ修身的な見方の彼女のイメージが子供の頃に再生産されているようだ。小学校の高学年の女児の半数くらいが、博愛的な女性としてのイメージで彼女を知っているという。
高等学校の世界史教科書では、彼女の名が出てくることは少なく、記述されていたとしても、「国際赤十字社」の説明として欄外に「クリミア戦争の際のイギリス人ナイチンゲールの活動に感銘を受けたスイス人デュナンの提唱で・・・(三省堂世界史)」などと書かれている程度である。この程度の記述で、小学校高学年までに得られたナイチンゲールのイメージはイギリス的な視点に置き換えるのは難しいと思う。
そのカーブからリーゼントカットとの由来になったピカデリーサーカスより北ではなく、サーカスから南のリーゼント通り(この筋には三越がある)を南に向かって歩いていくと、前方に人物像を頂点にもつ高い石柱が見えてくる。この石柱の下辺りをワーテルロー・プレイスと呼ぶ。呼び名にそぐわないが、この一角にクリミア戦争の記念碑と、ナイチンゲールの青銅の像が見られる。
2013年もこの像の写真を撮ってきた。
前回の旅行時に
旧10ポンド紙幣
百合
硬貨に刻まれたイギリスの国の花
「ランプを持ったレディ」ナイチンゲール
旧10ポンド紙幣
修身の教科書より
クリミア戦争の記念碑と、
ナイチンゲールの青銅の像
今回の旅行時に
現10ポンド紙幣について
2013年に目にした10ポンド紙幣の肖像はエリザベス2世(表)とチャールズ・ダーウィン(背)であった。
背面中央上部の小さく描かれた船がビーグル号であろうか。ダーウィンが1831年から5年間乗船し、ガラパゴス諸島にも立ち寄り航海を続けたという船である。
背面左の鳥はハチドリであろうか。航海から帰国したダーウィンはジョン・グールド共にガラパゴス・フィンチ(鳥)の嘴の大きさが異なることを発見し、この事がダーウィンの進化論につながったと言われている。しかし、どう見てもこの図はいわゆるハチドリである。
ジョン・グールドの鳥の図版が『ビーグル号航海記動物学編』の3巻に55枚も収められていたり、グールドが1861年 『ハチドリ科鳥類図譜』完成していることなどを考えると、進化論の裏付けにジョン・グールドの貢献が大きいことを物語っているのかもしれない。
HPにガラパゴス島で撮影された綺麗なハチドリの写真集があるので、そのリンク先を提示させてもらっておく。
http://mustachio.exblog.jp/14079123/
日本の世界史教科書には彼を以下のように紹介している。
「イギリスのダーウィンは1859年『種の起源』を発表し、適者生存と自然淘汰の理論をもって進化論を完成し、神学的な人間像を打破して思想界にも大きな影響を与えた。」(好学社 高等学校世界史B)
「ダーウィンは1859年『種の起源』を発表して生物進化論をとなえた。*欄外注 ダーウィンの進化論は従来の学説をくつがえしたばかりでなく、当時の宗教や哲学にも影響を与えた。」(山川出版 標準世界史 再訂版)
生物の教科書にはもっと具体的な彼の研究が記述されているものと思われる。
イギリスの教科書(帝国書院『世界の歴史教科書シリーズ4 イギリスⅣ』)には「信仰と不信―宗教とダーウィン」の見出しの下、以下のように記述している。
「伝統的見解に対するさらにいっそう深刻な挑戦となったものは特にチャールズ・ダーウィン(1809~1882)による、進化の原理の、動植物の生命に対する適用であった。詳細な観察と研究をほぼ30年間つづけたのちに、彼はあの世界的に有名になった『種の起源』を1859年に出版したのである。
ダーウィンの主張によれば、あらゆる種類の生物は、生命のある原初形態(それは単純な細胞であったろう)から何百万年にもわたって発達してきたものであった。おのおのの種における漸次的変化は、生存競争から結果的に生じてきたものである。換言すれば、弱いものは死に絶え、他方、自らを環境に適合しえたより強いものが生き残り、そのすぐれた特質を次代に伝えたのである。それは『適者生存』すなわちダーウィンの言葉を借りるなら『自然淘汰による進化』であった。
人間は特別につくられたものではなく、まったくの偶然によって『進化した』ものであるという彼の結論は、長く確立されてきた宗教信仰に対する直接的挑戦であった。ダーウィン自身はキリスト教を攻撃するつもりなどなかった。しかし、ほかの多くの科学者は、彼の理論は神に対する信仰を不必要にしたのみならず不可能にした、と主張した。もし、ダーウィンが正しければ、人間は神に似せてつくられたというようなことはほとんどありえなくなる、と彼らはいった。最初、ほとんどの聖職者は進化論を受け入れるのを拒んだ。『人間はサルの子孫である』という考えは、彼らをぞっとさせた。しかし、ダーウィンの証拠は強くて、彼の理論の基本的な原理はまもなく一般に受け入れられた。」
現行の10ポンド紙幣
エリザベス2世
ダーウィン
ハチドリと
ビーグル号
ダーウィンの
2ポンドコイン
新・旧の間に
発行された10ポンド紙幣
フローレンス・ナイチンゲールとチャールズ・ダーウィンの10ポンド紙幣の間に、チャールズ・ディケンズの肖像を描いた10ポンド紙幣が存在した。
日本のどの世界史教科書の索引にも彼の名はあって必ず見つかる。それほど著名なのだが、具体的な彼や彼の作品の紹介はほとんどされていない。例えば「イギリスでも中・下層社会の人びとを描いたサッカレーやディケンズが出て写実主義がさかんになり、」(中屋健一『世界史』三省堂)というようなものだ。
しかし、世界中に彼の小説は翻訳されていて、人気は高い、日本でも『デイヴィド・コパーフィールド』『オリバー・ツイスト』『クリスマス・キャロル』『大いなる遺産』『荒涼館』『二都物語』『ボズのスケッチ』『ピクウィック・クラブ』『逍遥の旅人』『骨董屋』『アメリカ紀行』『リトル・ドリッド』などなどとその多くは文庫本でも見つかる。
私などは『クリスマス・キャロル』のあの冷酷な守銭奴スクルージという主人公のことが先ず頭に浮かんでくる。きっと映画の画面が強烈に頭に入っているからだろう。
紙幣の左側には、クリケットの試合が描かれている。語呂合わせではないが、「The Cricket on the Hearth」(炉辺のこおろぎ)という作品も彼にはあるにはあるが、イギリスの伝統的なスポーツであるとともに、彼の作品にもしばしば話題として登場するからであろう。
2017年に登場予定の10ポンド紙幣
イギリスの小説家ジェーン・オースティン(1775―1817)を肖像とする10ポンド紙幣がダーウィンを肖像とする現行の紙幣に代わって2017年に登場してくるとのことである。彼女の主要な作品は、『エマ』『マンスフィールド・パーク』『ノーサンガー僧院』『高慢と偏見』『説得』『分別と多感』などだそうである。これらの作品は映画やテレビに焼き直されて、イギリス国民だけでなく、世界のひとびとにも愛されているという。
10ポンド紙幣の肖像は、今回見てきたようにフローレンス・ナイチンゲールの肖像が最初であったのだから、女性の肖像に戻ったというところだろう。
(2013年9月23日ネットに上梓)
10ポンド紙幣の
ディケンズ
オースティンの
10ポンド紙幣