イギリスの現行紙幣とその周辺 その6

加藤正宏

イギリスの現行紙幣と

その周辺 その6

加藤正宏

 先ず兵庫貨幣会の昭和57年10月号(通巻第201号)の「泉談その227 イギリスの現行紙幣と、その周辺(6)」の内容を削除や追加しながら、70年代の旧紙幣を紹介させてもらう。

旧1ポンド紙幣について

 図は1ポンド紙幣の表の中央にあるものである。円内の図柄は、カドケウスとコルヌコピアとオリーブの枝である。

カドケウス

この2匹の蛇が絡む、翼のついた杖はギリシアのヘルメス神の象徴として知られている。ヘルメスはローマ帝国ではメルクリウス(マーキュリー)として知られている神で、アポロンとは異母兄弟神である。父は共に大神ゼウス(ローマ帝国ではジュピター神)である。このカドケウスはもともとアポロンの持つ牛追いの杖であった。それをアポロンの希望でヘルメスの発明した竪琴や葦笛と交換することになったものである。

ヘルメスは生まれた時から狡猾ですばしこい行動を見せていて、その為に商業・交易通商・蓄財・窃盗・詐欺・収賄の庇護者と考えられていた(念のために、古代においては商業活動は窃盗・詐欺・収賄などと切り離せないものと考えられていて、職業としては正当な存在理由を与えられていなかった)。そのため、彼が持つこのカドケウスは商業活動を象徴するものとみなされるようになった。

カドケウスに2匹の蛇が巻き付いていることには、ボンナンザ第18巻第4号に水谷昭博氏が「12支の動物コイン」で次のように紹介している。

「アポロンからもらった黄金の杖を、ヘルメスが2匹の蛇の争っている所におとしたら、不思議にも争いをやめたということから、商業上の争いもすくうという意味で2匹の蛇の巻きついたヘルメスの杖は商業の守護神の象徴となりました。」と。

このような事情から、各国の貨幣の図柄にも、このカドケウスがたびたび登場してきているのであろう。

 ベルギーのコイン カドケウス


 ボリビアのコイン カドケウス


 ドイツ紙幣 カドケウス


 フランス紙幣 カドケウス


 レプラ(癩・ハンセン病)居留地の通貨

フィリピン

 兵庫貨幣会誌

昭和57年10月号


 旧1ポンド紙幣

正面右エリザベスⅡ

 旧1ポンド紙幣   正面中央


 フランスのコイン カドケウス


 ドイツ・ババリアのコイン カドケウス


ボリビア紙幣のカドケウス


 ノルウェー紙幣 カドケウス


 ドイツ紙幣 カドケウス

 写真は私の手持ちのフランス、ベルギー、ボリビアのコインである。カタログではドイツのババリアではカドケウスやコルヌコピアを図柄としたコインが造られている。私の手持ちのボリビア、フランス、ドイツ、ノルウェーの紙幣にもカドケウス(ヘルメスと共に)が描かれている。

 ところで、もう一つ、カドケウスを刻んだコインを所持しているのだが、どうしても商業活動を象徴するヘルメスに縁のあるカドケウスではなく、別の意味をもつもののようである。カドケウスを刻む一面には「BUREAU OF HEALTH ★ 1913 ★」(保健局)とあり、もう一面には「CULION LEPER COLOLONY PHILIPPINE ISLANDS 1 PESOS」とある。レプラ(癩・ハンセン病)居留地の通貨として使用されていたものだ。CULIONはフィリピン群島西部パラワン島の北にある島で、癩患者の療養地になっていた。これらの文字が示すように、健康や医療と関わりを象徴として、このカドケウスは使用されている。

 このカドケウスも、ヘルメスのそれと同じく、もともとはアポロン神の持ち物であった。医療をつかさどっていたアポロン神から、医療の神となった息子のアスクレピオスに与えられたものである。そのため医療の象徴としてあつかわれるようになった。西欧を旅する時、街角でこの看板を見かけることがある。そこは薬局なのだ。

 夏の夜空を見上げると、「さそり座」の北、「天の川」の右の方に大きく広がる「へび使い座」は、このアスクレピオスと彼の助手であった蛇をあらわしているという。助手としての蛇は一種の技術屋で、こまごまとした仕事を受け持っていた。例えば、患者のおできをなめるとか、患部を冷やすのに、その自らの身体を巻き付けるとか、舌でもって目の治療にあたるとか、そのようなことを任されていたのであろう。

 この蛇の助手を見て、患者が怯えてよく逃げ出さないものだと感心するのは、私だけであろうか。私にとっては、眉に唾をつけたい話である。これに比べれば、蛇が脱皮して成長する時に、若さを取り戻しているという話が、薬や医術と蛇を結びつけているのだとする方が、私には受け入れ易い。

コルヌコピア(豊穣の角)

 クレタ島の雌山羊アルマティアから取られた角で、あらゆる富を無尽蔵に湧出させる。

 大神ゼウスは母レイアーに産み落とされた後、大地ガイアによってクレタ島の山羊山に運ばれ、そこの洞窟で雌山羊アルマティアに育てられる。乳を与えてくれたこの雌山羊に感謝の気持ちを表すため、ゼウスはアルマティアの死後、その角をとり、ヘスペリデスの園から取った黄金の果実で満たした。この果実は食べると不思議にもまたもと通り満ちるので、豊饒の角と呼ばれるようになった。

ドイツ・ババリアのコルヌコピアの図柄 


 ベルギー


 コロンビア


 フランス


ペルー

 ペルー 紙幣


 ベルギー紙幣

 スコットランド 紙幣


ドイツ紙幣 

 コルヌコピアも各国の貨幣に登場している。私の手持ちで言うなら、カナダ(このシリーズその3で紹介済み)、ペルー、コロンビア、フランス、ベルギーのコイン、紙幣ではペルー、スコットランド、ベルギー、ドイツなどである。

 スコットランド紙幣にみるコルヌコピアも大きいが、ベルギーやドイツの紙幣のコルヌコピアは更に大きい。とても山羊の角とは思えない。こんな疑問が生じる時には、次のような伝説もある。

 ギリシア神話の中でも、最大の英雄がヘラクレスである。そのヘラクレスが河神アケロオスと妻になる娘を争った。河神は水のように自由に形を変える力を持っていた。さまざまな姿をとって闘う河神をヘラクレスはその怪力で抑え込んで放さず、ついに河神の角をももぎとった。この角がコルヌコピアだとする伝説である。

 この角から無尽蔵の富が湧き出すというのは、古代において河があらゆるものを生み出すと考えられていいたからであろう。事実、四大文明発生の地も大河の周辺であった。ギリシアの歴史家ヘロドトス(前5世紀)も「エジプトはナイルの賜物」とその偉大な力を認めている。

 河神の角であれ、山羊の角であれ、富を尽きることなく生み出すコルヌコピアをコインや紙幣の図柄として用いたいと考える国々が多くあるのも頷ける。

オリーブの枝

 オリーブはギリシャ・ローマの時代より平和をあらわす象徴として用いられ、現在、国際連合旗中にも使用されているのもその為であるといわれる。平和と闘いを象徴した矢とオリーブの小枝を掴んでいるのが、アメリカの1ドル紙幣やコインのワシである。

 また、旧約聖書の「ノアの箱船」の中で、洪水を逃れたノアが箱船から鳩を飛ばすが、その鳩がオリーブの若葉をくわえてきたことから、信仰と希望の象徴でもあるといわれる。バチカン市国やハンガリーの貨幣にこの旧約聖書のエピソードが刻まれたり描かれたりしている。

 旧1ポンド紙幣のオリーブの枝は、平和のそれではなかろうか。商業活動(カドケウス)や豊穣(コルヌコピア)は平和(オリーブの枝)があってこそ充実するものであろうから・・・・。

 1ポンド紙幣の裏面はニュートン、反射望遠鏡、宇宙の概念図である。これまで取り上げてきた50・20・10・5ポンドは全て背面の人物と正面中央の図には関わりがあった。今回の1ポンドも何らかの関わりがあるはずである。

 そこで、ニュートンの履歴を調べてみた。彼は貨幣大改鋳期間の1696年に造幣局監事に任命され、その職務をみごとに果たし、99年には造幣局長官になっている。商業活動(カドケウス)や豊穣(コルヌコピア)や平和(オリーブの枝)、貨幣にもたびたび取り上げられるこれらと、造幣局長官となっていたニュートンと結びつくのではないかと私は考えている。

旧1ポンド 正面の中央



合衆国のコインと1ドル紙幣 オリーブ 

バチカン市国コイン

ハンガリーのコイン

ハンガリーの紙幣 鳩とオリーブ 

サ・アイザック・ニュートン

「この時代には自然科学が発達し、イギリスにニュートンが出て、万有引力を唱え、全宇宙を力学の法則に従う一個の機構としてとらえた。<中教出版・新版世界史>」「コペルニクスの地動説はすべての神秘を支配しているとみられた神の権威をひきずりおろし、自然観の大転換を意味したが、17世紀後半のイギリスにニュートンがあらわれ、万有引力の法則の発見をはじめとして近代科学の基礎をかためる偉業を成し遂げた。<帝国書院・高等世界史>」「イギリスのニュートンは天体運動の観察から出発して万有引力を発見し、太陽系の構造を明らかにした。<山川出版・詳説世界史>」「『万有引力』を発見して近代科学の基礎を築いたニュートンの学問も、実験と観察から合理的な法則をとらえようとするイギリス経験論の風土の中でうまれたものであった。<実教出版・高校世界史>」と各世界史教科書が彼に言及している。

写真は<実教出版・高校世界史>のもので、「ニュートンと『プリンキア』」というタイトルの下、「ニュートンは、1687年『プリンキア』(正式には「自然哲学の数学的原理」という)をあらわし、近代的宇宙観を固めた」と記述され、肖像と著書が紹介されている。

世界史教科書だけでなく、地学の教科書にも「ニュートンはケプラーの法則が成立する根拠を研究し、太陽と惑星の間に物質のつながりが無くとも力が働くと仮定すればうまく説明がつくことに気づき、1666年に万有引力の法則を提唱した。<第一好学社>」というような記述をみかける。




 旧1ポンド紙幣背面


 実教出版

高校世界史より




 背面 ニュートン

 さて、イギリスの教科書ではどのようにあつかわれているのであろうか。今回も帝国書院刊のイギリス教科書『全訳 世界の歴史教科書シリーズ3』ら引用してみよう。

 「コペルニクスは、地球と他の惑星は太陽の周りを回っていると主張し、ケプラーはその正確な軌道を導きだした。そして、太陽系そのものがなぜそのように動くのかを説明したのが、17世紀最大の科学者アイザック・ニュートンであった。・・・・(筆者による中略)・・・・ケンブリッジ大学で学んだ。りんごの落ちるのをみて、ある物体は地球に向かって引き寄せられるのに、月のような他の物体が引き寄せられないのはなぜかと疑問におもった、という逸話は、1665年ごろのことであったといわれる。」「1669年、ニュートンはケンブリッジ大学の数学の教授となり、2年後には王立協会の会員となった。・・・・(筆者による中略)・・・・凹面鏡で光を一ヵ所に集めた反射望遠鏡を発明したほか、1672年位はプリズムを使って白光を何色にも分けて見せた。」「ニュートンの引力理論は、宇宙を基本法則に従って説明しているために、まことに普遍的と呼ぶにふさわしかった。この理論によれば、惑星であれ振り子であれ大砲の弾丸であれ、物体の動きはどれも同じように説明できた。引力理論を用いれば、惑星の運行も潮の干満も木から落ちるりんごも、すべては同じ力が働いて起きることが明らかにできた。」と。

 この他に、晩年の彼の言葉を引用して、彼の科学に対する、真理に対する態度が紹介されているが、心を打つ言葉である。この言葉を、帝国書院の翻訳教科書よりも詳しく紹介しているミルワード著『イギリス人の言葉と知恵』(朝日イブニングニュース発行・安西徹雄訳)から引用してみよう。

「わたしはただ、砂浜で遊んでいる子供でしかなかったように思える。わたしの前には、広大な真理の海が、すべてまだ発見もされずにひろがっているというのに、わたしは時おり、ふつうよりスベスベした小石やきれいな貝殻を見つけて面白がっていたようなものだった。」

これは、ディヴィド・ブルースターのニュートンの伝記中に、 ニュートンが語った言葉として載せられているものだそうだ。この最初の一文 I seem to have been only a boy playing on the seashore. はイギリス人なら誰でも知っているという。

 ミルワードはニュートンの言葉を引用しながら、次のように述べている。

「彼は本当に偉大な人物だったのである。非常に多くのことを知っていたから―少なくともほかの人より、はるかに多くのことを知っていたから偉大だったのではなく、自分がいかにわずかなことしか知らないかを知っていたからこそ偉大だったのである。」「本当の科学者にとっては、あらゆる発見は終わりではなく始まりにすぎない―というよりもむしろ、始まりの始めでしかない。一般の人に比べれば、専門の分野に関するかぎり、多くの知識を身に着けているのは確かだろう。けれど知るべきことのすべてに比べれば、この限られた分野の中でさえ、自分の知っていることなど憐れなほどちっぽけなことを彼は知っている。そして一つ一つ発見するたびに、この自覚はますます強まっていくばかり。自分がただ『時』の砂浜で、小石を拾って遊んでいる子供でしかないことをいよいよ強く感ずるばかりである。」

 日本の教科書からはニュートンの近代科学における偉大さを知ることはあっても、イギリスの教科書のように本物の科学者としての人間的な偉大さを感じさせられることは、まずないであろう。ここに、イギリス人のニュートンに対する尊敬と誇りが高いことを、私は感ずるのである。そしてそのことが、最小額の紙幣(誰もが手にする紙幣だから)として、ニュートンの肖像が登場してきた理由であろうと思っている。

 ニュートンの造った反射望遠鏡はカールトン・ハウス(ザ・モールとワーテルロー・プレイスの間に在る)にある王立協会によって保存され、現存しているという。当時、この望遠鏡の発明は大きな反響をよび、このことにより王立協会の会員に選ばれたのが1672年、そして、その約30年強後に会長に選ばれ、死が訪れるまでその地位にあった。一方、造幣局長官の役割も、彼の亡くなった1727年まで約30年間続けられた。

 このような国家的な人物になっていたニュートンの葬儀は国葬と変わらない荘厳なものであったという。その遺骸は現在なおウエストミンスター寺院に眠っており、その墓上には彼の像が刻まれている。

 最後にニュートンとりんごのエピソードについて見ておこう。

 コリン・ロナン著、福本豪一郎他四人訳『世界の思想家―人類の歴史を変えた三十人』玉川大学出版には、「・・・・偉大な業績のまわりには、さまざまな伝説が生まれ育っていく。ニュートンのお気に入りの姪のキャスーリン・バートンは、伯父がウールズソープの家の庭でりんごの樹下に坐りこんでいたときに、りんごの実が一つポトリと落ちてきたという話を飽きもせずに繰り返した。」とあり、サトクリッフ著・市場泰男訳『エピソード科学史Ⅱ・物理編』現代教養文庫では、前述の姪から聞いたり、又聞きしたりしたと思われるロバート・グリーンや、啓蒙思想家として有名なヴォルテールの、エピソードの肯定が先ず紹介されている。

 ヴォルテールの「イギリス国民に関する手紙(哲学書簡)」にいわく「ニュートンは疫病のためケンブリッジに近い僻地に引っ込んでいたが、ある日庭を歩いていた時、果物が木から落ちるのを見た。彼はあの引力について深遠な瞑想に落ちこんだ。」と。

 次いで、ドイツ人のヘーゲルやガウスがこのエピソードに疑惑を抱いたり、完全に否定し、嘲笑していることを紹介している。

ガウスなどは、嘲笑ついでに、次のような物語を語ってみせたという。

「ニュートンのところに、間抜けな、しつこい男がやってきて、どうやって彼があの大発見を思いついたのか、根掘り葉掘りたずねた。ニュートンは話しているうちに相手がどんなばかかをさとって、逃げ出したくなった。そこで、ニュートンは、りんごが自分の鼻の上におちてきたからだと話した。おかげでその男にはことのいきさつがすっかりよくわかったので、満足して立ち去った。」と。

 そして、最後にサトクリッフは、ニュートンの主治医スックレー博士が残した記事を紹介、その結論としている。

 「私たちは庭に出た。あるりんごの樹の下で、彼と私だけでお茶を飲んだ。彼は私にこう言った。ほかの発見は別として、以前に引力の考えが浮かんだとき、ちょうど今と同じ状態であった、と。その考えが浮かんだのは、彼が瞑想的な気分で坐っていたときに、りんごがおちたため」と。

 それにしても、そのりんごの樹から造られた椅子だといわれているものが現存しているのには驚かされる。イギリス人が大いに誇る歴史的な人物だからであろう。そのことが、王室以外の人物としてその肖像画が1ポンドに取り上げられることになったのであろう。

現行1ポンド紙幣(存在せず)

 5ポンド以上はこのシリーズで紹介したように、1990年以降、何度か肖像が改められながら、現行の紙幣に到っている。しかし、1ポンド紙幣は1988年に打ち切られ、以後発行されず、コインにその役割を譲り渡して姿を消してしまった。

 もちろん、今回の旅行(2013年)では1ポンドはコインしか手にしなかった。旅行期間中、その日入手した新たな1ポンドを写真に撮っておいた。正面のエリザベス2世の肖像も年齢の異なる三様(1ポンド出現以前の他のコインには更に若いエリザベス2世の肖像も)である。その多さを感じとってもらえると思う。それだけでなく、2ポンドのコインも発行されて流通していた。コインは新旧貨幣・記念貨幣が入り乱れ流通していたが、ポンドのコインの分厚さ(通常2ミリが3ミリに)や、同じ額面のコインの種類の多さに驚かされた。

各種 1ポンドコイン と エリザベス2世の肖像四様 

 エリザベス2世

老若四様の肖像

通常2ミリが3ミリの厚さに 

  2ポンド正面

 技術革新

 奴隷貿易撤廃法成立

 各種 2ポンドコイン

 ロンドン・オリンピックがあったからであろうが、5ペンスには競技種目(アーチェリー、ボート、ボクシング、馬術、陸上、水泳、体操、自転車、トライアスロン、ホッケーなど)の各種コインが発行されていたように、1ポンドや、2ポンドには、ラグビーワールドカップ開催など国際的な催しや会合、イギリスを構成するウエールズやアイルランド、スコットランド、イングランドなどを象徴する図柄、何十周年、何百周年を記念する図柄など、次々と記念貨幣が製作発行されていて、通常貨幣と共に流通している。記念にとりあげられたものには、トレビシックの蒸気機関車実験走行から200年(このシリーズその4で紹介済み)だとか、セント・ポール寺院を描いた第二次世界大戦勝利60周年とか、ダーウイン生誕200年(このシリーズその5で紹介済み)とか、ジブラルタル包囲300年記念とか、奴隷貿易撤廃法成立200年記念、技術革新や産業革命をモチーフとしたものなど、ほんとに多彩である。最後の二つの2ポンドは旅行中に直に手にしている。2ポンドコインもずいぶん多くの種類が発行されている。

 フオース橋

(スコットランド)

 メナイ吊り橋

(ウエールズ)

 エジプトアーチ鉄道橋

(北アイルランド)

 ゲーツヘッド橋

(イングランド)

 上掲の1ポンドの橋シリーズなどはイギリスの構成地区代表させた記念貨幣であろう。2004年から取り上げられている。2004年のフオース橋(スコットランド)、2005年のメナイ・ストレート吊り橋(ウエールズ)、2006年のエジプトアーチ鉄道橋(北アイルランド)、2007年のゲーツヘッド・ミレニアム橋(イングランド)、フオース橋などは「鋼鉄の巨龍」と呼ばれて、世界の工場であった時期のイギリスを象徴していたものだ。これらも、旅行中見かけたコインである。

 また、面白く感じたのはポンド以下の新しいペンスの図柄である。1、2、5、10、20、50のペンス全部で1ポンドの盾の図柄を構成するようになっている。残念なことに、今回の旅行では1と50は手にできなかったのだが・・・・。

 このシリーズは今回で終わらせていただく。

(2013年10月5日上梓