32  旧フランス領事館


不可移動文物・旧満鉄図書館などの現状

(その1、 旧フランス領事館)

加藤正宏



 最近はインターネットで、簡単に世界の情報が得られるようになってきた。私のHPに情報を寄せてくださっている栗原節也さんも、中学まで生活された中国東北地方の情報をネットでも得られている。

 その栗原さんから、ネットから得た情報だとして、瀋陽の旧フランス領事館の取り壊しを伝える記事が送られてきた。私も「HP瀋陽史跡探訪の17」で取り上げた建物である。この建物は瀋陽市不可移動文物に指定されている。 

瀋陽市不可移動文物とは、2003年10月に瀋陽市文物局が公布した条令である。東北新聞網(2004・03・23)によると、「70箇所の近現代優秀建築を瀋陽市の第一陣不可移動文物とし、いかなる団体組織もその施工過程において破壊したり、取り壊して改造することはできないし、現在関係部門で看板(掛標牌)を準備しおり、これら『骨董級の宝物』に対して更により良い保護を進めることを確定した。」(筆者の拙訳)とある。 

 瀋陽市文化局主管文物保護の副局長が言うには:

「文物というものは博物館や美術館が所有したり、個人が祖先から受け継いでいたりする、市場で流通可能な文物と、地上や地下にあって移動不可能な文物がある。今回第一陣で確定した70箇所の不可移動文物の多くは五六十年の歴史を持つ近現代優秀建築である。瀋陽不可移動文物として選定されたのは以下の三大基準を備えているからだ。

 基準の一つは歴史価値である。その関わった年代、人物、事件の多くが清末、民国、満洲国時期であったり、また、中国共産党の歴史活動と関係のあった人物や事件と関わりのあったものである。

 二つには科学価値をもっているものである。その建築そのものの構造、建築部材やその風格や材料などが、歴史的な体裁をなしているだけでなく、それ以前のものを受け継ぎ後世に影響を与えていて、当時の科学水準を反映しているものである。

三つには芸術価値を持っていることである。それぞれのその年代、その時期の建築概念と基準を体現しているか、また当時の芸術基準と芸術追及を体現しているか、などである。」(筆者の拙訳)と。 

 つまり、歴史価値・科学価値・芸術価値の三観点から、瀋陽市不可移動文物は選ばれ、確定されたということになる。

  このように瀋陽市不可移動文物が選ばれて確定されたことを裏返せば、これらの価値のあるものが、破壊、取り壊し、盗掘にあっている現状がそこにはあったのであろう。合法的な保護もなく、次々と取り壊され(奉天模範監獄、奉天紡紗廠、・・・・・)、また工事現場の地下で発掘された文物も当局に報告されずに私的に処理されてしまうなどの情況があり、これに対して、文物保護の専門員も基本的には配置されておらず、ほとんど保護ができていなかったことによるのだろう。 HP瀋陽史跡探訪の「14瀋陽城内井字型の一部、朝陽街」で取り上げた「老久華洗染廠」や「15.瀋陽城内井字型の一部、正陽街」の馬家焼麦館の一つ手前の路地を西に入った「旧汲金純公館」などは、私が瀋陽に滞在している時期(2004年9月~07年7月末)に取り壊されてしまった。これらは確定された不可移動文物の70箇所には入ってはいないが、ほぼ同様の価値を持つ建物として博物館学芸員や郷土史家に評価されていたものであった。   今回、ネットや新聞で報道されて話題になった「旧フランス領事館」は、確定された不可移動文物70箇所の一つである。そこに掲載された建物の破壊情況はその写真とともに不可移動文物さえ破壊されているのだと庶民に訴え、知らせる役割を果たしたようだ。 

 社会主義市場経済(つまるところ、資本主義?)が急速に展開する現中国では、内陸都市の瀋陽も御多分に洩れず、急速な取り壊しと新たな建築による高層ビルが次々と出現している。(参照:HP瀋陽史跡探訪の「21.旧奉天の建造物の取り壊し」)

 このような状況下、不可移動文物に指定された建物でも実質取り壊しが進んでいるのではないかと、改めて私は感じている。そこで、私が気になったいくつかの建物の現状について、中国人友人に連絡して現在の写真を撮ってもらった。写真だけでなく、彼は関連のネットのアドレスを探して、送ってくれた。

 旧フランス領事館、旧満鉄図書館、旧奉天独立守備隊司令部(湯玉麟公館)、旧満州中央銀行千代田支行、旧奉天自動電話交換局の建物がそれである。これらの現状を嘗て私が写真に撮ったものなどと比較しながら現状を紹介してみたい。

遼瀋晩報・09・11・03

 1、           旧フランス領事館 

 2009年11月3日、瀋陽の各新聞(遼瀋晩報、時代商報、華商晨報、瀋陽晩報)は一斉に旧フランス領事館の破壊を伝えた。これには伏線があって、10月31日の晩に「フランスの奉天駐在領事館の旧跡が不動産業者によって破壊されている。」という書き込みがブログになされた。書き込み者の姓は恨不平だ。でも、きっとネット上の仮名であろう。中国には三文字の姓なんて先ず無いと言っていいし、字義は「不公平を恨む」というものだからだ。このブログの書き込みが震源地となり、ネット(北国網博客、中国記憶網、瀋陽網)の書き込みや上記の新聞に次々と取り上げられることになった。中国記憶網には、「瀋陽の『フランス駐在領事館』旧跡を最後に一目見ておこう。来週にはもうなくなってしまっているかもしれない。」などと書き込まれた。なお、網はネット、博客はブログのことである。 

    旧フランス領事館 

 旧フランス領事館は和平区八経街10号に位置する。八一公園南辺に沿った三緯路から八経街を少し南に下ると、道路の西に「瀋陽市文物局」「瀋陽市文化局」など4枚の看板を掲げる門に到る。この門の中、屋上に「中国移動通信」という看板を掲げる建物が見える。この建物が旧フランス領事館である。 

 三緯路から東の八経街と西の和平北街の中間にある路地を少し南に行くと、旧フランス領事館の北面が見える。建物には建造時期を示す「1931」の文字が中央に見える。この角度からの、破壊前と破壊後の写真を掲げておく。破壊後のそれは遼瀋晩報に取り上げられているのと同じものである。破壊が進んでいる外壁には、「危楼切勿靠近(危険な建物だ、近づくな)」と壊された窓の下あたりに赤い大きな字が書きなぐられている。 

 元もとこの建物は鄒作華官邸(参照「HP瀋陽史跡探訪の17」)として建てられたものであったが、九一八事変(満洲事変)以後に、1935年からはフランス領事館として使われていた。この路地を挟んで北角には旧万福麟公館(これも不可移動文物、参照「HP瀋陽史跡探訪の17」)も建っている。 

 私が瀋陽に赴任した04年頃、八一公園南辺この辺りは、どうしたことか、白衣を着た人たちがたむろしていた。写真でも分かるように、路上で医療行為をしている人たちである。牙科(歯科)、修脚(たこや魚の目を取る)の文字が見える。旧フランス領事館前の八経街の歩道では、小さな蚤の市なども立っていた。ごく一般の庶民の街並みが八一公園南辺周囲の不可移動文物を囲んでいた。しかし、私が在住していた三年間にも、この庶民の街並みは次々と取り壊され、高層ビルの工事が始まりだした。不動産に関わる経済人にとって、見逃せない高利益が生じる地域だったのであろう。 

② 購入者の不動産業者の弁明 

 旧フランス領事館の破壊を指示したであろうと思われる不動産会社の社長は遼瀋晩報の記者に弁明ともつかない弁明をしている。  

 「この旧領事館の隣に、34階の高層ビルを建築中で、その基礎打ちは11メートルの深さが必要だが、この旧フランス領事館保護のために、それよりも浅くした。それでもこの建物には沈下と断裂ができてしまった。この不可移動文物は建物として危険なのだ。」(筆者の拙訳)と。 

 そして、「この建物は既に原型をとどめていず、屋内は全て改築された痕跡があり、煉瓦も鋼鉄の梁も新しいし、建物の基礎だって改築されている。」(筆者の拙訳)とも。 

 不可移動文物を示す看板(掛標牌)が無くなってしまっていることに対しては、この建物は私が購入する前から泥棒の被害に頻繁に遭っていて、購入後、看板(掛標牌)が盗まれることを恐れ、事務室にしまっておいたが、後に文物局の指示で元に戻した、でも、ここ数日は見当たらないと。 

 また、建物が損壊していることについては、自然に壊れたのではなかろうか、私が壊すわけがない、壊すなら、隣の高層ビルの基礎を打つときに一緒に壊している。現在、あのように深い基礎を打ち込み終わって、今更壊すなんて、そんな面倒なことをするものか、絶対しないと。 

 以上は、2009年11月3日の遼瀋晩報の記事「文物局院里的文物楼遭破壊 為瀋陽不可移動文物」の小見出し「開発商:文物小楼是危楼」にあった内容である。まさにふてぶてしい弁明である。看板(掛標牌)を誰が盗むであろうか。盗んでも、誰に売ることができるだろうか。破壊後の建物の写真を見て、自然による損壊だと誰が思うだろうか。 

 この建物の破壊は、文物局の目の先で起こっていることである。文物局が知らなかったはずは無い。中国では官憲が利益のお先棒を担いだり、黙認することが常態になっている。経済利益を求めた開発に伴ない、立ち退き、そして取り壊しがあちらこちらで行われ、官憲もそのおこぼれを戴いているのではないだろうか。 

③ 余談、取り壊しと開発 

 余談になるが、瀋陽の繁華街である太原街や中街付近でも、あちらこちらで取り壊しが行われているのを見たことがある。取り壊しに伴なう立ち退きを促進するため、街にはスローガンがペンキで壁に書きなぐられたり、白い文字で書かれた紅い横幕が、建物と建物の間に張り廻らされ、道路の上で靡いていた。 

 「供応政府号召 支持城市建設 提供優質服務 奉献人文関懐」「推進棚区改造加快城市建設歩伐」「依法○遷服務百姓」「積極響応号召支持城市建設実現瀋河又好又快●●●」「先走的一定実恵 后走的一定会吃虧」

 素直に、できるだけ早く立ち退くことが、住民の義務だというようなことが、いろいろな書き方で書かれている。時には壁いっぱいに同じようなことが書かれている。○は「折」の漢字によく似た画数が一つ増えた字で、取り壊す、解体するという意味だ。該当の建物の壁に殴り書きされていることが多い。写真参照。棚区はバラック地区を指す。瀋河は行政区名である。最後に示したスローガンは「早く移転した者には必ず実益が、後で移転する者はきっと不利になる」というような内容だ。 

 義務求めたり、実益をちらつかせたりするだけでなく、権力を背景とした脅しなどで、立ち退かせているようだ。中街付近で、このような現場に出会い、日本では見られない風景だったので、路地に入り込み、あちらこちらと写真を撮ってまわっていた。急に見知らぬ人に呼び止められ、連れて行かれたのが地区の派出所である。

 その人物は私服だったが、派出所には10人ばかりの制服の警官がいた。写真を撮っていたことが問題だったようで、身分証の提示を求められた。携帯していなかったので、名前を書かされることになった。警官が提示したのは訪問者用の用紙であった。私は訪問したのではない、連れてこられたのだから、その用紙に書くことは拒否し、近くにあった新聞紙に名前を書いた。名前を見ながら、日本人かと言い、当の警官は漢字の筆跡を褒める一方で、訪問者用の用紙に私の名前を書き、何かコメントを書き始めた。写真を撮ってはいけなかったのか、それは法律上のことかなどと何度も訊いたが、答えてもらえず、カメラからカードを出すように求められ、全部消されてしまった。

 解放されて表通りまで歩いていく時、流石にもう写真は撮れなかったが、壁面にペンキで書いてあるのをメモ書きしていると、私を取り調べした二人が私の直ぐ前に現われ、何をしているのかと問う。そして、手帳からメモした部分を破り、取り上げてしまった。撮った写真やメモの何がどこが悪いのか、私には全く納得できなかった。

 後日、地元出身の学生に聞いたところ、中国南方の経済的な実力者がこの地域一帯を買い占めているそうだ。これは瀋陽市民の多くが知っていることだという。そうであれば、このことに官憲も加担していて、その現場の写真を撮らせたくなかったのではなかろうか・・・・・。 

④ 瀋陽市文物局の対応と業者の対応 

 この不可移動文物(旧フランス領事館)の破壊に、文物局が加担している(積極的であろうが消極的であろうが)とネットを見た庶民は見ていた。そうだろう、文物局の大きな看板が掛かっている門内で起こっているのだから。当然、槍玉にあがった文物局は弁明する必要に迫られた。

 次々と持ち主が変わったこの建物は、現在一不動産業者に所属している。そこで、文物局の所長は遼瀋晩報の記者に以下のように応じた。

 「この件について現在調査しており、現所有者の不動産業者を捜し出した。しかし、彼らは破壊についてやっていないと否定している。勿論、破壊者は誰かを捜し出し、その責任を必ず追及して、元の姿に回復させるように命じる。」(11月3日の記事の小見出し「瀋陽市文物局:是誰破壊小楼、正在調査」から筆者が拙訳)と。また、看板(掛標牌)がなくなっていることについては、不動産業者と口裏を合わせたかのように、盗人に持っていかれたものと解釈しているとのこと。

 新聞各紙に報道された翌日、瀋陽晩報の記者が現地を訪れたところ、建物には外囲いなされ、取材も阻止されて中には入れず、囲い塀の隙間から見てみると、破壊された箇所はどれも緑色のカバーで覆われ、建物の前の地面は全部掘り起こされており、工事をやっている人物が言うには、修理はしていないとのことであったという。 

 当該建築物は「中環星座」ビル(旧フランス領事館の北側に建設中)の建設用地に含まれておらず、取り壊しも、別な所に移築し再建することも、これまで認めた事実はないと、当の文物局が明示しているが・・・・・。 

 旧フランス領事館に遠くない所に、外観が旧フランス領事館にとてもよく似た建築物が新しくできている。この建物に対して、文物局の関係職員はこの新建築物は旧フランス領事館が建てられた頃の工芸施工が守られておらず、原材料も使われていないから、決して文物とすることはできないと述べている。述べてはいるのだが・・・・。 

 旧フランス領事館の持ち主は転々として、産権(社会主義国における資本主義国の所有権のようなもの)が複雑で、責任者の特定が難しい中、それでも瀋陽市文化局は業者に半月以内に旧フランス領事館の原状回復を求める通知を出した。果たして、重傷のこの不可移動文物、救急手当てを受けて、元どおりに回復することができるのであろうか。

 以上、2009年11月5日の瀋陽晩報の「『重傷』文物楼正在『急救』中」の記事を参考にして書いてみたが、それにしても、破壊と同時に外観がよく似た建物が建てられていたことには驚く。文化局の指示や了解無しに行われていたとは、とても考えられない、特に文物局の関係職員の言辞からも。それでいながら、原状回復を通知せざるを得なくなったのは、ネットによる情報獲得が庶民の間に広がりを見せ、一つの世論形成が中国でなされるようになってきているからではなかろか。官憲も完全無視は難しくなってきているのであろう。 

 ところで、不可移動文物でありながら、別な場所に移築し再建することが認められ、再建された建物がある。旧満鉄図書館である。この建物の現状について、次回はご紹介したいと思う。

 

八経街から見る

不可移動文物旧フランス領事館

破壊前 中央に1931

破壊後 

切勿靠近の文字が

書きなぐられている 




















庶民の街並みでは
























階段を上った

玄関の右下に掛標牌があった






























繁華街の中街付近で

太原街付近で

破壊が行われる以前の旧フランス領事館