20 瀋陽東站(旧奉海站)に出かける

加藤正宏

     瀋陽北站から229路のバスに乗って、約30分で終点の瀋陽東站に着く。

  1927年(民国16年)9月、中国人の出資によって奉海(奉天―海龍)鉄路が建設された。全長251、2キロ。その始発駅が奉海站と称された。1929年には瀋海鉄路と瀋海站と改称された。1932年、日本の南満鉄道株式会社(簡称は『満鉄』)に強奪され、東站は『瀋陽駅』と改名された。1945年抗日戦争勝利以後、瀋陽東站となった。(「大東区文物古迹普査匯編―民族工業部分、大東区文化体育局2004年7月」から拙訳)

加藤正宏

瀋陽東站(旧奉海站)に出かける

瀋陽東站(旧奉海站)

   どんな駅だったのか、原田勝正著『満鉄』岩波新書1981年で紹介しておこう。 「張学良は、より積極的な方策をとりつつあった。前にも述べたように中国側は満鉄並行線の計画を以前からすすめてきていた。1917年10月には打虎山・通遼間を、1929年5月には吉林・海龍間を開業した。前者は、満鉄線の奉天・四平街間の西側を、後者は、四平街・長春間の東側を走る。」(『満鉄』134頁)「 瀋海鉄道吉海鉄道 奉天・吉林 奉吉線 」(『満鉄』157頁)「これらの鉄道は、1933(昭和8)年2月9日、満州国政府に対して南満州鉄道株式会社が供与する借款の担保というかたちで、満鉄が委託経営をおこなうことになったのである。」(『満鉄』158頁)

皇姑屯站プラットホーム

皇姑屯事件現場

928年父張作霖を殺害された張学良が、父の意思を継ぎ、満鉄に対抗し整備を進めていた一つの鉄道幹線の始発駅として考えられていた駅である。日本は独占を揺るがされるこの民族鉄道幹線が脅威であり、これらが張作霖を殺害や満州国建国への動きに少なからずつながっていたものと思われる。 現在、入り口は中から閊え棒がされ、使用されていない感じがするが、停車列車の時刻表が掲示されていた。瀋陽北~撫順、瀋陽~図們、吉林~大連、山海関~吉林、瀋陽~清原(世界植物博覧会の時の臨時)など数本、しかし駅が使われている様子は感じられなかった。そして、「瀋陽市不可移動文物 原奉海鉄路局弁公楼 瀋陽市文物局立」の牌が取り付けられていた。

瀋陽站(奉天駅)

現在の瀋陽北站

旧瀋陽北站

撫順站の正面、改札口、プラットホーム

今回、瀋陽東站を紹介に関連させて、瀋陽市内の駅と撫順の駅の写真を上に掲げておく。撫順駅は昔の面影を残しているのだろうか。 加藤正宏の瀋陽奉天史跡探訪2「旧瀋陽北駅にリンク