28 郵政局、満洲国切手など

加藤正宏


写真が語る満洲1

(郵政局、満洲国切手など)

加藤正宏

朝日新聞で「写真が語る戦争」シリーズが掲載されていたのに、刺激されて、中国で入手した写真に少し語たらせることにした。

今回の写真は郵政職員訓練所開所式、同僚の送別の写真B、元旦の局員全員写真3枚(1、2、3)である。Aの写真の左には、白抜き文字で「奉天地方郵政職員訓練所開所式 康徳六年三月一日」と記載されている。前2段は訓練所の関係者や教官であろう。その後方3段から5段目は訓練生だと思える。みんな丸坊主の若者である。Bの写真は保険局の同僚による王君継くんの送別記念の写真である。写真上部に白抜き文字「 保険局同寅恭送王君継貴臨別撮影紀念10・10・10」が見える。(1、2、3)の写真は元旦に撮った○(三水偏に兆の字)南郵政局全職員の写真である。1枚は白抜き文字部分を撮りそこない、分からなくなっているが、康徳七年、或いは十年の元旦に撮ったものと思われる。なぜなら、これらの写真は出所が同じ写真であり、王君継くんに関わった写真と見られるからである。他の2枚は康徳八年と九年である。

「○(三水偏に兆の字)南」は吉林省の西北の白城市近くにあり、省境界に近い。訓練所は奉天の名が付けられているが、この彼の例から考えると、奉天地方だけでなく広く地方郵政職員を訓練していたようだ。

Cの写真のうち2枚には女性が一人(たぶん同一人)写っている。当時の郵政局としては、女性は珍しいと言えるのだろうか。女性がほとんど居ないこの郵政局の方が珍しかったのであろうか。また、満洲国旗と日章旗の位置が左右異なった写真もあるが、左右どちらにするかは決まっていなかったのだろうか。

王くんの例から考えると、郵政局職員には中国人(当時は満人と呼称)が一般的であったのであろうか。これらの写真を見ながら、私は想像している。 

王くんが郵政局の保険関係の仕事に就いていたことに引っ掛けて、入手している保険証書と、この郵政局保険証がらみの新聞記事をご紹介しておく。

2006年5月24日の『華商晨報』に「“偽満”保険証書也防偽 収蔵家称該物品在文物場上不多見」の見出しで写真とともに紹介されていた。

父が購入していた1枚の証書を箱の中から発見したのだが、その証書には透かしによる偽造防止が施されていた。太陽に透かしてみると「満洲 帝国 政府」の文字がはっきりと表れる。写真は証書を太陽に透かしている人物を取り上げている。この証書は康徳七(1940)年八月十五日に発行された終身保険書だとのことであるが、透かし以外は写真からは読み取りにくい。

収集の専門家の話として、この証書は、日本政府と満州国(中国では偽満)政府がつるんで、中国庶民の財富を搾り取っていた証拠であるということと、現在では、文物市場でこれらは数少なく、それ相当の収集価値もあるということが、記事で紹介されている。

しかし、この保険証書をもって、「中国庶民の財富を搾り取っていた証拠」というのは飛躍した論法で、私には納得がいかなかった。勿論、満洲帝国崩壊によって、保険内容が実施されなくなったのは事実であろう。これは満州国に在住した日本人も同じである。

この証書には表も裏も内容が同じ中国文と日本文で書かれているのであり、この保険証書の内容を理解して、自ら契約しているのだから、財富を搾り取られたというのは的外れだと思う。満洲帝国崩壊に絡み、満洲帝国そのものの存在について、問題があったからだとするのであれば、考える余地もある・・・・。この点から考えると、「満洲帝国必勝儲蓄票」などについて、「中国庶民の財富を搾り取っていた証拠」だと言うのならば、否定はしないのだが・・・・。

私も不完全な証書であるが、文物市場で購入している。康徳十一(1944)年四月九日に発行されたもので、被保険者は光緒三十一年八月二十五日生まれの方のである。破れて二枚に分かれ、その中央部分が一部欠けてしまったものである。透かしも、中央部分の「帝国」の文字は欠けてしまっている。左側には郵政総局長の文字と印が押されている。 

今回紹介の郵政局に絡み、瀋陽に残る郵政局関連の建物を紹介しておく。地図上のにあるのが、奉天郵便局(和平区中山路44号、1915年竣工)と奉天自動電話交換局或いは電報局(和平区太原街34号、1928年竣工)である。この近くには郵便マークの〒が刻まれたマンホールの蓋を見ることもできる。にあるのが奉天郵務管理局(和平区市府大路157号、1927年建築開始)である。取り壊された北市場地区と市府大路を挟んで向かいにある。にあるのが奉天電報電話局(和平区中山路180号、1936年建築開始)である。これらの建物については下記のHPにリンク(クリック)していただきたい。TMTはManchuria Telegram Telephone の頭文字である。

加藤正宏の中国史跡通信」(リンク)「瀋陽史跡探訪」「7、満鉄附属地その2」「13、瀋陽の歴史を刻むマンホール」17、旧領事館や公館が建ち並ぶ旧協和街と旧義光街」「25、遠足

入手している満洲国の切手も紹介しておこう。

郵便マークに話電の文字

A奉天地方郵政局訓練所

B保険局同僚による送別

C1○南局職員全員写真

C2,3○(三水偏に兆の字)南局

職員全員写真

      保険証書      裏

保険証書透かし

華商晨報の記事

表      満洲帝国必勝儲蓄票     裏

旧奉天郵便局と旧奉天自動電話交換局(X)

X Y Z

奉天郵務管理局とその建物に刻まれた年代(Y)

奉天電報電話局(Z)

中央TMT

と話電の文字

満洲国旗の入った封筒

スローガン入りハガ

満州国紋章

国務院

日本の興満洲の興

(張景恵、武部六蔵)

長白山の天池か?

治外法権撤廃記念

臨時国勢調査記念

臨時国勢調査記念

国兵法実施記念

シンガーポール

東亜復帰記念

建国10周年記念

満洲国旗

建国10周年記念

五民族の真ん中は日本

建国10周年記念

建国忠霊廟

満州国赤十字社

創設5周年

建国10周年記念