10 満鉄附属地  (全体の補足)

ここは手直ししていません。「加藤正宏の本館katomasa」に手直し済みあり

今回は、全体の補足として、中国で入手した写真、絵葉書、切手、証書などで、補足をしてみたい。

これまで紹介してきた附属地とされる地域は、日露戦争終了(1905年)の翌年から1945年の日本の敗戦(中国などでは光復)までずっと附属地であったかというと、名目上はそうではなかったことをまず述べておく、実質は別にして。

1931年の満州事変(九一八事変)を機に、翌1932年に日本の傀儡政権として建国された満州国は、日本の傀儡国ではなく独立した国として扱われていることを、日本は対外的に宣伝する必要があった。その一つであろう、1937年12月1日に満州国における治外法権(領事裁判権)を撤廃する宣言を日本は行っている。この結果、実質は別として名目上この時点から、満鉄附属地の行政権は奉天市公署に受け継がれた。このときに発行された切手がの切手である。

中国に来てから入手した満州国時代の切手の中で、特に日本との関わりを示す切手をもう2枚紹介してみようb、cの2枚の切手は同じ内容を中国語(当時は満語といわれていた)と日本語で書いたものだ。内容は見てのとおり「日本の興は満州の興」である。この文字の後に記載されている人名中国語のものが張景恵、日本語のものが武部六蔵であ。前者が国務院総理大臣、後者が国務院総理大臣直下の総務庁長官である。実質的に総理大臣の権限を行使していたのは、各部(日本の)を束ねる長官であった。の切手は五族協和を絵で表したものであろう。しかし、満州国の切手なのだが、その中心に位置しているのは和服を着た日本の娘である。満州国と日本の関わりをよく示している図柄ではないだろうか。

満鉄附属地(その1、和平広場周辺と民主路)に登場した平安小学校の文鎮(?)を親しくなった骨董店主から見せてもらった。昭和11年(1936年)、その卒業記念に父兄から贈られたもののようだ。表に刻まれた校舎の一部は今も瀋陽鉄路実験中学の南5馬路(南五條通)と南京南街(萩町)の交差する南東角に残っているようだ。

 満鉄附属地(その2、中山路と太原街)で紹介した、中山路(浪速通)と民主路(平安通)に挟まれた太原街は、附属地を書き終えた現在(06年4月)、書いた頃とは様変わりの様子を示している。附属地時代の絵葉書とともに、現状を紹介しておく。写真の絵葉書は太原街(春日町)の裏、少し西にあった環状型木造建築の春日菜市場から東南の方角を見たものである。太原街(春日町)の中谷時計店の時計台が見えている。右奥には、南京南街(萩町)に建つ給水塔、その奥に中山公園(千代田公園)に建つ給水塔が見える。中央左奥には忠霊塔が見える。これらの建造物で、現在なお存在しているのは中山公園の給水塔だけである。太原街(春日町)の当時の賑やかさを伝えているのがの絵葉書だ。中谷時計店も見える。でも、ここには当時のものは現在何一つ残っていない。この通りは、建築中の高層建築も完成し、商店が沢山入る大型ビルの建ち並ぶ通りに変化してしまっている。中華路(千代田通)の南の太原街(青葉町)も様変わりしている。

の絵葉書は民主広場(平安広場)から中華路(千代田通)の方角に向けて撮った写真で、左の建物の屋根には二重円の中に漢数字の「七」のマークが見える。その下には右から左に「七福屋支店」の文字もかすかに見える。中央の建物がガスビルである。この二つの建物の間を走るのが太原街(青葉町)だ。旧「七福屋支店」の建物は1985年にはまだ存在していて、栗原節也さんはカメラに収められているが、私がやって来た2004年には既にこの建物は無かった。そして、今年2006年には旧ガスビルも取り壊されてしまった。

その取り壊しの写真がである。この旧ガスビルの並びにあった解放電院(旧新富座)や警察の派出所であろうと思われていた建物など、全てが取り払われ、この一角は更地になってしまった。今は鞍山や遼陽などの遠距離バスの車庫地としてこの更地が使われている。

中山路(浪速通)の太原街(春日町)が交差する西北角に満州国時代には中央郵便所と知られた郵便局が今も残っているが、瀋陽で入手した郵政生命保険証書を紹介しておこう。証書には中国文(当時は満文という)と日本文で同じ内容を上下に記載しているという満州国で見られる特徴を持つ。日本文では次のような記載となっている。

「郵政生命保険法及其ノ附属法規ニ依リ前記通リ郵政生命保険契約ヲ締結シタリ仍テ其ノ證トシテ本證を保険契約者ニ交付ス」

中山路(浪速通)の北側の太原街(春日町)沿いの建物について、今回一つ追加をしておきたい。古玩城の古書骨董店でのような葉書を入手した。これは以前に山田二郎さんから頂いていた情報に符合する品である。以下は山田さんの情報である。「通常の有名なビルの他に、旧奉天時代の有名なビルのひとつとして 春日町13番地(春日小に西側と北3条の北側)に武田製薬奉天本社(?)のビルがー昨秋現在で5~6階建(當初3階建、後年2~3階増築)ー今尚残っていました。」と。

昨秋とは再訪された2004年の秋のことであるが、今もその建物は残っていて、遼寧省医薬公司の金色の文字が2階の壁面に見られる。1階は食堂になっている。

更に太原街を北に行ったところに瀋陽鉄路局の大きな建物があり、更にその北の西塔に近いところに省の政府機関の建物がある。「満鉄附属地、その2」で「瀋陽鉄路局の大きな建物は旧鉄路総局、隣接した省政府機関の建物は旧鉄道総局 である。」と書いたが、大阪工業大学の大学院に留学されている宋 昊鵬さんに次のような指摘を受けた。

「後者(省政府機関の建物)は鉄道総局局舎として1935年起工したが、1936年10月に鉄道総局へ拡大されたので、建物は鉄道総局として1936年11月竣工。瀋陽鉄路局の建物が1940年に鉄道総局本館として竣工、省政府機関のこの建物は鉄道総局別館と改名された。西澤さんの『満鉄「満洲」の巨人』の44と45ページに写真と説明があります。」と。

私もこの部分を書くにあたっては、西澤康彦さんの著書を参考にさせてもらった。しかし、私が参考にした『「満州」都市物語』(1996年初版)より、同氏の『満鉄「満洲」の巨人』(2000年初版)の方が詳しく書いてあり、指摘されるとおりだろうと思うので、これを受け入れて、宋さんの指摘どおりに訂正しておきたい。なお、「鉄路」と「鉄道」の語句の区別があったのかどうか、少し気になるところである。

現省政府機関のこの建物についても、当時の絵葉書を入手している。絵葉書には「南満州の大都たる奉天には諸官衙諸会社等が密集して、街をうづめ、文化建築、近代建築が新時代を表徴して到る処に建ち並んでゐる。ここに望むは満鉄鉄路総局で、その宏壮な近代的風姿は諸建築物中でも燦として異彩を放ってゐる。」とある。

南京大街との交差の角にあった銀行含む中華路(千代田通)の様子を示す絵葉書がある。ゆったりとした趣が道路幅から感じ取れ、車の向かう方向に奉天駅がかすかに見える。

この銀行と、南京大街と中華路(千代田通)の交差点の対角、つまり交差点の南東の方角には忠霊塔があった。絵葉書には2基の給水塔なども見られ、この辺りの当時の様子が良くわかる。

南京南街(萩町)に面した、ユニークな木造造りの満鉄図書館(「附属地その3の上」で紹介)は、2006年の8月には取り壊され、図書館も移動されることになったようだ。6月の初めに図書館の門扉に通知が張り出された。

の絵葉書は医科大学を撮ったものである。大学まえの南京大街(富士町、萩町)の遥か先には、かすかにここでも給水塔が2基見える。

の債権は満州興業銀行の債権である。中山広場(旧大広場)に建つ元朝鮮銀行であったあのイオニア式列柱の銀行のそれである。康徳6年とは1939年のことである。中国語(当時、この東北では満語と言われていた)と日本語で、これも説明が書かれている。

の絵葉書は満州興業銀行などが建ち並んでいた旧大広場(現在の中山広場)である。左から大和ホテル、横浜正金銀行、奉天警察署、そして右端にはチョコレート色した三井物産ビルが建つ。画面に描かれていないが、満州興業銀行はこの三井物産ビル隣に建っている。そして、その隣が東洋拓殖奉天支店(満州事変の時に関東軍司令部が置かれたところ)と続く。現在、毛沢東の像と群像が建ったいるところにはオベリスクのような日露役記念碑が聳えている。

は路上市で写真だけ撮らせてもらった奉天市公立城南男子国民優級学校の卒業証書である。卒業年月日は康徳9年(1942年、昭和17年)の12月25日になっている。「附属地その3の下」で紹介した嶋田健さんは昭和18年3月に国民学校を卒業している。国民学校と国民優級学校はもちろん違うのだが、卒業月が12月と3月と違っている。

満鉄附属地

(全体の補足)

加藤正宏

a 治外法権撤廃記念

t 満州医大前の道路

d 平安小学校文鎮

i平安広場(現民主広場)

m葉書の住所

q 旧満州中央銀行

n武田製薬奉天本社

d 文鎮の裏

r 忠霊塔

k更地がバスの車庫に

b日本の興は満州の興

o 現省政府機関

f 春日菜市場

u 満州興業銀行債権

e 瀋陽鉄路実験中学

j ガスビル取り壊し

g 旧春日町(太原街)

c 五族協和

p 満鉄鉄路総局

l 郵政生命保険証書

最後に、日本人のそれではなく、中国人のものだから、附属地そのものとは関係はないが、鉄道教習所の修了書xと満鉄の准職員としての採用書yを満鉄関連のものとして紹介させてもらって、満鉄附属地の雑文を閉じさせてもることにする。

w 卒業証書(国民優級学校)

x 鉄道教習所修了証書

y 満鉄准職員採用書