信頼の増大が、恐れの軽減に役立つことを、私たちは社交不安アノニマスで発見しました。実際、信頼は恐れとは反対のようです。私たちのプログラムには、信頼感を高める様々な方法があり、私たちはそれぞれ個別に一番いい方法を選ぶことができます。何人かは自分や他人や出来事に対して、純粋に認知的に再評価することによって、信頼が高まります。他の人にとっては霊的な観点が、信頼または信仰を深めます。結果いずれの場合も、社交不安が減少します。
霊的回復は私たちのプログラムでは選択するもので、要求はされません。世界と自分についての何か肯定的なものへの信頼(または信仰)の増大が、社交不安に驚くべき効果を及ぼすことを、私たちは実際見つけました。これらの変化のいくつかは、すぐに現れるでしょうしゆっくりなものもありますが、これらの領域に一貫して集中すれば、変化が起こります。
私たちが助けになると分かっている、特定の指示はありません。個人の選択を尊重するという私たちの哲学に沿って、あなたが好きなアイデアを取り、残りのものを残すことをお勧めします。
これらすべての分野において、日常の実践が鍵と思われます。
1)否定的な思考を再構成し、肯定的な思考を創造する。
自分への否定的な判断に疑問を呈し、それらをより肯定的な判断に置き換える(または消極的な信頼を、積極的な信頼に置き換える)ことを学ぶ。
2)自分への、現実的な姿を描く。
私たち社交不安症者は、自分の振る舞いだけでなく、人間としての価値でさえも、過度に否定的に評価する傾向があります。 反対の"証拠"がないときに自分を信じることは、最終的にその証拠を見つけることを、可能にします。
3)他人の、より現実的な姿を描く。
他人を理想化しないようにしましょう(他人に信頼を置き過ぎることは、同時に自分を信用せず価値を置かない、ということです)。私たちは他人(そして自分)が人間であることを赦し、自分と他人の両方に非現実的な要求をする完璧さへの期待を、諦めることを学びます。
自分や他の人に過度に高い期待を持つことは、私たち社交不安症者の回復を妨げる特徴の一つです。 私たちはしばしば自分自身や他の人に、人間が可能以上のものを要求するようです。 自分自身により現実的な目標を設定し、他の人への期待を軽くすることで回復が促進します。
私たちはまた社交不安症者だけでなく、誰もが時々恐怖心から行動することを、念頭に置きます。私たちの問題は、人間の状態全体を説明する連続体に起因すると捉えるのではなく、私たちは他の人間とは何かの形で異なる、と考える傾向が社交不安症者にはあるかもしれません。
4)信頼という贈り物を与えることによって、信頼を高める。
彼らの行動によって別な方法で証明されるまで、疑わしい点を、彼らに有益に解釈することを学ぶ(合理的なレベルまで、他人への信頼を高める)。さらに私たちは、他人の欠点と向き合う時、赦しと寛容を実践することができます。自分に対して過度に批判的である傾向が、無意識のうちに他人に対して逆に向けられることを、心に留めておいてください。
5)毎日の認知の学び。
自分自身や他人に対して、肯定的でバランスの取れた、合理的な評価を裏付ける文献を、日常的に読んでください。
6)毎日の霊性の学び。
自分、他人、そして困難の背後にある、あるいは困難を超越している、究極の真実への信頼を高めることのできる霊的な文献を、日常的に読んでください。
7)毎日の祈り。
信仰を持っている人やそれを試そうとする人にとって、定期的な実践は不安を大幅に減らすことができます。幾人かは長い間信仰を経験しながら、長年成功を収めていないかもしれません。彼らと初心者にとって、焦点を単純に変えるだけで、全てが変わります。
SPAで私たちは、物事のために祈るのではなく、代わりに信頼の行動として祈ります。神の摂理の手の中に自分を置くことは、社交不安の問題を引き起こす過度のコントロールを終わらせるのに役立ちます。それによって、私たちが本当に意図された者であるように、私たちを解放します。毎日祈るための特別な時間を取るのみならず、困った時はいつでも祈ることから、私たちは恩恵を得ます。この絶え間ない実践は静寂感を取り戻し、不安をかなり減らします。
8)毎日の内省 ( reflection )。
祈りを捧げることができない人でも、自分、他人、そして世界の中にある善や、可能性としての善について内省するために、毎日静かに時間を取ることはできます。一貫性のある基準に基づいた内省の時間を取ることは、私たちの生活や苦しみに対する調和の感覚を取り戻し、それによってより深い平安の感覚を確立するのに役立ちます。そのような内省のために、毎日定期的に時間を取ったり、また苦しい気持ちや考えによって悩んだ時に時間を取ることもできます。
毎日の内省の一環として、私たちにストレスを与えたり邪魔をする人々、状況、感情、否定的な思考を「手放す」実践をすることができます。これは社交不安を煽るコントロールの根本的習慣から、私たちを解放するのに役立ちます。
9)健康的に、危険を冒す。
ほんの小さなリスクを取ることが、世界は私たちが思うよりも安全な場所であることを証明するのに、役立ちます。そして結果が私たちが望むものでない時、私たちは、自分が思っているよりも強く人生の必然的な失望に対処できるので、自分たちの道を歩むことが出来るようになります。
10) 蜃気楼の向こうにあるものを、信頼する。
合理的な錯覚(誤解)を認識し、現実のものであれ想像上のものであれ、全ての悪い出来事の背後には、より大きな善があるという信頼または信仰を育てます。
11)奉仕を通した信仰。
私たちが社交不安を患う仲間へ奉仕することに、日々取り組むなら、このプロセスは自分を癒し、他人を癒す可能性がある、と信じてください。(自分自身への尊厳と、個人の境界を尊重するやり方を伴った)他人への奉仕は、すべての社交不安の核心にある自己執着 ( self-obsession ) から私たちを解放することを、発見しました。初めは私たちには時間がない、あるいは他人をサポートするだけの知識や、個人的な回復がたぶん不足している、と思うかもしれません。逆説的ですが、奉仕は社交不安から私たちを解放し、その事は生活の中に時間を、飛躍的に解放します。
また、知識は、適切な時と場所の中で役に立つ贈り物なのに対し、耳の贈り物(単純な受け入れとサポート)は、贈与者だけでなく受取人にとっても、大変価値があることを私たちは見いだします。
12)流れに乗る。
私たちは、常に出来事と戦うよりも、それらを流せることを学びます。これは私たちの生活の中で、全く受動的でなければならないという意味ではありません。かえって私たちが、努力をより効果的に集中することを選択することを意味し、私たちが望むものを追い求めるために、より多くの利用可能なエネルギーの贈り物が与えられます。
13)愛と優しさを、実践する。
信仰の究極の行動は、愛です。自分を愛することを選ぶことによって、私たちは本当に愛することができる、という信仰を確立します。社交不安に苦しんでいる仲間、家族、そして地域社会に、愛情のある態度で振る舞うことを選ぶことによって、私たちは周りの人たちに信仰を広げます。もしあまりにも愛しすぎるようなら、私たちは優しさから始めることができます。愛と優しさの行動は共に、自分や他人の不完全性を即座に赦します。あるいは愛は、虐待をする個人や状況に立ち向かう、もしくは離れることを意味することもあるでしょう。愛は、私たちがそのまま受け入れられる、という信仰です。愛はまた、この自分や他人に対する信仰を表現する、行動でもあります。
14)信仰の最も深い行動である愛は、恐れと完全に反対であることを見いだす。
このセクションの他の道具と同様に、習慣としても困難な状況に対しても、愛と優しさを日常的に実践することができます。一貫して実践すれば愛は、すべての人にとって最も偉大な癒し手になることが、わかるでしょう。
特記事項:
恋愛について。SPAではサポートグループ内でのお付き合いを、やわらかくお勧めします。私たちはSPAからの癒しを使って、グループの外で恋愛を追い求めることがあるかもしれません。SPAの長期的な回復力(2年かそれ以上)を持つ人は、お互いを知り合うことを選ぶかもしれませんが、そうであれば異なるサポートグループに参加することをお勧めします。コミットされた関係の人々でさえ、継続的な回復に取り組むために、何らかのプライベートスペースが必要です。
しかし、友情は、SPAで奨励されています。 グループに限定された友情が「単に機能している」か、より深いものであるかどうかにかかわらず、社交不安のある友人を持つことは大きな贈り物になることを、私たちは見いだします。個人間の歴史はいつも予測できませんが、SPAフェローシップの中で、私たちは健康的な友情の贈り物を開けることができます。もし誰とも友人になれないのなら、能力を最大限発揮して、支援的で敵意のないことに、全力を尽くすことができるのです。