【狗肉忌譚】二次創作SS01

「(陽にとっての)悪夢」

 ——陽!


 戀路の声がしてハッと、目の前の蠢く影——船虫——を見る。

 夕焼けに照らされたコンクリート道路の真ん中で、伸びたり縮んだりうねったりと形を変えるそれは、子供がクレヨンでぐちゃぐちゃに塗り潰したようでどことなく不安を煽ってくる。あの日、首を絞められた感覚が蘇ってきてゾワリと肌が粟立った。

「どうしたの、陽。ぼーっとしてたら危ないよ」

 隣に立つ戀路がそう言いながら|刀を構えた《・・・・・》。

 それを認識した途端に冷水を被ったかのようにスーッと頭が冷えていく。……ああ、なんだ。夢か。

 戀路は九狗に所属していない、いるはずがない。陽の隣で刀を振るうのは、教師に呼び止められた戀路と別れてひとりで帰り、船虫に襲われていたところを助けてくれた拓篤先輩であり彼ではない。

 陽の隣で戀路が一緒に戦うことは、絶対に在り得ない。だからこれは、夢だ。

「ッ、ぐ……!」

 夢だと思って油断していたからか、夢だからこそなのか。はたまた〝もう、いっそ全部話してこうやって一緒に戦えばいいのかもしれない〟なんていう想像をほんの一瞬でも考えてしまったからなのか。

 ひとつ瞬きをした次の瞬間、視界の端を黒い影が走り抜けていく。隣にいたはずの戀路の姿は消え、何かがぶつかる鈍い大きな音と、カランッという金属の軽い音の後に、苦し気な呻き声が陽の耳に届いた。

「戀路ッ!」

 思わず振り返ればブロック塀に叩きつけられた戀路が、黒い影に首を締めあげられているのが見えた。刀を地面に落とし、影から逃れようともがいて暴れている。

 じたばたと暴れる彼を助けるべく、刀を構えて、陽が走り出したその時。


 ゴキンッ


 ——と、聞こえるはずのない、骨の折れる音がはっきりと耳に届いた。肌がざわめき、ふつふつと鳥肌が立っていくのがわかる。足元から嫌な感覚が這い上がってきて、視界が狭まっていく。

「くそっ……!」

 確かに走っているはずなのに距離が縮まらない。視線だけしか、前に進めない。

 先ほどまで必死に気道を確保しようと首元に伸ばされていた彼の腕も、暴れて空を蹴っていたいた足も、重力に従って力なくぷらんと揺れている様子だけが見える。

 走れない。届かない。縮まらない。足が鉛のように重たくなっていく。底なし沼にハマっていくような、見えない誰かに足を掴まれているようなそんな感覚に陥る。

 

 わかっている。夢だ。これは夢だ。

 陽が戀路に九狗の活動を話すことはけしてない。

 だからこんな光景を見ることはない。


「ッお前が! 戀路がこんな目に遭うかもしれないと思ったら、やっぱ言えるわけねーだろ……!」

 悩みがある、と。そう言った記憶の中の戀路に対して吠える。たとえ夢でも、こんな光景を見たくはなかった。これが現実ならどれだけ絶望を抱くことになるだろうか。夢だと分かっている今だって、こんなにも悔しくて、悲しいのに。陽は彼がこんな目に遭う瞬間を見たくない。だから、本当の話などできるはずがない。

 縮まらない距離をどうにかしようと一歩、また一歩と踏み出す。変わらない景色の中を歩き出そうと、走ろうと力いっぱい地面を踏んだ。


 ——もう、いいよ。


 不意に、冷えた声が耳に届く。聞き覚えのある声が陽の鼓膜を揺らす。

 ただ走ることに必死でいつの間にか落ちていた視線を前に戻せば、塀に叩きつけられていた戀路も、彼が取り落とした刀も、蠢く影も、初めから存在していなかったかのように消えていた。

 その代わり、赤すぎる夕焼け空を背後に立つ戀路が陰のある表情でこちらを見つめているのが逆光でもはっきりと分かった。八つ当たりだった、と誤魔化されたあの時のような、何かを抑えつけている声が響く。

「もういいよ、陽」

 諦めの混じったような声がする。

 はっきりと戀路と陽の間に境界線を引かれたような——いや、違う。先に境界線を引いたのは陽だった。彼を巻き込まんと、それを選んだのは陽だ。

「ごめ——」


 ——秋田くんって、人の心が読めるんですねぇ?

 ——謝ったら、許されるとでも思ってるんですかぁ?


 咄嗟に謝罪の言葉を紡ごうとしたとき、不意に七雛から言われた言葉を思い出して思わず口を噤んだ。彼女の自分に対する態度が「あれは八つ当たりだ」とムスビ先輩から言われても、彼女から出てくる言葉は正論だと陽は思っている。

 陽にはいまの戀路がわからない。本当はいま何を思っているのか。どんな考えや理由があってあの女性と一緒にいるのか。あの日、宴会場の小部屋に向かった理由も、そもそもホテルにいた理由も、戀路が〝陽は自分に嘘をついている〟とどうしてわかるのかも。

 彼の今までと違う態度の理由が、陽を避けている理由が〝彼に対して陽が嘘をついているから怒っている〟というのはただの憶測でしかない。本当かどうかなんてわからない。戀路の心を読むなんてことだってできないのだから当然だ。しかも【隠す】ことが上手いときた。

 何もわからない状態で口にする謝罪の言葉に、果たして意味はあるのだろうか。余計に戀路の心を傷つけるだけなのではないか。傷つけているという認識にだって、もしかしたら小さな見落としや間違いが紛れているかもしれない。

 ぐるぐると色んな考えが陽の頭の中を巡る。正しい答えは、一向に出てこない。

「……ッ、……」

 謝罪以外に何を言うか口ごもって、結局なにも言えなくなった陽を一瞥した戀路が背を向けて歩き出す。彼を追いかけたいのに足が重くて動けない、動かない。

 追ったところで何を言えばいいんだろうか。結局、本当のことは言えないのに。きっと、多分、戀路が求めている答えは教えられないのに。

 意識がゆっくりと沈んでいく。段々と霞んでいく視界の中、戀路の背中が遠のいていく。

「あー、くっそ……」

 カラカラの喉から絞り出した掠れた声で、どうにもならない現状に恨み言をひとつこぼしたところで、陽の意識はぷつんと電源を切るように落ちた。


   ▽


 耳元で聴こえるアラームの音で、陽の意識はゆっくりと覚醒した。ぐっすり……とは言わないものの眠った割には体が少し重い、気がする。十中八九、夢見が悪かったせいだろう。

「はぁ……」

 もぞもぞと重たい体を起こして膝を抱えると、大きなため息が陽の口からこぼれ出て行く。枕元のスマートフォンに触れてアラームを停止させると、陽はまたひとつ大きな溜息を吐いた。コツ、と額を膝に当てて頭を抱える。

「どうしたもんかなあ……」

 どうしよう、とは口にするものの結局のところは今まで通り【話さない】ことしかできない。となれば戀路からの態度も現状から変わることはないだろう。もしかしたら悪化する可能性だってある。

 それでも。

「……お前が危ない目に遭うかもしれないなら、やっぱり話せないよ。戀路」

 陽が教えてしまったせいで戀路が船虫に襲われたとき、もしも彼の傍にいなかったら?

 良くて怪我、悪くて死んでしまうかもしれない。学校内で船虫に襲われた生徒は、不登校で、夜に怯え、暗闇に怯えているという。戀路には、そんな風になって欲しくない。

 それならやはり【話さない】ことで、少しでも彼を安全圏内にいれておくべきだ。


 ——変わらない関係はない、から……きっと、大丈夫、だよ。


 人気のない踊り場で、そっと自身の事を話してくれた蓉火の言葉を思い出す。

 初めて出会った時は喋るというより、頷いたり、首を振ったりして意思疎通を図っていた彼女だが、最近はよく話してくれるようになったと思う。そのうえ、戀路とのすれ違いに悩んでいるといつもいちごあめを分けてくれる。そういう優しい子なのだと、最近わかった。

 出会った頃は同じ九狗に所属している子、と思っていたが、今はもう友達だ。彼女との関係だってあっという間に変化している。

 変化したといえば、文化祭の準備や見回りでいつもはなかなか話さないムスビ先輩や蓉火の兄、雁芙三先輩と会話をして、彼らに対する印象も少し変わった。ムスビ先輩は思っていたよりお茶目な人かもしれないし、雁芙三先輩は拓篤先輩への態度で怖い人かと思っていたが蓉火の話と併せて、実際に会話すれば優しい人だと思った。


 ——重要なのは、どこに辿りつくかだ。


 流されるままに任せるのか、流れに逆らって自分の行きたい所へ泳いでいくのか。

 戀路との会話のあと、ムスビ先輩と屋上で話したことを思い出す。陽は、流されることよりも、自分で泳ぐ方を選ぶ。拓篤先輩のことを抱えてでも泳ぐし、なんなら戀路のことだって抱えて泳いでやると思った。

 流されることがきっと悪いわけではない筈だ。ただ、この状態で流されるまま任せているのはどうしたって気持ちが悪い。あの洗脳されるような香水を纏う女と行動を共にしている戀路の身に何かあるかもしれないなら、それを阻止だってしたい。

 いまはどうしてもすれ違っているとしても、今まで通り仲の良い幼馴染として接したいし、接して欲しい。それが戀路との最終着地点で、いまの陽が目指して泳いでいく場所だ。

「ッしゃ、やることは変わんねーな!」

 ひとまずは、数が増加しているという船虫をどうにかする必要がある。ちょっと調査しに行けば目新しい情報が毎回出てくるほどだ。新人の下っ端でも、むっつりスケベでちょっとばかし変な、でも面倒見のいい先輩と一緒ならなんとかなるだろう。多分。ムスビ先輩からはいいコンビだとも言われたし、よろしくとも言われたのだ。

 ピピピピピピ、と二度寝防止のために設定していたアラームが鳴る。

 すぐにスマートフォンを操作してアラームを止める。パンッと両頬を手のひらで勢いよく叩いた陽は、嫌な夢のせいでほんの少し重たい身体へ気合を入れ、膝を抱えていたベッドから起き上がった。

▽あとがきっていうか言い訳っていうか……


戀路くんに話しかけに行っても絶対にこじれると分かっていてやめられない(最初の優しい雰囲気から一変して冷たい声になるところがぐっとくるんですよね(性癖))し、陽も戀路くんと仲違いしたくないという気持ちがあるので毎度毎度「なに言ったら良いんだ……言えることが少ねぇ……!」って言いながら話しかけに行っています。


なにを聴いても現時点での陽→戀路のイメソンが『一途』になってしまう(BLじゃないと思っています。多分。いまのところは。ただし生産元(まにはち)はBLGLNL夢ぜんぶ行けるし書くので本当のところはわかんないです)ので、「悩みがあるなら相談してよ」「お前の力になりたいんだ」って〝仕方がないとはいえ、嘘をついているどの口が言うか〟みたいな態度を取るんですけど、まあ案の定というね……あのシーン。あの声音とあの表情でしわくちゃのピカチュウになりましたね。陽が。まにはちは踊ってます。最高!

でも蓉火ちゃんやムスビ先輩とお話をして「どんなことになっても最終的に戀路とは仲直りする!!!!! 絶対!!!!!」という気持ちになりました、というSSでした。


PL的にはぜ~~~~~~~ったいにあのヤバイ香水の女と戀路くんが一緒にいる以上、あとで大変なことになるだろうなって思ってるんですけど(楽しみ)、もしも世界(+九狗)と大切な幼馴染を選べみたいな話になったら「どっちも!!!!!!!!!!」って言うのが陽なので。そのでっかい身体で全部を抱きしめていけ!と思っています。


あとシンプルにユーガタさんを信じているのでね。これまで遊ばせて頂いたユーガタさん作のシナリオに「not for me」が無いのでね。安心安全の環境ゆえに全力で情緒ぐちゃぐちゃにしながら笑顔で楽しんでいきます!!!!!

このあとHO先輩の大変なことってどんなことが起こるんじゃろ……現状は七雛ちゃんとも色々あるけど、きっとムスビ先輩で何かありそうだし、いうて雁芙三先輩からもベクトルは向いているし……楽しみですね!!!!!!!!


余談ですが、なんとなーく呪術廻戦の虎杖くんとちょっと近い精神性をしている気がしています。でも渋谷事変あたりから追えてないからどうかな……。

ちなみに『一途』がイメソンなのはそこからの流れじゃなくて、先に『どろん』を聴いてから「king gnuつながりでピンとくる曲ってないか……?」という流れで聴いて、ふせに描いた通りあのフレーズがあんまりにもぴったりハマって決まりました。