【不眠怪異聞】二次創作SS03

(あったかもしれない)休息日の羅賀宇哉

※『不眠怪異聞』の後で『勿怪のサイワイ』のほんの少し間にあった(かもしれない)お休みの日の話

 おひいさんこと獅子原編集長の指示により、所属している帝都新聞社のオカルト雑誌『昏闇』に掲載するため、不眠市で噂になっている怪異を調査しに来た羅賀。

 事件調査のために向かった現場で出会った不眠署第七課の新人刑事である剣持と、坂神研究所に所属する超心理学者の探戸と共に噂の怪異が関わる事件を解明すべく街中を駆けまわり、なんの縁かばったばったと怪異を切り倒していた。

 ——というのはほんの少し前の話である。



「まッッッッッたく気が乗らん……どうしちまったんだ俺……」


 ここひと月ほどで使い慣れたベッドへ大の字に寝っ転がりそう呟いた羅賀は、ぼんやりと天井を見つめていた。投げ出された手の近くにはついさっきまで弄っていた携帯端末が放り捨てられており、画面は馴染みのキャバクラ店舗のホームページを開いたままになっている。


 差し込んでくる陽光を遮るように目を閉じて思い返すのは、不眠市に来る原因でもある獅子原によるいつもの無茶ぶりの〝メインライターがひとり行方をくらませたので、その代打として『昏闇』の記事を作れ〟という命を受けた時のことだ。仕事を終えた際の約束として休暇をくれる、という話に飛び上がった羅賀が口にしたのは「綺麗な姉ちゃんとたくさん遊べる!」だった。

 上司からの命に背くわけにもいかず、かつ目の前にぶら下げられた人参もとい二週間の休暇という〝ご褒美〟の為にも不眠市へとやって来て一ヶ月弱。羅賀は都市伝説を追ってあちこちの不可思議な事件へ首を突っ込み、たまに死にかけながらも仮拠点に戻っては都市伝説についての記事を書く日々を送った。


 逃げたライターのおかげでスケジュールはカツカツ、更に調査どころか都市伝説と対峙した挙句に戦わねばならなず、精神的にも肉体的にもちょっと――いや、かなり大変ではあったが、そこは長年の慣れのお陰かなんとかやり遂げることができた。

 後追いしてきた獅子原と共に迫る締め切りに間に合うよう記事を書き、互いの紙面構成を確認し合い、彼女からの赤字に対応した原稿はほぼ完成とみて良い。飛んだライターの穴埋めは別に珍しいことではないが、今回は怪異と戦うというとんでもない肉体労働が加わったせいで、流石の羅賀も疲労困憊だった。

 そんな彼をみかねてか、ほぼ連日かかりきりで仕上げた最終稿を完成させた途端に獅子原から「数日後には東京に帰る。お前は荷造りでもしてこい」という指示が下ったのだ。羅賀の荷物が大した量ではないことを彼女が知らぬ筈がないので、これは多分、休息日を設けてくれたと考えていい。まあ、呼び出されたら光の速さで駆けつけなくてはならないのだが、おそらくその可能性も低いのだろう。


 獅子原編集長は社内で噂される通り容赦ない無茶ぶりをしてくるし、確かに人使いも荒いが、けして不可能な無理難題を押し付けてくる訳ではない。彼女は言葉には出さずとも思いやりのある〝いい人〟だと羅賀は思っている。特に、不眠市の怪異問題を解決したあと迎えに来てくれたり、困ったときに電話でサポートをしてくれた彼女のことを思えば尚更だ。

 そんな彼女の気遣いに甘え、早々に荷造りを済ませてほぼ一日休みという〝長めの休憩時間〟を得た羅賀は、疲れた身体を癒すためにも、二週間の休暇をいかに楽しみつくすか計画を立てるべく携帯端末を手に取った――のだが、何故か全く集中できずにベッドへ寝転んでいた。というところで冒頭に戻る。


 どうしてか何を見ていても思考回路が切り替わってしまい、計画を立てるどころではなくなっていくのだ。

 キャバクラの情報を見ている最中に「そういやここの歓楽街近くの古本屋は資料になりそうな本が眠ってそうだったな」とか、表示された洋菓子の広告が目に入れば「駅前のところで買ったケーキ、今日のお礼じゃねェけどまた買ってこようかな」とか考えてしまう。

 確かに夜の蝶たちと飲み明かす時間を考えると羅賀の心はいつものように浮足立つのだが、それよりも獅子原と関連した考え事をしている時の方がなんだかそわそわと落ち着かない気分になるのだ。

 心の内側を柔らかい羽か何かでくすぐられているような、でもけして不快ではないような。なんとも言えない不思議な感覚だった。


「あー……、そういやそろそろ煙草のストックもないんじゃねぇか?」


 ぱちくりと目を開けた瞬間、そういえば、とまた思考回路が彼女に引っ張られていく。

 先日、気分転換がてらコンビニに買い物へ行った際、獅子原が好んで吸っているメビウスも一緒に買ってきたがヘビースモーカーな彼女のことだ、多分そろそろなくなる頃だろう。

 そこまで考えた羅賀は大の字で寝転んでいた体を軽々とベッドから起き上がらせると、財布と携帯端末、煙管と少量の刻み煙草という最低限の荷物をそれぞれ定位置のポケットにしまって自室のドアを開けた。


 部屋を出て静かな廊下を抜け、リビングスペースに足を踏み入れれば、いつもの定位置に座った獅子原が煙草の煙をくゆらせながらパソコンで作業をしていた。

 羅賀の位置からは彼女の後頭部に隠れて画面は見えないが、伸ばした締め切り関連でメールのやり取りなどをしているのかもしれない。或いは別の仕事か。おひいさん仕事が趣味だし。

 カチャカチャと獅子原の指先がリズミカルにキーボードを打つ音だけが静かな室内に響いている。羅賀はそんな彼女の作業の邪魔にならぬよう、ほんの少しトーンを下げた声で声をかけた。


「おひいさん、俺ちょっと出て来てもいい?」

「……ああ」


 随分と集中していたのであろう。数テンポおいてから獅子原からの返事が飛んでくる。就業時間内にフラフラすることを指摘されなかったということは、やはり羅賀の体調を気遣って休みを与えてくれたと思って間違いないのだろう。

 先の返答も振り返らずに投げられたが、ここ一ヶ月のやり取りを経て、今はあの短い言葉の裏に『気を付けて行ってこい』までが含まれているように思えるのだ。もしも彼女にそれを伝えた場合、その瞬間にもの凄い顔で見られるか、蹴りのひとつやふたつが飛んでくるかもしれないのでけして言うことはないが。

 だが『万が一電話がなかったら死んだと思ってくれ』なんて自分が軽口を叩けば『葬式くらいあげてやる』だの『線香は立ててやる』だのと、レパートリーに富んだ返事が返ってきたのは記憶に新しい。羅賀はそんな思い出にわずかに口元を緩ませると「んじゃ、いってきま~す」と少し間延びした返事のような、ただの独り言のような声掛けを残して不眠市の仮住まいを後にした。


    ▽


 仮拠点を出た羅賀の足は、歓楽街——の近くにある古本屋へ向かっていた。獅子原の煙草のストックを買うついでに、頭から離れないあれやそれやを解決してしまおう、という考えがあったからだ。少し散策して、煙草は帰る前に買えばいい。

 まだ日が高いからか歓楽街にいるのはパチンコ店の前で煙草を吸う人々やら、ゲームセンターに向かう若者やカップル、あとは飲食店で順番待ちをしている人々なんかが目に留まる。これが夜になればガラッと表情を変えて、酒と煙草を嗜む人間ばかりになるのだ。少し前の羅賀であればそこに楽しみを見出していたのだが、どうしてか今はそういう気分にもなれなかった。


 一服し終えた客が再びパチンコ店に戻ったのだろう、一瞬だけ大きなBGMが聞こえてきたのを合図に、古本屋の前で立ち止まって歓楽街を観察していた羅賀は視線を正面に戻し、本来の目的に意識を向けた。

 年月を感じさせる日焼けと雨風にさらされた赤茶色のレンガの壁に、同じく日に焼けて色落ちしている深緑のオーニングテント——所謂レトロ建築といわれるような外観の古本屋である。

 入口横のガラス前には木製の小ぶりな移動式本棚がふたつ、できるだけ日光に焼けないようオーニングテントの陰になる場所へ置かれていた。ひとつには文庫本が、その隣はハードカバーの単行本が綺麗に詰められている。金で箔押しされた背表紙の文字が木漏れ日をキラキラと反射していた。


「……ごめんくださーい」


 がらららら、と音を立てながら入口のガラス戸を横にスライドさせる。少々抑えめの声で挨拶をして入店を知らせるものの、店内はシンと静まり返っている。留守かとも思ったが、それでは店先に置かれた本棚たちやガラス戸が開いた説明がつかない。数秒黙っていれば、微かにバラエティー番組らしき司会者の声が聞こえてきた。


「あァ、そういう感じね。はいはい」


 数秒ほど苦笑いを浮かべた羅賀は困ったように首筋を軽く掻くが、まァいいか、と呟いて店内に足を踏み入れた。本当に必要だと思った本があればもっと大きな声で呼びかければいいだろう。


 気を取り直して店内をぐるりと見渡せば、ぎっちりと本の詰まった本棚が所狭しと並んでいた。店の入口と、主人のいる住居スペースへの入口があるレジカウンター以外の壁は本で埋め尽くされ、レジ前のスペースに設置された低めの本棚が通路をふたつに分けている。

 レジ横の少し奥まったエリアの本棚はハードカバーの本が綺麗に詰まっていて、みるからに重そうだ。その手前には文庫本のきっちり収まった本棚があり、その隣は、漫画本を読んだ人間がきっと適当に戻したんだろう、とわかる文庫本サイズの漫画本がいくつか紛れた文庫本の棚がある。

 入口に近い場所の棚には高さの違う漫画が少し雑に収納され、その横の本棚には横幅の違う絵本が綺麗に整理されて並んでいた。レジ前の小さな本棚はハードカバーの本と文庫本と漫画とさらに絵本がごちゃ混ぜになっていたので、おそらく棚に収納できずあぶれた本たちが一緒くたになって収納しているのだろう。

 そんな個性入り混じった本棚で作られた小さな迷路のような店内は、古い紙の少し湿った匂いが満ちていた。


 本の種類別にはなっているけれど、それ以外の分類がされていない本棚たちが立ち並ぶ店内は予想以上の冊数が保管されている。これはささっと見るには時間が足りそうもないな、と考えを巡らせる羅賀の脳裏にふと、いつかの朝の光景が浮かび上がってきた。


 ……あれは確か、寄稿しているライターの姉がいなくなった、とその弟が助力を願ってやってきた日の朝のことだ。獅子原が常に左目に装着している眼帯にうっすらと血が滲んでおり、かなり驚いたことを覚えている。慌てる羅賀に対して「いつものこと」だと言っていたから、もしかしたら定期的に痛むことがあるのかもしれない。

 そういえば、首なしライダーを探しに回向トンネルへ向かう日も「嫌な予感がする」と、忠告をしてきた獅子原は眼帯をさすっていた。

 獅子原が呪われる家系だという話は聞いていたが、実際にどんな呪いなのか、眼帯の下の左目はどうなっているのか、など踏み込んだ話をしたことはない。極めてプライベートなことに足を踏み入れるのはどうかと思ったし、彼女もそれを受け入れはしないだろう。

 あれ以降、眼帯に血が滲んでいた様子は見かけなかったが今は大丈夫なのだろうか。あまり気にしすぎるとあの鋭いひと睨みが飛んでくるかもしれないが、気になってしまうものは仕方がないだろう。皮膚の切り傷くらいならお大事にどうぞで済んでしまうが、たったふたつしかない目ともなると話は違ってくる。


「呪い、ねェ……」


 ずらりと並ぶ本棚を見上げる羅賀の口から小さな呟きがこぼれ落ちる。〝呪い〟というものが身近にない羅賀には、それよる痛みを想像できない。

 だからだろうか、どうも彼女の様子が心配になってしまうのは。

 そんなことを考えた瞬間、羅賀はどうしてこの古書店のことが頭から離れなかったのか理解出来て、思わず笑ってしまった。噛み殺した笑い声が僅かに響く。

 きっとこの膨大な書籍の中から呪いに関する本を探し出すのは骨が折れる作業だろう。獅子原の家系の呪いについての情報がほぼない状態で資料探しに取り掛かること自体、無謀と言ってもいい。資料を集めるためには、まずどんな情報が欲しいのかリストアップしてから行うのが定石だ。闇雲に探すことほど無駄なことはないだろう。

 だが幸いにも羅賀は膨大な資料から欲しいものを探す行為を苦だと思ったことがない。興味の沸くものはとことん追求して調べる質だから、こういったことは慣れっこだし、そういうところが記者に向いていたのだろう。

 さてやりますか、と気合を入れて腕まくりをした羅賀は、ひとまず文庫本の棚から適当な一冊を手に取った。



「――え~と、『簡単呪い100選』に『呪い辞典・初級編』、『誰でもできる! 呪いの解き方』……あ、違うこれは自己啓発本だわ」


 呪いという単語のみに惹かれて手に取ったその本を本棚に戻す。案の定というか、予想通りというか、気になったタイトルの本を取り出して目次と中身をパラパラと確認すること数冊、獅子原の呪いに関係ありそうな本は未だ見つかっていなかった。手に取って読んでみた本はどれも眉唾物をかき集めたものだったり、オカルトとは一切関係ない本だったりと成果は全くない。


 気分転換するためにも凝り固まった体を解すべく伸びをしようと、両手を組んで腕を上に伸ばし、天井に向けた手のひらで空気を押すように力を込めれば、背中と腰のあたりからパキポキと鳴る音が聞こえてきた。

 そういえば、いまはいったい何時だろうか。時計も置かれていない静かな店内だからどうも時間の感覚がない。なんとなく腹も空いたような気が、と考えたところでぐぅと羅賀の腹の虫が鳴いた。思わずきょろきょろと周りを見渡すが相変わらず彼以外の客はおらず、幸いなことに誰にも聞かれなかったようだ。ふ、と何とも言えない恥ずかしさを誤魔化すように軽く笑った羅賀が時計を見れば、短い針は数字の1を指している。

 原稿を書き上げ、荷造りを全て済ませてからは少しの間だらけていたので、家を出たのは昼前くらいだった。どうやら思ったよりも集中して本を見ていたらしい。昔から衰えずにいる集中力と、程よく静かな店内が良い具合に噛みあったようだ。


「思ったより経ってんな……おひいさんからの呼び出しは、ねェな」


 ぐうぐうと主張を強めてゆく腹の虫を抑えるように軽く腹部を撫でながら、携帯端末の画面を確認してそう呟いた羅賀は、資料探しをここで切り上げることに決めた。店内にそこそこの時間滞在しておいて何も買わずに帰るというのはばつが悪いが、なにぶんいまは仮宿暮らしゆえ、安易に荷物を増やすのも避けたい。

 残念ながら数日後には東京に帰るため、次の機会を設けるのもおそらく難しいだろう。


「……お邪魔しました~、っと」


 なんとなく感じている申し訳なさのせいか入店時よりも控えめな声量で退店の挨拶をした羅賀が外に出ると、キラキラと日の光を反射している箔押しの金文字たちが目に入った。ガラス戸を後ろ手に閉めながらタイトルを確認していくが、どうやら全て小説のようで、呪いに関するものではなさそうだ。

 獅子原の呪いに関してなにか役立てればという気持ちがあったのは確かだが、別に頼まれていたことではないし、羅賀が勝手に思いついてやったことだ。残念ながら成果は得られなかったが、古書店を調べる、という目的を少なからず達成できたおかげで頭の中にあったモヤモヤしたものは晴れている。


 さて、ここからは腹ごなしの時間だ。気持ちを切り替えた羅賀の目が、飲食店を探すべくきょろきょろと左右に振れる。

 幸いすぐに見つかりはしたが、繁華街のすぐ近くという立地のせいか今は営業時間外のバーやスナック、居酒屋の看板が多い。よく見るチェーン店のファストフード店も見つけられたが、昼過ぎということもあって若者が列を成していた。そこにわざわざ並んでまで食べたいかと言われれば、答えは否である。

 軽く腹をさすりながら「駅前でも行くかね」とひとりごちた羅賀は繁華街に背を向けて歩き出す。そういえば、差し入れに買おうと思っていたケーキも駅前で買ったものだったから丁度いいかもしれない。


「あー……ていうかおひいさん、ちゃんと昼飯食ったかな」


 一瞬そう考えて足を止めた羅賀だったが、すぐに余計なお世話だと思い直した。獅子原はそこまで子供ではないし、羅賀が世話を焼く必要があるほど自堕落な人間ではない。むしろ羅賀の方がちゃらんぽらんの自覚がある。

 仮に、もしも彼女が昼を忘れているのなら甘いものでエネルギー摂取してもらえばいい。砂糖を大量に投入したコーヒーを飲んでいるから過剰摂取かもしれないが、意外とパソコン作業というのは目や脳に疲れが溜まるものだ。一緒に食べようとかなんとか言えばおそらく断られることもないだろうし、それなら昼はさっぱりめに蕎麦かうどんくらいにしておこうかなあ、なんて考えながら羅賀は再び駅前に向かって歩き出した。


    ▽


 ショートケーキ、ミルクレープ、チーズケーキ、レアチーズケーキ、オペラ、ガトーショコラ、ムースケーキ、フルーツタルト、アップルパイ、シュークリーム、エクレア。あとプリン。多種多様な洋菓子が並べられたショーケースの中は、ケーキの上に飾られたツヤツヤのフルーツやチョコレートが照明の光を受けて輝いており、まるで宝石箱のようだ。

 昼餉を済ませた羅賀は予定通り以前訪れた洋菓子店にやって来ていた。たまたま自分以外の客がいないことを良いことにケーキと睨み合いながらどれにするか悩んでいると、そんな羅賀の様子を見かねた店員の柔らかな声が斜め前から降ってきた。


「お土産ですか?」

「ああ、そうなんです。前もふらっと寄ったんですけど、生憎そのとき何を買ったか覚えてなくて……」


 美味しかったのは覚えてるんですけどね、と視線を上げて店員に苦笑いを向ければ「ありがとうございます」という言葉と共に営業スマイルが返ってきた。にこりと笑った店員の手がショーケースの中のいくつかを示していく。


「チーズケーキは一番人気ですね。あとはやっぱり無難にショートケーキを買う方も多いです。お土産ならプリンもおススメですよ」

「じゃあその人気のチーズケーキと……うーん、ミルクレープにしよっかな。うん、そのふたつで」

「かしこまりました」


 羅賀の呟きにすぐさま反応してふたつのケーキを取り出した店員が、持ち帰り用の箱に詰めると中身を見せてくる。間違いないことを確認すると持ち歩きの時間を尋ねられたので、コンビニで煙草も買って帰ることを加味して少し長めに答えておいた。

 慣れた手つきで手早く袋詰めされたケーキ入りの箱を受け取りながら支払いを済ませる。ありがとうございました、という言葉に軽い会釈だけ返して洋菓子店を後にした羅賀は、店を出て少し歩いた先で立ち止まるとポケットから携帯端末を取り出した。


 道行く人々とぶつからないよう店舗の壁へもたれかかるようにして立ち、端末の電源ボタンを軽く押せば、暗い画面だった液晶に初期設定のまま変えていないロック画面が映る。画面に見えるのは大きめのフォントで構成されたデジタル時計のみで、獅子原からの呼び出しの連絡らしきものはなかった。

 時計の表示する時間は午後二時半、おやつの時間には少し早いが、まあ誤差範囲だろう。

 羅賀は指紋認証で画面のロックを解除すると流れるような手つきでメッセンジャーアプリを開き、そのまま獅子原へ『おひいさん、何か欲しいものない?』とメッセージを送ろうとして、ぴたりと動きを止めた。


「……いや、煙草買って帰ればいっか」


 おそらくいま送ったところで『必要ない』と連絡があるか、読まれずに返事が来ないかのどちらかだ。それにコーヒーのストックは東京に帰るまでは十分足りる量があるし、甘味は羅賀の手の中にある。足りないのは獅子原の煙草のストックくらいだ。

 打ちかけていた文字を削除すると、電源ボタンを押して携帯端末をスリープモードに切り替える。それをポケットに戻した羅賀は、道行く人をひょいひょいと避けるように歩き出してすっかり馴染みになったコンビニへと向かった。



 仮拠点からほど近いところにあるコンビニは、ある時は夜食を、ある時は煙草を、ある時は気分転換の散歩をしによく通っている所だった。聞き慣れた入店音をバックに羅賀がそのままレジへ向かうと、やる気のない「ッしゃせ~」という店員からの挨拶が飛んでくる。この挨拶にもだいぶ慣れたものだ。

 メビウスが配置された棚の番号はもうすっかり覚えているので、レジについて早々に口にする。


「それを二箱、あーいや……三箱で」

「……っす」


 ひょいひょいと重ねられた箱の上に、さらにもうひと箱が重ねられる。ぱかぱか吸う獅子原に差し入れるなら、多めに買っても構わないだろう。どうせ余っても東京に持って帰って吸えばいいし、煙草の箱程度の大きさなら大した荷物にもならないはずだ。


「はいどーもねェ。じゃ、支払いはこれで」

「あっした~」


 支払いに使った財布をポケットにしまった羅賀は、ケーキの箱が入った袋を持っていない左手で三箱の煙草をそのまま鷲掴む。目的地はすぐそこだ、わざわざ袋に入れてもらう程でもないだろう。へらりと笑った羅賀が、ありがとねェ、と言葉を残しながら煙草を握る手を緩く振れば、土産の煙草がかこかこと箱の中で静かに暴れる音がした。


「……、お?」


 コンビニから出たところでポケットに入れていた携帯端末が震える。センサーに感知されて悪戯に自動ドアが開かないよう、出入り口から少し避けたスペースに移動すると、羅賀はケーキの箱をできるだけ揺らさないよう袋を左手首にかけて端末を取り出した。


 指紋認証で手早くロックを解除した画面に映るのは、スリープ状態にするとき開いたままだったメッセンジャーアプリの画面だったがメッセージは一件も来ていない。端末を震わせたアプリケーションが何か確認すべく視線を画面上部に移動させるとス、テータスバーにはメールのアイコンが表示されていた。

 紛らわしいな、と軽い溜息を吐きつつも仕事のメールの可能性も否めないため、アイコンに振れてメールアプリを開く。だがどうやら中身はただの広告メールだったようで、羅賀はさっと上から下までメール本文を流し読みすると、そのままゴミ箱フォルダに移動させてしまった。

 メールアプリを終了させるついでに、バックグラウンド処理のまま放置していた他のアプリケーションも閉じてしまおうと、ひとつずつ動作を停止させていく。メールアプリを終了させ、メッセンジャーアプリを終了させ、バーコード決済のアプリケーションも終了させたところで、羅賀の動きが止まった。


 立ち上げたままだったウェブブラウザの画面には、相変わらず馴染みのキャバクラ店舗のホームページが表示されている。『NEWS!』と目立つ色合いで書かれた大文字の下には、数日後に店内イベントを行う記事が掲載されていた。その日は店に行けるか計算しようと羅賀の脳内でスケジュール確認が始まりかけたところで、す、と動いた指先がブラウザアプリを終了させていた。


「ん、んん~……」


 な~んか、気が乗らないんだよなァ。そう心の中で呟いた羅賀が携帯端末を握りながら唸っているうちに端末の画面は消灯し、スリープ状態へと切り替わる。真っ暗な画面には悩まし気に眉を寄せた彼の顏が映りこんでいた。

 数秒のあいだ自分の顏と見つめ合っていた羅賀だったが、胸に詰まった息を吐き出すかのように溜息をひとつこぼすと、携帯端末をポケットへとしまって帰路についた。


「……とりあえず、帰るか」


 ま、キャバの件はまた後で時間あるときにでも見ればいっか。なんて呟いた羅賀だったが、このあと獅子原とケーキを味わっている間にすっかりそのことは忘れてしまうのだった。

▽あとがき


『レイニー・デイとコーヒーシュガー』で「おひいさんのこと好きなんだわ俺!」って自覚するなら、この辺りはまだ恋愛感情を抱いている事にはまだ気づかず「なんだかつい編集長がらみのことを考えちゃうな~」って思うくらいなのかなって思って、書きかけで置いておいたものを加筆修正しまくりました。

メインライターひとり飛んでるからデスマ過ぎて休みなんて無いかなって思ったのですが、まあそれはそれとして書きたいシーンを書くために〝編集長による気遣いで生まれたお休み〟というものを錬成してねじ込みました。

個人の妄想と捏造によって存在する二次創作SSだから許されたいです!!!!!!!!!!!!!!

■時間軸メモ

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・不眠怪異聞

 ↓・休息日の羅賀(ここ!)

・勿怪のサイワイ

・レイニー・デイとコーヒーシュガー

 ↓・羅賀の過去の話

 ↓・デスマの羅賀

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こんな感じ?かもしれませんメモ


書いた順番が時系列の並びと真反対になるんですが、過去話もデスマも「おひいさんが好き!」って気づいてからなので最後になるしかなくて……。

過去の話で『よりにもよってなんでおひいさんなんだよ』と若干後悔してそうなセリフがありましたが、まあ夜のメンタルは脆いし柔らかい、というアレで次の日はケロッとしてるし、編集長を見たら「やっぱ好きだな~」って思ってると思います。