【不眠怪異聞】二次創作SS02

羅賀宇哉の過去の話¦お題『夜が暗い理由』

 ほんの少しばかり星が輝く空に向かって紫煙を吐き出せば、それは一瞬にして濃紺に溶けて消えていく。けして消えはしない街の明かりが灯るここでは、星の輝きはそう多くは見えない。

 今度の休暇にコテージでもあるキャンプ場なんかに行って天体観測でもしてみようか。まぁ、その時に気が向けばの話だが。


「……いやいや、なんで寂しく一人キャンプ行くんだよ」


 ふはっと煙混じりの笑いをひとつこぼして雁首にたまった灰を灰皿に落とすと、喫煙のために開けていた窓を閉めた。カラカラと耳に心地よいスライド音が途切れると、真っ暗な部屋の中は静寂に包まれる。

 窓から差し込む月明かりがうっすらと照らす部屋の中で、羅賀はベッドにもたれるようにして座り込んだ。ぼんやりと壁にかかった時計を見れば、短い針は数字の3を指していた。本来ならば疾うに寝ている時刻である。


「あー……眠れねぇ」


 机に煙管を置いて背後に倒れこむ。ぽすん、と丁度良く頭だけをふかふかの布団に埋めた彼は、唸るようにそんな言葉をこぼした。

 ——そう、眠れない。体に蓄積された疲労感はあるもののどうしても眠れない。別に珍しいことではない。こういうのはたまにあることだった。

 瞳を閉じれば柔らかな月の光も見えなくなり、完全な暗闇になる。シンとした部屋の中で聞こえてくるのは、己の呼吸音とゆっくりした鼓動と時計の微かな秒針の音。あと耳鳴り。


 大抵こんな夜は何故が昔のことを思い出してセンチメンタルになる。そういう時の夜が暗いと感じるのは、きっと過去のことを清算するための時間だからなんだろう。

 誰だって過去にひとつやふたつ、嫌な思い出というものを持っているものだから。当然、羅賀も例外ではなかった。



 ——代々続く剣術道場。こういう歴史ある家というのは、何故だが一般家庭の子供たちからすると少し憧れを抱く様だった。まぁ、どちらかと言えば、両親から受け継いだけして悪くはない顔に好印象を抱かれていただけかもしれないが。

 つらつらと長ったらしく前置きを話したが、要は羅賀宇哉はまぁそれなりにモテていたのだ。というか、羅賀の兄弟全員とも女生徒からラブレターやお茶のお誘いなんかをよくもらっていた。


 特に長男は文武両道がそのまま人になったかのようで、勉強は勿論のこと、剣術の才能も秀でいていたからファンクラブみたいなものが存在していた。

 次男は少し勉強は苦手だったが運動神経は抜群だったから、体育祭やらクラス対抗のスポーツ大会なんかでは黄色い悲鳴がそこかしこから湧いていた。

 三男の宇哉だって勉強はそれなりにできたし、運動だって剣術だって普通の子よりはずっと得意だった。だから恋人になった人は何人かいたし、ラブレターだって貰ったことはあった。とはいえ、勉強も恋愛事も長男と次男には決して届かない程度ではあったけれど。


 別に自分が兄二人と比べて劣っていることに関して宇哉は何とも思っていなかった。だってそういうものだったから。幼い頃からずっと、あぁ兄たちとは出来が違うんだ、とそう納得していたから。だから別に気にも留めていなかったのだ。


 ——あんな目に合うまでは。



 真っ青な空と白く美しい入道雲が立ち昇る昼休み。学年が一つ上の先輩である彼女にとっての高校最後の夏休みが近づいているから、といつも通り屋上で昼食を取りながらどう過ごそうかと話し始めた時だった。


「それって、どういう……」


 さっきまで煩いくらいに聞こえていた蝉の声がぴたりと止まる。まるで羅賀と彼女の二人だけになったような感覚に陥った。ほんの少し視線を下に逸らせば、おにぎりを包んでいた銀紙が太陽光を反射してチカチカと目つぶしまで仕掛けてきた。

 『どういうことですか?』と反射的に聞き返したがどこか冷静な自分もいて『あぁ、またか』という感覚があった。また。そう、〝また〟だ。結局、最後はこうなる。

 羅賀の問いかけに眉を寄せて申し訳なさそうな表情を浮かべた先輩は、口元を手で隠して先ほどと同じことを口にした。


「……えっと、だからね。宇哉くんとの関係を終わりにしたいの。私、お兄さんの事……」


 ——と、ここで彼女の目尻からほろりと涙が落ちる。これ以上は申し訳なくて言えない、などとでも言うかのように彼女はわっと顔を覆ってしまった。


「……先輩、」


 顔を覆って縮こまる彼女の姿が見ていられなくて、羅賀はそっとその肩に手を置いた。乾いた喉から出た声は掠れていて、続きの言葉が言えずにごくりと唾を飲み込む。


「……いいんです、先輩。もういいんです——」


 ——これ以上、泣く真似なんてしなくて。


 彼女が口元を手で隠すのは嘘を吐くときの癖だった。つまり兄に惚れてしまったという言葉は嘘なのだろう。多分、最初から兄に近づこうと思って自分と付き合うことにしたのだ。……あとで鞍替えするために。少し考えてみれば簡単なことだった。


 優秀な兄が二人いる三男坊という立場だからか、兄たちに近づきたい女生徒からアプローチをもらうのは何度かあった。呼び出されてみれば兄への恋心をしたためた手紙を渡して欲しいだの、バレンタインデーでは兄たち宛てのチョコも一緒に渡されるなんて事も経験済みだった。

 付き合った彼女たちが最終的に兄たちに惹かれてしまい、別れることだってあった。だが、流石に〝鞍替え目的で恋人という関係になる〟という手段まで使ってきたのは彼女が初めてだった。


(またか、とは思ったけどそれ以上にキツイもん引いたなぁ……)


 激しく鳴く蝉の声をBGMにぼんやりと空を見ながら、ひっく、ひっく、と泣き出す真似さえ始めた先輩の肩を何度かぽんぽんと優しく叩いて慰めている〝フリ〟をする。高く伸び続ける入道雲を見つめていると羅賀の心は急激に冷めていった。代わりに、じわり、と小さな悪意が首をもたげる。

 彼女の肩に置いていた手を離し、静かに自分の周りを片付け始める。ギラギラと太陽光を反射する銀紙を握りつぶし、飲みかけのお茶を飲み干し、それら全てのゴミを昼食を入れていた巾着にぶち込んでから、ようやく羅賀は口を開いた。


「……先輩、最後に一つだけ言ってもいいですか」


 いつもよりほんの少し低くなった声は、何処か唸り声に似ていた。恨みを込めた己の声色に、思わず羅賀の口角が上がる。

 羅賀の言葉に伏せていた顔を上げた彼女の頬は涙に濡れていたが、こちらを見るその瞳の奥には、羅賀が別れを了承したことへの喜びの色が見て取れた。

 ……惜しいな、そこさえ隠せる演技力があれば彼女の美貌ならば女優になれそうなのに。なんて突拍子もない考えが一瞬だけ浮かんで消える。


「残念な話なんですけど……長男には許嫁がいますし、次男にはいま絶賛ラブラブの恋人がいます。だから——」


 ——だから先輩が今からちょっかい出したって、二人とも靡きやしませんよ。


 流石にそこまでの言葉は喉から出てこず唾と共に呑み込んだが、え、という彼女の呆けた声音から、言葉は違えどその意味は伝わったであろうことはわかった。クス、と思わず笑みがこぼれる。


「……今まで、ありがとうございました。どうか素敵な人を見つけてください」


 そう言い残して、立ち上がった羅賀はすたすたといつもより大股に歩き出す。「嘘。うそ……だって、そんな話一度もッ」と何かを喚いている彼女を背にして屋上の扉までやってくると、最後に一度だけ振り返って羅賀は満面の笑みを彼女に向けていた。


「——それじゃあ先輩、お元気で。楽しい夏休みを過ごしてくださいね」


 そうして今度こそ背後の彼女を無視した羅賀は屋上の扉を開けて、それで——。



 ——そのあとは、覚えていない。

 でもその時に小説やらドラマやら映画で描かれている〝美しい恋〟なんてものはただの幻想で、自分には優秀な兄が二人いるだけで恋愛は最悪なものにしかならないことを学んだことだけはよく覚えている。

 また、彼女のお陰で『恋愛なんて碌なことにならない』ということを学んで以来、真面目な高校生活を送ったような気がする。多分。それ以来〝彼女〟と呼ぶ存在はいなかったから。

 たまに来る告白を断ると『身体だけの関係でも構わない』なんてことを言い出す子もいたが、それが余計に不快でどんどん恋愛というものが嫌いになった。


 道場は優秀な兄が二人いれば十分だと思ったから、大学は実家から遠いところを選んで家を出た。剣術が嫌いになったわけではなかったから道場には通ったが、その傍らで大学の友人たちに連れられるまま遊んでいた。……まぁ、所謂ヤリサーへの入部は丁寧にお断りさせてもらったが。

 なんて流されるまま遊んだ結果が、酒と煙草と女が好きな羅賀宇哉という今の己である。恋愛なんてこれっぽっちも興味がない遊び人——。

 ……のはずだった。


「あーあ、人の気持ちってやつはホント理解できねぇ……なんで、なんでよりによっておひいさんなんだよ」


 かつて彼女に向けたような唸り声ではなく、情けない声が羅賀の口からこぼれ出て行く。ぱちりと目を開けて上体を起こし、時計に再び目をやると、煙管で一服してから10分ほどが経っていた。未だに月の光は優しく部屋に降り注いでいる。

 はぁ、と大きな溜息をこぼした羅賀は、よっこらせと呟きながら固まった体を完全に起こし、机の上に放置していた煙管に手を伸ばした。そのまま手馴れた様子でさっさと手入れを終わらせる。灰まみれだった雁首も綺麗になったところで再び机に煙管を置くと、また溜息を一つ。


「あーあ、溜息の吐きすぎで俺、不幸になっちゃいそ~」


 なんて言葉をいつもの冗談めいた口調で呟いて、羅賀はそのままベッドに潜り込む。どうか、せめていい夢くらい見せてくれよ、なんて月にでも願いながら瞼を閉じたところで羅賀の意識は途切れた。


 ——よく覚えていないけれど、多分、その日の夢は誰かとケーキを食べている良い夢だったような気がした。