このページでは、まごころサービスの実施を通して遭遇したこと・感じたことを皆様にご報告してまいります。(不定期掲載)
一般社団法人セーフティネット 代表 清水さえ子
※まごころサービスとは・・・?地域の「困った!」と「任せて!」をつなげる助け合いのしくみです。
詳細はこちらを参照ください。
2020年8月30日 「チーズはどこへ消えた?」
今年に入り「コロナ感染症」は全世界の人々の生活様式を変え、また、今もより良い新常識とは何かを問い続けさせている様に思われます。短期的に1世代として僅か100年余りしか生存しない私達は、これまでと異なる事態に戸惑い、元通りに世の中が動くことを期待しがちですが、地球の歴史からすると幾度となく大きな変化を繰り返し、そのうねりの中で人々はそれぞれの変化に併せて知恵を絞り賢く生きて来たのでしょう。
かつて、教育界からビジネスの世界に飛び込み、「粗利」という言葉さえ知らなかった私に呆れてか、気の毒に思ってか、取引先であったスエーデン企業の人事部長が「チーズはどこへ消えた?」という本を下さいました。アメリカの心理学者が書いた本でしたが、私たちが人生で変化に如何に対応するか?ということを解いたビジネス書でもありました。相反するタイプの2匹のネズミと2人の人間が、求めるものに対しどの様な動きをするかを対比したもので、自分はどちらのタイプか?どうするべきか?と思いながら読み、覚悟を決めたことを思い出します。
今、誰もが社会全体の常識の変化に遭遇しています。何事もなかった様に変化を受け入れられる事、これまでのルールにこだわっている事など様々ですが、その時どきの小さな変化や大きな変化、また、その現実をどう受け入れ如何に対応するかが、その人その人の生き方を左右する様に思います。とは言え、「まごころサービス」の活動をどの様に変化させ、現状に素早く適応させて、その変化した活動を如何に楽しめる様にするか、解が見つからず未だに彷徨っています。
ここらで、対応策として5月に始めたテレワークの実証実験を振り返りつつ、色々なことに耳を傾け、よく考えて、できるだけ早く「チーズを見つけたい」=「まごころサービスはこうしよう!」と決めたいと思います。
2020年7月30日 建築基準法
道路に面した我が家の北側の空き地に家が建設されることになり、土地測量の方からザクロの枝を切る様連絡がありました。ザクロは夏には程よい日陰をつくり秋にはルビーの実をつけていた木・・・残念ですが今後のことを考え、セーフティネットのメンバーにお手伝い頂き2メートルの高さで切断しました。切り株の直径は20センチ×2、1月の寒い日のことでお手伝い頂いた方には苦労をかけしました。
2月初頭、大きな音がするので顔を出して見ると、家の境界線の壁を壊しておられるところでした。なぜ?と思っていると、ヘルメット姿の建築会社の方と思しき人が「後で作り直しますから」と・・・。状況が把握できないでいる内に、ブロック1列×6段だった壁の穴は大きく広がり、その内見る影もなく我家の奥半分の壁が崩れ落ち無残な姿になりました。
ザクロの切り落としをして下さった方や近所の方からは、「このままにしていては駄目ですよ」とアドバイスを頂きましたが、既に破壊されてしまったもの・・・少し悩みましたが、取り敢えず市の建築安全課に問合せをしてみました。「建築基準法が変わり、今は昔の様なコンクリートの高い壁は認められません」との説明でした。とは言え、古い境界線を壊して新築の家を建てよ、ということにはなっていないと思い、今後の予定などを聞いて頂く様お願いしました。しかしそれも叶わず、それなりの壁を作り直して頂けることを期待するのみとなりました。
4月に土地整備、5月に建築が始まり、その内家が完成し、7月には所謂境界線としてとても背の低いシンプルなフェンスが設置されました!何とも言葉がありませんが、今更建築会社の人に不満を言いたくはなく、ましてや、越して来られる方は何もご存じない事、今あるフェンスの如く、境界をなくして適度なお付き合いができればと願っているところです。
2020年5月7日 テレワーク!
またしてもコロナに関する話題です。3月に早い終息を願うレポートを書きましたが、残念ながらこの事態は一時的なことではなく、これまでの生活を変え、常識を変え、社会を変え、時代を変える事態となりつつあります。
私達はメンバー間の情報共有のため、毎月1回顔を合わせてチーム会議を行っていましたが、ここのところ2か月以上3密を避けるために休止しています。その代わりとして、MLや個別ツールを用いて最低限の連絡を取り合って来ました。支え合い活動にコミュニケーションと情報は大変重要で、メンバー間もさることながら、支援を休止している利用者さんや、自粛して家に一人とどまっておられるであろう地域の人たちが気になり始めました。
支援休止期間中の人へはおせっかいと思いながら、電話で様子をお伺いする方法をとっていますが、「お顔を見てお話ができたら、お互いに安心感が得られるのでは・・・?」と感じることが多くなりました。そこで、高齢者のお宅には固定電話とテレビは大体あるので、顔の見える電話か、話のできるテレビを開発できないか、以前共同研究でお世話になった方に相談してみました。すると答えは、「スマフォが最も手っ取り早いですよ」でした!!!
90歳以上の高齢者にスマフォ!できない話ではないでしょう。しかし、ハードルはかなり高いな~と思いつつ、これまでの常識が変わりつつある現況下、まず、自分たちが実験台にと考え、あれこれテストをしてみました。そして、チーム会議をオンラインで行ってみようと四苦八苦しながら、何とかLINEミーティングとZoomミーティングのテストができるところまでこぎ着けました。
世の中はテレワークの時代、支援活動もこれからテレワーク導入が上手くいくかどうか実証実験を開始します。
2020年3月 マスク
先月来よりコロナウイルスが猛威を奮っています。その危険度や症状、対処法など明確にならないまま、姿の見えないウイルスという敵に脅威を感じています。巷ではマスクや消毒薬、ティッシュペイパーなどが消え、学校は休校となり、様々な行事や活動が自粛され、人々は家で縮こまりつつあります。
マスク嫌いの私も今回ばかりは仕方なく、外出の際は着用する様にしました。そうして発見したことがあります。感染源となることを多少防げることや花粉症の症状を和らげること以外に、顔を隠せること、つまり、スッピンを隠せるらしいのです。
私のお化粧の目的は仮面を被ること、つまり、薄い鎧を身に着けることに重きがあります。素の自分から、いわゆる、その時のそれぞれの立場の人間になるためにかけ替える仮面なのです。泣かない様にしよう、動揺を見せない様にしよう、怒りを抑えよう、穏やかに接する様にしよう、笑顔を絶やさない様にしよう・・・と。しかし、マスクを常用する様になって、それが私の仮面の代わりをしてくれるらしいことに気づきました。そうして最近は随分素で生活する様になってしまいました。
いつも自分らしからぬ仮面を被って生きているのは、やや疲れるものではありますが、とは言え、常に素で生活するのも色々な意味で問題かと思います。早くコロナ旋風が吹き去り、程よい仮面で爽やかに行動したいものです。
2020年1月 セーフティネット構築に向けて
セーフティネットを発足し、今年は9年目になります。当初の予定で、7年~10年目に安心安全のネットワーク構築を形にする、というのが目標でした。
1年目に「キズナプロジェクト」を、2年目に「繋がるサロン」を加え、それらのネットワークに支えられて3年目に「まごころサービス」をスタートし、今日まで歩んで参りました。「まごころサービス」の日々の活動は、会員の皆様がしっかり進めて下さるお陰で、8年目であった昨年は、最終段階に向けた研修や学びの時間を多くとらせて頂きました。
オランダのZinzia Oranje Nassau’s Oordでの実践研修や、大阪のさわやか福祉財団主催「いきがい・助け合いサミットin 大阪」参加、さらに、大阪での「地域医療いきいき情報交換懇談会」出席や、上尾にてオランダからYoko Huijs 氏を迎えて「地域で安心して暮らすためのより良い地域連携について」と題する情報交換会の開催、大宮での看護協会主催、ビュートゾルフ柏より講師吉江氏を招いて「“生きる”を共に支える地域連携」の研修会に参加したりしました。
これらの学びの場を通して多くの知見を得たことは言うまでもありません。さて、今年はこのインプットされた学びや情報をどの様に処理し、セーフティネットの中で何を取り上げどの様に生かしていくかを問われる年となります。力まず、しかし、怠らず、身の丈にあった程よいアウトプットで安心安全のネットワーク構築に向けて、「想いを形に」の最終段階に歩を進めて行きたいと思います。
2019年12月 南アフリカで考えたこと
これまでお世話になった人に謝意を述べる旅の最後に、南アフリカを訪れました。
南アフリカと言えば、ラグビーワールドカップ、ネルソンマンデラのアパルトヘイト撤廃運動、犯罪率の高い国・・・という様なことを思い浮かべられるでしょうか?首都は、プレトリア、ケープタウン、ブルームフォンティンの3都市で、11の公用語と9つの州からなるアフリカ最南端の多様な国です。今回は、標高1,700メートルの高地に広がった金鉱都市、南アフリカ第一の人口を有する経済都市、ヨハネスブルグに滞在しました。
ジンバブエのビクトリアフォールズも、モザンビークの国境近くにあって、イスラエルと同じ広さを持つクルーガーナショナルパークも素晴らしい所でしたが、忘れられないのは、SOWETO地区を訪れた経験でした。ここはアパルトヘイト政策によって移住させられたアフリカ系住民の広大な居住区です。1994年のアパルトヘイト政策の撤廃により、普通の家も少なからずあり、電車も走り、ワールドカップのサッカー場も建設された地区ながら、未だに窓のない家、無料拝借の電気配線、マザータウン或いはシャックスと称される昔ながらの小さな暗い小屋の立ち並ぶ居住区が、今もそのまま存在しています。
そこに立ちつくした時、世界の開発目標とされているSDGsの取り組みを思い出しました。この様な居住区は、ここSOWETO地区だけではなくあちらこちらに存在します。南アフリカ全土で今必要なのは、根気強く時間をかけて行われるべき民族間格差をなくす教育なのではなかろうか・・・?人々は明るく活気的で可能性に満ち溢れています。国土の広大さ、豊富な資源、多様な文化、十分なマンパワー等々、私が若かったら自分にできる範囲のことをするのだが・・・と、一瞬思わなくはありませんでした。(いえいえ、呟きはやめにして)今にきっと南アフリカは、この活気みなぎる多様な人々のみなぎるパワーによって、大きな発展を遂げるはず!と思いました
現在世界の人口は77億人、その中で人と人が出会うことは奇跡に近い事、四半世紀以上にわたりものの考え方に少なからぬ影響を受けた不思議な南アフリカの遺伝学博士に感謝し、「終活の旅」の海外編を終えました。
2019年11月 チェンマイ大学よりアッピ―元気体操見学
6月に訪問したタイのチェンマイ大学より、上尾アッピ―元気体操の視察見学依頼を受け、多くの方々の協力により、11月18日にそれが実現しました。
この健康体操の生みの親とも言える杉山氏に、大石体育館と井戸木記念館の様子をご案内頂きました。パブリックヘルスがご専門の先生には、1年1回の体力測定と、音楽に合わせ椅子に座ってゆっくり行われる体操、また、セラバン体操とレクダンスが大変印象的だった様です。
上尾市高齢介護課担当の方の好意により、市役所を訪問してご挨拶と面談、その後時間をとって多くの質問に応えて頂きました。上尾でアッピ―元気体操を始めた経緯、ボランティアの人々の働き、その健康維持効果、市の組織体制から介護保険の仕組みまで、QAは広範に及びました。先生は、将来に向けて共に考えコラボしていきたいと、明るい顔で共同研究中の神戸へ帰って行かれました。
2019年10月 新しい仲間を得て
2019年10月10日~11日と2日に渡り、社会福祉法人上尾市社会福祉協議会による「生活支援サービス担い手養成講座」が設けられました。
前日は「助け合いの地域づくりに向けて」と題し、公益財団法人さわやか福祉財団の岡野貴代氏による講演があり、2日目前半は、公益社団法人上尾市シルバー人材センターにより「生活支援サービスの実際」について説明が行われました。後半に、生活支援サービス団体を紹介する時間が設けられており、セーフティネットも要請を受けましたので、以下の様に、活動内容について簡単にお話ししました。
1.私たちは、「まごころサービス」という地域活動を「有償のボランティア」で行っていること
2.年齢や国籍に拘わらず「困った」と「任せて」を繋ぐ「支え合い活動」であること
3.支援は「できる時に」「できる人が」「できることを」行うのをモットーとしていること
4.ルールとして、「個人情報の扱いに注意」することと「まごころで対応」すること
5.「ありがとう」と感謝されることや、「やりがい」を感じることが多い活動であることなど
その後、質問にお応えし会は閉会となりましたが、私たちの活動に関心を持ち趣旨に賛同して下さった方々が入会を希望され、新しく仲間に加わって下さいました。これは、誠に喜ばしいことです!自ら、地域の為にできることがあればしようと「担い手養成講座」を受けられ、やる気もスキルも存分にお持ちの皆様です。これから、私たち仲間と共に楽しく活動できたら幸いに思います。
11月24日には大阪で、オランダからビュートゾルフ看護師のYoko Huijs 氏が来日され研究会があります。関東圏で会合が持てる様であれば、改めてご案内致します。
2019年9月 小さな庭/家 de カフェ
9月28日(土)曇り空ながら、研修時の着想である「小さな庭deカフェ」を開きました。久しぶりにバザーの時使用したパラソルやテーブルを引っ張り出し、縁側を移動して屋外カフェをしつらえました。丁度庭に白い彼岸花が咲いており小さな花を添えてくれました。 <小さな庭deカフェの写真撮り忘れ・・・>
半年ぶりに交わす笑顔と賑やかな会話が小さな庭中にはじけました。こちらではこうだった・・・、あちらではこうだった・・・とお菓子やお茶を口にしつつ時間を忘れて思い思い情報交換をしました。その内、ポツリポツリと雨が・・・!ひどくならない内にとパラソルをたたみ、テーブルの上の物を家の中へ移動して、その後「小さな家deカフェ」を続けました。
こちらでは、家の片付けを始める人が増加傾向にあること、お弁当の試食会の経験が相談を受けた時に役立つことなど、半年間の斬新な取り組みの成果が目に見える形で表れていました。1人1人が対応を迫られた時迷わず対処可であることを聞いていて、とても心強く皆の活動を誇りに思いました。肝心なあちらでの私は、勉強しただけでなく目に見える成果を出すべく、これから奮起しなければなりません!
2019年8月 リトアニアからの便り:杉原千畝の足蹠を訪ねて
オランダでの研修後のまとめや今後の計画を、涼しい所で落ち着いて考えたく、バルト海の国に移動しました。エストニアにてある程度の課題をこなすことができましたので、ラトビア~リトアニアも訪ねてみることにし、久しぶりに若者に混じってバス移動でカウナスまでやって来ました。
カウナスには、1940年、命のビザを発行し6,000人以上もの命を救ったとされる当時の外交官杉原千畝氏の記念館があります。その空間に立つと、自分自身も当時の状況の真只中にある様に感じられその空気に包まれました。平時ではない時に、言葉では言い尽くせない葛藤と戦いながら命以上に大切なものはないとの判断と行動、そしてその後、市井の市民として静かに生活されたこと等々は尊敬以外のなにものでもありません。
オランダで、インドネシアやオランダと日本などとの“Reconciliation”の集会に参加し、過去を正しく知ることの必要性を再認識したばかりであったこともあり、記念館を辞した後、近くの公園のベンチに座って時間を忘れて考え込みました。
私達の歴史は、愛とエゴの繰り返しではないかと、、、。
これから「まごころサービス」はどうあるべきか?やはり小さな小さな愛ながら「まごころ」を貫くしかないでしょう。ね?
2019年7月 オランダからの便り:研修を終えて
様々な人を介して、オランダのBuurtzorg 看護師であるYoko Huijs氏に辿り着き、Yoko氏のアレンジで Zinzia Oranje Nassau’s Oordにてボランティアをしつつ地域ケアや、Buurtzorg システム、コワーキングやボランティアの現状などについて多くのことを学びました。(詳細は後日報告会にて)
Zinzia Oranje Nassau’s Oord
この間、上尾での活動は益々活発化の様相を呈し、新しい提案や試みが実行に移され、地域内での存在感を増していると報告を受け大変嬉しく思っているところです。その理由は、地理的には遠いこの2地点での事柄ながら、最も関心の高かったBuurtzorg システムの特徴である、「各チームの最低限のルールによる自主運営」という点に関して、規模こそ違えど基本的な姿勢は同じではないか!と気づかされたことです。つまり、私たちの支え合い活動の考え方は間違っていなかったのだと思えたことがまず第一の収穫でした。
具体的に現地で展開中の、主にソフィアまごころ相談室に於いての「まごころサービス」が必要に応じて広がりを見せ、さらに各地域に支え合いの意識と活動の輪が広がれば、それこそ、まごころ相談室の相澤氏が何年も前から描いておられる「ギャラキシー構想」となり、つまりこれが現在のオランダのBuurtzorgだと言えるのではないか?と思えるのです。国の成り立ちや文化・社会、人々の自立に対する考えやボランティアに対する認識が異なるものはありますが、人々が地域で支え合って安心して暮らしていきたいという気持ちに違いはないはずです。
という訳で、私たちの活動の方向性に間違いはなかったことに自信を持ち、これまで通り活動を持続すること、追加すること、変化させることなどを帰国後提案させて頂きながら、また皆様と一緒に考えていきたいと思います。
Yoko氏が11月に来日の予定と伺っています。過密スケジュールながら是非どこかで接点をもちたいと願っているところです。皆様もどうぞお楽しみに!
2019年6月 ラオスからの便り:世界遺産の街ルアンパバーン
どこか日本の昔を思わせる様な、それでいて、平穏で整った街という表現があたっているでしょうか、ここラオス北部の街、ルアンパバーンで日本の忙しさを忘れそうです。
ラオスは、北は中国やミャンマー、東はベトナム、南はカンボジアと接し、タイとはメコン川を境とする国、そして、ここルアンパバーンは、タイの北部に位置する古都で、文化遺産として街全体が世界遺産に登録されている美しいまちです。日中の気温は37~38度まで上がるのですが、今の季節である雨期には一雨降れば涼しくなり、また、夕方には不思議に気温が下がって、殆どクーラーの必要性感じられません。その理由は何なのか自分なりに考えてみますと、それは、森の木々のなせる技なのではないか・・・と。ここに、コンクリートジャングルの日本との大きな差がある様に思います。
11:30~13:30の間は学校も官庁も昼休み時間となり、学校の近くの子供たちは自宅へ昼食を摂りに帰るのだそうです。徒歩で帰る者、自転車で帰る者、或いは、親のどちらかがお迎えに来て一緒に帰る者などあり、実際12時前に、後ろに学生を載せ走っているバイクを何台も見ました。両親共々昼食を摂り、また、それぞれ学校や職場に向かうとのこと、そこには温かい家族の時間があるのだろうな~と思いました。
フランスの植民地であった時代もあり、現在は民主化されたものの1党独裁の続く後発国と言われている国、しかし、恵まれた国とはどういう国のことを言うのだろうか?私たちが忘れかけている何かを奥深くに保つ国、今の良き在りようを保って欲しいと願わずにはおれません。
2019年5月 タイからの便り:「チェンマイ在住者」の生活
チェンマイ在住日本人会の例会がありましたので、参加させて頂きました。
タイ政府の統計に依ると、現在チェンマイの日本人の長期在住者は約2,000人、昨日の会の参加者は約50人という状況でした。領事館からの情報としてビザ申請の変更点や生活する上での注意点、日本人が企画するお祭りについてなど、様々なことが伝えられました。続いて、アンケート調査の後、健康とQOLの関連について、チェンマイ大学の先生の講演がありました。
この日目にしたことで、チェンマイ在住者とタイの領事館やチェンマイ大学、チェンマイのコミュニティーとの色々な連携は大変印象的でした。チェンマイに在住する日本の人々は、自律した生活を楽しみながら各機関や地域とうまく連携し、一つのコミュニティーを形成しつつ、周囲と上手く協力しながら生活しておられる様に見えました。
振り返って、我がまちの状況と比べ2点考えさせられることがありました。1つ目は、タイ政府やチェンマイ県と在住を希望する日本人双方に何らかの利点があるにせよ、チェンマイの人たちが海外からの在住者を受け入れているというこの事実。2つ目に、そこに住む日本人がこれまでの人生経験や現状は様々であるにも拘わらず、自律しつつも適度に協力しながら生活をしている、という事実です。この2点を私たちに置き換えてみて、日本も海外の人を受け入れようしている今、状況は違えど果たして私たちが海外の人を受け入れて「共に暮らす」ということができるだろうか?また、国内でなぜ私たちは「協力して生きる」ということにあまり積極的でないのだろうか?と自分に問うた、という次第です。皆様はどうお思いでしょうか?
2019年4月 計画実行
21日で○1歳を迎えました。実年齢はご想像にお任せすることにし、自分が誰であるか、どこに居るか、物事を計画しそれに沿って行動できるか、また、その行動に責任がもてるか、などを考えた時、海外単独行動は最後のチャンスと考え計画を実行に移しました。
まず、1993年にケンブリッジでお世話になった恩人が療養中のため、これまでの感謝を伝えると共に見舞うつもりでアデレードを訪れました。体調はすこぶる良いとのことで、見舞うはずが逆に歓待を受け、申し訳なさと同時に安堵と感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。
国内に居ては見えないもの、できないことなど、世界へ目を開かせる機会を与えられた重要な人物の1人、家族の為にも本人の為にも前向きに療養し寛解を迎えて欲しいと強く願っています。
長居は無用、私自身の願いや最低限の目的は果たしたので、次の目的地へ移動します。
続く。
2019年3月 自然の恵み
庭先に無農薬で実ったという新鮮な夏ミカンを沢山頂きました。そのままも良し、サラダにも良し・・・それでもまだ沢山ある豊かな自然の恵みを、丸ごとジャムにすることにしました。
へたの部分を切り落としたのみで丸ごと利用、とろみをつけるために種も使い、3日がかりでお鍋いっぱいのマーマレードを作りました。「美味しくな~れ!」とひたすら煮詰めることは日中の業務のストレス発散にも、4月以降の予定について色々想いを巡らすことにもなり、また、只々「頭の中を空っぽ」にするにも良い時間でした。
はたと、「本当に空っぽになっては困るな」と気づいた頃、ジャムは美味しそうな艶を放ち甘酸っぱい良い香りを漂わせてきました。そして、できあがったマーマレードジャムを瓶に詰めて気づきました。あっ、私はオランダに!
そうだ、この自然の恵みを下さった方は勿論、まごころチームのメンバーに味わって頂きましょう。
2019年1月 猪突猛進
明けましておめでとうございます。穏やかな天候の元、猪年の幕開けです。
今年は「今しかない」と考え、オランダのビュートゾルフについて学びに出かけようと思います。ケアのあり方や組織のあり方、地域社会システムなどより深く知りたいと思っています。代表が居なくても成り立つ組織こそ本物だ!と勝手に思い込み、深く広く考え、地域システム構築のヒントをおみやげに持ち帰りたいと考えています。美しき誤解だと言われようとも・・・・。
万人が一つずつ年を重ねる訳ですが、今年はそれに反比例して如突猛進です。
2018年12月 チーム会議+サロン会
いつもは第3週目に行っているチーム会議を、今月は特別に1週目の12月9日に行いました。年初から準備し始め、齊藤と清水の共著で仕上げた論文「社会的課題解決のためのセクター間協働の発展プロセスー高齢者向け生活支援活動「まごころサービス」を事例とした実証研究」が印刷物となったのを記念して、関係各位に感謝を込めて配布しました。
私たちと目的を一つにして、活動や支援を共にして下さったチームの皆様とお茶や食事を共にしながら、久々によく食べよく笑いよく語りゆったりとした時間を過ごしました。普段は一人一人が自立して活動しているため、小さな迷いや受けた感謝の言葉などを共有する機会が少ないのですが、「そう言えば、こういうこともああいうことも・・・」と相互に語り聞けたことは、この様に和やかな機会をもてた結果だと感じました。
この2つの事柄は、2012年にセーフティネットを立ち上げてから、「キズナプロジェクト」に「繋がるサロン」を加え、そして、状況把握をした後3年目に「まごころサービス」を開始して7年目である今、大変良い機会となりました。当初の計画:7年~10年に「セーフティネット構築」をと考えていましたので、残すところ後3年となり正念場に差し掛かっています。今まさに小さな活動の芽から地域のシステムにするにはどうすれば良いかを問われています。
2018年11月 華麗なる光
夕方帰宅した直後、左斜め方向に小さな黒い点が見えました。気のせいだったのかそれは時々消えたりまた現れたりしましたが、あまり気にもせず用事を続けました。ところが、暗くなって雨戸を閉めようとした時、今度は遠くから懐中電灯を照らされている様な小さな光が見えました。明るい時の黒い点?暗い時の小さな光?もしやと思い医学書を見ると、やはり網膜剥離の可能性が・・・。
次ぐ日一日様子をみても状態が変わらないので、病院嫌いの私も仕方なく眼科へ向かいました。検査をした結果予想通り網膜剥離裂孔とのことで即レーザー手術を施されました。明るい内は瞳孔が開いていることから問題解決かと思われましたが、夕方にはまた明るい光が見え始めました。次ぐ日先生がおっしゃるに、「加齢による現象なので、その光はその内消えるかもしれないし消えないかもしれません。」私は「えっ?」と思いましたが、「”華麗”なる光が見えている・・・ということか?」と思い直しました。
年齢を重ねるということは万人に共通のこと、加齢による様々な変化を当たり前のことと受け留め、残された機能を大切にしつつ前向きに明るく自分と向き合いたいと思ったできごとでした。
2018年10月 振り返り
あの日からまる6年が経過し、仏事としては7回忌を催すという時期となりました。短い様な長い様な、長かった様な昨日のことの様な、人の記憶と感情というものは誠に複雑であり曖昧でもあります。
身近な他者と共に生き時を共有できること、いつもその状態にある時はそのことの素晴らしさや有難さを見過ごしがちですが、ある日突然その時間が止まった時、人は何気ない日々の平穏な生活の有難さに気づかされます。人は人の為に努力をした時、人の役に立ったと感じた時、無意識的に充実感を覚え心が満たされると言われています。その喜びは何にも増して大きい様で科学的にも証明されている様です。
セーフティネットも同様に7年目、まごころサービスも5年目の後半となりました。これからは、益々その日その日を、また、その時その時を大切にし、広い視野をもって周囲の人達のために役割を担いながら常に前向きに動くこと、と改めてこの節目に誓った次第です。
2018年9月 ロスアンゼルス
今回は親しい友人と一緒に、前の職場の友人に会う為ロスアンゼルスへ飛びました。退職後3~5年以内には訪問すると約束していましたが、8年ぶりの訪問となりました。
ハリウッド界隈をドライブし、彼の母校である、元アメリカ大統領オバマ氏が学んだ大学や、現在彼が仕事をしている南カリフォルニア大学(USC:University of South California)を訪問したり、素敵なワイフと共に散策したり食事をしたりしながら、過去、泣き・笑い・怒り・喜びに満ち仕事をした頃のことや、お互いのその後の人生について語り合いました。
いつも1人旅している2人が今回は一緒でしたので、観光としてグランドキャニオンを訪れました。東京―広島間程の距離を移動中、晴、雨、雹、雪を経験し、何万年もの地球の営みの前に自然の偉大さに圧倒され、自我を非常に小さなものに感じました。その他、市中での移動はウーバーを利用、カフェやレストランの注文も支払いも殆どIT化されているのに驚きつつも、将来人手不足が考えられる日本こそこの導入が急がれる・・・と感じた旅でした。
2018年8月 〇〇の手習い
子どもが小さい頃、お稽古?していたピアノの処分を考え長年が過ぎました。ある日友人にそれをぼやいたところ、「あなたが弾けばいいんじゃない?」と一言! そういう発想を一度もしたことがなかった私は「あっ、そうか」と目から鱗! 自分がボケ防止のため楽しんで稽古を始めることにしました。丁度〇〇の誕生日前のこと、○○の手習いを開始したことになります。
運よく、以前英語のクラスで関わりがあり、細く長くお付き合いが続いているピアノの先生が居られたのでお願いし、イロハのイから指導して頂きました。右手と左手、夫々5本の指に同時に違った動きをさせて美しく奏でる・・・というところにまで行くには、ボケ防止のレベルを遥かに超える道程が想定されますが、ボロンボロン?とマイペースでこれまたセーフティネットの活動同様、できる時にできる様にと4月から5か月間続けてきました。
暗譜の過程を振り返ってみると、目で見た楽譜を頭で理解し指を動かして鍵盤を叩き、譜面通り音を奏でて曲にするまで、理解と技術を重ねつつ本当に少しずつ進歩を重ねて1曲が完成されるのだと感じます。ボケ防止と繋げて自分分析をしている間は「音楽」という境地には至れないと思いますが、身の廻りにあるものを処分することばかり考えず、その古き命を活かしつつ、自分は古きに至る道程を少し遠ざける工夫ができるのであれば、それは幸せなことではないかと思います。
そして今、何気ない言葉を投げかける友人と、素晴らしいピアノの先生とのご縁に心より感謝しています。
2018年7月 夏祭りと支え合い活動
今年は特別の猛暑、その様な中、地域活動の一環として地域の夏祭りのお手伝いをしました。
企画運営の中心は自治会役員の方々ですが、老若男女問わず地域の人々がそれぞれの持ち場でいきいきと準備をしています。盆踊りの周辺整備をはじめ出店の準備、受付接待、熱中症予防のための飲み物用意、アトラクション対応等々、それぞれの役割を果たす人々の額に「協力して作る地域づくりの汗」が美しく光っていました。
セーフティネットは、7年前に改めて地域のネットワークを構築することを謳って活動を開始しましたが、今目の光景を見ているとまさに地域が一つになっている様に見え、「はて?私たちは何を行って来たのか、既存の繋がりをどうして支え合い活動に活かせないのだろうか・・・」と盆踊りの音楽と太鼓の音を聞きつつ考え込みました。
そう言えば、4月から弁財地区でセーフティネットと連携で「支え合い活動」がスタートしました。ということは、既存の顔繋ぎがあるからと言って「支え合い」が黙っていてもできるということではないのでしょう。これは、顔の分かる関係があり、さらに、何らかの仕組みづくりをしないと地域住民間の支え合いはできないということなのでしょう。
では、この様に一歩進んでいるこの地:相当程度顔繋ぎができている地域にて「支え合い活動」をより上手く進めていくにはどうすれば良いのか・・・?プライバシーを大切にしつつ、地域で程よく関わり合い支え合うには、やはり今展開している様な緩やかな支え合い活動を地道に続けていくしかないか?・・・と、堂々巡りの思案をしていると、祭りは終わりに近づいていました。
2018年6月 ナヴォイ劇場
少しの暇を見つけて、ウズベキスタンを訪れました。一般的には、日本人にあまり馴染みのない国に感じられる方が多いと思いますが、ウズベキスタンとは歴史的な繋がりもあり親日派が多いのです。今回は、その一つとして「ナヴォイ 劇場」についてご紹介します。
1945年の終戦の年から、極東より連行された永田大尉以下数百人の日本人が、当時ソ連の革命30周年を記念して計画が進められていたタシュケントのオペラハウスの建設に、約2年間従事しました。その役務は大変厳しいものであったと想像されますが、現地の人にも尊敬される働きぶりであったと記録に残されています。
1966年に、タシュケントは直下型の大地震に見舞われ、多くの住宅や公共物が倒壊しました。
しかし、このナヴォイ劇場は無傷で市民の避難の場所となりました。
写真は正面の噴水を入れて撮ったものですが、劇場裏手の記念プレートには「極東から連行された数百名の日本国民が建設に参加し、完成に貢献した」と、日本語で刻まれていました。
この様に淡々と書けば数行のこと、しかし、このオペラハウスにどれだけの人々の歴史が刻まれて今に至っているかと思う時、平和であることの大切さを強調せざるを得ません。
帰りの便で一緒になったウズベキスタンの学生が、「これから3週間の交換プログラムで日本に行くところ。日本は素晴らしい国です。」と言っていたのが印象的でした。
2018年5月自転車
通勤していた頃から今日まで、考えてみれば随分長い間愛用した自転車が音楽を奏でる様になりました!新車購入か、はたまた修理か?と思案しつつ、まごころサービスの一環で廃車処理時にお世話になったお店へ向かいました。開口一番「12年もよく乗りましたね」とのこと!即新しい自転車を買うことにしました。
調整や手続き、試運転を済ませた後、そのまま自宅まで音楽なしで戻って来て、あれ?忘れ物に気づきました。それは、古い自転車にこれまでのお礼を言わなかったこと!「長い間ありがとう。本当にお疲れ様」と・・・。
一般的に自転車や車など物に心はないはず、この心情は普通ではなくむしろ変な捉え方でしょう。しかし、個人的に古くなった物をぽいと捨てるのではなく、せめて「ありがとう」と感謝して廃棄処分にしたいと思うのです。
あの日、振り向きもせず帰って来てしまったことを、今も反省しています。
2018年4月 桶川講演
“1月は行き、2月は逃げ、3月は去る“という諺通り、気づけば4月も終わろうとしており、まさしく“光陰矢の如し”です。4月と言えば多くの事が始まる時、また、新たな気持ちでまごころレポートを認めることに致します。
桶川市社会福祉協議会のボランティア連絡会から依頼を受け、4月16日にセーフティネットの活動について1時間ばかり講演を致しました。我々は、「まごころサービス」と称して、「困った」と「任せて」を繋ぐ地域の支え合い活動を、できる時にできる人ができることを有償で行う、という体制で行っています、とお話ししました。
ご参加の方々はボランティア団体と伺っていましたがNPO団体の方々もおられ、有償ボランティアという概念が少しずつ定着しているのではないかと感じました。また、子供や高齢者施設とのつながりについて、スタッフの人数、活動の範囲、会費や事案に対する謝礼について等々、多くの質問が出ました。既に1つの活動をしつつ、その活動のネットワークを生かして、更に新しい活動を始めようとしておられる方もあり、場所や内容は違っても地域のために活動しようとしておられる姿は眩しく見えました。
ご参加の方々から今後に向けたパワーを頂いた講演となりました。
2018年1月 "ワン"ダフルな年に
新しい年を迎え、気が付けば既に3週間が過ぎました。年齢を重ねる度に時の経過を実際以上に早く感じるのは何故でしょうか。
当初セーフティネットは、7年から10年の間に安心安全のネットワーク構築をほぼ完成する、という長期計画を立てて出発しました。1年目にキズナプロジェクトをスタートし、2年目につながるサロンを加え、3年目にまごころサービスの実証実験を開始しました。4年目からはまごころサービスに比重を移し、5年目~6年目と実験を続けてまいりました。その中で、志ある市民や各種団体、行政や企業、大学などと様々な連携をし、支援や協力を頂く中でその有難さに感激したり、様々な課題に苦悶したりしながら今日に至りました。
さて、7年目にさしかかった今、セーフティネット構築をどの様に進めるか、正念場にさしかかっています。まごころサービスを継続しつつ、さらに、一人ひとりの意識を変え、もっと社会全体の仕組みを考え直す方向へ少なからず舵を切っていく必要があるのではないか・・・などと考えつつあります。
犬年にちなんで“ワン”ダフルな年になります様、焦らず地道に前へ進んでいきたいと思います。今年もどうぞよろしくお願い致します。
2017年11月 Think back
父と母の合同法要のため故郷へ足を運びました。甥や姪たちの成長ぶりを目の当たりにし、兄弟たちがそれ相応に時を重ねてきたことを実感しました。同時に、この貴重な会を準備した兄夫婦の優しさと懐の深さ、そして、この機会の中心である父と母の偉大さと愛情深さを痛感し、改めて感謝の念で胸がいっぱいになりました。
法要の後、竹馬の友の案内で萩~長門を旅しました。故郷を後にして30数年、記憶の中の淋しい山陰のまちは、美しい自然を残しつつ文化的なあたたかいまちへと変貌していました。香月秦男美術館と金子みすゞ記念館が、2日間の旅のハイライトでした。以下に、金子みすゞ詩集の1編をご紹介します。
『私と小鳥と鈴と』
私が両手を広げても、お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、地面を速くは走れない。
私が体をゆすっても、きれいな音は出ないけれど、
あの鳴る鈴は私のように、たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
2017年10月 アクシデント
自転車で転倒し怪我をしてしまいました。骨太で、元来丈夫を自負していた割には骨折+靭帯断裂等々と思いがけない事態に・・・。しかし、アクシデントではありながら、悪い事ばかりではありません。以下にそのメリットを記します。
その①
大げさなギブスをして支援するには支障のある件に関しては、メンバーの人々が快く代役を買って出て下さり、周囲の人々やセーフティネットメンバーの「まごころ」に心から感謝です。また、タクシー+エレベーターから室内での支援を続ける中、ご利用者さんから労わられたり励まされたり、まさに、「まごころサービス」の理念である「支え合い」というその実体験に感動しています。
その②
災害の多い昨今、いつ何時予期せぬ災害に遭遇するか誰にも予測のつかない状況ですが、今の外出困難状況をある瞬間家に閉じ込められ物流が止まった災害時と想定して、何日間現在家にある食糧で食べ続けられるか実験をしてみました。結果として、ある程度カロリーを充足する食事をして約10日間持ち堪えることができた結果から、今後のローリングストックや常災兼備に対する意識が高まりました。
その③
歩行困難やあらゆる理由で買い物難民になった際の対策の一つとして、ネットスーパーを活用してみました。自分が作った買い物リスト通りの品物が全て揃った訳ではありませんが、逆に、「これはどうですか?」と画面上で勧められ、より良い物や代用品、或いは、想定しなかった品物に巡り合うといった面白さも加わりました。一長一短はあるものの大変助かるシステム!今後必要とあらば、高齢者とPCとネットスーパーを繋げる役割を果たす準備ができた様に思いました。
不自由さの中で人は何とか工夫をするもの、それが知恵というものかと思います。転んでもタダでは起きないこと!アクシデントも見方を変えて色々試し、日常では見えない色々な事、物、人の心理などを見るのも意外に面白いものです。
2017年6月 断捨離
一念発起、1年かけて身辺整理をすることにしました。現在の家に越した時から一度もタッチしなかった義父母の宝物から、子供が残して巣立った品々、夫の物や私の物等々、きちんと整理しシンプルな生活をしたいと思います。
父の貴重な遺品、母の膨大な書道用品、子供の成長記録、夫の専門書に私の雑多な品!よくもこれだけの物に埋もれて生活していたものだと半ば呆れかえりつつ、娘の素晴らしい通知表や、息子の「大きくなったら結婚しようね」の絵日記に思わずにんまりしたり、なかなか捗りません。
「発つ鳥後を残さず」と言います。1年半後の世界放浪の旅立ちと永遠の旅立ちに向けて、なるべく期限切れにならない様に、ゆっくり慌てながら進めていきたいと思います。
2017年5月 三方良しのはずが・・・
某マンションにて、主に高齢者のために水の宅配を行いました。
近隣の大型店に協力の折衝、居住者への広報、申し込みとりまとめ、6本入×255ケース納品、まごころチームによる宅配という過程を経て3日間のプロジェクトを終了しました。
お店にとっては薄利であるがビジネスとなり、重量のある買い物に支障のある人には喜ばれ、チームメンバーも感謝され、三方良しの企画であったと「思いました」。
ところが、本格的な夏に向かって第二段をと計画したものの、その願いは叶いませんでした。その理由を確認したく、店長宛てにお便りを送るも回答なしという結果に・・・。「地域と共に」あるお店とは?! 謎に包まれたまま本企画は棚上げとなり、心にひっかかったままになっています。
2017年4月 施設見学①
不思議なご縁で繋がった方が運営されている、古民家風のデイサービス施設を訪問しました。緑の多い環境の中、どこか懐かしい雰囲気のほっこり温かい施設でした。
そこでは、栄養士さんと共に昼食の準備中の方や、皆にお話をしておられる方、絵を描いている方、その方を手伝う方、お茶を入れている方など、利用者さんにとってできることはしてもらうこと、また、それぞれ役割をもってもらうことなどが普通に行われている様に思われました。室内の木のしつらえと相まって、この光景は自然でありながら、なぜかとても温かく眩しい!
点と点を結んだ訪問から、実は地元でも不思議なご縁があったことなども分かり、今後の連携を約束して見学を終えました。
2017年4月 施設見学②
団体でサービス付き高齢者住宅の見学をしました。10人を超える申し込みで驚かれたことと思いますが、快く受け入れて頂きました。
広く明るいロビー、窓一面に緑の庭を眺めつつ食事のできるダイニング、壁にはセンスの良い絵がかけられ、ゆったりとくつろげるラウンジ、1人用や2人用の広々とした個室などを案内され、介護サービスや付帯するデイサービス施設について説明を受けました。
10人分の賑やかな多くの質問に丁寧に応えて頂き感謝です。今回は今後を考えるきっかけとして良い学びの日となりました。
2017年2月 海外支援
まごころサービス海外バージョンとして、ミラノとワルシャワへ飛びました。
世界のファッションの発信地、ハイブランドの並ぶ通りでミッション開始。上尾ブランドで闊歩!と言いたいところですが、どのショップに入っても頭のてっぺんから足の先まで走る視線の洗礼を受けます。そんなことにはめげないという幸せな性格から、今度は図々しくこちらが物色させて頂くのです。これを繰り返すこと3日、最後にガレリア近くのレストランで食したパスタは美味しかったな!
ワルシャワは雪混じりの雨、性格は気象に影響されると聞くがなるほど、人々の表情はいささか冷たいと感じました。ここでは日数が少ない割りにミッションが多いので、急ピッチで行動開始。しかし、あまり英語が通じない上、通りの表記もポーランド語、ミッション達成に苦労しました。最後に、運搬用の段ボールを探して市中を歩き回り…これはさすがに奇異な光景だからか、狂人扱いを受けました!
苦労して集めた物をパッキングし帰国の途へ。ややハードなまごころサービスだったかな?
ミラノ
ワルシャワ
2017年2月15日 学生の現場体験
システム実験の一環として学生さんと一緒に支援を行ないました。
最初は共に緊張気味であった両者も、徐々に打ち解け自然な空気感の中、様々な会話が飛び交いました。高齢者について理解を深めライフデザインを研究したい将来有望な学生達と、いつものスタイルのまま接しておられた利用者さんと志縁者さんの姿は感動的でした。
3度の体験プラス振り返りや意見交換等を通して、横の仲間同士の繋がりや様々な意味深い連携が生まれ、絆が深まり、そして、新たな発展への道が開かれた様に思います。
セーフティネットの理念とするところの、年齢を超え立場を超えて交わることの意義を改めて感じた今回の体験でした。
2017年1月② 入れ歯発見!
「入れ歯がなくなって困っているんだよ・・・」と聞き、可能性のありそうな所を一緒にくまなく探しました。台所やベッド廻り、そして、家の中のゴミ袋もひとつひとつ取り出し点検するがなく、遂にその日は諦めました。
翌日、閃きが!「もしや外のゴミ箱に?」
用事を済ませて再訪し、大きな新聞紙を広げてチェックしてみると「あった!」…やはり直感が当たりました。ティッシュの合間から入歯が顔を出したのです。二人で「良かった、良かった!」と笑いごとではないのですが大笑い!
明日は環境センターの方がこのごみの回収に来られる日、タッチの差で本人の元へ戻ったのでした。
2017年1月① 眼鏡屋さん
「新聞の字が見え辛いので眼鏡を新調したい」との訴えを耳にし、ある眼鏡屋さんへ。検査をして下さった眼鏡屋さんから「眼鏡だけの問題ではなさそうなので眼科へ・・・」と親切なアドバイスを頂きました。
眼科診断の結果、「白内障あり、さらに、緑内障の疑いありで要経過観察」とのこと。暖かくなって再診することとなりました。
この良心的な眼鏡屋さんは、上尾駅西口のある眼鏡店さんです。一般的には、「眼鏡を!」と来店した人には「かしこまりました!」と眼鏡を作り、そしてその代金を徴収するのでしょう。しかしこの「マツエ眼鏡店」さんはそうしませんでした。
特に高齢者の方の眼鏡や補聴器に関しては、この様なお店の方に相談したいと思った今回のできごとでした。
2016年12月 支援卒業
8月~9月には月・水・金曜日、10月には月・水曜日、11月には水曜日、と支援を行って来たある方が、12月末で、何とか自立を達成され支援を終了されました。これは本当に喜ばしいケースであり、この方の心の持ち様に敬意を払いたいと思います。助けが必要な時には支援を受け、その間もなるべく自分を甘やかさず、自立の姿を常に頭に描いて生活し、あらゆる努力の末その日を迎えられました。
高齢者で介護保険を利用し支援を受けておられる方の中に、支援を受けることを当たり前と勘違いしている方の多いことを残念に思うことがある中、本件は特筆したいケースです。
支援を受ける側も支援をする側も安易に物事を考えれば、さっさと事を済ませてしまった方が手間暇かからずその場は終わり、手っ取り早いかもしれません。しかし、私たちは常に「何が本来の支援であるか」深く考えたいのです。セーフティネットの理念や価値観を押し付けることなく共有でき、相手の方との一定の共通認識保持と信頼関係の上においてのみ成立することなのですが・・・。
2016年11月 倒れる。。。
鉄人28号?と思っていたが、ある日ぼろぼろとなり、老人68号であったことに気付きました!(笑)
しかし、このことをきっかけに、周囲の方たちが自発的にお互いに声掛けし、1利用者さんに対して3人体制をつくりあげて下さいました。我がセーフティネットの「志縁者」の皆様に心から感謝です。
支援を受けているのは、まさに自分ではないか!
2016年9月 立派な高齢者
セーフティネットと同様な生活支援グループ“ふくふく”さんの要請で支援をすることとなり、ある方のお宅に伺うことになりました。
その方と向き合ってお話しする前に、『何と綺麗に片付いたお家なんだろう!』と感じました。様々な体調の変化で、多少の支援を必要とする可能性のあることを察知してのこの住まい方なのだろうか・・・?何とも立派な生き方です。以前禅僧が、「畳1枚、風呂敷ひと包みの生活」で人は十分生きられると書いていたのを思い出しました。
夫の他界から5年、未だにその時のままの生活。さあ、この方を見習って明日から片付けを開始しよう。
2016年8月 スマホデビュー!
不思議なご縁から、富士通研究所&千葉商科大学と「まごころサービス」の実証実験を行うことになりました。そのためにスマホデビューし、基本データを入力していざ実験開始・・・。
スマホにも、また、システムの扱いにも不慣れなことから、何度も遠くから指導に来て頂いたので、頭の体操よろしく目を白黒させながらデータ取り~分析を行うことに。「まごころ」をデータ化することの難しさを感じながらも、実際の支援活動をデータとして貯めてみると、不思議とその活動を客観的に見ることができます。総合事業に併せてカテゴライズされた項目選びができたり、請求や支払いまでシステム上に載り、日々の事務処理が簡略化できればさらに有難いと感じました。
「地域活動のシステム化」というこの新しい経験は、意味あるスマホデビューとなり、人を繋ぎ、さらに「まごころサービス」を見つめる良い機会となりました。
2016年7月25日
チェロコンサートの1週間前に、そのチラシとチケットの束を郵送しました。配達を待っていた方から「予定を過ぎても届かないのですが・・・」と連絡が入りました。あれこれ調べている内に「雨で濡れた郵便物を乾かして届けたため1日遅れました。申訳ありません。」との付箋紙がついた郵便物が届いたとのこと!
郵便物初出の局の方~本局の方~集配の方々の手を経て届いたものと思われますが、この対応に心より感謝し、この場を借りてお礼を述べたいと思います。皆様ありがとうございました。
2016年6月30日
日常的なことを懸命にやり続けていると、時々日本を離れたくなります。今回はマカオ~カンボジアへふらりと出かけました。
マカオ大学からバスで市中に帰ろうとした時、小銭が全くないことに気づき、学内事務オフィスを探すが広大な敷地で見つからず、仕方なく近くの学生に両替を頼んだところ、その学生も両替できるほどの小銭を持ち合わせていませんでした。ところが、必要最低限のマカオパタカを恵んでくれました!
カンボジアで、アンコールワットやアンコールトム巡りのための、つつましく正直で控えめ、且つ人並み外れて親切なツクツクのドライバーに、チップの他にマカオの感謝分を加えてお礼としたのでした。
見知らぬ土地での一人歩きは危険なことがない訳ではありませんが、人種も言葉も違う様々な人との出会いに感動することの方が何倍も多いものです。
2016年5月27日
今年度も上尾市の包括ケア事業に申請することとし、計画作成事業に取り組んでいます。同時に今年は法人設立5年目に当たることから、チェロコンサートの企画を同時に進めています。
「まごころサービス」の視点からはかけ離れた事柄や作業に思えて、実は底辺では深くつながっているのです。その大きなポイントは地域への支え合いの認知であり、緩やかな意識改革であるということです。
この様に、勝手に「美しき誤解」をしつつ、今年も「まごころサービス」の実証実験に取り組んでいくつもりです。
2015年12月5日
【オカリナ演奏が届けたもの】
12月5日には、「つながるサロン」の月間行事として防犯落語会を致しました。この報告や写真はこちらをご覧頂きたいと思いますが、そこに書き記さなかったことについて、ここで述べたいと思います。
それは、ボランティアで快くご協力下さったオカリーナ大石の皆様のオカリナ演奏についてです。オカリナの音色は最も「人の声」に近いというのを聞いたことがありますが、当日、メンバーの方々のハートを写した音色が、会場全体をゆったりと温かな空気に包みました。代表者貞永様のトークにもメンバーの皆様の演奏にも「ハートから自然に湧き出る声」が反映されたたものと思われます。人の心を打つものはこの様に心の底を写すもの、会場からアンコールと共に質問が相次ぎました。
残念ながら時間の関係で延長演奏はままなりませんでしたが、この素晴らしいグループの演奏をオカリーナ大石の方にお願いされれば、きっと快くお受け下さるものと思います。心より感謝を込めてここにレポート致します。
2015年11月21日
【支え・支えられること】
上尾市消費生活展に便乗して、1日バザーをしました。これまで「キズナ・プロジェクト」のクッキングにほぼ継続的に参加してくださった小学生とそのママ達3組、計9人がボランティアとしてお手伝い下さいました。まだ幼児だった女児は幼稚園生に、低学年だった男児はしっかりしたお兄ちゃんに、お姉ちゃんたちは其々6年生になっていて、ママのサポートで物品の陳列~販売~接客~売上換算まで、生き生きと楽しそうにやり切ってくれました。その成長ぶりに目を細めると共に、「キズナ・プロジェクト」の絆に感動しました。
また、「まごころサービス」で私共が支援をした方が、今回は、快く車を出し運搬業務で私共を支援して下さいました。
常日頃から、SNの「まごころサービス」は「支え・支えられること」と言っていることから、今日そのことを体験することができた!と、SNを立ち上げた頃からの様々なできごとを思い出しつつ・・・皆に感謝した日となりました。
2015年10月7日
10月初旬のある夕方、上尾郵便局帰りに転倒し怪我をされた方がありました。傍に居あわせた方達が直ちに救護措置をして救急車を呼ぶなど、適切且つ迅速な対応をしてくださいました。
当方は、後日「まごころサービス」として、怪我をされた方の通院のサポートをさせていただきました。抜糸を終えて落ち着かれた頃、「怪我をした日、このハンカチで流れる血を拭いてくださった方があります。その方にお礼を言ってお返ししたいのですが、どなたか分かりません。何か方法がありますか?」と聞かれました。
9月27日夕方、上尾谷津地区内で上記対応をしてくださったご親切な方、この度は誠にありがとうございました。ご本人に代わり御礼申しあげます。お預かりしているハンカチをお返ししたいと存じますので、本レポートをご覧になりましたらご連絡ください。どうぞよろしくお願いいたします。
safetynet4all@gmail.com
一般社団法人セーフティネット 代表 清水さえ子
2015年9月16日
先月8月1日に、上尾駅前マンション“ソフィア”に「まごころ相談室」が開設されました。
この相談室はマンションを管理される東京互光(株)さんがマンションにお住まいの、特に高齢者の相談に対応されようと立ち上げられたものです。
私共セーフティネットの「まごころサービス」は、今後益々「まごころ相談室」と連携を強めて参ります。「困った」と「任せて」をつなぐ支え合いのサービスを、協力しながら広げていきたいと思っています。「できる時に」「できることを」する、お互い様の活動を当り前に、しかし、まごころをもって行っていく所存です。
2015年8月20日
8月は、靖国神社向かいの英語スタジオ “Ani’s Place” でのスタッフ支援についてレポートします。
英語教育に関して様々な考えや指導法がある中、経営者であるAnitaは、英語で考え英語で話す場所としてこのスタジオを開設しました。
ここに集う人の国籍も、用意されたプログラムもイベントも様々!先日、写真の様なカンボジア在住英国人講師と、日本在住マリ人の民族楽器奏者のコラボによるミュージックライブを済ませました。来る8月29日には、英語教師のための“CLIL” についてワークショップが開催される予定です。英語を学ぶよりも英語で学ぶことに重点を置いた実践的な教育方法で、今回は世界史と国際情勢が中心です。
この様に、「まごころサービス」の範囲は、健康・福祉・教育の分野まで多岐に渡りますが、何事も「まごころ」をもって行うことを基本に続けていきたいと思っています。
2015年7月12日
去る7月2日、西日暮里にて、マンション管理会社主催の研修会が行われました。「高齢者が安心して暮らしていけるマンションであるために」がテーマで、「地域社会のネットワークの視点から」と題して、30分間のプレゼンの機会を頂きました。
無縁社会とか孤立死などと言った報道がなされる様になってから、どれだけの時が流れ、どの様な対策が講じられて来たでしょうか・・・。今こそ「できる時に」「できること」をし、「地域の支え合いの仕組み」をつくる時です。私共は昨年、「困った」と「任せて」をつなぐ「まごころサービス」をスタートさせました。この良き機会に、マンション経営や管理の方々に「高齢者の課題ボールの共有」と地域連携を伝えました。
まだまだ小さな活動ながら、100人を優に超す関係者の方々が熱心に耳を傾けて下さったことに心から感謝申し上げたいと思います。
2015年6月7日
家族にも周囲にも迷惑をかけず、何とか自分で老後を生き抜こうと暮らしておられた方も、その頑張りに疲れた時、声をあげず1人自宅に引きこもりがちになられるケースが増えています。
「雑炊が食べたい」という一言から始まった「まごころサービス」の支援、少しずつの会話から買い物支援や生活支援を通して、介護認定が降りた後、ケアプランに添って色々なケアとサポートがスタートしました。
デイサービス施設の方の心温まる支えや気遣いのあるヘルパーさんに恵まれて、週2回のデイサービスに通われることとなり、生活にリズムと張りが生まれた様に感じられます。
私達は、介護保険外のところで支援に関わっていますが、丁寧に謝意を表されることや笑顔に接する機会が増えたこと等に、今、こちらの方が励まされ感謝する日々を送っています。
2015年5月4日
過日、入院を想定して都内の病院へ車椅子で向かう方の支援をすることになりました。双方初体験とあって、車椅子に乗る方が不安を感じることがない様、前夜包括の専門家から指導を受け走行練習をして、当日互いに緊張しながら駅に向かいました。
上尾駅の乗車支援、上野のエレベーターの場所やホームでの待ち方指導、混雑する秋葉原での乗り換えサポート等々、駅員さんの適切且つ心温かい支援を受け、無事に目的の病院に到達することができました。
また夕方の帰途上、車椅子を持ちあげ階段を上っていると、女性の方が駆け上がって来て助けて下さり、長い階段を抱えて降りていると、ビジネススーツの男性がまた駆け下りて来てホームまで運んで下さいました。
お仕事上とは言え親切にして下さった皆様、お仕事の疲れがあるにも拘わらず支えて下さった方々、お名前を存じ上げませんがこの紙面を借りて心よりお礼申し上げます。誠にありがとうございました。
2015年2月 様々な物事の尺度
中東地域は不穏な空気が漂う最中でしたが、ドバイを1人で訪れました。想像通り、乾いた空気、変化に富んだ高層建築物、そして、男女共イスラム国の服装の人の中に、貧相な日本人の私が放り出されました。
丁度1年1回のグランドバザール開催の時期で、大型モールの店舗数は1,200を超え、人々の買い物額は半端ではなく桁違いの様です。Emporio ArmaniやDolce Gabbana、Gimmy Choo など50%~60%引きでタックスフリーとあって、大型モールには世界各地からこの時期大勢の人が訪れており、平和で安全な様相を呈しています。
1度は本格アラビック料理をと、” AL HALAB” というレストランに入ってみました。目の前には超高層ビルが天を抜いており、向こうでは、お髭の豊かな3人の紳士が水たばこなるものを楽しんでおられる様子、そこへ見るからにリッチなアラブ人夫婦が入店し、私の斜め横の席に座りました。男性は正装の白の服装、黒のアバヤにすっぽり全身を包んだ女性との二人連れでした。運ばれて来たものを男性はぱくぱく!美しく大きな黒い瞳の女性が、どの様にして食事をされるのかと見入っていると、顔を包んだ黒い布をそっと横に開き食べ物を上手にお口へ!次の瞬間、2人の熱い視線に気づき、私は慌てて自分の食事を始めました。
「伝統や文化を守る」と聞いた時、そのことに誰も反対する者は居ません。イスラム教国の女性達は、「我々は世界中で最も優しく守られている」と言います。深く知り得ない私が発言すべきではありませんが、伝統や文化と女性との関わりについて考えさせられる旅の一コマでした。そして、『物事の尺度はひとつではない』という認識が貴重なお土産となりました。
2015年1月 まごころレポート
昨年、10月31日に「まごころサービス」を公にし、1月からは事務局にて「茶論会(サロン会)」を開いて徐々にサービス提供を本格化しています。これから、活動を続ける中でのできごとや日常のふと感じたことなどを、気負わずに呟いてみようと思います。気楽にお読み頂ければ幸いです。