記憶、レコード

木目鮮やかな筐体と、その上にはゴムで出来た台座。針を運ぶ細い腕があり、そしてそれはスピーカーに繋がっている。

私は、その再生機に、一枚のレコードを乗せた。

彼女からプレゼントされた、一枚の黒い円盤。

速さをあわせ、そして針を静かに、そのスケートリンクのように光り輝く表面に置いた。

たった一人、観衆のいないリンクを針が滑り始める。

私はゆっくりとソファに身を沈めた。

観衆はいない。だが、聴衆ならばここにいる。

ゆっくりと奏でられるオーケストラの響きは、ゆっくりとした曲調に合わせて、私と彼女の出会いから呼び覚ました。

針が飛び、ヴァイオリンとピアノが単調に繰り返す不細工な音を奏で始めた。

虚ろになっていた私の意識は、気持ちいい夢から覚まされた不快感でいっぱいになった。その不快感の中で、私はふと彼女のことを思い出す。その色鮮やかに思い出せるはずの笑顔も、ほんの一瞬、夢から覚めた衝撃によってかすんで消えてしまった。

記録はいつか損なわれる。丹念に捉え、精巧に、微細にわたり写し取った記録。失われまいとして磁気テープや光媒体に保存し、だがやがて失う定め。彼女の笑顔も一瞬ではあったが、私の意識から消えてしまっていた。冷静になれば思い出せるが、どこかぎこちなく思えてしまう。

失われるから儚いならば、人の命はとても儚い。夢や希望とて儚い。

記憶は、さらにもろい。一つ一つの記憶は塩の結晶のように、一見すると固く頑丈に見える。だが、簡単に綻び始め、やがて破片に、粒に、そして分子や原子に戻る。その記憶が大事であればあるほど、大きく、そしてダイヤモンドよりも硬く見えるものだ。だが、ダイヤモンドの硬さとて、いつか壊れるときが来る。

この世に永遠など無い。

彼女がくれたレコードがだめになったとき、私はそんなことを想った。

美しい彼女。永遠に若いままで、とはいかない。人は老い、朽ちる定めだ。

共に生き、共に思い出を重ね、そして共に朽ちていく。

彼女のことを思えば、心が、体が熱くなり、私はソファに身を沈めてなどいられなくなる。だが、その荒くなった息を再び整え、そして静かに壊れたレコードをゴミ箱に捨てた。

私は次の日、同じレコードを手に入れた。

物に依存した思い出は失われるが、新たにその思い出を積み重ねることは出来る。いつか物は壊れる運命であり、だが、彼女がくれたレコードとその曲は私から離れない。同じものを追いかけてもいいのだ。

彼女とソファに身をもたれあい、ゆっくりとした曲調に心をゆだねた。

シャンプーのほのかな香りを感じながら、いつか訪れる悲しみを忘れることにし、その先に残るだろう希望に思いをはせた。

―幕―