獰猛な猫
作者・逢坂総司
カルツェリア・シャリプールは数人の先輩神官戦士たちと交流試合のために各地の神殿を訪ね歩いていた。神官戦士の住む神殿では手合わせを。道中の教会では祈りを。
一般人にとって、神殿は敷居の高い場所であり、教会は敷居の低い場所である。それは神殿が神に近い清らかな場所に建てられるのに対し、教会とは神殿の分祀したものでしかないかわりに街中でも建てられるからだろう。
日常の祈りは教会で十分。だからこそ分祀した教会においても祈りが届く。
道中では色々な出来事があり、そこで経験することもまた修行となる。
先輩の一人ルーナ・ベルクートは、それもまた人なのです、と語る。男が多い神官戦士という役職において、先輩やカルツェリアは珍しい存在。見習いではなく、一人前の神官戦士。ルーナはその神官戦士を束ねる役職に就いていた。
ルーナに導かれ、山奥にある石造りの神殿にたどり着く。そこはこじんまりとした神殿に見えたが、神秘性は明らかに違った。カルツェリアは息が詰まり涙がこぼれた。
この神殿には十日の滞在を許された。自衛を目的とした神官戦士は、魔物を狩ることもいとわない恐ろしい集団だった。敬虔な神官でありながら、その身中には鋭い刃を帯びている。その中でも最も敬虔な神官、ビルクリムは敬虔な分刃も研ぎ澄まされていた。神に捧げるための刃は、鏡より美しい。彼の目には、そのような色が見えた。
下手な手合わせは、彼の振るうメイスによって退けられる。いや怪我では済まないだろう。
滞在が許されたその日。カルツェリアは先輩ルーナに誘われるままに、本殿で祈りを捧げた。
祈りを終えたとき、カルツェリアは背中が震えた。
立ち上がる瞬間、背後に人がいたことに気付いた。それはビルクリムであった。足音を消して歩くとは、何とも不気味に思えた。だが靴の裏に毛皮を張り付けた完全な戦装束であることに気付き、カルツェリアは理解した。彼らは夜の間、魔物たちと戦うのだ。魔物は襲いかかることもあるし、気配すらない日もある。
ビルクリムの祈りは明日とも知れぬ鬼気迫るもので真似出来る類ではない。
ルーナはビルクリムに祈りの言葉を投げ掛けた。その言葉にビルクリムは一礼を返す。
カルツェリアは尖塔へ登る許可を急いで取ると、そこでビルクリムの様子を眺めた。
魔物は時々現れる。彼のメイスは空気を叩き割りながら魔物にぶちあたる。
空を切る音が、魔物の悲鳴と共に響く。一人の槍使いが魔物の背後に回りこんでいた。その槍に見覚えがあった。
――先輩!
神殿に住む神官戦士の半数が魔物狩りに出ていた。ビルクリムのメイスはその闇の中で間違いようのない強い光に見えた。
信仰心に裏打ちされた一撃は、魔物に対して十分な威力を発揮する。カルツェリアはそう信じた。
朝にはルーナと神官戦士たちは修練を開始し、武器の基本を確認し、徒手空拳での打ち合わせ、実践訓練を行う。
本殿を囲むようにして表庭と裏庭があり、朝は裏庭、夕方は表庭を訓練に使う。見回りに当たった神官戦士は夕方に仮眠し、夜長を森で過ごす。
昼が近づき、実践訓練を行っていたが、ふと全員の手が止まった。
カルツェリアはその原因を探った。原因は実践の殺気をまとったまま打ち合わせを行うルーナとビルクリムのせいだ。
ビルクリムは狼のように、必殺の一撃を狙い澄ませてぶつけてくる。対するルーナは豹のように身軽な動きを見せた。
槍を使うルーナが数段有利のはずが五分五分の戦いになっている。
ビルクリムはメイスと盾とを駆使しながら常に連続した攻撃を繰り返す。そのメイスの軌道は変幻自在で、上下左右のどこから打つのか予想出来ない。
盾は常に一定の軌道を取るが、盾に巻き込む瞬間にビルクリムはメイスを叩き込むつもりのようだ。だからどちらか一方を食らえば、彼の一撃が何発も叩きこまれることになる。
ルーナは長物特有のリーチを使い、ビルクリムを近づけなければいいはずだった。だが盾の表面に穂先を滑らせて、一気に内懐に入ってくるビルクリムの勘にやられていた。早々に短剣二本を取り出し、牽制と防御を繰り返していた。だが研ぎ澄ませた刃を持つのはルーナも同じ。十年の年月を余分に生きた経験で彼の行動をギリギリ読みきっていた。
流れるような戦いは、上から始まり、右に左に流れ、上に戻るとまっすぐに下りた。右に左に、再度右に。その流れはカルツェリアには読みきれず、ルーナだから何とか生きている。
――多分、他の誰も五体無事とはいかない。
昼の鐘が鳴り響いた。何事もなかったかのように、ビルクリムとルーナは礼をかわす。カルツェリアは全身に冷たい汗が伝うのを感じた。
出発までの八日間のうち、食事時にビルクリムと雑談する余裕があった。その間に、お互いが友として認識しあう程度には仲がよくなった、とカルツェリアは認識した。お互いが、幼い頃から神殿に関わっているからかもしれない。
一般人とはこうはいかない。
最初の手合わせ以来、ビルクリムとルーナが当たることはなく、流浪の神官戦士たちは出発することになった。
***
風の便りで、近々バリーの家名を授かる予定の神官戦士がいると聞いていた。それは間違いなくビルクリムのことだ、とカルツェリアは当たりをつけていた。バリーという家名は、固有の血族に与えられるものではなく、神殿を守る神官戦士に与えられる名誉ある家名である。
ツァイン・カルツェリアと名乗るときのカルツェリアはあくまでもシャリプールの血族として認知される、神官戦士となるが、ビルクリムはその存在意義が神殿守護の一人として数えられる。
数ヶ月も経てば、ルーナは別の神官戦士たちを率いて流浪の旅に出なければならなくなった。カルツェリアもまた修行を兼ねて、諸国を回ることになった。
半年の後に再度訪れたとき、カルツェリアをはじめとする一行はオズワルド・ランドサットを伴っていた。
オズワルドもまたこの神殿に一度来たことがあると語った。巫と一人の神官戦士が失踪したことを知ったのは、神殿に着いて数日してからだった。
神に見初められる腕前。カルツェリアにとって、ビルクリムの失踪、敬虔な信徒、バリーを賜った男という情報が全て結びつくにもかかわらず、失踪という状況が納得できなかった。
祭器が行方不明となった、という情報は関係あるのだろうか。
考えを巡らせてみても何も浮かばない。巫が祭器を持って出ることは出来ない。祭器を持った瞬間にまばゆい光を放ち、失踪の瞬間が誰彼ともなくわかってしまうから。
ビルクリムと手合わせしたかった。先輩と互角以上の神官戦士はビルクリム以外見たことがなかった。
彼は破門寸前となっている。弁明の審理だけは受けられる。その内容により処分が決まる。
――ビルクリム、どこにいる?
いらつきを抑えられなくなりそうなとき、オズワルドの言葉でどれほど落ち着きを取り戻せるだろう。
オズワルドはその優しさでカルツェリアの血の気を収める。
カルツェリアのような神官戦士はいつも戦いの場に身を置く。それは常に緊張を強いることになる。
神官戦士の血の気の多さは、その戦いの数が多ければ多いほど顕著となる。
カルツェリアもまた荒れ狂う存在になり掛けていたが、幾度となくオズワルドに救われたところがある。いつからか隻腕となったその神官は、神殿の祭器がなくなったことを知って「残念だ」と呟いた。遺跡の探険を行うオズワルドは、古い宝物や祭器の類を見ると目の色が変わる。
この神殿には魔物が恐るが故に手に入れたがる祭器が安置されていた。巫が正しく扱うとき、その祭器は魔物を滅するように作用する。その逆も然り。
祭器が行方不明。巫も行方不明。魔物にさらわれたと考え、当初、神官戦士たちは魔物狩りにいそしみ痕跡がないか探しまわった。だが、抜け出した痕跡すらないことから、彼らが普通ではない方法を用いたことだけがあきらかとなった。
――ビルクリムに聞けばわかる。
だが、彼もまた行方知れずである。
***
人間一人が見つかるとき、というのは割といい加減な偶然による。カルツェリアは、敬虔な信徒のビルクリムを意識していたから、冒険者の姿をしているビルクリムを見逃しかけていた。だが、見つけた瞬間、血が騒いだ。人気がないのが幸いした。
「バリーッ!」
無意識に槍を繰り出していた。
彼と同行していた何人かの冒険者はその家名がビルクリムを指すとは分からない。
ただ、過去の因縁であるとはわかる。
だから距離を取る。それはカルツェリアの意図の通り。
最初の一撃はビルクリムの盾に当たった。
カルツェリアの狙い通り中心を突き、反らすことのできない全力の一撃。
ビルクリムが体勢を崩した一瞬を狙い、槍を袈裟掛けに払う。
だが、ビルクリムは既にメイスを抜き放ってその一撃をかわしていた。
カルツェリアはその瞳に魅入られた瞬間に死ぬと悟った。
ルーナから教わった全てでは足りない。
教わったうち短剣術は使えない。
短剣は槍として穂先に付けられている。
メイスによって大きく軌道を反らされた槍を引き戻すのは、ほんの一動作だが、ビルクリムならば穂先をそのまま地面に打ち付け破壊することができる。それだけの余裕があり、それだけではなく内懐に踏み込む余裕すらある。
槍は突く動作によって構成される武器であり、その穂先に刃を付けたからこそ、線の攻撃が出来る。それが封じられたとき、カルツェリアの出来る行動は大きく減じた。
カルツェリアは身を引くしか出来なかった。
ビルクリムの挙動は予測できた。一歩踏み込んで、メイスによる一撃を加えてくる。
だが違った。
盾が横合いから殴りかかってきた。
カルツェリアは下がりかけていた体勢が幸いし、そのまま後ろに避け切ることが出来た。
その次にメイス。
カルツェリアは槍を見捨てた。
ルーナの行った行動をなぞる形になった。違うのは、カルツェリアは予備武器を持たないこと。
ビルクリムのメイスは縦横無尽に襲い掛かってくる。
右、左、上、袈裟掛け。
流れるままに。
そのビルクリムの表情は何も映さず、そこに死を彩る何物もなかった。
カルツェリアは恐怖した。
ビルクリムは内に秘めた刃はそのまま保っている。信じる心がどうなっているのか、それは確認していない。
鼻先を掠めるメイス。
鼻が低くてよかった、と考える暇もない。
ビルクリムの一撃が板金鎧の胸元を叩く。振り下ろしたはずのメイスが返す刀で切り上げられていた。
息が詰まり、カルツェリアはただ後ろに転げるしかなかった。
槍がないことがここまで不安を駆り立てるとは思ってもいなかった。
メイスの一撃が鎧の防御性能を上回ってさらに体に直接衝撃を届かせていた。
どんな魔物と戦ったときも、そのようなことにはならなかった。だがビルクリムのメイスはそれが出来た。
カルツェリアは息が出来ない苦しみも忘れ、鬼神のような戦い方を見せたビルクリムを見ながら意識を失った。
***
カルツェリアはそのとき一人だった。
まだ教会の幼い修道女であり、たっての希望で神官戦士の一員になるための請願書を何度かしたためた後だった。まだ十代前半の少女の願いは、教会から神殿になかなか上げてもらえず、その気性とあいまってゴロツキたちと大立ち回りをすることが多かった。
その所業のせいで、より一層、神官戦士の資格が少ないと教会は判断していた。
そんな中、大柄な女のような男、オズワルドが仲裁に入った。彼の腕はこのときはまだ両方あった。
両方が血の気の多い人間であることをわかっていながら、仲裁に入るということはとても危険な行為だった。
そのやさしい微笑みはたしかに神官特有のもので、カルツェリアは一瞬で血の気が引いた。
相手はもっと驚いたようで、逃げ口上すら上げずに走り去った。
その瞬間、カルツェリアは心臓の鼓動が確かに早くなっていることを意識した。
今のカルツェリアはオズワルドがかつての優しさをどこかに置き忘れていることも気づいている。
だが、初めて出会ったこの瞬間のオズワルドは偽りなく優しかった。
ただ誰彼ともなく優しいこともあり、カルツェリアはそれはそれで心臓の鼓動が早くなった。
***
「カッツェ、君はいつも無茶をする」
「……それはお互い様でしょう、オズ」
カルツェリアは宿の一室にいるのだと気が付いた。
オズワルドが失踪癖を身につけたのはずいぶん前のことだ。
失踪するたびにカルツェリアは彼を捕まえて神殿に連れ戻す。
おそらく、喧嘩騒ぎとなり、仲裁役としてオズワルドは呼ばれたのだ。
「ビルクリムが……」
「久しぶりに見た。彼は、神に近づいているようだね」
「信仰心もないのに?」
「教会や神殿が与える形だけが信仰じゃない。彼は何かを信じ、信仰心を絶やすことなく生き続けている」
オズワルドとのやり取りはいつも問答じみている。
神官は、説教くさいとよく言われる。それが逆に懐かしさを誘う。
初めて会った日もそうだった。
「……私は、ビルクリムに真相を問いただしたかった。なぜ失踪したのかを」
「それは、信仰だからじゃないかな。私にはわからない信仰。それを神は赦されたのだろう。それはそれとして、カッツェ。貴女は十分に大怪我をしている。とにかく休みなさい」
カルツェリアはその言葉に従って、ベッドに潜り込んで、そして気が付いた。
「……どうやって服を脱がせたのよ?」
「怪我人はそう大立ち回りをするべきではないと思うよ!」
次の日、オズワルドが顔全体に引っかき傷を作って朝食を摂る姿が目撃されたが、どの野良猫がそのようなことをやったのか誰も知らない。