ウィリアムと光る虫とある日常
逢坂総司
ライザー食堂はレセフェール街の大通りに面している。
大通りというと旅人も商人も通るから人通りは多い。
この食堂の一人娘は名をセシリー・バーンスタインといった。
彼女は両親を手伝いながら、給仕に料理にと毎日飽きることなく働いている。すると、旅人もよく利用するこの食堂では、いろいろな話題が耳に入ってくるのである。
曰く、宝石のように光り輝く虫がいる、などと。
* * *
ウィリアム・バーミリオンはマーガレット・リードによく占ってもらう。それは彼女に少しでも近付きたいからだ。
彼自身はあまり自覚していないようであるが、マーガレットの年上の魅力、というものに勝手に心酔している。アルバイトも魔術の講義もない自由な時間ともなれば、彼はついついマーガレットの元に来てしまうわけである。
マーガレットからすれば、おいしい上客であり、からかいがいのある弟分である。だが自分の素性を明かすと興ざめしてしまうので名前以外は教えていない。
ウィリアムはいつも通りライザー食堂でマーガレットを待ちながら朝食を食べていた。
すると、食堂常連のビルクリムがセシリーと会話している内容が耳に入った。
「宝石のように光り輝く虫、ねぇ。本当にいるの、その虫」
「噂だから、いるとかいないとかはわからないけれど」
セシリーも半信半疑らしい。
「でも確か、街を出て西にある森で見かけた木こりが居るらしい」
「胡散臭いなぁ……」
ウィリアムにとってこの会話は素晴らしい内容を含んでいた。ライザー食堂は何かと有益とも無益とも思えない情報が舞い込む。
今の話を詳しく聞こうと思うのだが、手元の食事を平らげている間にビルクリムは去っていた。何かの仕事があるのかも知れない。
うわさ話だけでは虫がどのようなものかわからない。まずはセシリーに聞いてみることにした。
「小耳に挟んじゃったんだけど、光る虫ってどんな虫なの?」
聞き耳を立てていたことを咎められるような視線を浴びつつ、ウィリアムはわかる限りの情報を入手した。
曰く、宝石のように七色に輝く。
曰く、手のひらに収まるほどの大きさで、空を飛ぶ。
曰く、実際に宝石に加工出来る。
曰く、滅多に目掛けることがない。
曰く、西の森で見かけた者が居る。
ウィリアムの頭の中は見たこともない虫の想像をふくらませた。その虫を宝飾品に加工してマーガレットにプレゼントしたら、どれほど喜ばれるだろうか、と想像しウィリアムの気持ちは高ぶった。
いつも通りマーガレットに本日の占いをしてもらいながら、ウィリアムの想像は最高潮に達していた。
――ブローチとか似合いそうだな。指輪も良いかも知れない。
この調子で魔術の講義もまともに耳に入らない。
昼からは暇になったので、いよいよ虫取りに行くことにした。食堂に戻ってみるとマーガレットは不在だが、ビルクリムが食後の休憩をしていた。ウィリアムはビルクリムに虫捕りのこつを聞いた。
簡単にとれそうな気分になる。行きがけに虫取り網と虫かごを用立てることにした。
食堂で弁当を作ってもらい、軽い気持ちで出発した。
街の西側は教会がありその先には果樹園がある。外壁を超えてしばらく進むと西の森と呼ばれる森林地帯がある。光る虫が見つかるかもしれないらしい。
この森は何度も足を運んでいるから、そう迷うことはないだろう。ウィリアムの内心はそれぐらいの気持ち。
森に踏み込む前に空を仰いだ。曇り空。だが雨は降らないと思った。
* * *
昼過ぎになるとワイズマン・グレイフォックスのもとに、昔の冒険仲間ライザー・バーンスタインの一人娘が文字を習いに来る。
食堂で給仕をするだけなら、文字を習う必要など無い。魔術の素養を十六になってから磨こうというわけでもあるまい。
彼がセシリーに文字を習う動機を聞いた時、冒険者達の冒険を書き留めて残しておきたい、というようなことを言っていた。
冒険は命がけ。すると物語にも俄然信憑性が増すというものだ。吟遊詩人達が謡う冒険は、まさに命を賭けた現実を聴衆に伝える。セシリーはそのようなことを文字で行うつもりなのか。
なるほど。言葉を操るものは客観的な冒険を書き留めることなど皆無である。大抵が自叙伝の延長線上である。どこまで誇大妄想が含まれるかわかったものではない。上級騎士の家系に生まれ言葉を読み書き出来るものは、先祖が書き残した自叙伝にほだされる、と聞いたことがある。
そういう弊害を考えると、そろそろ文字を習いに来るセシリーは別の意味で見込みがある。
入れ替わりに不肖の弟子が勉強に身の入らない状況が続いている。セシリーが学びに来るようになった時は、少しはましになったと思ったが。
ウィリアムの魔法の素質は未だ開花していない。魔法の手習いは片手で年の数を数えられるほどから始めるのが平均的である。魔法学院都市ベルムの魔法統計学学会ではそのように記されていた。ウィリアムは両手で数えられるころに始めたわけだから、少し遅めというわけだ。
ウィリアムの魔法を学ぶ姿勢は若干不真面目。時間の使い方がなっていないが、魔術師の先輩にもだらしない方々は多数いるのだから、これに関しては何も言うまい。街に世間見学のために送り出しているのが逆効果なのか。それとも他に原因があるのか。
ワイズマンは曇り空の下、いつも椅子代わりに使う切り株でぼんやりと空を眺めながら、さらに雑念の世界に身を投じた。
ウィリアムを一度、魔法学院都市ベルムに連れて行くと良いかも知れない。セシリーの文字の勉強が出来なくなってしまうが、そもそも母親のクッキーが教えれば済む話で、大金を投じて無理に学ばせる必要など無いではないか。もしかしたら、母親が文字の読み書きが出来ることを知らないのではないだろうか。
レセフェールからベルムへは徒歩では片道一週間ほど掛かる。往復するだけでも二週間。遠いとは思わないが、特に若い時の一週間は貴重だ。それだけ大化けできる可能性がある。可能性はあればあるほどいい。
草原の中のただ一本の大樹に抱かれるようにワイズマンは居を構えている。その住まい兼学舎兼魔術研究所に戻り、セシリーを待つことにした。
* * *
森の中は湿っぽい空気をまとい、彼の足を重くした。足下の落ち葉がぐにゃりとした踏みごたえをしている。そのような水気が木々だけでなく体中に絡み付くように感じられる。
だがこの森は慣れているから大丈夫だ、と思った。ウィリアムにとって師匠と来るこの森は庭のような認識なのである。いつもと同じ場所から森に入り、いつも目印にしている木の幹、足下から顔を出した岩陰などを頼りに進む。
わずかに空を仰ぎ見られる空間につき、ウィリアムは軽く休憩をした。余裕だった。光る虫を求めてさらに奥へ進む。曇り空は木漏れ日を隠す。
見覚えのある景色から、いつの間にか見覚えのない景色に変わっていた。いや、木々の表情はいつもどおりの森の表情を見せている。でも何かが違う。
気がついたときウィリアムはいつの間にか自分の場所がわからなくなっていた。
――ここは、どこだ?
森は薄暗く、方角も定かではない。自分の足跡を探そうにも、意外と足跡は付いていない。
後ろを振り返るがそこは闇。前を向き直るが正面の木々は無表情。
右も左も分からない。空を見上げようとするが、木々は腕を広げて空を隠していた。
ウィリアムは虫捕り網と虫かごを持った自分の両手を見て、なんと場違いなものを持っているものか、と感じた。
獣の気配すらない。命の息吹はどこにあろうか。
厄介なところにきているような感覚。
師匠は森に対する時なんと言っていただろうか。
曰く、森は獣を育むが油断してはならない。
曰く、森は恵みをもたらすが時に災いをもたらす。
ウィリアムは自分の迂闊さを呪った。
魔法を操るものは常に冷静に状況を見極めなければならない。
――どうすればいい?
焦れば焦るほど、自分の状況がわからなくなっていく。
とにかく、街に戻りたい。そのような気持ちが余計に焦りを生む。
足が疲れるほどに歩き続け、自分の居場所もわからないままに息をついた。
水気を含んだ足場は、一歩足を踏み出すごとにずしりとした疲労感を彼に与える。軽い痛みを伴うような筋肉の疲労。
一度休憩した方が良い、と彼は思った。
ウィリアムはじっと動かずに、森の変化を見守ることにした。
それほど冷静な判断ではなく、ただ睡魔に襲われただけであるが。
* * *
セシリーは数十種類ある文字を必死で綴る。羽根ペンなどというものも、インクというものもこの学舎でしか見たことがない。
羊皮紙というのはとても高価なのではないだろうか。ざらりとした感触があるものの、ペンとインクには悪くない物らしい。滑らかに文字が踊る。
「文字が踊りすぎていますよ、セシリー。丁寧に書くように心がけましょう」
「はい、先生」
ワイズマン・グレイフォックスという魔術の先生は、浮世離れしているというか、現実に興味のない虚ろな瞳をしている。だが、両親の昔の冒険仲間で頭が良いらしい。
現実に興味がないせいか、髪の色が薄くなっていて、ちゃんと食事をしていない印象を与えた。ほおも少し痩けている感じ。
セシリーは余計なことを考えてしまったせいで、綴りを間違えてしまった。
「余計なことを考えていましたね。落ち着いて順番に物事をこなすようにしましょう」
羊皮紙の表面をナイフで削ると、みるみる間違えた文字がなくなっていく。文字も一生残るものではないのだ。
一文字一文字、集中して書くようにする。
最初の目標は自分の名前。次は家族の名前。と、愛犬ラッチー。目標は人名の書取から始まる。そのあとは日常会話とかにうつるらしい。
「余計なことを考えていると、簡単な失敗をしてしまいますよ」
ワイズマンに指摘された箇所をよく見ると、文字を書き損じている。
羽根ペンは油断するとすぐにインクがかすれてしまう。
間違えた箇所と、かすれたところをナイフで削り取る。
「今日はあまり集中出来ていませんね。良ければ相談に乗りますが?」
ワイズマンは珍しいことを言っている。セシリーはそのように思った。
「光る虫って、いるんですか?」
セシリーは食堂で噂になっている光る虫について、覚えている範囲で伝えた。
「聞き覚えありますね。調べておきますよ」
「あ、別に、噂だけですし」
「時にはいつもと違うことを調べるのも良い。気分転換ですよ」
ワイズマンがにこやかにほほえんだ。
「気分転換ですか……」
「そう、気分転換です。ウィリアム・バーミリオンを気分転換も兼ねて魔法学院都市ベルムに連れて行こうと思っています。ですのでその間数週間は、ここを留守にしてしまいます」
「留守ですか……」
セシリーは何がなんだかわからなくなってきた。
「その間は羽根ペンとインクと羊皮紙を貸しておきますので、しっかり勉強して下さい」
「わかりました」
話が終わるとセシリーは文字書きの練習を再開した。
夕方、食堂に戻る前までに自分の名前を書けるようになりたかった。
* * *
夕方からは食堂にも客が来る。食事時とはそういうものである。
マーガレットが珍しく一日中食堂にいたらしい。
セシリーは用心棒のアリエルから状況を聞いたりして、かき入れ時に備える。
マーガレットは一日中何をしていない様子だったが、ときどき考え事をするようだった。
彼女の占いは相手の瞳をのぞき込む、という独特のもので一見さんはよく驚く。そのような驚いた顔を思い出しているのかも知れない。彼女は意地悪な人でもある。
ウィリアムはマーガレットの意地悪によく引っかかるが、本人は至って幸せそうだから指摘してあげられない。
そんなマーガレットが何もしないで食堂にいたのには訳がありそうだ。セシリーは一日中座っていた理由を聞いてみようと思った。
「席を一日中とり続けていたら、お会計後回しにできるからどれだけ安く上がるかな、っと思って」
計算間違いで安くなることを期待しているらしい。
「でもマーガレットは一日に三品ぐらいしか頼まないから間違いようがないのだけれど」
「あら、そうだわ。これは盲点ね」
わざとやっているようにしか思えなかった。
遠回しな営業妨害なのだろうか。セシリーはマーガレットが捉えがたい謎の女に見えて仕方がない。
* * *
光がぼんやりと灯る。
強く輝くわけではない。かすかだが、自己の存在だけは主張している。
それはぼんやりとした光を放ちながら遠くへ去っていった。
――夢、か。
ふと気がつくと、ウィリアムの頭の上に光る虫が飛んでいた。
体の節々がいたい。
体が冷えきっているが暖めようがない。
周りを見渡すが、森の中であることに間違いはないようだ。
水気を含み始めた服は違和感ある重みになっていたが、まずは立ち上がることに専念する。
光る虫はウィリアムが立ち上がったことを確認したのか、一方方向へ向かった。ウィリアムは思わず虫の飛ぶ方向に進んだ。
その微かな光を見失わないようにウィリアムは必死で歩いた。
目の前に突然現れた光る虫が何を訴えるために目の前に現れたのかはわからなかったが、用心深くついていかなければならない。見ず知らずの生き物には意外と危険なものもいるからだ。
いつだったか、アンコウという魚を見たことがあった。額の先に光る玉を持っている。この光で餌となる魚をおびき寄せるのだという。
――すると、目の前の光はアンコウのように僕を餌とするつもりなのだろうか?
見極めなければならない。もしもそれだけ危険なものが街の近くの森に棲むのならば退治しなければならない。しかし、ウィリアムには武器がない。身を守る盾も鎧もなく、剣を操ることも出来ない。唯一は魔法だが、まだそよ風を起こすことが精一杯である。
光る虫ばかり凝視していると、何度か転けそうになり、転けそうになると虫を見失い掛けた。
足場が悪いと感じながら、必死で追いかける。
木々の表情を見て覚える暇もない。どこをどうやって歩いたかを確認する暇もない。
とにかく、虫に必死でついていった。用心しながら。
やがて木々の隙間から星が見えるようになった。
――晴れている。
星座が方角を教えてくれた。
光る虫はウィリアムが自分で歩き出すことを確認したのか、木々の間に姿をくらましてしまった。
もしかしたら光る虫は星に紛れただけで、その辺りを飛んでいるのかも知れなかった。だがウィリアムはくたくたに疲れていた。
彼はほうほうの体でライザー食堂に戻った。
ビルクリムがウィリアムを心配していたが、体に怪我をしているわけでもなかった。
言われてから気が付いたが、弁当がどこにもない。どこかに落としてしまったのだろうか。
「光る虫に食われたとか」
とビルクリムは笑っていたが、ウィリアムは案外そうかも知れない、と思った。
師匠の所有する本から、虫に関する記述を探し光る虫が何者なのかを調べてみた。
曰く、道に迷った旅人を案内する。
曰く、水先案内人。
曰く、死者を冥界に案内するとも言われる。
生態は不明だが、道しるべの虫でもあるらしい。
ウィリアムはこの光る虫との出会いは、大きな経験になったような気がした。
──幕──
(原稿用紙換算20ページ)