悲鳴のある日常
書き手・逢坂総司
ビルクリム・バリーは短く刈り込んだ金髪を撫でながら、相棒と認めていた男が旅に出たことを実感していた。借家で生活をしていたその男、グレッグ・ゴルド・ホワイトホークは冒険の旅に出ていた。大家に頼んで、ビルクリムに言伝を残している。
「しばらく考えてみたいこともあり、南に行くという常連の仲間たちと同道させて貰っている。考えがまとまったら食堂に戻って来るつもり」
なるほど、色々とグレッグも考えるところがある。少なくとも出自がそうさせることはあるだろうし、恋の悩みもあるだろう。また冒険者に身をやつしたならば、冒険のみが金策と言うことも考えられる。
ビルクリムも同質の悩みを抱えており、だいたいにおいてグレッグの言いたいことは分かった。一人で考えたい、というのは端的に言いたいことを表現している。
この状況を利用して、ビルクリムも考えることが出てきた気がする。
ライザーに紹介して貰った仕事は、グレッグがいない状態では遂行が困難だった。二人以上でなら、言うなれば背中を任せられる者がいなければ、あまり簡単な仕事ではない。
農地を荒らすゴブリンを懲らしめる、というのが大筋の内容だが、一人では見張りもおぼつかない。
だから、他の冒険者に譲ることにする。
ビルクリムはライザーにその事を告げるため、食堂に戻っていった。
ライザーに仕事が出来ないことを告げた。
その太い腕を組み、しばらく考え込んでいるようだったが、ちょうど手が空いている冒険者を思いつかなかったのか、「依頼あり」の掲示板にメモ書きを戻した。
「仕方ないな。出来れば早めにどうにかしないと、東の農家は迷惑してしまうのだが」
「一人では難しいよ」
昼食を食べながら、ビルクリムはセシリーが挙動不審に思えてきた。眺めていてそう思う自分自身が怪しく思えても来る。
いつもの快活さを失わないセシリーは、それでも時々何かを考えているようだった。
アリエルは無口に、何を考えているのか分からないように寡黙さを保っている。
ビルクリムが食事を終えると、食堂内で食事をしている者はなく、ビルクリムは話し相手も見つからず手持ち無沙汰になった。
セシリーはライザーを呼び、奥に籠もる。他にも食堂を利用している者はいるが、談話室代わりである。マーガレットは考え事があるのか、いつもの端の席で宙を眺めている。彼女は占い師で、何を考えているのかビルクリムには分からない。挙動がおかしくても、占い師なら当然かもしれず、ビルクリムには不思議な存在である。
彼女はライザーとの会話を済ませると、バーンスタイン家の愛犬ラッチーと共に散歩に行く。
ライザーはビルクリムが暇そうにしているので、昔話でも聞かせてやろうと、思い立った。
彼が口を開くとビルクリムが先に質問してきた。
「セシリーが考え事をするようになったってことは、何か悩み事でもあるのかな」
「ビルクリムは心当たりがあるのか?」
「無いと言えなくもないけど、よく分からないな──」
ライザーは、文字を習いたいらしい、とだけ述べた。
文字である。読み書きを出来ることは、生活をする上で何も利益がない、とは言い切れないが、実生活では必要ないものである。必要なのは魔法学院都市ベルムに通う学生たちぐらいであり、あとは貴族の子弟ぐらいである。そもそも使い道がない。
「──なんで文字なんだ」
「メニューは全部覚えているはずなんだがな」
ライザーにとって文字とは物忘れしたときの保険程度のものらしい。だがセシリーはメニューを覚えているし、第一、客の好みによってメニューの内容自体を少しずつ変えている。
「分からないなぁ」
ビルクリムが首を傾げても、分からないものは分からない。きっとビルクリムがセシリーに聞いたとしても本当の答えは返ってこないか、そうでなければ上手い言い訳があるに違いない。
「その文字を教える教師とは、何者なんだい?」
「ワイズマン・グレイフォックス。ビルクリムは知っているか?」
あいにくとビルクリムは文字に精通した者の知り合いはいない。だから名前を聞いてもまったく分からなかった。
「ま、昔の冒険仲間だ。魔法使いになりたいって子供たちを集めて、魔法を教える私塾を開いてる。時々食べに来るが、ビルクリムは見たこと無かったかな」
人相を聞いてもピンと来ない。
ビルクリムはこのままライザーの昔話を聞いているのも、悪くはないと思い直してきた。まだライザーが昔話をしている姿を見たことはないが、グレッグはよく昔話を聞いているらしい。
夕暮れの忙しい時間帯になると、いつの間にやらセシリーは給仕に調理にといつも通りの姿を見せる。アリエルがいつものカウンター席に座って、店内を見回していると、いつものセシリーとは何か違うものを感じ取る。
セシリーは生き生きとしていた。
いつも元気で、疲れというものを知らないのではないか、とも思っていたがどうもそれだけでは無い気がしてきた。
喜怒哀楽の表情がはっきりしてきた。客商売だし、どうしても笑い続けなければならない場面は多い。客が突然言いがかりをつけてきたときはアリエルの出番だが、それ以外の場合はどうしてもセシリーやライザーが対処する。一家の財布を握っているクッキーは、厨房で料理に余念がなく、それ以外に家事全般をこなすため表には出てこない。
「おい、どうしてくれるんだよ」
聞き慣れた、ありきたりで、言質のなんたるかが怪しい、そういった男のだみ声が食堂に響く。他の客が一斉に眉をひそめた気がする。
アリエルは出番なのだと瞬時に悟る。そういう「お客様」は早々に退出していただかなければならない。
アリエルがその男の前に行く。
セシリーにはなんら手落ちはない。男の一方的な言いがかりで、このまま連れ去ってイヤらしいことでも、と考えていたのだろう。アリエルが前に立つと、男の連れが立ち上がる。三人と一人では、やや無勢というところだが、彼女に引き下がるつもりはない。
「他のお客様が迷惑している。早々に立ち去れ」
アリエルは目の前の男が両手を広げたのを見た。即座に拳を叩き込む。顎を狙ったが男も下手に避けてくれたもので、前歯に拳が命中した。男がのけぞり、バランスを崩して倒れた。
二人目が唖然としている中、棍を振り抜き首筋に叩き込む。三人目は拳を構え、アリエルに殴りかかってきたが、拳がアリエルの顔に当たるギリギリで棍棒を突き込む。
「お客様がお帰りです」
アリエルは伸びた男を順番に外へ引きずり出すと、バケツに水を満たして顔に浴びせる。
「早々に立ち去れ」
それで終いである。
男たちは口々に何かを叫いていたが、アリエルが聞く義理もなく言葉は空しく霧散していく。
アリエルは男たちが倒したイスを戻し、すぐに誰かが使えるようにテーブルのずれを戻した。セシリーが食器を片づけ、手慣れた手つきでテーブルを綺麗にした。
ビルクリムがニヤニヤしている。
「手こずったじゃないか」
拳に歯形が残っている。わずかだが血がにじんでいる。
アリエルは食堂の賑わいが冷めていることに気づき、いつもながら嫌悪感を覚える。謂われのない文句の類は無視するに限る。相手をするからつけ上がるのだ。
そういう人種は後を絶たない。貧しい発想しか持たないのだ、と言い切ることで気まずさから目をそらす。
手こずった、という言葉はそれでも心に残る。まだ技術が足りないのかもしれないし、最近、本当に強い者とは戦っていない。稽古がいるかもしれない。
アリエルは明日から稽古をするとき、誰に頼むのが良いか考え始めた。
ビルクリムはセシリーが客と会話しているのを見つけた。
別にいつも会話しているから、気に留めるものは何処にもないはずなのだが、目に留まった。
──笑いながら、というのはよくあるが、微笑みながらはなかなか見られないな。
仲がいいのだろうか。そうすると、グレッグの恋もこれまでか、とビルクリムは自分のことを棚に上げて、心の中で親友に哀悼の意を表す。
でも、グレッグのためにも何者か知っておく必要があると思う。
「セシリー、あの少年は誰?」
ビルクリムは杖を大事そうに抱える、黒髪の少年のことを尋ねる。
「ああ、彼はウィリアムっていう名前なの」
「うん、それからなんで杖を大事そうに抱えているのかな、と思ってさ……」
「ほら、魔法を使う人は杖を使うでしょう。ウィルは魔法使いなのよ」
魔法使い、というと胡散臭い感じがして仕方ない。ウィリアム青年は食堂に来たのが初めてなのか、キョロキョロと周りを見渡している。
──あんまりキョロキョロしていると、因縁付けたがりが標的にしてしまいそうだなぁ。
幸か不幸か、マーガレット・リードに目が合い、少年はジロジロとマーガレットを眺め始める。マーガレットはニタリと薄い笑いを浮かべ、少年と相席を始めた。
「ビルクリム、冒険者からうちの用心棒に転向か?」
ライザーが突然声を掛けてきたから、驚きの声を上げそうになった。
「そんなことはない。だがセシリーと仲が良さそうな少年を俺は観察してたわけじゃないぞ」
「そんなところだろうな。学友みたいなものだ、セシリーに付く悪い虫でもないだろう」
そこから発展するかもしれない、と食い下がってみた。
「セシリーの親になったつもりか?」
などと言われれば詮索はそれまでである。
──どんな少年かはマーガレットに尋ねれば済む。今夜はまずい酒を飲みたくもないし。
マーガレットは酒も飲んでいないのに、ケラケラケタケタと笑いだし、ウィリアムも笑い出した。彼女は笑い上戸で赤い長い髪を振りながら笑う。一度笑い出したらなかなか止まらない。
しばらくは笑い続けだろうし、すぐに話を聞くことは出来ないだろう。ビルクリムは思い直し、深酒を避けて寝床に戻っていくのである。
ウィリアム・バーミリオンは冒険者に憧れる十六歳の青年である。体は華奢で、鍛えても並の男ほどの筋力が身に付くとも思えない。本人もそれを自覚している。
ウィリアムは体が人より劣る分、知識の面でなら秀でることが出来ると思っていた。
両親に無理を言い、魔法を学ぼうとした。幸い、レセフェールの郊外に『荒野の奇術師』と異名を持つ魔法使いが私塾を開いている。弟子入りして冒険者になろうと考えた。
魔法学院都市ベルムに比べれば、確かに格安とも言える学費なのだが、それでも戦士の養成所に習いに入るよりも遙かに金が掛かる。剣や斧は見よう見まねでどうにかなる場合もあるが、魔法は勝手が違うようである。両親の負担だけでは金が足らず、自分の生活費と足りない分の学費は花屋でバイトをすることで補填することにした。
ウィリアムの予想通り知識面が重視され、身体能力は魔法を使うときの障害にならない。だから冒険者でも魔法使いだけは中年まで続けることが出来る。
まだ長い間私塾に通っているわけではないし、知識を蓄え、練習用として簡易の杖も授かることが出来た。練習以外に使うと破門する、との脅しすら受けた。ウィリアムはここまできてわざわざ破門になるような愚かなことはしない。
だが、練習だけでは風を軽く起こすのが精一杯で、そよ風が吹いて終わり、後は疲労感が体にのしかかる。割が合わない。
性格的にもやや内向的な面のあるウィリアムは、ごく最近文字だけ習いに私塾に来たセシリー・バーンスタインという同じ年齢の娘の明るさが妙に怖いと思う。同時に羨望もあるのである。
セシリーは食堂の娘で、食堂の主と魔法の師匠ワイズマンとは冒険者仲間だと聞き、ウィリアムは時々食堂に足を運ぶようになった。
食堂には冒険者の身なりをした者が数多く集い、食事時ともなれば椅子が足りず立ち食いを始める者すらもいた。
ウィリアムは冒険者がただの食い扶持が見つけられない乞食のようなものだと思っていたが、その認識を改めるべきだと思い直した。彼は忘れていたのだが、彼の師匠、ワイズマンも冒険者であった。この矛盾は目の当たりにするまで気がつかないものらしい。
しかし、その中でも特に身なりの悪い冒険者が、セシリーに難癖を付けながら食事の注文をしているのが目に付いた。冒険者や旅人といった風体の客は、その身なりの悪い者たちに特に関心を持っていないようである。
セシリーは柄の悪い彼らにも、特に接客態度を変えることもなく淡々と給仕に注文取りに駆け回っている。ウィリアムは何とはなしに嫌な予感がしていた。
ビルクリムは今日ほど旅人の割合が多い日は珍しいと思っていた。いつもは冒険者の数が圧倒的に多く、旅人は寄りつく余裕もないほどなのだから。
今日は商隊が商品を捌きに来たとかで、やや離れた荷馬車置きの空き地も埋め尽くされている。荷馬車で十台の輸送を行うような商人が、この食堂に来るのは久しぶりではなかっただろうか。
アリエルが視線を巡らせ始めた。
セシリーが給仕をする盆の上には次第に葡萄酒や蒸留酒が増え、客の盛り上がりも酔っぱらいの盛り上がりに変貌してきつつある。あまり好ましい状態ではない、とビルクリムは思う。
騒がしいことは活気でもあるから、ビルクリムはどうとも思わないが、いざこの雰囲気で乱闘でも起きれば大変なことになるだろう。怪我人だけでは済まないかもしれない。そういう痛々しい過去が蘇りつつある。
傍観者だろうが中心人物だろうが、どちらもこの雰囲気を経験したビルクリムにとって、憩いの場である食堂では暴れて欲しくない。
アリエルが小さな争いごとの種を取り除くことに期待するしかない。ビルクリムは客であって用心棒ではない。一度まねごとをして食堂への出入りを禁止されたこともある。
「おい──」
かすかに不平を述べる声が聞こえた。野太い声が不平を述べたようだ。セシリーの姿はなく、難癖付けられているのかもしれない。
アリエルは動かない。人混みの向こうに声の主がいる。アリエルはその状況を観察しているようだ。
セシリーがカウンターに戻ってきた。
「アリエル……」
「心得た」
アリエルは全てが判っているかのように、音もなく棍を握りしめるとその雑踏の中に足を踏み入れた。
ビルクリムは客の装いで後に続いた。
黒髪の青年が野宿着のままの冒険者に殴り飛ばされた。彼は観客と化した他の客に阻まれ、脱出することもできない。気を失い掛けているが、男に引きずり戻される。
「ここは食堂であって闘技場ではない。暴力的に騒ぎたければ食堂よりも広いところに失せるがいい」
アリエルは棒読みでそう叫んだ。
最近、旅芸人が英雄の半生を綴った劇を演じていたが、そういう台詞回しもあった気がする。
そんな物言いで引き下がるほど、この冒険者たちは礼儀正しくもないし分別もない。
先頭の男がまともな言葉にならないうなり声を上げて、アリエルに飛びかかってくる。アリエルは相手が武器を持っていなくても容赦せず、両手で構えた棍を相手の額に叩き込んだ。あっという間に気を失って倒れた。
残った野宿着のままの冒険者たちは、一人があっという間に倒されたことに度肝を抜かれ、倒れた男を拾うことも忘れて食堂から逃げていった。
アリエルが一瞥する。まだ青年になりきれない少年、彼は殴られた顔を押さえて倒れ伏していた。
セシリーが青年――ウィリアムを助け起こす。
「ちょっと、大丈夫?」
「だ、大丈夫さ。ま、また明日――」
青年は何か言い続けていたが、きちんと言葉になっていない。その事にすら気がついていないらしい。そのままセシリーの手を振りほどくと、食堂を出て行った。
アリエルがいつもの席に戻った。
「手際が良いね」
「……」
アリエルは無駄口を叩かない。
「あの青年、アリエルの知り合いか?」
アリエルは首を横に振って、知り合いでないことを示した。
セシリーは文字を習いにワイズマン・グレイフォックスの住む郊外に歩いていく。ラッチーの散歩も兼ねて、ワイズマンの私塾で昼頃まで勉強をする。
ウィリアムの顔には大きなアザが出来ていて、彼はふて腐れている。魔法が思うように使えず、腕力もたいしてない。セシリーの前で無様な姿も見せてしまった。ウィリアムはセシリーと合わす顔がない、と勝手に思いこんでいた。
「元気を出して。また食べに来てよ」
ウィリアムはぶっきらぼうに頷いた。
――強くなりたい……。
ウィリアムは夕方時などの、特に人が多い時をのぞいて時間があれば食堂に足を向けた。セシリーから見て、特に心の傷を負ったと言うようには見えなかったし、いい傾向だと思う。それに、ウィリアムは文字が読み書きできるから、わからないことを教えてもらえるのでセシリーにとって都合が良い。
――あのときの女の人は……。
ウィリアムはキョロキョロと辺りを見回して、マーガレット・リードを探し求めたが今日は来ていないらしい。家業の占いを街のどこかで行っているのだろう。
と、ビルクリムと目があった。
ウィリアムは屈強そうな男と目が合い、そして夜中のあの出来事を思い出した。まだアザは治っていない。傷がうずいた。
「勝手に睨んでおいて、目をそらす必要もないだろう」
ビルクリムは少しだけからかって、冒険者やゴロツキに視線を向けさせないように教えてやることにした。
「いいい、いや、別に他意は無いんです。そこらへんを眺めていただけで……」
と、次第に言葉がすぼんでいき、あとは何を言っているのかわからない。ウィリアムは怯えていた。ビルクリムは食堂の中でうんちくを垂れるつもりもないので、少年の腕をつかみ食堂の裏手に回る。
「セシリー、裏庭を借りるぞ」
「いいけど、ウィルを連れて行って何するの?」
「ちょっとした説教さ」
ビルクリムと説教が結びつかず、セシリーは首をかしげた。ウィリアムは腕が痛くて二人のやりとりにすら気がついていない。掴んでいるビルクリムの指を一本一本引きはがしにかかっている。
「ほどほどにね」
ビルクリムは軽く頷く。セシリーが洗濯物を干し終わり、食堂に戻っていったところで手を離した。
「痛いですよ、何をするんですか」
ウィリアムは少しだけ反抗的な態度をとった。ビルクリムとセシリーが知り合いだとわかり、少し安心したらしい。
「今すぐ逃げ出そうとする男を連れ出すには、それぐらいの強引さは必要だ」
ウィリアムは魔法を使いここから逃げ出そうと思う。幸い、二人以外に誰もいない。
左手を前に突き出し、呪文を唱える。通常の言葉ではない。魔法の元を紡ぐ、特殊な言葉だ。
唱えるのは簡単な魔法だ。
一言二言の呪文を唱え、常人には捉えられない魔力の素を紡ぎ形作る。そして、魔法の効果を心で描き出す。世界の法則を操り自らの支配する領域において、魔力の素を支配する。
「風よ、我が意に従え!」
何も起こらない。ウィリアムは左手の先を見た。魔法を唱えるのに必要な杖がない。どこかに落としたらしい。
「お前な、なんでもかんでも魔法に頼ろうとしていないか?」
ウィリアムは反論できない。相手は武器も防具も身につけていない。そんな相手に魔法を使おうとしたことがばれれば、師匠からは破門されてしまうかもしれない。
「いいか、俺は剣も鎧も身につけてないが、それを身につけるってことは相手を傷つけるってことだ。魔法も同じだ。使い方を誤れば相手を傷つける」
似たようなことを師匠に言われたことがある。
「もっと周りを見ることだな。誰もお前に危害を加えようなんてしていないのに、お前が勝手に杖を振りかざす勢いで、相手にけんかを売ってるんだ」
ウィリアムは一方的に言われていた。反論したいが、言葉がうまくのどを通らない。
「魔法使いの弟子なら、もっと勉強に励め。俺が言いたいのはそれだけだ」
ビルクリムはそこまで言い切ると、食堂に戻っていく。ウィリアムはこれでゴロツキなどに視線を向けることが少なくなる、かもしれない。そうであってほしいと思う。
ウィリアムは気落ちしながらも食堂に戻ってきた。
ビルクリムは彼を観察していたが、特に周りをキョロキョロと見回すこともなく、適当な席に着いた。説教にそれなりの効果があったと見た。
ウィリアムはマーガレット・リードの姿を見て相席を求めた。
「ウィル、君は何を占ってほしいの?」
マーガレットの元を訪れる男は、彼女が占い師であることを知っているか、さもなくば彼女の外見に騙されて言い寄ろうとする者である。ビルクリムはウィリアムがどちらであるかを見極めようと目をこらした。
「占ってほしい。僕の未来を……」
「未来。そんなものはあてにはならないわ」
「それでも知りたい。そして、僕は強くなりたい」
マーガレットは口の端を浮かせた。目を細め、ウィリアムの目を見た。
「いいわ、占ってあげる。占い料は君に任せてあげるわ」
ウィリアムは咄嗟に財布を押さえた。マーガレットに財布の中身を見られたような気がしたのだ。だが、そんなわけはない。彼女が魔法を使った気配もない。
「もうすぐ昼ご飯の時間だし、食事代一食分でどう?」
「いいわよ。未来を占うのね」
場所はどこだろうか。マーガレットに瞳を覗かれた瞬間に、脳裏にイメージが流れ込んできた。これは占いなのか、何かの魔法なのか、思考力が奪われて知らない未来が全身を包み込んだ。
時間はいつだろうか。建物の中にいるのは間違いがない。外を見ればわずかに明かりが見える。ロウソクやかがり火のたぐいだろうか。
つまり、時間は夕方か夜である。
正面を向き直れば、どこかで見たことのありそうな、ガラの悪い男たちが拳を作っている。再び、チンピラと対峙しているウィル。
* * *
しかし、それ以降は何もわからない。
気がつけば、マーガレットは昼食を食べていた。
セシリーがカウンターの向こうで、ウィリアムに心配そうな顔を向けている。
「大丈夫? ずっと考え事?」
セシリーが近づいてきて、左手をウィリアムの額に当てた。
「熱はないわ。どうしたの?」
「セシリー、何でもないよ」
ウィリアムは目をそらした。強くなりたい、と心から願った。
ビルクリムはウィリアムが強くなりたい、と言い出したことに衝撃を覚えた。ビルクリムから見て、魔法使いであるウィリアムはただそれだけで恐怖を与える存在である。たとえ人に無害な魔法しか使わないのだとしても、その力が常人には理解できない。また、見ることの出来ない力の源を利用している。
常人は理解できない者に恐怖を覚える。
ウィリアムはその存在自体が恐怖を与えると、理解していないらしい。
「親父、裏庭を借りるぞ」
「洗濯物を汚すんじゃないぞ」
ビルクリムはウィリアムを伴って、昼の日差しに照らされた裏庭へと向かう。
「強くなるってのはそう簡単じゃない。ウィリアム、なぜお前は強くなりたいと望む?」
「僕は弱い者を守るために強くなりたい」
「弱い者、ってのは誰だ。お前に守るべき者がいるのか」
「今はいない」
ビルクリムは稽古用に使っている木の棒を取り出した。もう一本をウィリアムに投げ渡す。
「稽古をつけてやる。だが、容赦はしないぞ」
「望むところだ」
ウィリアムは手に馴染まない木の棒を握りしめて、ビルクリムの構えに驚いた。木の棒を下向きに下げて、木の棒を構えていないのと変わらない。
「掛かってこい」
ウィリアムは声にならない叫び声をあげて、ビルクリムに木の棒を叩きつけようと振りかぶった。
ビルクリムは軽く身をかわすとウィリアムの腕に、思い切り木の棒を叩きつけた。
ウィリアムは痛さのあまり呻き、木の棒を取り落とした。
「お前はなぜ強くなりたいんだ?」
「僕は弱い者を守るために強くなりたい」
「弱いのはお前だろう」
ウィリアムはビルクリムを見た。瞳を見た。ビルクリムは真っ直ぐ、ウィリアムの瞳を見ている。瞳を射抜くように、ただ真っ直ぐ見た。
ウィリアムは、目をそらした。ビルクリムのただ真っ直ぐな視線を直視できない。
「俺の目を見ろ。わかるか、それがお前の弱さだ。自分に自信がないことが弱さなんだ」
返す言葉が思いつかない。
「セシリーは強盗にも屈しない強い心を持っている。どれだけ痛めつけられようと、どれだけつらいことだろうと乗り越えようとする強い意志がある。ウィリアム、お前にそれはあるか?」
ウィリアムはうつむいたまま黙り込んだ。返す言葉が思いつかない。
「稽古、ありがとうございました」
ウィリアムはそれだけ言うと、痛む腕を押さえながら下宿へと戻っていく。
――僕の弱さとは、心の弱さなのか……。
下宿に戻り、ベッドに座りながら考える。
強い、弱い、とは腕力の優れているか劣っているか、だと思っていた。だが、どうも強さとは腕力に限らない、という気がしてくる。ウィリアムはビルクリムが言いたいことが、わかったような、わからないような不思議な気持ちになる。
強さとは、腕力ばかりではないらしい。
セシリーは強盗に襲われても屈しない。
――ならば、僕はどうだ?
ゴロツキに難癖つけられて、そしてケチをつけられて、カッと頭に血が上ったことを覚えている。殴りかかって、そして殴られて床に倒れた。
別に、ウィリアムが難癖つけられたわけではない。セシリーに先輩風を吹かして格好いいところを見せたかっただけだ。それは逆効果だと思う。
結果的にはセシリーが言いくるめれば済んでいただろう出来事も、乱闘騒ぎとなり事態が大きくなってしまった。
ウィリアムは自分が随分未熟なのだと思い知らされた。強くならなければ、と思う。
師匠の元を訪ね、今までは教えてくれなかった、攻撃的な魔法も習いたいとウィリアムは思った。頼めば教えてくれるだろう、と思いウィリアムは夕日も暮れようかという時に下宿を飛び出した。
「師匠、僕に力のある魔法を教えてください」
攻撃的な魔法、人を傷つける魔法、と直接言葉に出してはあまりにも突然と思い、ウィリアムは力、と表現した。
「力、とはなんですか?」
ウィリアムの師匠、ワイズマンはそのことを何よりも知っている。人それぞれが選ぶ自分の力は違うものだが、本質的には同じものである。彼はまだその事を理解できない。
ウィリアムはワイズマンに問う。力とは何なのか。
「僕に問いますか。力とは自分自身が見つけるものですよ。ウィリアムには言葉としての力と、その導き方を教えたはずです。その事は覚えていますか?」
ウィリアムは頷くしかない。
「力とは自らを護り、他人を護り、自分を導き、他人を助け救うもの。そしてそれは両刃の剣でもあります。自分を傷つけ他人も傷つけ、あるいは死に至ることもある。そのことはよくよく分かっているはず。では僕に何を問いますか?」
ウィリアムは言葉に表すことが出来なかった。
「ウィリアムが肉体の鍛錬をしていることは承知しています。ですが、魔法使いたるもの、肉体もさることながら知識と判断力、洞察力と交渉力が不可欠です。知識人として見聞を広めること、それが最初に手に入れられる力です。肉体はすぐに衰えてしまうが、知識は積み重ね続けることが出来る。知識は老いにくいものですから」
「目の前の困っている人を救うことが出来ますか?」
「出来ます。そして魔術は常人では不可能な領域にまで、助ける力を広げるものです。神が与えるという奇跡の力と違うのは、禁忌にされるほどに危険なことすらも生み出すことが出来るからです。力を間違えた方法で使わないために、魔法使いには見聞が必要です。私はウィリアムが力の間違えた使い方を行わないように、街での修行を認めているつもりです」
「……つまり、力とは僕自身のことなんですか?」
「その通りです。一つ一つの判断がウィリアムを大きくする。魔法の力を極めても、肉体の限界に挑戦しても、他人を救うことが出来る。今のウィリアムは未熟です。それは間違いのない事実。だが、成長する。未熟とはそういうことです。分かったのならば勉強をし、迷惑を掛けている方々にお礼できるだけの力を身につけなさい」
ウィリアムはアリエルに話を聞くようになった。
ビルクリムは何があったのかを想像しながら、アリエルが喋りたくないのに答えなければならないという悲痛な表情に、改めて惚れ直したりもする。
昼時も過ぎ、午後の仕事を始める鐘時が鳴り響く。
教会はそうやって時を刻みながら、秩序と教義を広める。
「だからって、あいつらもお礼参りしなくてもいいだろうになぁ」
前回は三人だったが、今度は通りにも溢れている。
ビルクリムは素手でのやりとりも慣れたものだ。アリエルには棍がある。何人かの冒険者が立ち上がり、追い払う構えを見せる。
ウィリアムは立ち上がり、杖を構えた。魔法は即座に発動するものもあるが、言葉を紡ぎ形にするものが主流だ。ウィリアムもその流れを組む魔法を使う。詠唱を始める。
大男はウィリアムに殴りかかる。腰に下げた剣でなくても、大丈夫と思ったのだろう。
ウィリアムは杖を振り上げた。その先には小男の股間があった。
呻きよろめいた所に杖で殴りつけると、小男は白目をむいた。ウィリアムは魔法使いであることを利用し、逆に返り討ちにしてしまった。
機先を削がれた冒険者崩れどもは、倒れた男を拾い上げるとそのまま捨て台詞だけを残し去っていった。
次の日からビルクリムとウィリアムの稽古は再開されたが、しばらくは悲鳴が絶えなかったという。
ウィリアムが力とはなんたるか、そして魔法の正しい使い方を理解したら、ビルクリムは冒険の旅に誘ってみようと思う。グレッグがもっとわかりやすい言葉で、力とは何かを教えることだろう。
――幕――