書き手・逢坂総司
それは、本当にちょっとしたことだった。
たまたま貧乏になってしまった盗賊が、少し羽振りの良さそうだと思った先、それがライザー食堂だった。
盗賊の定石として裏庭から侵入した彼は、敷地内に呆気なく侵入できてしまったため完全に油断していた。
――これからが本番だ。
盗賊らしからぬ失念ではあったろう。思いとは裏腹に、油断していた。
表からは食堂特有の、香ばしい料理の薫りと騒がしすぎるほどの活気が満ち、彼の元にまで押し寄せてきていた。
――ここは食堂でもあった訳か。
日が就寝準備を始めているせいで空は朱色に染まっている。もう一度耳をすませば、いよいよ客がたくさん押し寄せている。いつも通りやれば、難無く金銭を盗める確信があった。
だから、太ももに違和感を感じたときは、珍しく緊張しているのだと思い、事実を認識するまで時間がかかった。
再び、太ももに違和感があったとき、彼は頭の中が真っ白になって叫んでいた。
――なんで、俺は叫んでいるんだ?
とにかく、叫んでしまえば食堂の人間にもばれてしまう。見つかる前に退散するべきだった。彼は、太ももの違和感が何なのかの確認は後回しにして、アジトに逃げ帰った。
裏庭には愛犬ラッチーが居座っている。まさか、犬を飼っていると盗賊は思わなかったらしい。見事、ラッチーに撃退されてしまった。彼は番犬気取りだったが、誰も気が付いたりはしなかった。
「今度こそ、あの食堂から金を奪い取ってやる」
彼は盗賊仲間にも声をかけた。確実に収入を得なければ、上納金も払えそうになかった。 どういう方法かで食堂から金品を奪わないと、ちっぽけな彼のプライドに傷が付くうえに彼は大変な目にあう。上納金が収められないとなれば、上から睨まれてこの辺りで仕事が出来なくなる。それどころか、上が彼を始末しようとするかもしれない。
ただ、人質を捕って立て籠もるにせよ、金品を家捜しするにも人手があった方が早い。しかしその分、分け前が減る。そうはいっても、随分目減りするだろうが確実に収入を得られるはずである。
仲間と相談しあい、彼はいくつかの行動プランを作成し、二度目の失敗を行わないための準備を開始した。
その盗賊、名前をカーギラスといった。
* * *
ビルクリムは新作メニューを平らげると、いつも使っているカウンター席で舌に残る味を言葉で表現してみることにした。
ソースの微量の辛みが舌に残るが、さっぱりとした味付けで、清々しい味わいと風味を与える。白身魚のフライは、病み付きになるかも知れなかった。
少し遅めの昼食だったためか、人気が少ないとビルクリムは思っていたが、いつもならいるはずのメンバーがいない。
「親父、ちょっと人気が少ないな。いつもこんな感じだったか?」
皿の水気を丁寧に落としているライザーを彼は親父と呼んだ。父親ではなく、彼なりの親しみを込めた呼び方みたいなものである。
「昼食が終われば、普通の人間は自分の仕事を思い出すからな」
仕事をしに帰って行くのさ、と言葉を続けた。新品のように綺麗に洗われた皿が、どんどん食器棚に直されていく。
「でも、セシリーの姿が無い。良く考えたら、アリエルもずっと姿が無い」
ビルクリムは、いつもぱたぱた走り回っているはずの看板娘を思い浮かべ、そして、いつも横に座っているはずの女用心棒の名をあげた。
ライザーは答えなかった。
セシリーがいないのは、場合によっては愛犬ラッチーの散歩に行っているかもしれないからだ。しかし、用心棒であるアリエル・ユイオーがいないのはなぜだろうか。何かが決定的にずれているのだが、何がどうずれているのかが分からなかった。
「親父、アリエルはどこに行ったんだい?」
ライザーはビルクリムの瞳をじっと見つめた。
「知りたいか?」
一瞬の躊躇。
「ああ、知りたい」
「デートだ」
ライザーは答えると、ビルクリムの様子を見守る。彼はとても悲しそうな表情を浮かべ、あり得ない現実を想像し打ちひしがれていた。
「冗談だ」
ビルクリムは冗談だと分かると俄然元気になった。
「それよりも変な感じだな。どうしても違和感が拭えない。何かあったんじゃないのか?」
と、ビルクリムは思ったことを述べてみた。ライザーは一瞬だけ表情を曇らせ、それをビルクリムは見逃さなかった。
「協力出来ることなら、何でもするさ。何があった?」
声を抑えた。違和感の核心が、今目の前に横たわろうとしている。
「それを語ると長くなる。『ニーナの店』に行けば分かる」
ライザーはそれだけ言うと、布巾を持って、ビルクリムの使った食器とテーブルとを綺麗にして行く。
口が堅そうなライザーよりも、手掛かりがあるという『ニーナの店』に向かうことにした。蟠って解けそうも無い疑問を解くために。
* * *
カーギラスは盗賊仲間が焦っているのが良く分かった。それは、自分自身も焦っているからだ、などと思ってみたりするが、それで事態など好転するはずも無い。
折角、食堂の一人娘を捕まえて脅迫の材料にしたはずなのに、一向に本人は緊張感が無く、その上この食堂は頻繁に冒険者が出入りするらしい。先程から一人娘は元気にしゃべり続け、仲間の疲労感は濃くなるばかりだ。どこで計画が失敗したのだろうか。少なくとも、娘を人質にしている間は相手が下手な手出しを出来ないはずだから、頂くものを頂けば手荒なまねをする気などない。殺しはこの縄張りでの違反行為とされているからだ。
逃走経路が確保されているか確認したかったが、生憎とそれを確認する術が無かった。
「で、私はいつ解放されるの?」
「金が手に入り次第だ」
「それは、いつ?」
「手に入ればだ」
「私は時間のことを尋ねているのよ?」
娘と問答してくると頭が痛くなりそうだ、とカーギラスは頭を抱えた。
「近いうちだよ」
「近いうちって、具体的にはいつのことなの?」
黙ることにした。相手をしていては娘のペースになるばかりだ。
少なくとも、時間が経ち過ぎているのは間違いない。このままでは、一階食堂には冒険者たちが集結して、こちらの出方を窺っているのかもしれない。カーギラスはふと恐怖を感じた。目の前を生め尽くす人全員が、今すぐにでも殺しにかかる勢いで襲いかかってきたら、一体どうやって切り抜けられるのだろうか。
カーギラスは身震いを一つして、いつ襲いかかるかも分からない恐怖から目を逸らした。
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ニーナの店は言うほど遠くない。一つ隣の通り、一つ隣の筋にある。だから、腹ごなしの散歩には近すぎる、とビルクリムは思った。
濃い蜂蜜色の扉には「準備中」と書かれた看板がぶら下がり、鎧戸まで降ろされた窓からは店内の様子など一切読み取れない。閉店というよりは、夜逃げでもしたのかという風体だ。しかし、つい最近手入れされた跡があり、やはり誰かがいるのだろうとビルクリムは思う。
扉をノックする。とても重い音が響いた。質感のある、分厚い扉のようだ。
「これでいなかったら、どうすればいいんだろう」
その疑問はもう一度扉を叩こうとしたときに取り除かれた。蝶番にしっかりと油が差してあるのだろうか、ほとんど音を立てずゆっくりと扉は開いた。
「今は閉店しているんだけど?」
初対面の女性だった。ビルクリムは、この女性がニーナに違いないと思った。じっ、と瞳を見れば奥まで吸い込むのではないか、というような黒い瞳。対照的に、色が抜け落ちたように白い髪。波を打ったような白い髪は肩から後ろに流されている。顔の作りを見ると、子供なのか、と見間違えるぐらいおうとつが余り無いが、子供という訳ではないらしい。
一瞬受け答えに窮したが、ビルクリムは思ったことを述べることにした。
「ここが、ニーナの店だと聞いて来たんだけど?」
とりあえず、白髪の女性は何かに納得したらしい。少々お待ちを、と言葉を残して扉を閉めてしまった。扉に耳を当てるが何も聞こえはしなかった。
「お待たせしました」
女性はその店内にビルクリムを招き入れた。異国調のデザイン。少し遠出をしなければ見ることの出来ない品もそうだが、お目にかかれないような珍品らしきものまである。それが、一切埃を被っていない。今磨き上げられたかのように、きらきらと光沢を放っている。
女性は姿勢を改めると名前を述べた。
「ニーナと申します」
ビルクリムも名乗り返す。
「ビルクリムと言います」
しばらく、ビルクリムは何を言えば良いのか分からなくなって来ていた。
恐らく、目の前のニーナという女性は、他国まで足を伸ばす交易商か何かで、ライザーにからかわれているのではないかと思った。それにしては、手が随分と込んでいるのだが。などと考えているうちに、ビルクリムは切り出すタイミングが分からなくなっていた。
「どういったものを求められますか?」
ニーナはビルクリムを無口だと判断したのか、先に切り出すことにしたらしい。少しだけ質問口調だった。
ペースに飲まれていて、一体いつ何を話せば良いか分からなかったが、やっとタイミングが来たようだ。
「ライザー食堂って知ってますか?」
ニーナの表情が変わった。
「そこの店主の親父、ライザーにここに来ればアリエルに会えると聞いたんですけど」
ニーナは納得したような表情を見せた。
「なるほどね。そういうことなら、そのアリエルってお嬢ちゃんは奥にいるよ」
ビルクリムは案内されるままに奥へつながる通路を進み、うっすらと明かりに照らされたテーブルと、そこに寄り集まる人の姿を認めた。
ニーナは案内が終わると何も告げずに表の店に戻って行った。
簡単なあいさつもそこそこに、ビルクリムは面々と対面する。アリエル・ユイオー、グレッグ・ゴルド・ホワイトホーク、そして……。
「クリス・シュタイナーと申します」
それぞれが名前を名乗る。三人が集まって相談している。彼らの手元には、線と点と幾つかの書き込みのある紙が広げられている。
「要は、何をしているんだい?」
彼が尋ねると、クリスは簡単に説明を始めた。
ライザー食堂に盗賊が押し入り、一人娘を人質に金品を要求している。下手に刺激する訳には行かないので、たまたま偶然事件に関わることになった面々だけで処理しようとしている、ということ。アリエルもグレッグも荒事に慣れていること。そして、部屋の見取り図から間取りを推測出来ること、などなど対策会議中だったらしい。
食堂の見取り図だ、と言われれば確かにいつも食べに行く食堂のようだ。しかし、その意味の分からない記号は、ビルクリムにとって容易には食堂の姿と一致しない。
「普通に考えて、扉からしか攻め入る場所が無いし、あまり時間をかけ過ぎると盗賊たちが逃げ出す危険性とか、セシリーさんの安全が保障出来なくなります」
クリスは、いざとなったら、要求額を用意して安全に解放させるのも手だ、と述べた。
グレッグは確かに、と同意の意を表明したが、まだ諦めるのは早いはずだ、と考えてどこかに忘れていることは無いか、と探し続けている。
アリエルは静かに成り行きを見守っているかのように、寡黙な姿勢を続けている。
「せめて、相手が何人いるかが分かればなぁ」
ビルクリムが呟いた瞬間、ニーナが何かを持ってビルクリムの後ろに現れていた。
「あるにはあるけど」
それをテーブルに載せた。
「これは遠見の目。使い始めると、この水晶玉が目玉となって使う者の意志に沿って動く。使う者はこの目玉の見たものをこの輪っかを通して見ることが出来る」
使い方を説明して、使うかい? と問う。
グレッグは是非とも、と述べ、使おうとするとニーナは指を三本立てた。
「まぁ、何をするにもただじゃ無いということさ」
非難するものはいない。今は少しでも時間が惜しかった。グレッグは持っている金額で足りたらしく、それをさっさと渡した。
使い方を聞きながら、グレッグはその道具を操作し始めた。小さな水晶玉は、目には見えない力で動き出し、テーブルの上をふわふわと浮き始めた。
すいすいと目の前を飛んでいたが、しばらくするとニーナの店から出て行った。グレッグが操作しているのは間違いないが、どう操作しているのかは一向に分からなかった
グレッグ以外の面々は、彼が何をしているのか分からないままに、じっと固唾を飲んで見守るしか無く、どういう結果になるのかも分からない。
それどころか、物音ひとつ立ててどうなるかも分かったものではない。
こういう、使用者以外にはまったくどんな悪影響を与えるか分かったものではない物が多いために、魔法の道具はあまり流行らない。例えそれがとても便利なものだとしても、ただ魔法の道具というだけでかなりの人間が忌避してしまう。それはやはり、未知の領域なのだろう。そして、魔法使いが嫌われるとすれば、正に強力である、といわれる魔法を自由自在に使えるという事実である。
重苦しい沈黙の中で、夜の帳が下りるのを全員が感じていた。特に、水晶球の目を操るグレッグには、その移り変わる様が鮮明に見えていたことだろう。
体中が緊張して強ばり、汗が額を伝い始めたころグレッグは一言だけ言った。
「もう、アリエル殿の部屋です」
いよいよ、水晶球の目はアリエルの部屋に潜入を開始した。
薄暗い部屋でも、グレッグが脂汗を額に浮かべているのが見えた。水晶球を操るのはとても難しいのだろう。既に、かなりの時間が経っていたが、グレッグは一向に朗報も情報も何も齎すことは無い。
「あ」
固唾を飲んでいた三人は、グレッグの唖然とした声を聞いて身構えた。何かあったに違いない、と察した。
「気づかれた、かもしれません」
曖昧だが、既に水晶球はやられているらしい。四人は凝ってしまった筋肉を無理やり動かし入り口に向かう。
「ビルクリム……少し話があるんだが」
ニーナが戸口でビルクリムを呼び止めた。
「こっちは急いでいるんだが」
見る見る内に三人の姿が小さくなって行く。
「ふむ、急いでいるようだね。でも、何でそんなにお急ぎだい?」
「何って、ライザー食堂のセシリーが捕まっているんだ」
そうこうしている間に、三人の姿は見えなくなっていた。
「そんな急いでいる貴方に、いい道具があるよ」
ビルクリムは半ば呆れていた。ここで道具を紹介されて、一体どんな使い道があるというのだろうか。今まで己の肉体を信じ、鍛練を続けてきた彼にとって魔法の道具は忌み嫌うもので、どんなことが起こったとしてもやはり苦手である。
「今日は、体験者募集を兼ねているから、無料で良いよ」
例え、手持ちの金が無かろうと、今からそれを使ったところで事件が解決していては何もかも無駄に違いない。先程グレッグが使っていたような道具が出てきても、使い道は無い、とビルクリムは考えた。
「時間が惜しい」
「そうはならんさ」
即答でビルクリムの言は叩かれた。
「今からでも走れば、十分加勢出来るはずだ」
「そうは思わんね。君に出来ることと出来ないこと、というのがある。それは、この場合先程の三人の出来ることと大して変わらない。こういった特殊な条件での戦いは、特に君の習練が足らんのでは無いかな。ならば、そのまま行けば確かに加勢となるだろうが、同時に君の存在が足手まといか何かになってしまう。――君は魔法を嗜むか?」
彼は魔法という言葉の不快感に顔を歪ませた。
「いや」
「ならば、尚更に君は役に立つまい。そういう時の道具だ、ついて来るが良い」
ニーナの店の階段を上り、屋根裏にまで出る。
倉庫として使っているのか、店ほどには整理されていない。手入れのされていないようなものばかりが置いてあり、埃が積もっている物もある。クモの巣が絡み付いていても全く不思議ではない。
埃っぽい中からニーナが指し示したのは、黒光りする人の背丈ほどの筒だった。台座にしっかりと据えられていて、動かすのはほとんど無理そうだった。
ニーナが筒を押すと、筒は台座ごと回転することが出来た。それでどれくらいだか回転させると、ニーナは額の汗を拭い、ビルクリムに向き直る。
「こちらの準備は万端だ。君の方は、準備と言っても大して時間は掛からない」
ニーナは斜め上を向いた筒の先を示し、うっすらと薄い笑いを浮かべた。
「ここから入れば良い。後は道具の方が勝手に稼働するようになっている」
ビルクリムは閉口した。まったくどういう原理で、そして筒自体がどんな意味を持っているのか、そういったことが全て疑問だった。謎が多すぎる。
「躊躇している暇は無いぞ。さっさと入らないと、準備が無駄になってしまう」
ニーナの勢いに押されて、とにかく筒に収まる。狭苦しくて、体の幅ぴったりの大きさと来ると、自分では出られない感じだった。
とにかく、嫌な予感がした。ビルクリムは迂闊に筒に入ったことを後悔しつつ、もがきながら出ようとした。しかし、腕も肩も筒につっかえて思うようにいかない。
「点火」
ニーナのその声を聞いた途端、世界は真っ白になった。
* * *
盗賊仲間が何かを発見して、咄嗟に攻撃をした。
「これはなんだ?」
拾い上げたもの、それはちっぽけな水晶玉だった。その上、傷物にしてしまったので商品価値は皆無だ。
「それよりも、貴重なお宝を傷物にしちまうとは、お前も腕が落ちたな」
「うるせぇな。それよりも、逃げ出せないことには、お宝が手に入らないとしても意味が無ぇだろうが」
カーギラスは肩を竦めた。
「そうは言うが、なかなか相手の手が見えない以上、下手に動けばそれこそ命取りだ。こっちには人質がいるんだ、それを忘れなければどうにかできるだろう」
もう一人の仲間が、ため息交じりに述べた。そして、言葉を続ける。
「忍び足の下手くそな奴らが階段を上がってきたぞ。とうとうやりに来るつもりらしい」
カーギラスは一瞬体を堅くしたが、得物に手をかけた。戦うこと自体随分やっていなかったが、生き残れるのではないか、という空の自信が彼を支配して行った。
階段を上り、一番奥の部屋に行けば、そこがアリエルの寝泊まりする部屋であり、今は盗賊たちが立て籠もる部屋である。
三人はとにかく慎重に足を進め、一気に攻め入るつもりであった。場所を移していなければセシリーは部屋の一番奥に置かれている椅子に縛られている。
動かしていれば、一体どこにセシリーは縛られているだろうか、そう考えてもグレッグには検討もつかなかった。
それどころか、セシリーを盾に取られれば結局無力化されるのは目に見えており、下手に攻め入れないのもまた事実だった。タイミングが全く掴めない。せめて、盗賊が疲れ果てるのを待つしか無いような状況だった。
――せめて、中の状況が分かれば……。
使い物にならなくなった遠見の目が、今ここにあったのならば今すぐにでも部屋の中の様子を調べさせるのだが、無いものは仕方がない。
アリエルが扉に耳を当てて、中の様子を探ろうとしているが、そう簡単に聞こえてくることも無く、やはり時間がかかる気配は濃厚である。
* * *
それは、中に入ったものを意図する方向に「安全」に送り出すための物らしい。しかし、その便利さや安全性よりも、快適性の皆無が問題になったために魔法の道具としての普及率は低かったらしい。結局、ほとんどその筒を見ることは無い。
全身が千切れるのではないか、という勢いで体がいろいろな方向に引っ張られたり圧迫されたりした。しかし、ビルクリムの体は傷一つ無く、無事にアリエルの部屋にたどり着いていた。ただ、女性の部屋を訪れるには、あまりにも派手で不調法だったが。
ライザー食堂の二階の、元々倉庫として使われていたアリエルの部屋は、ビルクリムの突入により壁の半分を吹き飛ばされていた。その衝撃はすさまじく、盗賊たちは街道に落下する者、床に突っ伏したまま動かなくなる者、影も形もない者、という結末を迎えた。
グレッグたちが部屋に踏み込んでいたら、彼らも大変なことになっていたに違いない。
セシリーはどこかに吹き飛ばされることは無かったが、テーブルの下敷きになってもがいていた。
椅子にきつく縛り付けられていて、腕に縄目の後が残っているのは痛々しいが、目の前で伸びている盗賊一人を殴ったところで何も解決はしないだろう。
「とにかく、私が来た甲斐はあまり無かったですけど、目の前で盗賊団が動き回っているのではないかという証人を確保できた訳ですから、少なくとも私の任務は進展していますね」
クリスはセシリーを縛っていた縄を使って、要領よく盗賊の身動きを封じると、グレッグに手伝ってもらって部屋の外へ運び出した。
セシリーはどうにか自分で歩けるのか、グレッグに続いた。とにかく、埃が舞ったままの部屋にいたくなかった。部屋の体裁を失っているから、何と呼べば良いのか誰も分からないのだが。
部屋にはビルクリムと、借りているだけとは言え当面の主であるアリエルが残された。
傷一つ無いビルクリムは、着地の衝撃で伸びていた。頭からの直撃は、未知の力が働いたとは言えコブを作るぐらいには衝撃を与えていた。
「大丈夫、ビルクリム?」
アリエルはビルクリムの額に手を置いた。コブが熱を持っていたが、それ以外は普通そうだった。すべては万事解決に向かっていた。
ビルクリムが起きるまで、何故自分の部屋がこうなることになったか分からないが、セシリーは大してケガを負わなかったからライザーが酷く怒ることは無いだろう。ライザーの恐ろしく落胆した表情が拝めるかもしれないが、それはビルクリムが起き上がってからでも見れるだろう、などとアリエルは考えて、見通しの良くなり過ぎた自分の部屋から夜空を眺めた。
幕