作者・逢坂総司
一。
月の輝きは雲に隠れた。
彼は一時の野生を心の奥底の、誰にも見られたくない闇の中にしまい込んだ。
ふと、考える瞬間がある。
他国への密偵という職務において、闇司祭を始末する任務ばかりを行うことは、実際の国防とどのような関係があるのだろうか、と。
一兵士として、余分なことを考えるべきではない。しかし、気になるのである。彼がまだ人を失っていないが故に。密偵という職からか、物事を幾つかの面で把握しなければ、正しい情報として認識できない。
闇司祭が〈魔物〉を召還出来るという証拠はどこにもない。〈魔物〉を召還出来る闇司祭とは、つまり〈魔物〉に自らの全てを捧げた者である。それは既に人ではない。〈魔物〉自身と大差ない。
我が国に闇司祭が潜んでいるという情報はない。一年前に行われた殲滅作戦決行時に、密会を行っていた闇司祭は誰一人として逃さなかった。間違いない記憶。そして、他の密偵達が新たなる闇司祭を国内に侵入させない。
国内の不穏な動きを封じたのであれば、わざわざ他国に足を運んでまで闇司祭を始末する必要はないはずである。
なぜだ――
問いに答える者など誰もいない。それぐらい、彼は知っている。
二。
森林都市グリンデルにほど近い街、緑庄街ビリジエに一行は逗留している。
森林都市が近づくほど、木々が多い茂り、その下を進むものにとっては緑色の屋根、あるいは緑色の腕に抱かれているような気分を味わう。
通行税を払わなければならない、と通達されて一行は関所から引き返してきたばかりだ。
一行とは、アリオネアの三姉妹、クロック・ラザフォード、グレッグ・ゴルド・ホワイトホークである。
「とにかく、関所を通るからと行ってお金は払いたくないです」
とは、カリンの言い分である。しかし巡礼のためには関所を通らなければならない。
物々しい砦を関所に改造している領主の悪趣味ぶりは表現に窮するほどである。その砦にして関所は、石とレンガをしっかりと組み合わせた堅牢な物であり、砦としての機能は十分に有している。そして分厚い木の壁が石の端々を補強している。高い高い物見塔は関所を不正に抜けるものを見逃さないつもりらしい。騎士の突撃や、破城槌に対抗するための準備らしく、杭やら何やらが砦の周辺に無造作に置かれている。戦時にはいつでも準備するつもりなのだろう。
関所を力ずくで抜けようとすれば、砦を守る兵たちが黙ってはいないだろう。無茶は出来ないため、南に向かう行商に護衛として便乗しようという腹づもりとなった。街道が整備されているグリンデル領に野党の類は出ないはずだ。だが用心深い商人はいるものである。
あまり日数の余裕はないが、後で馬車を急かせば間に合う、最低限度の日数を残すことにすると、四日は待てることになった。
行商人の集まる宿を教えてもらった一行は、とりあえず辛抱強く粘ることにした。
三姉妹のうち、末娘のシータが一番最初に弱音を吐き、観光に行きたいと言い出した。待つだけなのは元気の有り余る彼女には耐えられなかったらしい。緑庄街と名の通り、緑に覆われたビリジエの街は、植物が多いだけではなく緑色の鉱石が産出される。
よって、緑晶の街と評する者もいる。
観光としてはみるものは少ないが、買い物となれば見るものは幾らでもある。シータは見に行きたいと言うことを主張した。一人では危ないと言うことで、姉のエルザが同行することにした。
財布係の次女カリンはグレッグとクロックと共に居残りとなった。
「こういう所で損な役回りなのは、いつものことだから別に気にしていないわよ」
さっさと二人を送り出した。
「さて、暇になったわね……」
「暇……ですか。まぁ、暇の潰し方なら心得たものですよ」
クロックは言った。
「暇つぶしを披露する前に、商人が護衛の募集をしていないか調査しておいた方が良いですね……」
グレッグはそう判断しているらしい。
「いえいえ、ただの暇つぶしでは、本当に時間の無駄になりますから……」
クロックは苦笑してグレッグに座っているように告げた。
「ようは、見た目が派手な魔法は、実害なく楽しむことが出来るのですよ」
この酒場には吟遊詩人などが歌うための、ちょっとした舞台が用意されているようであった。舞台といっても、両手を広げたぐらいの大きさでしかない。
管楽器、弦楽器などを奏でながら、朗々と旅の情景を謡うのが彼らの仕事である。今はちょうど誰も使っていなかった。
クロックはそこに立つと、全員が注目するのを待った。楽器は手にない。
「お、兄ちゃん何か謡うのかい?」
近くにいた商人らしき男が興味を示した。
「似たようなものです。ちょっとした手品ですよ」
クロックは食堂の主人に言うのが一番効率が良い、ということを思い出した。
「主人、空の樽を三つほど借りて良いですか?」
酒場の主人はいぶかしげな顔をしたが、空ならば、と三つを用意した。クロックはそれを「舞台ですよ」と言った。
白いウサギが三匹、クロックの長い貫頭衣の端から舞台上に現れた。そして伝統的民謡を謡うのであった。
『月夜、言霊落ちる蜜の月、言葉を集めて神は生まれる――』
ウサギが謡うのには意味があった。
白いウサギは平原を司る神の使い。平原を司る神の母親は大地の神であり、大地の神は全ての神の母親。というのがグリンデルの国教の教義の最初にある。
『――神は人々を作りたもう』
神が人を創った後、姿を見せなくなった理由は宗教界では毎年議論になるが結論は不明なままである。
クロックはそういう話題には一切触れない。ウサギたちは娯楽の提供のために舞台に立っているだけである。
「兄ちゃん、ウサギに芸を仕込んだのかい?」
「ウサギには芸を仕込めませんから、ようは手品なんですよ」
クロックの暇つぶしがどのような原理で成立しているのか、まったくわからなかった。
「グレッグさん……クロックさんはいつもあんなことをしているんですか?」
「いえ、私も見るのは初めてでして……」
グレッグは驚嘆すると共に、謡い終わったウサギたちに拍手してしまっている。これではウサギ狩りが出来ないではないか、と気が付いて拍手を止めたが。
「私は旅の手品師でございます。腕に覚えもありますので、是非とも護衛に雇い下さい! ただ、南の方に急ぎの用事がありますので、南に行かれる方の護衛、暇つぶしにお雇いのほどを!」
クロックの手品と称した見せ物は、大盛況であった。
早速、商人と思われる男が一人近づいてきた。そして簡単な話をした。
しかし出発の日取りが合わず、同行出来なかった。ここに足止めを食う商人は、通行証の発行待ちという場合があるらしい、ということがわかった。
シータの観光も終わり、五人で夕食を食べて宿に泊まる。
三。
商人捜しは、どうやらクロック一人で事足りてしまいそうであった。
するとカリンが収支について商人と交渉したいから残る。三人が手持ちぶさたになった。
「では、観光に行こう」
とはシータの言葉である。
エルザは保護者ということでついていく。
グレッグも暇であり、少しぐらいは観光をしてみることになった。
緑庄である。大木が作る日陰が街中を多い尽くし、日向のほうが珍しい。大抵は木漏れ日がほのかな暖かさを持って差し込むぐらいである。
エルザとシータ、そしてグレッグは『緑玉専門店』に入った。
「このアクセサリー良いな」
「そうかしら、こちらの方が似合いそうだけれど」
グレッグはアクセサリーについても疎い。よくわからない。
少しだけ年の離れた姉妹が、同じ歳の友達のようにアクセサリーを選び合う様はほほえましい。庶民とはそのようなものなのだ。
グレッグは騎士の家系で生まれ、騎士となるための勉学ばかりを行ってきた。騎士が無理でも学者の道があった。学者とは、魔法学院都市ベルムで物事の真理と神秘を探求するものである。
庶民がどのような生活をしているのかの実感は全くなく、この買い物主体の観光は新鮮みに溢れている。
緑色の石が埋め込まれた腕輪を一つ、シータは身につけた。それに決めたらしい。
「グレッグ、お金かして」
カリンに財布の大半を抑えられているため、シータの持っているお金では支払いに不十分であるらしい。
「そう高くないですね。足りない分は出しておきましょう」
「ありがとう、グレッグ」
「騎士ならば当然ですよ」
グレッグは当たり前のように答えた。
「お、お客さん、騎士様なのかい?」
宝石商がおびえ声を出した。
「いえ、結局騎士叙勲は受けられませんでした。……私の顔に何か付いてますか?」
「あ、いや騎士様というと賄賂と汚職と所場代を取るものと相場が決まっておるから――」
「そんなことはありません!」
グレッグは思わず叫んでいた。宝石商がおびえて後に下がった。
「グレッグさん、落ち着きなさい。この国の騎士はそういう生活をしているのだろう。貴方の国の話ではありません」
エルザがグレッグを押さえた。
彼女の体格ならグレッグを物理的にも押さえることが出来た。
「そ、そうですが……。騎士は清廉潔白にして民衆に慕われるものでなければならないのです……」
「理想と現実は違うものです。貴方は宝石商をおびえさせているだけですよ」
グレッグは宝石商に非礼を詫びると外に出た。
腕輪の支払いの足りない分を渡しそびれてしまったが、エルザが補填したようだった。
「グレッグさん、取り乱すとは珍しいですね」
「面目ない。冒険者になって心身を鍛えているつもりでしたが、まだ未熟です」
「未熟云々以前に、何か過去にあったような感じですね」
冒険者は過去を詮索しないものである。だが気心が知れているなら、聞くこともある。グレッグはまだ騎士になれなかった自分を語るだけの勇気を持てなかった。
「過去に、確かに騎士になれなかったという事実はありますが――」
「まだ話したくない、と」
エルザの声には落胆の響きが感じ取れた。
「そうです。相談にのっていただく日が、いつか来るかも知れませんが、そのときはお願いします」
まだ、グレッグは冷静になりきれていなかった。だから、深く詮索して、話をこじらせるのは得策ではない。
四。
酒場で全員が合流した。
「こちらが、我々を数日間護衛として雇うことになった、ノリス・バドルーゼン氏。武器と防具を扱われているらしい。本日は防具の材料を運ぶと言うことらしい」
「今日出発ですか?」
「いや、今日はもう日が暮れてしまうので明日出発します。それに同行者がまだ帰ってきていないですからね」
バドルーゼンは豊かに蓄えたあごひげをしごきながら、やはり豊かな腹をなでて答えた。
「首都のグリンデルを越えていくとすると、最南端の岬を目指すのですか?」
「その手前です」
「儂もあまり南に詳しいわけではないのでよくわからないが、道すがらというわけだ」
がはは、と笑うあたりは剛胆な行商人らしい。
白髪交じりの髪とひげが、バドルーゼンの年齢を示しているようだが、実年齢を聞いたところでどうなるわけでもない。
幌馬車三台分の金属や皮革を輸送するようで、そのまま親しい防具屋に搬入するようである。つまり、バドルーゼンは材料の輸送で利ざやを稼ぐ商人である。
彼は森林都市グリンデルとグリンデルの従属都市を商業の中心にしているらしい。そして、今回のように南に大きな販売先が出てきた。
ビリジエよりも奥にあるグリンデルはさらに森の中にあるという印象を覚えるらしい。
シータはグリンデルがどんなところか知りたがり、心躍らせた。
外が騒がしい。
戸板の窓から外を見ると、外套をしっかりと身につけ、風貌も知れない人物が警備兵らしき男たちに追いかけられている。
「あ、ネボド!」
人物がバドルーゼンの声に反応した。
人物は警備兵に向き直る。警備兵は四人。鋲で補強された堅そうな棒を振りかざす警備兵達。街の人々は夕暮れ時に突然舞い込んだ娯楽に、集まり始めている。
警備兵が素性の知れない人物を叩き伏せる風景が想像された。
ところが、警備兵の攻撃を寸前の所でかわし、一人ずつ殴り倒していく。
四人いた警備兵のうち三人まで倒したところで、四人目が居ないことに気づいた。
「あれ、四人目はどこだ?」
誰の声かはわからない。だが四人目が倒されることを期待していた人々は、この場にいると掛かりたくない火の粉が掛かると予想したらしい。早々に離れていった。
「いかん、我々も移動しますぞ」
バドルーゼンは慌てて移動することを提案した。
ネボドと呼ばれた人物が原因であることは間違いなく、それでかつ同行者と同一人物であることは間違いないようだ。
そのまま逗留するわけにも行かず、一行は別の宿に移動した。
「こちらはネボダード。姓はない」
バドルーゼンは同行者をそれだけ説明し、さっさと寝室に引き上げてしまった。ネボダードという同行者も、それに続いた。
「愛想悪いわ……」
カリンは印象を述べていた。クロックはなだめるように言葉を述べる。
「ですが、それによって関所を越えられるのですから……」
「どうだか。何か問題を起こしたのなら、関所で止められてしまうわ」
カリンは不安そうであったが、この問題は今すぐに解決出来るものでもない。
「街の郊外によく当たる占い師がいるらしいのに、行きそびれたわ……」
シータがぼやいた。
「ま、あきらめましょう。別の占い師でも良いじゃない」
エルザがなだめた。
あきらめて寝るしかないようだった。
五。
「アド――ネボダード。あまり無茶をしないでくれ」
バドルーゼンはそれだけを述べた。
ネボダードは無言だったが、それは了承の証である。密偵は本来多くのことを語らない。語ってはならない。
語ることによって予想外に多くの情報を相手に提供してしまう。だから必要以上のことを喋らない訓練を行った。
バドルーゼンはネボダードのような密偵を手引きする、地域の元締めのような存在である。密偵であることに代わりはないが、ネボダードのように闇に潜むのではなく、積極的に表と関わることで情報を得る。
母国で十年ぶりに祭が行われる。〈忘却されし神〉を信奉する者が発祥の地とされる彼の母国に集まる。
司祭の格好をしている者は確認作業が甘くなる。バドルーゼンは帰国と同時にかの神に仕える司祭と同行し、闇司祭と区別する役目である。フェルナ・カリンが闇司祭である場合、ネボダードに命じて始末させる必要がある。
このような暗い役目に従事出来るのも、母国と母国民のためである、とバドルーゼンは割り切らなければならない。
ネボダードはベッドに横になり、静かになった。寝ているのか、寝ていないのかすらわからない。密偵はそのような訓練も行う。
バドルーゼンのような元締めはあからさまな寝方を許されない。空いているベッドで軽い寝息をわざと立てながら眠った。
六。
身なりだけは立派な男達三人が馬にまたがり街道を闊歩している。
人々は危害を恐れ距離を取る者、眺める者、利益を求めて近づく者に分かれた。
グレッグには腕章、外套、紋章からビリジエ駐留騎士団であることがわかった。
駐留する騎士は大抵が団長を一人、副団長を一人、部下の騎士を規模にもよるが十人程度おき、騎士の従者達を頭数に数えることで防備を完全としている。
大抵の砦は百人もの騎士と従者の混成軍で構成される。
目の前にいるのは騎士である。従者は連れていない。巡回だろう。
彼らにも郷里があり、従者が居るのだ。グレッグは騎士という存在が身近でありながら、とても遠い存在に思えた。
しかし通り過ぎる騎士は、目の色が欲望に飢えているように感じられた。
どのような欲望かは知れないが、民衆のために働くべき騎士の姿ではないように見えた。
騎士達の表情を見て、グレッグは『緑玉専門店』で商店主が騎士に対して抱いていた印象を思い出していた。
カリンは目の前の騎士、三人には怪しげな魔法が掛けられているような印象を覚えた。印象を覚えたが、いまは穏便に済ませたい。巡礼に遅れることは許されていない。できるだけ急ぎたいぐらいである。
騎士達が通り過ぎた後、バドルーゼンはしばらく考え事をしているようだった。出発する予定を一日だけ先延ばしにして欲しい、というのである。確かに一日だけなら少しゆとりがあるぐらい。問題ないと言えば問題ない。
「明日の朝、開門と同時に出発しましょう」
バドルーゼンはネボダードを連れ、商売でもするかのような足取りで表通りを去っていった。
「怪しい……」
シータはつぶやいた。
「あの騎士達と商売でもするのかしら」
エルザは嘆息した。
「商売? お金儲けるのか。いいなぁ」
カリンは思わずぼやいていた。
「別に商売のためにここまで来た訳じゃないでしょう」
グレッグがカリンを諭した。
「そりゃあそうですけどね。でもお金って魅力的だわ」
カリンはがっくりと肩を落とした。
――ネボダードって昨日、警備兵を殴り倒していなかったっけ?
シータは昨日の出来事を思い出していた。
「ネボダードって昨日……」
シータの不安げな声で、カリンも警備兵のことを思い出した。
「あ、殴り倒してた。もしかして何か問題発生……?」
カリンは悲鳴のような声をあげていた。問題が起きれば関所は閉じる。それでは本当に巡礼に遅れてしまう。
「犯人探しの為に巡回にしているのならば辻褄が合いますね」
とグレッグ。
「何か問題を起こさないか、見張っていた方が良いようね……」
三姉妹はそのような結論に至った。
「グレッグとクロックも遅れないでね」
有無を言わせない迫力があった。
バドルーゼンはネボダードを引き連れ、騎士の通った後をついていくようだった。
シータは方向から占い師の住む家に近づいている事がわかった。
「占いしてもらうのかな」
「……バドルーゼンさんが占いの趣味があるとは思えないけど?」
「でも、占いで旅の安全を見極めているとか」
「占いって一日も掛かるようなものなの?」
エルザとカリンの質問にシータはしどろもどろになりながら答えていく。
結局、シータが占い師に占ってもらいたいだけということがわかった。バドルーゼンは依然として騎士を追いかけているようだった。
一行はネボダードが周囲を警戒していることに気づき、少し距離を置くことにした。
「何をしようとしているのか、この距離じゃわからないよ」
シータが文句を言ったが、気が付かれては意味がない、ということで仕方なしに距離を置いた。
石畳と木々に覆われた不思議な町並みは、木陰と木漏れ日のモノトーンを作り出し、少し距離を置くと何をしているのかわかりにくかった。
ふと、油断するとバドルーゼンとネボダードを見失う。
そうなると一行は急いで追いかけなければならず、いつ見つかってもおかしくなかった。
バドルーゼンは騎士達が占い師を偽装した闇司祭に接触すると踏んでいた。
彼はビリジエにも闇司祭がすくっていることはわかっていたが、その影響が騎士団にしか現れていないことを訝しんでいたばかりだ。占い師は町の人々と関わることが多い。町の人にも何かしらの細工を施しそうだが、闇司祭は国家権力の転覆を謀っているらしく、もっとも直接的な方法をとることが多い。
騎士は私兵の軍隊を形成したり、領地に帰ることで戦力や物資を整えることができるもっとも強力な存在である。
彼らを味方に引き入れることが、国家転覆のもっとも近道である。
そして、バドルーゼンの目論見通り、彼らは小高い丘に建てられた平屋にたどり着いていた。周囲に人家はなく、いよいよ郊外である。その平屋は占い師の家としても知られている。
「ここなら少しぐらい派手なことになっても大丈夫だろう」
バドルーゼンは周囲に人影がないことを確認する。
「誰もいない」
ネボダードは念を押した。
「闇司祭を倒せば、騎士への影響はなくなるのか?」
「母国ではそのように確認された。闇司祭を殺すことで、騎士達への呪縛を解くことができる」
騎士達を殺さないように、闇司祭のみを殺さなければならない、というのはネボダードにとって不可能なことではない。正々堂々戦うのは騎士だけ。密偵は時に暗殺まがいのこともできるように訓練する。そして、その訓練は実践によって何十回と洗練された。
占い師の住む家は、周囲に障害物が少なく見通しが良かった。
バドルーゼンとネボダードに見つかる可能性が高くなり、シータだけが近づいて様子を見ることになった。専門の技術を学んでいるシータがこの役を引き受けるしかない。
二人は二言三言会話したようだが、内容は聞き取れない。
占い師の家には馬がつながれており、騎士達がそこにいることは間違いないようだ。そしてネボダードとバドルーゼンが騎士達を追いかけていたことと結びつけて考えられる。
シータはそう考えて緊張したが、二人は占い師の住居を確認しただけかも知れなかった。
七。
シータは見たままを一行に報告した。
「まだ昼前ですし、様子をじっくり見ていても構わないでしょう」
グレッグは様子見を提案した。
バドルーゼンとネボダードは占い師の家から距離を取り、騎士達が出てくるのを待つように見える。
シータも物陰に張り付いて、二人の様子を探った。だが変化はなく、長丁場になりそうだった。
「どうせだったら、変装して占いしてもらう客のふりして近づいてみたいなぁ」
シータが簡単に言った。
「そんなに占って欲しいわけ?」
カリンが呆れた。シータは照れ笑いを浮かべたが、そのようだった。
「レセフェールの街にも有名な占い師がいたのに、占ってもらいそびれたし……」
グレッグはレセフェールにも有名な占い師がいるのだと初めて聞いた。どちらにしても、占ってもらうべき項目は今のところ存在しない。
三姉妹がああでもないこうでもない、と雑談なのか会議なのか判然としない間、グレッグは占い師の住むという住居を見ていた。ネボダードは住居の裏に回り込むような動きを見せた。
――侵入するつもりか……?
バドルーゼンは周囲を警戒しているようだった。そして――
「見つかったようですね……」
バドルーゼンはネボダードに何かを呼びかけたようだった。
二人は早々にその場を離れた。何か危ない気配。
「見つかったの?」
シータは不思議そうな声を挙げた。占い師の住居から騎士達が飛び出してくる。剣は抜き身であった。
「これはさっさと宿に逃げた方が良さそうだ」
なぜ、追いかけられるような目に遭っているのか、怒りのはけ口はどこにもなさそうであった。
一行は宿に戻って状況を整理する必要に迫られた。
あの場でじっくり相談は出来ないが、宿なら少しぐらい相談していても雑談と同じように思われて安全である。
「で、あの二人はどこにいったの?」
この問いに答えは存在しない。誰にもわからない。
「あの騎士達は何者?」
「この街の駐留騎士団の者のようですね」
「さすが、グレッグさん。詳しいですね」
そして、本質的な質問。
「あの占い師の家に何かあるの?」
「さぁね。調べてみようとは思わないけれど」
フェルナ・カリンは日時が遅れることを気にしている。
「血走った目で、抜剣していた騎士達は尋常じゃなかった。これが意味することは?」
「占い師が胡散臭い、ということを補強はするけれど、答えとしては的確なものが存在しないわ。ただ、単純に占いの邪魔になっただけかもしれないもの」
「占い師が最初から怪しくて、あの二人がそれを調査しているのだとしたら?」
「その証拠は存在しない。よって全て仮定の話になる。占い師が怪しいなら、騎士たちを尾行する意味が無いもの」
「調査員だとするならば、この国の者になりますよね。すると、警備兵を殴り倒していた事実は何を意味するのです?」
事態はうやむやで、整理したいが情報がなかった。
八。
「おや、みなさん深刻な顔をして何かあったのですか?」
バドルーゼンの軽妙な語り。
あの二人、ことバドルーゼンとネボダードが戻ってきた。
「ここの宝石、緑のものがいいんですって?」
「ああ、土産物の話でしたか。そうです、緑の宝石がオススメですよ」
バドルーゼンが振る舞った夜食は、とてもおいしいものだった。
最高級とは言わないが、それでも相当お金を出していることは知れた。
緑庄街は、緑に覆われている。それは木々である。食料も木の実を主体とするのは、この街の宿命といえた。
木の実だけではない。果実も豊富である。
果実が採れるなら、サラダの調味料ぐらいは簡単にまかなえる。よって、食は貧しくない。
だが、脂っこいものを食べたい時に不便である。バドルーゼンは、肉料理を振る舞って見せた。
明日は朝早い。
一行はそうそうに体を休めた。
開門と同時に出発出来るように、宿の主人に起こすように念を押した。
念のためである。
バドルーゼンはわざとらしい寝息を止めて体を起こした。
ネボダードもそれに続く。
足音は立てないつもりだが、完全と言い切れるかははなはだ疑問。宿の床は乏しかったのである。
二人は占い師の元に行き、闇司祭かどうかを確認し、そして殺害する必要がある。
隣国で闇司祭が活動すると、必ず火の粉を被る羽目になる。被らないのは運が良いだけで、運など当てに出来ないタチである。
二人は周囲に目を配ったが、それは露骨な目撃者がいるかどうか確認する。だが路上警備兵がいないとも限らない。
警備兵を殴り倒した程度なら、城門が一日中閉鎖されることもない。鍛錬不足の彼らが叱責されるだけだろう。
二人はシータ・アリオネアが尾行していることなど、気づいていなかった。彼女はときどき夜更かしするのである。
九。
占い師の自宅に二人はたどり着いていた。
人の気配はある。寝ている気配。
ネボダードの役割は暗殺。つまり占い師を殺害する。バドルーゼンは近づくものがいないか監視する。
ネボダードは鍵の掛かっていない扉を静かに開けて、得物を取りだした。壁などに怪しげな文様が在れば、闇司祭であることは間違いない。
周囲は薄暗く、闇司祭の証拠は発見出来ていない。
絨毯の下に隠しているなどと言った念の入れようだとすれば、占い師を起こさずに調べることは出来ない。
寝室から人の気配。規則的な寝息。
鍵は掛かっていない。
ドアノブを持った瞬間、腕にしびれが走った。
声はあげない。
魔法の罠。
これで占い師はまず間違いなく起きたことだろう。
そして、闇司祭なら〈魔物〉を召還する。
ネボダードは〈魔物〉と戦える装備をしていない。よって、逃亡するという選択肢を選ぶ。
バドルーゼンはその動きから状況を察した。
証拠が見つからず、かつ逃げるべき状況になったのだと。
路上警備兵はいない。
巡回経路ではないのかもしれない。
占い師の家から、牛のような頭をした見慣れない生き物が姿を現す。
二本の足で立ち、両手で大きな武器を抱えている。
二人は逃げながらその姿だけ確認した。
この占い師はさっさと姿をくらますのだろうか。それとも、何事もなく占い師という表の顔を維持し続けるのだろうか。
〈魔物〉が召還されたことから占い師は明確な黒になった。
出発までに仕留めておく必要がある。
失敗を挽回することは難しくない。ようは、どれだけ確実に成功にするか、だ。
城門が開くまであと少しの時間がある。
全員起き出していることだろう。
占い師は再び寝ただろうか。
バドルーゼンは火矢を用いることを提言する。
この街に置いて火気は危ない。だが、占い師の家は街から程よく離れている。
すぐに火事に気が付いて消火作業に当たることだろう。
ただの火の不始末。不審火。
ネボダードは矢を準備し、バドルーゼンが周囲を監視し、火矢によって占い師の家が燃え尽きることを確認した。
人が集まり、消火作業が始まり、すべてが終わることを確認した。
宿に戻ると、全員旅支度を調えていた。
「急がないと城門が開ききってしまいますよ」
「そうだな。急ごうか」
バドルーゼンは軽快に答えた。
十。
馬車は二台。バドルーゼンの馬車を先頭に、街道を進む。
「バドルーゼンさんの馬車に付いていけば、あっという間に目的地に着くのか」
「あっという間ではないですが、予定通りに到着ですね」
通行税を肩代わりしてもらえるのは有り難い。
護衛の付いている荷馬車を襲うほど、暇な山賊は多くない。それ以前に、戦争の起きないご時世に山賊稼業を行うものがどれだけ居るのだろうか。
グレッグは幾つかの本を思い出す。
山賊になりはてるものは、大抵が傭兵崩れである。
そうでないものもいないではないが、効率が如何せん悪い。騎士が王に従い戦争をする場合、開戦期間四十日の規約がある。それで傭兵から山賊に転身するものが居るのだが、騎士は実力を示すために山賊狩りをする。街道の保護を行うことで、ビリジエのように通行税を取る代わりに旅の安全を守るのである。通行税とは安全を買っていることと同義なのである。
「グリンデルには三日も在れば到着。とりあえず、急ぐ道を使う場合裏道になるから一泊野宿。山賊狩りは行われているから、野生動物に注意が必要」
「野生動物は火を嫌がる」
「てことで、夜の番を決めておきましょうか」
馬車の中でぐらぐら揺られていると、することがなくなるのである。
本格的に暇になったらバドルーゼンの商売話を聞いたりすることになる。
街道を一時離れ、裏道に入る。
一日の短縮である。
グレッグは分かれ道を過ぎた当たりから、後の方に人影らしきものが見える錯覚に囚われた。
よく見ると、人はいないようだが、もしかしたら居るような気がするのである。
街道も裏道も、全体的に木々に覆われている。森林都市の名前の由来は、広大な森林地帯である。
食料は森が養う動物たちを狩ることで得られる。鉱物資源が産出されることから、外貨の獲得と食料の輸入が可能である。
主な外貨の獲得に、緑庄街ビリジエが加工販売している宝石類があげられた。
一行は、グリンデル領にいる限り、森の中にいる。グレッグは時に薄暗くなる裏道の、ちょうど薄暗くなっているところで人影らしきものを見る気がしていた。
――山賊だろうか。
裏道なら万が一ということがある。そう思えた。
未整備とは言わないものの、道のでこぼこ加減は街道の比ではない。
何度か確認したが、夕刻以降は人影は見つからなかった。
十一。
野宿。
用意していた寝具を、地面に敷くなり車内の空いた隙間に敷く。
馬にも休息が必要である。長めに取った手綱を木々に巻き付けておく。
全員が寝静まった。グレッグとエルザは火の番。もしかしたら山賊が現れるかも知れないが、街道警備隊がいるならば山賊がのこのこと出てくることはないだろう。
「グレッグさん。ビリジエでの出来事を覚えていますか?」
「……あれですか……。なんともお恥ずかしい」
取り乱した出来事。思い出しては自分の行動の戒めになるだろう、恥ずべき行動である。
「騎士がどうとか……」
「ええ、昔、騎士になろうとしていました」
エルザは考える。
騎士になろうとするものは、騎士の家系か、理想を追い求める若者である。
グレッグは教養のある男である。教養はただの一般人には身に付けられない。金持ちか騎士だ。すると、単純に考えて前者にあたる。
「騎士ですか。たとえば、どこかの騎士団を目指していたとか」
「黄金の白頭鷲騎士団に……」
「黄金の……白頭鷲騎士団? 輝ける都市サルマディールの第二騎士団……」
「私はサルマディールで生まれました。そして騎士になるための勉強をし、叙勲には至らなかった」
グレッグはほんの少しの間、昔のことを思い出していた。
学者になりたかったのかも知れない。だがじつは、騎士に憧れていたのかも知れない。
結局、迷いに迷った結果がこれなのだろうか。冒険者とは永久に稼ぐことのできる職業ではない。
騎士は昇格することで、国政を担うこともある。つまり、武官である。そうなれば体が老いても、仕事をすることはできるし稼ぐことができる。
学者のように、自らの研究することを研究し続けることは、やはり苦難が多かろう。だが、それもまた一つである。稼ぐ方法が存在しない不思議な職業である。だが同時に、戦争が起きる時や、内需拡大の時に脚光を浴びる地味な職業。グレッグは本が好きである。学者としての素養は申し分ない、と思っていた。
「剣技、勇気、そして……」
「人々を助ける心、慈愛です。私は叙勲に当たってどれかが足りなかった」
「グレッグさん、どれかが足りないと思いますか?」
「わかりません。叙勲の基準がよくわかっていませんから」
火が爆ぜる。
静寂。
馬の蹄が、地を蹴る。
「これは……」
伝令などが使うような、早馬の走り方。
「裏道を伝令が走る?」
「普通は情報伝達の失敗を恐れますよね」
何がなんだかわからない現象が起きている。それだけは確かだった。
やり過ごせると思いたいが、ビリジエを出るときに不審火が起きるという事件が起きていた。
二人は不審火が原因かと考える。犯人探しのための早馬なのか、と。
十二。
馬から下りたのは、確かに騎士だった。
そもそも一頭だけではなく、三頭で三人の騎士が来た。
それだけではない。
一人の男。裾の長い服を着ている。
「こいつらが俺の家に火を放ったのさ」
男は突然に言い放った。
「言いがかりだ」
まず反論するべきだと思い、グレッグは即答した。
騎士達は剣を抜きはなった。抜剣の警告もない。
目の色がおかしい。赤い赤い目をしている。たき火の色が映えているだけではない、尋常ならざる赤。
「こ、これは……」
グレッグは思わず剣を抜いていた。エルザも続く。
「反逆だな。法に照らされていればいいものを」
赤い目をした騎士の男は言った。口の端から泡が溢れている。
人形芝居のように、ぎくしゃくとした足取りで騎士達は近づいてくる。
男が笑う。
「そうともさ、騎士様。そいつらが全部悪いのさ。騎士様に反抗するのだから、切ってしまってもイイのさ!」
騎士が斬りかかってくる。
グレッグに二人。エルザに一人。
道に従う騎士は剣を立てて一騎打ちをする。そのような行いはないらしい。いきなり袈裟懸けに斬りかかってくる。グレッグの剣は相手の攻撃を捌くには不向きだ。重すぎるために、挙動が遅れる。
相手と比べて剣の長さはグレッグに分がある。エルザの剣も似たように長い。だが、二人の剣には決定的な違いがあった。それは重さ。
右一閃。グレッグは後ろに体を反らして攻撃をかわした。突きには体を横にずらしてかわす。
隙を見て、右から左に剣を振り切る。
騎士の鎧を貫くことは出来ない。
騎士がどれだけ堕落していても、その鎧が鎖かたびらである限り刃を弾く。
剣と鎧からほとばしる火花。
騎士が体勢を崩した。しかし、もう一人がすかさず切り込んでくる。
埒があかない。
グレッグの剣は剣技を競うような状況に置いて、圧倒的に鈍い。普通の場合、あっという間に負けてしまう。かわりに、重量が威力を増す。
相手が鈍いためどうにか捌いている。
エルザは十分にやり合っている。剣に振り回されているところがあるものの、それでも相手を圧倒している。騎士は型にはまった剣技を使うため、我流に押されることがある。その現象が起きているのだろう。
「おお、騎士様ふがいない。私めが少しはお役に立てるように力を尽くして見せましょう!」
男はうれしそうに呪文を唱え始める。
「こ、これは……」
「闇司祭か!」
男を包む光。一瞬の後に、牛の頭を持った〈魔物〉が現れていた。男は闇司祭で間違いなかった。
バドルーゼンがグレッグに加勢した。
「やれやれ寝ているふりも許されないとは因果なものですな」
「バドルーゼン……」
ネボダードがグレッグの前にいた騎士を斬りつける。
彼らは一言も言葉を交わさずに意志を伝え終わったようだ。
「グレッグさん、〈魔物〉と戦った経験はありますか?」
「ええ、一度……」
「では、お願いします」
騎士達はネボダードとバドルーゼンが相手をするつもりらしい。
「エルザさんもよろしくお願いします」
騎士達三人を翻弄するバドルーゼンは、手慣れた手つきをしていた。
バドルーゼンとネボダードの二人が起きてきたものの、シータとクロックが起きる気配が無い。だがその理由を考える暇は無かった。
十三。
牛の頭を持った〈魔物〉は皮膚が厚い。軽く斬りつけただけでは厚い皮膚に跳ね返されて、簡単には傷を負わせることが出来ない。容易くは勝てないように思えた。
闇司祭はうれしそうに魔術の炎を投げつけてくる。当たれば火傷どころでは済まないように思えた。
ネボダードもバドルーゼンも何か武器を持っているわけではないようだった。だが動きの鈍い騎士達を翻弄することに支障はないらしい。
だから、グレッグとエルザは目の前に集中することが出来た。
「おかしいですね、雲行きが怪しい」
グレッグの剣が魔物に叩きつけられる。
〈魔物〉の持つ鎚は空を切る。
その〈魔物〉の脚をエルザが切りつける。
グレッグの剣が振りかぶられる。
〈魔物〉は鎚を構え直す。
叩きつけられる、剣と鎚。
火花が散る。
再び構えられる、剣。そして、鎚が振り上げられる。
エルザは闇司祭の方に走る。
二度、剣と鎚がぶつかる。
金属のぶつかり合う音。
剣が、鎚が高く構えられた。
三度、剣と鎚がぶつかる。
鎚の根本にヒビが入る。
剣を高く構えるフェイント。
水平に構え、〈魔物〉を突く。
鎚が振り下ろされることはなく、そのまま地面に落ちた。
〈魔物〉は滅していない。体勢を崩しただけ。
グレッグは剣を横に構えた。
魔物は鎚を取ろうとする。
剣を振り切る。
切っ先は硬い皮膚を破る。
分厚い胸板の太い筋肉を絶つ。
さらにもう一振り。
角の生えた頭蓋を支える頚骨を砕く。
牛のような口から青い血が噴き出した。
〈魔物〉は倒れ、動きを止めた。
エルザは剣で数度斬りつけた。
だが闇司祭は口調と同様に動きも軽快だった。
きわどいところで攻撃をかわしていた。
「おしい、おしいなぁ、お嬢さん。私はそう簡単に攻撃を受けませんよ」
刹那的な差で、剣の軌道に闇司祭の体はない。
「そこの男二人に当たっている騎士様、こちらを助けて下さいな」
バドルーゼンとネボダードに切り込んでいた騎士達が、エルザの方に向かってくる。
「四人がかり?」
「そんなことはさせませんよ」
グレッグが間に入る。
三人がかり。
同時に斬りかかってくる。
一歩下がり、剣の軌道から体を外す。
一瞬遅れて、グレッグの剣が騎士の体を捕らえる。
鎧を貫くことは出来ないが、剣の衝撃で肋骨を砕くことも場合によっては可能である。
だが、体勢が崩れているためか、火花が散るにとどまる。
「三人がかりは無茶ですかね……」
体勢を崩した一人はまだ攻撃をできる体勢ではないものの、まだ二人の騎士が剣を構えている。
左側から斬りつけてくる。正面から、突き。
右側に体をずらしながら、さらに後に下がる。
空を切る、剣が二振り。
かわしている間に、三人目の騎士が体制を整えて切り込んでくる。
「埒があかない、ですね」
バドルーゼンとネボダードが騎士もグレッグもかわして、闇司祭の方に向かうのがわかった。
「アリオネアさん、闇司祭の始末は我々にお任せを」
「おやおや、素早いからといって私に勝てると思っているのですか?」
エルザの脇にバドルーゼンとネボダードが拳を構える。
「グレッグさんを手伝って下さいな」
バドルーゼンは言い放つ。
「ここはお任せを」
十四。
エルザは剣を構える。
グレッグは剣を掲げる。
騎士達は、憎悪を構えた。
お互いの隙が極限まですり減らされる。
構えの隙が無くなり、ほんのわずかな動きの、ほんのわずかな隙が切り込む唯一のチャンスになる。
剣を完全に防ぐための防具を、グレッグもエルザも身につけていない。
だが、体を拘束する防具がない。
騎士達は剣を防ぐための防具を身につけている。
だが、完全とは言わないが、かなり痛みを防ぐことができる。
決定打が失われていく。
グレッグの一撃は、騎士に対して効果が高い。骨を砕くほどの威力。
しかし、騎士の重たい鎧は、その剣の一撃を防ぐことができる。
数度目か、空を切った。
その隙をエルザの剣が埋める。
騎士の反撃をエルザの剣が防ぎ、そしてエルザの剣が攻撃の機会を生む。
グレッグは剣を掲げた。上段いっぱい。
「騎士とは!」
剣が振り下ろされる。
その一撃は、騎士の右肩に振り下ろされた。
肩が砕け、騎士が倒れる。
「真理を見失ってはならない!」
二人目に、剣を突き入れる。
反撃のために、剣を構える騎士。だが、突きをかわしそびれた。
二人目はもんどり打って倒れた。
「民衆の見本であれ!」
グレッグの剣が三人目に命中した。
闇司祭はバドルーゼンとネボダードをもってしても仕留めることが出来なかった。
「このタイミングで逃がせるはずがない」
「当たらない仕掛けがあるとしか思えないな」
闇司祭は、魔術的な細工を施しているようであり、だが何も細工無しに自らの肉体でのみ、その当てさせない動きを体現しているのかも知れなかった。
「どちらにしても、私の仕事は終わりそうにないようだ」
「闇司祭の発見を」
グレッグが三人目の騎士を倒したのが目に入った。
「急ぐしかないな、母国に」
「猶予はない。増援と始末を」
バドルーゼンが鳩を放っていたのを、シータ以外気が付いたものは無かった。
十五。
騎士達は街の門の外で目を覚ました。
すっきりした気分。
だが、ここ数ヶ月の記憶がかけているという違和感と、体に残るすぐには治りそうにない外傷をのぞいて。
一行は何事もなかったようにグリンデルを抜けた。
目的地、ハーベル。そこは一つの始まりを意味する。
世界に散らばる神聖なる都市の一つ。
南の神聖都市ハーベルは、〈失われし神〉をあがめていた。
だが今の国教は違う。
十年前の戦争で、いくつかの伝統と神殿が失われた。
復活祭という名の伝統が残ったことをのぞいて。