作者・逢坂総司
1.
オズワルド・ランドサックは失われて久しい右腕の疼きを感じた。それは幻でしかないのだ。だが、彼はそれがひそかな興奮を源としたものであると知っている。
この興奮は確かに遺跡が近いことが原因であり、それを確信した心的なものが原因である。その遺跡に最も近い村に付き、事情通に話を聞き、明日には出かけるつもりで宿に泊まることにしたのだ。
痛みの一つや二つ、この興奮の前では痒みにも感じない。
だが、妙な話を聞いた。
どうやら<魔物>が出没するらしい。
オズワルドは一抹の不安を覚えた。護身術の覚えはある。神官戦士団に混じり、体を鍛えたこともある。そういう覚えはあるのだが、如何せん、<魔物>は五体満足でも勝てる相手ではない。
宿屋の食堂で食事をしていると、妙に大きな剣をぶら下げている女がいる。
黒髪の女で、それよりも大女と形容するにふさわしい体躯に目が行った。
「そこの貴方、冒険者ですか?」
女はさすがに不審そうな目つきをした。唐突に声を掛けるのは、大抵が警戒されるというものである。だが、オズワルドは命が掛かっているため、その程度の疑惑の目は意に返さない。
「明日にでもこの村から程近い遺跡に行きたいのですが、どうやら<魔物>が出ると聞きましたので」
「雇いたい、と?」
女は手元にあるグラスをあおった。
「話が早いですね。早速ですが」
「あいにくだが」
話を聞くような状態ではない。宿屋の主人が教えてくれた。
この女、名前をシルヴィア・ブラドーという。二ヶ月近く前からこの村に逗留し、<魔物>を狩るために残っているのだ。どうやら<魔物>は一カ月おきぐらいに襲来し、村人を襲っているのだという。そういうとき、彼女はその身の丈に及ぶほどの大きな剣で戦うのだという。
彼女はその<魔物>を狩り損じ、仲間の借りを返すことも出来ず、宿屋に連日泊まっている。宿屋の主人はそこまで教えてくれた。
「ちょうどよかった、途中に出てくる<魔物>を狩れば、貴方の目的も達成じゃないですか」
「二重契約だ。断る」
オズワルドは明日の出発を延期することを考えることにした。護衛は必要なのだ。
2.
次の日、オズワルドはシルヴィアが旅支度しているのを見て、驚愕してしまった。狩り終えて、次の町に行くように見えた。
「<魔物>を狩ったのか」
「違う」
「では、その格好は……」
「お前には関係ない」
取り付く島もない。旅装束は雨露を凌ぐ為の服装である、と扉が開け放たれてたときに気づいた。
シルヴィアは毎日、村を見て回っているのだ。オズワルドはその鍛えられた肉体を持つ戦士をどうしても護衛としてほしくなった。
ところが彼女はいきなり村長の家を訪れた。
まったく何を考えているのか、オズワルドにはわからなかった。だが、シルヴィアが遺跡のある方向に歩こうとし、数日の間だけ護衛しよう、と言ったときは聞き間違えたかと思うほどだった。
「どういう成り行きなんだ?」
「<魔物>討伐を兼ねている。数日で戻る」
シルヴィアという戦士は、とにかく喋る言葉が少ない。その上、オズワルドの質問の半分は答えるそぶりすら見せなかった。
シルヴィアは旅装束をしているのは食堂を飛び出した時点でも気が付いていたが、その利き手とは逆の手には鳥かごをぶら下げていた。
中にはオスのニワトリ。ニワトリといえば時を告げる。ということは、朝早くに起きて歩き、夜は早々に寝て、という強行軍で行くことも可能だ。
――気が利く。
オズワルドは感心した。
シルヴィアはやはり冒険者で、それも律儀な部類であるらしい。オズワルドはそう思った。
食料の調達をシルヴィアは自らの腕前で行った。オズワルドはさすがに肉食する気になれず、あらかじめ用意していた乾パンを食す。夜になると、シルヴィアは休むことを宣言し、オズワルドもそれに従った。<魔物>が現れる気配など、どこにもなかった。
三日目の夜ともなると、シルヴィアがどれだけ言葉に対して無反応であるかがわかった。聞いているのだが、ほとんど理解する前に聞き流しているのだ。
オズワルドは冒険者に聞かせる話などないと思い、シルヴィアのことがわかるにつれ喋りかけたりしなくなった。
そして、夜、二人は夜の寒さに負けないため、マントに身を包み、カバンを枕替わりにして眠りに付いた。
3.
オズワルドは久しぶりに夢を見た。
真っ暗な草原。草もまた黒く、何物も光ることがない。だが、自分の体は目に見えて映る。どこからともなく、けたたましく、命を掛けたような泣き声が響き渡った。
それは、鳥獣の類の、一息一息がかすれる警戒の声。
オズワルドは恐怖に駆られて走り出した。
右腕をしっかりと振り切り、左腕をしっかりと振り切り、その何かから逃げるように走った。
そして、足をもつれさせてこけた。
何物かに追いつかれる。
それが何かはまったく見えなかった。
ただ、右腕がすっぽりとなくなり、そこには何物も見えなくなっただけだ。
オズワルドは叫んでいた。
4.
まず目に入ったのは、焚き火だった。
次に、黒い塊。
そして、耳にはニワトリの鳴き声。
右足、左足。誰のだ、と思った。自分の足ではない。
剣の切っ先。
そこで記憶がよみがえる。
オズワルドは存在しない右腕を使って起き上がろうとして、それが無駄な行為であることを思い出した。左腕で起き上がり、黒い塊から距離を置くようにした。
ニワトリのかごをシルヴィアは利き手に。逆手には剣を。どちらにしても両手で構える剣だ。籠を放す以外に戦う術はない。
「逃げるぞ」
シルヴィアはすでに荷物を背負っていて、いつでも逃げられる体制にあった。オズワルドもそれに続くようにする。
「よし、いいぞ」
シルヴィアがタイミングよく走り出すものと思っていた。
だが、違った。
黒い塊の向こうに籠を投げたのだ。
時計代わりであるはずのそれを。
黒い塊が反応する。
籠は地面をはねて、派手な音を立てた。きっと壊れたに違いない、とオズワルドは思った。
それが合図になり、シルヴィアは逃げ出した。オズワルドもそれに慌ててついていく。
ニワトリの悲鳴はしばらくしないうちに聞こえなくなっていた。
「あれは何だったんだ」
「<魔物>」
「それぐらい見ればわかる。なぜニワトリをくれてやるような真似をした」
シルヴィアは話を聞いていないのか、答えるそぶりを見せなかった。
そもそも<魔物>を狩りに来ている筈なのに、そいつから逃げてしまっては意味がない、とオズワルドは思った。さっさと狩ってしまい、護衛が不要な状況を提供してもらいたい。もしかしたら、護衛料金だけ獲得するつもりなのだろうか。
だが、シルヴィアはそういう小手先の収入が欲しいという訳ではなさそうだ。
二人は昼に休み、夜の中を進むことにした。<魔物>が活動するのが夜であれば、夜に動き回っているほうが何かと逃げやすいと思ったからだ。
オズワルドは朝日が昇ると、現在地を自前の地図に記し、そして就寝した。そうすることでどれだけ遺跡に近づいているか確認することが出来る。
オズワルドはこの旅が片道七日でどうにかなるのだと思った。
5.
オズワルドは予想したとおり、七日目に遺跡を発見した。
山中深くというほどではない。もしかしたら、昔はここに人々が祈りをささげに来ただろうか、という程度には空に近かった。
神々に祈りをささげるための祭壇らしき段があり、柱が整然と立ち並んでいた、と予想できた。だが、激しい風化により、それらは予想でしかなかったが。一抱えも太さのある柱が並んでいたのならば、この地方では有力な神殿だったに違いない。
「私はここに七日間は逗留するつもりだ。その間、護衛を続けられるか」
シルヴィアは口を開くのも億劫であるかのように、首肯するだけだった。依頼者と雇われた冒険者というやりとりではない、とオズワルドには思えたが、それよりも目の前の研究のほうが大事だ。
オズワルドはこの神殿がいったいどの神をたたえたものなのか、聖印探しからはじめ、何年前に建立され、何年前にこのような荒れる状態になったのかを調査する。
七日間でそのすべてがわかるわけではない。オズワルドは直接目にした情報を出来るだけ収集する。その情報を持って、生まれ育った神殿に持ち帰り、記録情報と照らし合わせていく。遺跡調査とは、実際に目にして、記録にも残らないかもしれない情報を探すことである。あるいは、この神殿のように朽ち果ててしまっている中から、少しでも情報を拾い上げ、後日の研究に活かすための準備期間とオズワルドは考えている。
オズワルドは朝日を浴びて、シルヴィアが眠りに付くのを横目で見ながら、それでも熱心に研究した。目が冴えて寝られないのだから仕方がない。
シルヴィアはなぜニワトリを無造作に捨てるような真似をしたのか考えてみた。
もっとも、<魔物>の注意をニワトリに逸らすため、というのはすぐに思いつく話である。なぜだろう。些細なことでも疑問に思える。そういう研究者体質が彼の奥底には眠っている。一人でいるときにだけ起き上がる。
誰か他人がいれば、彼は自分の心身を守るためにまず仲裁に立ち上がる。それが一番楽なのだ。不満をぶちまけてくる友人の横に長時間いるよりも、不満を抱え込む前にさっさと処理してしまったほうがいい。
シルヴィアの行為は、全体的にわかりにくい。会話が成立しないのだから、下手に予想するとその裏を行かれてしまう。なぜ裏を行く必要があるのかすら不明だ。
何も考えていないのかもしれないし、そうではなく必要最低限しか行動する気がないのかもしれない。人の思考を読むということは出来ない。オズワルドは自分の霧散しそうになる思考を遺跡に振り向けなおし、検分を続けた。
6.
シルヴィアは起き出すと、空腹を感じるのか腰の後ろに挿しているナイフ片手に何かを狩りにいく。今日は片手で持てる程度の鳥を狩ってきた。それを捌き、火を起こして焼いて食べてしまう。その手際にオズワルドは感心させられた。
日中の明るい時間帯も検分をしていたせいで、オズワルドは耐え難いほどの眠気を感じていた。
「少し眠らせてもらう」
「だめだ。<魔物>だ」
オズワルドは体を強張らせた。どこかに<魔物>がいると聞いて、緊張しない人間はいない。
切り落としては焼き、そして食す、という食べ方であったため、鳥は半分ぐらいそのまま生きていたような姿をしていた。
シルヴィアはそれを神殿のすぐ近くに投げはなった。そして、ずらりと剣を抜き放つ。
黒い塊が、鳥肉目掛けて現れ、その肉を包み込むように丸くなる。
シルヴィアはその黒い塊に剣を叩き込んだ。
黒い塊は、霧が晴れるように散って行った。
鳥肉はまったくなくなっていた。
7.
ほとんど眠れない夜をすごし、霧に包まれたように思考が冴えないまま、オズワルドは朝日の暖かさを感じた。
やっと、眠ることが出来る、という安心感。
8.
<魔物>はかなりしつこかった。何度も現れ、オズワルドはそのたびに体を強張らせた。
どこにどのような形で<魔物>の攻撃器官があるか見えなかった。
シルヴィアは<魔物>と対峙するまえに、焚き火で剣をあぶっている。刃が悪くなるような気がするが、シルヴィアはそうは考えていない。その熱せられた剣は、確かに<魔物>に対して十分な効果を生み出しているようだ。
シルヴィアの振るう剣は、月に照らされているとき、とても美しく舞う。
それに見とれてしまう。
シルヴィアの特に表情を出さない顔つきに、汗が噴出し飛び散り、それを赤々と焚き火が照らす。
剣は、右に左に、シルヴィアの周りを舞う。
蛍のように見えた。
その蛍に見える一つ一つの光は、<魔物>に対して、十分すぎるほどの必殺の太刀として振舞われた。
剣技などはシルヴィアの太刀には含まれていない。ただ、そこにある剣を腕を振り回すように扱っている。
手ごたえがあるのかないのか、剣が数瞬振舞われると、<魔物>はその姿を散らした。
9.
オズワルドは夕暮れがすぎても、祭壇から離れられなかった。
もう少しで手がかりが見つかるはずだった。
この神殿と祭壇が誰のために作られ、誰が建立し、どの神を奉っていたのか。
シルヴィアが後ろに近づいてくる。
オズワルドは振り返り、剣を大きく振りかぶっているシルヴィアを見た。
体が動いていた。
白刃。
石の祭壇に剣がぶつかり、火花が散る。
剣はそのまま祭壇に叩き込まれた。
軟らかい粘土を二つにするぐらい、すっと刃物が吸い込まれた。
その祭壇には、真二つになった魔物と、シルヴィアの剣。
魔物は霧散し、祭壇はバラバラに砕け散った。
なんということを、と声を出そうとしても、声はまったく出なかった。体が震えていた。
シルヴィアは仕事が終わった、と言いたげに、荷物を置いてある場所に戻って行く。
オズワルドは、その祭壇の中に光るものを見つけた。
それは、刃が当たっていたにも関わらず、無傷といってもいいほど澄んだ水晶球。オズワルドはそれを懐にしまった。そこに刻印されている古代文字を解読すれば、正史から情報を引き出せる。
ここでの調査は十分に果たした。
10.
村に戻ったシルヴィアは一ヶ月逗留し、<魔物>が出ないことを確認した後、旅の生活に戻る。そのようなことを言っていた。オズワルドはシルヴィアに金を支払った。
オズワルドは次に向かうべき遺跡がどこにあるのか考えながら、生まれ育った神殿へと向かう。
オズワルドはあの<魔物>が何者だったのか考えた。無知な村人があの存在を<魔物>と言っていただけで、実は別の存在に見えた。その存在意義とは違う行動を取ったせいで思わずオズワルドは逃げてしまっていた。
守護精霊が血を求めるという事態に寒気を覚えたが、崇められてこそ糧が足りているはずだから、その神殿が廃れてしまっては、血を求める以外に糧がなかったのかもしれない。