遠回りにも、意味はあるのかもしれない。失敗や気づきを、物語・歌・動画にしています。
A男は、自分を下げるのがうまかった。
失敗したとき。
人を傷つけたとき。
場の空気が悪くなったとき。
A男は、誰よりも早く自分を貶めた。
「どうせ俺は最低だから」
「俺なんてクズだから」
「俺に期待する方が間違ってる」
そう言えば、相手はそれ以上強く責めにくくなる。
A男はそれを、反省だと思っていた。
本当は、自分を低く置くことで、他人を傷つける場所を確保していただけなのに。
―――――
A男は、よく自虐を口にした。
職場でも、友人の前でも、家族の前でも。
「俺なんてダメ人間だからさ」
そう言うと、周囲は最初、笑ってくれた。
「そんなことないよ」
「またまた」
「A男さん、そこまで言わなくても」
その反応が、A男には心地よかった。
自分を下げれば、誰かが持ち上げてくれる。
自分を責めれば、相手は責める役を奪われる。
自分を最低だと言っておけば、それ以上落ちる心配がない。
いつしかA男は、自虐を防御として使うようになった。
いや、防御だけではなかった。
攻撃にも使うようになっていた。
ある日、後輩のB男が仕事で小さなミスをした。
A男は、ため息をついた。
「まあ、俺みたいなクズが言うのもなんだけどさ」
B男は身構えた。
A男は続けた。
「さすがにこれはないよ。俺以下じゃん」
周囲が少し静かになった。
B男は顔をこわばらせた。
「すみません」
A男は笑った。
「いや、俺が言えたことじゃないけどね。俺も最低だから」
そう言いながら、A男の言葉は止まらなかった。
「でも、その俺から見てもひどいって、相当だよ?」
B男は黙った。
A男はその沈黙を、納得だと思った。
自分を先に下げているのだから、これは偉そうな説教ではない。
自分を最低だと認めているのだから、ひどいことを言っても許される。
A男は、そう感じていた。
―――――
友人関係でも、同じだった。
B子が、ある日少し疲れた顔で言った。
「A男、その言い方はちょっときついと思う」
A男はすぐに笑った。
「ああ、ごめんごめん。俺、性格悪いから」
「そういうことじゃなくて」
「いや、分かってるよ。俺って最低だからさ」
B子は困ったように黙った。
A男は続けた。
「だから、俺にまともな言い方を期待しないで。そういう人間じゃないし」
B子は眉を寄せた。
「自分で最低って言えば、何を言ってもいいわけじゃないよ」
A男は、少しだけ不機嫌になった。
「じゃあ何? 俺に普通の人間みたいになれってこと?」
「そうじゃなくて」
「無理だよ。俺、壊れてるから」
その言葉を聞くと、B子は言葉を選ばざるを得なくなった。
傷ついている人に、さらに追い打ちをかけているように見えるからだ。
けれどB子は、どこかで分かっていた。
A男は、自分を傷つけているようで、実際には相手の言葉を封じている。
「俺は壊れている」
「俺は最低だ」
「俺はクズだ」
その言葉が並ぶたび、相手はA男を責める場所を失っていく。
A男は、自分を低く置くことで、相手よりも安全な場所に立っていた。
―――――
ある飲み会で、A男はまた空気を壊した。
些細な話題から、B男の家庭のことをからかった。
「お前さ、そういうところが重いんだよ」
B男は笑おうとしたが、笑えなかった。
B子が静かに言った。
「それは言わない方がいい」
A男はグラスを置いた。
「はいはい、出ました。俺が悪いんでしょ」
「そうじゃなくて、今のは本当に傷つくと思う」
「だから俺が悪いって言ってるじゃん」
A男の声が少し大きくなる。
「俺は最低。俺はクズ。俺は人の気持ちが分からない。はい、これでいい?」
B子は黙った。
周囲も黙った。
A男は椅子にもたれた。
「自分で認めてるんだから、もういいだろ」
その場の空気が冷たくなった。
けれどA男は、少しだけ勝ったような気がしていた。
誰よりも先に自分を罰した。
だから、これ以上誰も自分を責められない。
そう思っていた。
―――――
その夜。
A男は家に帰り、スマホを見ながらつぶやいた。
「どうせ俺なんて、最低だからな」
その言葉は、いつものように自分を安心させるはずだった。
だが、その夜だけは違った。
部屋の明かりが、ふっと暗くなった。
画面が黒く沈む。
そこに、白い文字が浮かんだ。
「では、最低の席へどうぞ」
A男は目を見開いた。
次の瞬間、床が抜けた。
―――――
目を覚ますと、A男は暗い劇場のような場所にいた。
客席が円形に並び、中央に小さな舞台がある。
A男は、その舞台の真ん中に立っていた。
周囲の席には、人影が座っている。
よく見ると、その人影はすべてA男だった。
若い頃のA男。
会社で笑うA男。
友人の前で自虐するA男。
飲み会で人を傷つけたA男。
全員が、こちらを見ている。
そして、一斉に笑った。
「どうせ俺たちは最低だからな」
A男は後ずさった。
「何だよ、ここ……」
客席のA男たちは口々に言った。
「最低の人間なんだから、何を言ってもいいだろ」
「クズなんだから、期待する方が悪いよな」
「壊れてるんだから、仕方ないよな」
A男は耳を塞いだ。
そのとき、舞台の上にB男が現れた。
ただし、B男の姿をしているのに、声はA男だった。
B男は深く頭を下げた。
「すみません。俺みたいなクズが言うのもなんですが」
A男は身構えた。
B男は顔を上げ、淡々と言った。
「A男さんって、ほんと救いようがないですね」
A男は声を荒げた。
「は?」
B男はすぐに自分の胸を叩いた。
「でも大丈夫です。俺は最低なので」
「何が大丈夫なんだよ」
「最低の俺が言っているだけですから、傷つかないでください」
A男の顔が引きつった。
B男は続けた。
「自分を下げてから言えば、何を言ってもいいんですよね?」
A男は言葉を失った。
それは、自分のやり方だった。
―――――
次に現れたのはB子だった。
B子も、A男のような顔で笑った。
「私、性格悪いから先に言っておくね」
A男は嫌な予感がした。
B子は穏やかな声で続けた。
「A男って、自分を最低って言えば、人を傷つけても許されると思ってるよね」
A男は言い返した。
「そんなつもりじゃ」
「そういうところ、本当に卑怯だと思う」
A男の胸が詰まった。
B子はすぐに肩をすくめた。
「でも、私も最低だから」
A男は怒鳴った。
「それで済むと思うなよ!」
B子は、静かにA男を見た。
「A男は、それで済ませてきたよ」
劇場の客席から、拍手が起きた。
すべてA男の拍手だった。
「そうだそうだ」
「俺たちは最低だからな」
「最低の人間が言うことなんて、気にする方が悪い」
A男は膝をついた。
初めて分かった。
自虐は、痛みの告白になることもある。
本当に自分を責めて、苦しんで、どうしていいか分からない人もいる。
けれど自分の自虐は、そうではなかった。
A男は、自分を貶めることで、責任を小さくしていた。
自分を最低の位置に置けば、それ以上落ちない。
それ以上落ちない場所からなら、安心して他人を傷つけられる。
どうせ最低なのだから、これ以上幻滅されても構わない。
そうやって、A男は自分の下に穴を掘っていた。
そして、その穴の中から、他人の足を引っ張っていた。
―――――
ループが始まった。
A男は何度も舞台に立たされた。
そのたびに、誰かが現れる。
B男。
B子。
過去にA男の言葉で黙った人たち。
そして、A男自身。
彼らはみな、最初に自分を貶めた。
「どうせ俺は最低だから」
そのあとで、A男を刺した。
「お前も最低だよな」
「でも俺の方が最低だから、俺の勝ちだな」
「最低同士なら、何を言っても傷つかないよな」
A男はそのたびに怒った。
「やめろ!」
相手は笑った。
「怒るなよ。俺、最低なんだから」
A男は泣きそうになった。
「そんな言い方するな」
相手はうなずいた。
「ごめん。でも俺、壊れてるから」
A男は叫んだ。
「壊れてるなら、人を傷つけていいのかよ!」
その瞬間、劇場が静まり返った。
客席のA男たちが、ゆっくりこちらを見た。
そして一斉に言った。
「それを、お前が言うのか?」
A男は、口を閉ざした。
―――――
次のループでは、A男は巨大な秤の前に立っていた。
片方の皿には、A男の自虐の言葉が積まれている。
「俺なんてクズ」
「俺は最低」
「俺は壊れてる」
「期待する方が間違い」
もう片方の皿には、A男が他人に向けた言葉が積まれていた。
「お前は俺以下」
「重い」
「面倒くさい」
「冗談も通じない」
「そんなに責めるなよ」
A男は、秤を見上げた。
自虐の皿が、どんどん重くなっていく。
それに合わせるように、A男の口が勝手に動いた。
「俺は最低だから」
その瞬間、秤の反対側から、黒い液体のようなものが流れ出した。
それはA男の足元に広がり、床を濡らしていく。
黒い液体の中には、顔が浮かんでいた。
B男の顔。
B子の顔。
過去に黙った人たちの顔。
A男は後ずさった。
だが、足が沈んでいく。
黒い液体は、A男の自虐から生まれていた。
自分を貶めた言葉が、免罪符のように積み上がるたび、そこから他人を傷つける毒がこぼれていた。
黒い泥は、足元から這い上がってきた。
足首。
膝。
腹。
胸。
やがてそれは、A男の目や耳を塞ごうとした。
見なくていい。
聞かなくていい。
「最低」という泥で全身を塗りつぶせば、傷つけた相手の顔を見なくて済む。
A男は、一瞬だけ安堵した。
温かかった。
その泥の中に沈めば、もう誰の表情も見なくていい。
誰の沈黙も聞かなくていい。
自分が何をしたのか、具体的に考えなくていい。
「違う……俺は自分を責めてただけだ」
どこかから声がした。
「自分を責めるふりをして、責められない場所を作っていただけだろ」
A男は振り向いた。
そこにいたのは、子どもの頃のA男だった。
幼いA男は、うつむいていた。
「本当は、傷つきたくなかっただけだよね」
A男は何も言えなかった。
「誰かに先に否定されるのが怖かったから、自分で先に自分を否定した」
幼いA男は、静かに続けた。
「でも、大人になったお前は、それを武器にした」
A男の胸が痛んだ。
「武器じゃない……」
「武器だよ」
幼いA男は、A男を見上げた。
「自分を殴るふりをして、相手に盾を構えさせないようにした」
A男は、目をそらした。
幼いA男の声は震えていた。
「そして、相手が守れなくなったところで、刺したんだ」
―――――
A男は、その言葉から逃げるように走った。
劇場の外へ出ようとした。
だが、扉はなかった。
壁一面に、A男の過去の言葉が貼りついている。
「俺は最低だから」
「俺に期待するな」
「どうせ嫌われるし」
「はいはい、俺が悪いんでしょ」
「そんな俺と関わったお前も悪い」
A男は立ち止まった。
最後の一文に、見覚えがあった。
実際に言ったことはない。
けれど、心のどこかで思っていた。
どうせ俺は最低だ。
そんな俺に関わった相手にも責任がある。
A男は、その考えが自分の中にあったことに気づき、吐き気を覚えた。
最低だと名乗ることは、反省ではなかった。
それは、相手に責任の一部を押しつける準備だった。
「俺はこういう人間だと最初から言っていた」
「それでも関わったのはそっちだ」
「だから傷ついたとしても、全部俺のせいじゃない」
A男は、そこまで考えていた自分を見た。
そして初めて、自分の自虐がどれほど攻撃的だったのかを知った。
―――――
次の場面で、A男は小さな部屋にいた。
テーブルを挟んで、B子が座っている。
B子は静かに言った。
「A男、自分を最低だと言うのをやめて」
A男は反射的に答えた。
「でも、本当に最低だから」
「そういう話じゃない」
「じゃあ、何て言えばいいんだよ」
B子は言った。
「自分が何をしたかを言えばいい」
A男は黙った。
B子は続けた。
「最低だ、じゃない。
私はB男にきつい言葉を言った。
私はB子の注意を、自虐でごまかした。
私は自分を下げることで、相手の言葉を封じた。
そう言えばいい」
A男は、目をそらした。
「それは……きつい」
「自分を最低だと言う方が、楽なんだよ」
B子の声は静かだった。
「最低という言葉は、広すぎるから」
A男は顔を上げた。
「広すぎる?」
「うん。広すぎて、何をしたのかが見えなくなる」
A男の胸がざわついた。
B子は続けた。
「最低。クズ。壊れている。そう言えば、大きな罰を受けたような気分になれる。けれど、具体的な責任はぼやける」
A男は、何も言えなかった。
「本当に必要なのは、自分を叩き潰すことじゃない」
B子は言った。
「自分がしたことを、逃げずに言うことだよ」
その瞬間、A男の喉がひどく乾いた。
自分を最低だと言うのは簡単だった。
けれど、
「私はあなたを傷つけた」
そう言うのは、恐ろしかった。
相手の痛みが、はっきり見えてしまうからだ。
―――――
最後のループで、A男は再び劇場の舞台に立っていた。
客席には、無数のA男がいる。
全員が、口々に自虐を始めた。
「俺たちは最低だから」
「クズだから」
「壊れてるから」
「何をしても仕方ないよな」
その声が大きくなるたび、劇場の天井が下がってくる。
床も沈み始める。
A男は、舞台の真ん中で立ち尽くした。
口が勝手に動こうとする。
いつもの言葉が出そうになる。
「どうせ俺は最低だから」
そう言えば、少し楽になれる。
自分を罰した気分になれる。
これ以上責められない場所に逃げ込める。
傷つけた相手の顔を見なくて済む。
だが、A男はその言葉を飲み込んだ。
代わりに、震える声で言った。
「俺は、B男を傷つけた」
客席のA男たちが静まった。
A男は続けた。
「B子の言葉を、自虐でごまかした」
劇場の空気が変わる。
「自分を最低だと言って、責任から逃げた」
客席のA男たちがざわついた。
「俺は、自分を下げることで、人を下げる許可を得ようとしていた」
その瞬間、客席のA男たちが一斉に立ち上がった。
「違う!」
「そこまで言うな!」
「最低って言えば済むだろ!」
「具体的に言うな!」
A男は歯を食いしばった。
今までの自虐が、悲鳴を上げていた。
A男の中の逃げ道が、ひとつずつ閉じていく。
それでもA男は言った。
「俺は最低なんじゃない」
客席が凍りついた。
A男は続けた。
「最低という言葉で、全部を隠していただけだ」
その瞬間、劇場の床が割れた。
客席のA男たちが、黒い穴へ落ちていく。
最後に残ったのは、舞台の上のA男だけだった。
だが、舞台の中央には、まだ一枚の札が落ちていた。
そこには、こう書かれていた。
「自分を貶めても、傷つけた事実は消えない」
A男がその札を拾った瞬間、劇場が消えた。
―――――
朝。
A男は、自分の部屋で目を覚ました。
スマホには、B子からの未読メッセージが残っていた。
「昨日の言い方、やっぱり傷ついた」
A男は、いつものように打とうとした。
「ごめん。俺、最低だから」
指が止まった。
その言葉を送れば、また同じ場所に戻る気がした。
A男は、何度も文章を消した。
そして、別の言葉を打った。
「昨日、B男のことをからかった言い方はひどかった。
B子が止めてくれたのに、俺は自虐でごまかした。
自分を最低だと言って、責任を取ったつもりになっていた。
本当に悪かった」
送信ボタンの上で、指が震えた。
送ったからといって、許されるとは限らない。
関係が戻るとも限らない。
相手が返事をくれるとも限らない。
A男は、それが怖かった。
だから、また逃げたくなった。
「どうせ俺は最低だから」
喉の奥まで、その言葉が上がってくる。
スマホの画面が、かすかにちらついた。
予測変換の一番上に、見慣れた言葉が並んだ。
「最低」
「クズ」
「どうせ俺なんて」
その文字だけが、他の候補よりも少し大きく見えた。
早く押せ。
いつもの形に戻れ。
そう言われている気がした。
指が、勝手にその候補へ引っ張られそうになる。
その瞬間、スマホの黒い画面に、劇場の客席がかすかに映った。
無数のA男たちが、こちらを見ている。
「言えよ」
「楽になるぞ」
「最低って言えば、また隠せるぞ」
A男は、息を止めた。
そして、小さく首を振った。
送信した。
画面は静かだった。
何も起きなかった。
救われた感覚もなかった。
楽にもならなかった。
胸の奥には、相手を傷つけた事実だけが残っていた。
A男は、その重さから逃げずに座っていた。
どこか遠くで、劇場の幕が落ちる音がした。
けれど、その幕の向こうから、まだ自分の声が聞こえていた。
「どうせ俺は最低だから、いいだろ?」
A男は、その声に返事をしなかった。
返事をしないことが、初めての抵抗だった。
―――――
自分へ投げつけた言葉も、形を変えて他人へ向かうことがある。
自虐には、痛みがある。
本当に自分を責めている人がいる。
自分を好きになれず、苦しんでいる人がいる。
褒められても受け取れず、先に自分を下げることでしか、その場に立っていられない人もいる。
だから、自虐そのものを簡単に責めることはできない。
けれど、自虐がいつも無害とは限らない。
この話の裏側にあるのは、自分を低く置くことで、責任から逃げる心だ。
「どうせ俺は最低だから」
「俺なんてクズだから」
「壊れているから仕方ない」
そう言うことで、本当は何が起きているのかを見なくて済むことがある。
自分を強く責めているように見えて、実際には、具体的な責任から目をそらしている。
自分を罰しているように見えて、相手に「それ以上責めないで」と先に圧力をかけている。
自分を下げているように見えて、その低い場所から他人を傷つける許可を得ようとしている。
それは、とても分かりにくい形の攻撃なのかもしれない。
言われた側は、確かに傷ついている。
けれど相手が先に自分を強く殴っているせいで、怒ることすら難しくなる。
「そこまで自分を責めている人を、さらに責めてもいいのか」
そう思わされる。
その結果、傷つけられた側は、自分の痛みを訴える場所と、相手を責める権利の両方を奪われる。
それは、自虐によって作られる二重の檻なのかもしれない。
「最低」という言葉は強い。
強いからこそ、言った本人は罰を受けたような気分になる。
けれど、その言葉は広すぎる。
最低。
クズ。
ダメ人間。
壊れている。
そうした言葉は、自分の全体を黒く塗りつぶす。
だが、黒く塗りつぶされた場所では、何をしたのかが見えなくなる。
本当に必要なのは、自分を丸ごと貶めることではない。
何を言ったのか。
誰を傷つけたのか。
どの場面で逃げたのか。
何を自虐でごまかしたのか。
そこを、具体的に見ることなのだと思う。
自分を最低だと言うのは、ある意味では簡単だ。
けれど、「私はあなたを傷つけた」と言うのは難しい。
そこには、相手の顔がある。
相手の沈黙がある。
相手が飲み込んだ言葉がある。
だから怖い。
けれど、その怖さを避けるために自虐へ逃げ続けると、いつの間にか自虐そのものが地獄になる。
自分を下げる言葉の中に隠れて、他人を下げる。
自分を罰するふりをして、相手にこれ以上責めるなと迫る。
自分は壊れていると言いながら、その壊れた破片で周囲を傷つける。
そうなったとき、自虐は反省ではなくなる。
それは、責任を取らないための舞台装置になる。
そしてもうひとつ、自虐の奥には「強さの勘違い」が隠れていることもある。
自分で自分を痛めつける。
自分を低く扱う。
自分を笑いものにする。
先に自分を傷つけておけば、他人に傷つけられても平気なふりができる。
それを、強さだと思ってしまうことがある。
けれど、本当は強くなったのではなく、痛みに鈍くなっているだけなのかもしれない。
自分の中にある弱さや、繊細な心や、壊れそうな部分に気づけなくなるほど、感覚を麻痺させているだけなのかもしれない。
弱さは、本来、恥ではない。
誰しも、自分の弱いところを隠したい。
安心できない場所で、それを無理にさらけ出せないのは当然だ。
それは勇気がないのではなく、自分を守ろうとする自然な反応でもある。
問題は、その弱さを見ないために、自分を雑に扱い始めることなのだと思う。
「どうせ俺は最低だから」と言えば、弱さを見なくて済む。
「俺は壊れているから」と言えば、繊細な心に触れなくて済む。
「クズだから」と言えば、本当は傷ついている自分を抱きしめずに済む。
けれど、人は本来、上に立つ必要も、下に落ちる必要もない。
弱くていい。
繊細な心でいい。
壊れそうなほどでもいい。
それでも生きている。
それでも、今日ここにいる。
その事実こそが、誰かより上だとか下だとかいう位置づけとは別のところにある、静かな土台なのかもしれない。
自分を最低に置かなければ守れないように見えた心は、本当は、最低に置かなくてもそこにあってよかった。
この物語が最後に置いている問いは、そこにある。
その自虐は、本当に痛みから出た言葉だったのか。
それとも、傷つけた相手の声を封じるための言葉だったのか。
人は、自分を好きでいられない日がある。
失敗して、情けなくなって、消えてしまいたいほど自分を責めたくなる日もある。
それでも、そこで自分を丸ごと貶める前に、ほんの少しだけ立ち止まることはできるのかもしれない。
「自分は最低だ」と言う代わりに、
「自分は、あのとき何をしたのか」と見る。
その違いは、小さいようで大きい。
自分を貶めても、傷つけた事実は消えない。
けれど、傷つけた事実を見つめることでしか変われないのかもしれない。
そう考えると、 「どうせ俺は最低だから、いいだろ?」という言葉も、少しだけ違う重さを持ちはじめるのかもしれない。