遠回りにも、意味はあるのかもしれない。失敗や気づきを、物語・歌・動画にしています。
導きは、人を遠くへ連れていく。
だが時々それは、自分の足で歩いている感覚まで、静かに奪っていく。――裏思考遊戯。
A子は、キャリアの成功を目指す30代の女性だった。
仕事への意欲は高く、努力も惜しまなかった。
ただ、若い頃のA子には、自分の進む方向がよく分からなかった。
何を選べばいいのか。
どの仕事に力を入れるべきか。
どこで引き受け、どこで断るべきか。
その判断に迷っていたとき、A子はB男と出会った。
B男は、業界で名の知れた人物だった。
実績もあり、人脈もあり、何より言葉に説得力があった。
「A子さんは、もっと伸びる」
「今はこの仕事を受けた方がいい」
「そこで感情を出すより、次の一手を考えた方がいい」
B男の助言は、いつも的確だった。
A子が迷えば、B男は道筋を示した。
A子が落ち込めば、B男は視点を切り替えさせた。
A子がチャンスを逃しそうになれば、B男は背中を押した。
その結果、A子は急成長した。
大きな案件を任されるようになり、社内での評価も上がった。
周囲からは「最近、見違えるようだ」と言われた。
A子自身も、B男に感謝していた。
自分ひとりでは、ここまで来られなかった。
B男の導きがあったから、今の自分がある。
それは間違いなかった。
しかし、ある時期からA子の中に、小さな違和感が生まれ始めた。
新しい仕事を選ぶとき、まず考えるのは自分の気持ちではなかった。
「B男なら、どう判断するだろう」
会議で意見を言う前にも、頭の中にB男の声が浮かんだ。
「その言い方は弱い」
「もっと相手の利益に寄せた方がいい」
「そこで本音を出す必要はない」
A子は、確かに成長していた。
だが同時に、自分の判断が、少しずつB男の判断に置き換わっている気がした。
成功しているのは、自分なのか。
それとも、B男の考え方を上手く再現しているだけなのか。
その疑問は、日に日に大きくなっていった。
ある日、A子は決心した。
B男に会い、正直に伝えた。
「今まで、本当に感謝しています。
でも私は、これから少し、自分で決めてみたいんです」
B男は静かに聞いていた。
A子は続けた。
「助言が嫌になったわけではありません。
ただ、このままだと、私は何を選んでも“B男さんならどうするか”で動いてしまう気がします。
だから一度、距離を置きたいんです」
B男は微笑んだ。
怒るでもなく、失望するでもなく、穏やかに言った。
「それは素晴らしいことだ。
自分の道を進みたいと思えるようになったなら、君は確かに成長した」
A子は少し安堵した。
だが、B男は続けた。
「ただし、覚えておいてほしい。
私の導きを離れるということは、私の助言だけではなく、これまで私を通して得ていた関係や機会からも離れるということだ」
A子は息を飲んだ。
「それは……脅しですか」
B男は首を振った。
「現実の説明だよ。
人の成長は、本人の力だけで起きるわけではない。
環境、人脈、信用、紹介、タイミング。
それらも含めて、今の君を作っている」
A子は少し迷った。
それでも、頷いた。
「分かっています。
それでも、自分で決めたいです」
B男は静かに言った。
「なら、やってみるといい」
その日から、A子の状況は変わった。
B男からの連絡は来なくなった。
以前なら紹介されていた案件も、別の人に回るようになった。
会議で迷っても、助言をもらう相手はいない。
A子は、自分で考えた。
自分で選び、自分で失敗した。
最初は、うまくいかなかった。
提案は通らず、プロジェクトは遅れた。
これまでスムーズに進んでいた調整も、急に重くなった。
周囲の態度も、少しずつ変わった。
「B男さんの後ろ盾がなくなると、やっぱり厳しいね」
「前の方が判断が早かった気がする」
「最近、少し空回りしていない?」
その言葉は、A子に刺さった。
それでもA子は、戻らなかった。
失敗するたびに、自分の中で考えた。
なぜ失敗したのか。
何を見落としたのか。
誰に何を伝えるべきだったのか。
以前なら、B男が一言で整理してくれた。
今は、その整理を自分でしなければならない。
時間はかかった。
苦しかった。
だが、少しずつA子の判断には、自分の手触りが戻ってきた。
ある夜、A子がオフィスで一人残業していると、B男が現れた。
「頑張っているようだね」
A子は顔を上げた。
「見に来たんですか」
「たまたまだよ」
B男は、机の上に置かれた資料を見た。
修正だらけの企画書。
赤字のメモ。
失敗した提案の記録。
B男は言った。
「君は、何を求めている?」
A子はしばらく黙った。
それから答えた。
「自分自身で成功したいんです」
「なぜ?」
「それが本当に自分の力だと、証明したいからです」
B男は静かに笑った。
「証明したい相手は、誰だろうね」
A子は答えられなかった。
B男は続けた。
「私にか。周囲にか。
それとも、まだ頭の中にいる“私の声”にか」
A子は、胸の奥を突かれた気がした。
B男は言った。
「孤独に戦うことだけが、自立ではない。
助けを借りないことだけが、君の力の証明でもない」
A子は少し反発した。
「でも、助けを借りたら、また依存になります」
B男は首を振った。
「依存とは、助けを借りることではない。
自分で選んでいるつもりで、選ぶ基準を他人に預け続けることだ」
その言葉は、A子の中に残った。
B男は、それ以上何も言わずに帰っていった。
その後、A子は新しいプロジェクトに挑んだ。
今度は、誰にも頼らないことを目的にしなかった。
必要なところでは人に相談し、協力も求めた。
ただし、最後の判断だけは、自分で引き受けた。
B男ならどうするか、ではなく。
誰かに認められるか、でもなく。
自分は何を見て、何を選ぶのか。
それを、一つずつ確認しながら進めた。
プロジェクトは成功した。
大きな結果だった。
社内での評価も戻り、以前より強い信頼を得た。
A子は、確かに自信を持った。
だが、その成功のあと、奇妙な孤独が来た。
祝福の言葉を受けながらも、心のどこかで思ってしまう。
「これは本当に、私の力だったのか」
協力してくれた同僚。
支えてくれた部下。
助言をくれた別の上司。
過去にB男から学んだ考え方。
それらを全部取り除いたら、どこからどこまでが自分なのか分からなかった。
A子は気づいた。
自分だけの力で成功したいと思っていた。
だが、完全に自分だけの力でできたことなど、最初から一つもなかった。
人は、誰かの言葉で形づくられている。
誰かの支えで立っている。
誰かの影響を受けながら、自分の判断を作っている。
問題は、影響を受けることではなかった。
影響を受けたことを、自分の判断として引き受けられるかどうか。
ある日、A子はB男に短いメールを送った。
「私は、あなたの影響から完全に自由になる必要はなかったのかもしれません。
ただ、その影響を自分のものとして選び直す必要があったのだと思います」
しばらくして、B男から返信が来た。
「それなら、ようやく解除できたね」
A子は画面を見つめた。
解除。
メンターを解除するとは、相手を消すことではない。
相手の声を、自分の中で絶対命令にしないことだった。
A子は椅子にもたれた。
少し笑った。
そして同時に、少し怖くなった。
なぜなら、その理解さえも、B男の最後の教えのように思えたからだ。
A子は、スマホを伏せた。
もうB男に確認しない。
この答えが正しいかどうかも、聞かない。
影響は残る。
感謝も残る。
迷いも残る。
それでも、最後に選ぶのは自分だ。
さて。
あなたが離れようとしているメンターは、本当に外にいる相手だろうか。
それとも、あなたの中で絶対の声になってしまった、過去の導きだろうか。
解除すべきなのは、人との関係か。
それとも、自分の判断を誰かの声に預け続ける癖だろうか。
* * *
ここで、この話の裏側を言う。
メンターは、人を成長させる。
自分ひとりでは見えない視点を与え、遠回りを減らし、可能性を広げてくれる存在になり得る。
だから、誰かに導かれること自体は悪くない。
むしろ、人は完全に一人で成長するわけではない。
ただし、導きが強すぎると、いつの間にか自分の判断まで外に預けてしまうことがある。
「この人ならどう言うか」
「この人に認められるか」
「この人の型に合っているか」
そう考え続けるうちに、成功しているように見えても、自分の輪郭は少しずつ薄くなっていく。
一方で、メンターを拒絶し、誰の助けも借りないことを自立だと思い込むと、それもまた別の依存になる。
今度は「誰にも頼らない自分」という理想に縛られるからだ。
導きを受けること。
そこから離れること。
そのどちらも、極端になれば自分を見失わせる。
裏の問いは一つ。
あなたが今、自分の意志だと思っている判断は、本当に自分で選んだものだろうか。
それとも、誰かの声を内側に住まわせたまま、その声に従っているだけだろうか。