遠回りにも、意味はあるのかもしれない。失敗や気づきを、物語・歌・動画にしています。
A男は、始めるのが得意だった。
笑わせることも、距離を詰めることも、相手に期待させることも、そこそこ上手かった。
けれど、続けることには興味がなかった。
自分が満足したら、それで終わり。
相手がまだそこにいても、相手の時間は、A男の中ではもう終わっていた。
そしてある日から、A男の世界では、すべてが途中で終わるようになった。
―――――
A男は、そこそこの顔立ちをしていた。
ものすごく目立つわけではない。
けれど、笑い方や距離の詰め方がうまく、初対面の相手に警戒されにくかった。
本人も、それをよく分かっていた。
「付き合ってるわけじゃないし」
「向こうも分かってるだろ」
「重くなられる方が面倒なんだよ」
A男は、そう言っては、関係を軽く扱った。
最初は丁寧だった。
相手の話を聞く。
褒める。
連絡をまめに返す。
少しだけ特別な存在のように扱う。
だが、相手が安心した頃には、A男の気持ちはもう次へ向かっていた。
返信は短くなる。
会う約束は曖昧になる。
相手が不安を口にすれば、A男は決まって同じ顔をした。
「そういうの、重いよ」
それは便利な言葉だった。
相手の気持ちを受け止めずに済む。
自分の不誠実さを、相手の面倒くささに変えられる。
まるで、関係が続かない理由は、相手が余計な感情を持ったせいであるかのように見せられる。
ある夜、A男はB子と会っていた。
B子は、何度か会っている相手だった。
明るく、よく笑い、A男の話を楽しそうに聞いた。
その日も、A男はいつものように軽い言葉を並べた。
「B子といると楽だよ」
「そういうこと、他の人にも言ってるんでしょ」
B子は笑いながら言った。
A男も笑った。
「言わないよ。少なくとも、今は本気」
“今は”という言葉を、B子がどう受け取ったか。
A男は考えなかった。
その夜が終わると、A男の中でB子との関係も終わった。
翌日、B子から連絡が来た。
「昨日、楽しかった。次はいつ会える?」
A男は画面を見て、少しだけ面倒に感じた。
返信せず、別のアプリを開いた。
数時間後、また通知が来た。
「何かあった?」
A男はため息をついた。
「こういうところなんだよな」
数日後、B子から長めのメッセージが届いた。
「私、何か勘違いしてたのかな。A男くんにとって、私は何だったの?」
A男は、しばらく画面を見た。
そして、短く返した。
「楽しかったなら、それでよくない?」
B子からの返信はなかった。
A男はスマホを伏せた。
「お互い大人なんだから」
そう呟いて、また別の相手に連絡した。
―――――
次の朝。
A男は、見知らぬ部屋で目を覚ました。
そこは、薄暗いラウンジのような場所だった。
柔らかい照明。
小さなテーブル。
向かいには、知らない女性が座っている。
女性は、A男を見ると微笑んだ。
「A男くんって、話しやすいね」
A男は少し戸惑ったが、すぐにいつもの調子を取り戻した。
「そう? よく言われる」
「うん。なんか、安心する」
女性は楽しそうに笑った。
A男は、悪い気がしなかった。
ここがどこなのかは分からない。
だが、相手が自分に好意を持っていることは分かった。
それなら問題ない。
A男は身を乗り出し、いつものように言葉を選んだ。
「俺も、君といると――」
その瞬間、女性は立ち上がった。
「じゃあ、もういいかな」
「え?」
A男は間の抜けた声を出した。
女性はバッグを持ち、あっさりと出口へ向かった。
「ちょっと待って。まだ話してる途中だろ」
女性は振り返り、にこりと笑った。
「私はもう満足したから」
「いや、俺はまだ――」
「重いなぁ」
女性はそう言って、扉の向こうへ消えた。
A男は、しばらくその場に立ち尽くした。
すると、部屋の照明がふっと消えた。
―――――
次に目を開けると、A男は別の場所にいた。
今度は、レストランだった。
目の前には料理が並んでいる。
A男は腹が減っていた。
ナイフとフォークを手に取り、一口だけ食べた。
うまい。
そう思った瞬間、店員が皿を下げ始めた。
「ちょっと待ってください。まだ一口しか食べてません」
店員は、無表情で言った。
「でも、味は分かりましたよね」
「いや、そういう問題じゃなくて」
「満足したなら、それで十分でしょう」
皿は消えた。
次は映画館だった。
スクリーンに物語が始まる。
主人公が誰かと出会い、何かが起こりそうになる。
A男は、少し引き込まれた。
その瞬間、エンドロールが流れた。
「は?」
A男が声を上げると、隣の席の誰かが言った。
「始まりが見られたなら十分だろ」
次は、誰かとの会話だった。
A男は、自分の話をしようとした。
「実は俺、最近ちょっと――」
相手は、そこで席を立った。
「最初の感じでだいたい分かったから」
「まだ何も言ってないだろ」
「長引かせる方が残酷じゃない?」
A男は、言葉を失った。
どこへ行っても、同じだった。
始まる。
期待する。
少しだけ触れる。
そして、すぐに終わる。
A男が続きだと思ったものは、誰かの中ではもう終わっていた。
―――――
何度目か分からない朝。
A男は、またラウンジにいた。
向かいにはB子が座っていた。
A男は息を飲んだ。
「B子……?」
B子は、以前と同じように笑っていた。
「久しぶり」
A男は、思わず身を乗り出した。
「なあ、聞いてくれ。俺、ずっと変なことになってるんだ。何をしても途中で終わる。誰も俺の話を最後まで聞いてくれない。俺がまだそこにいるのに、みんな勝手に終わらせるんだ」
B子は、静かに聞いていた。
A男は少し安心した。
ようやく、話せる相手が現れたと思った。
「俺、分かったんだ。たぶん、俺が今まで――」
その瞬間、B子は立ち上がった。
A男の顔から血の気が引いた。
「待ってくれ」
B子は首をかしげた。
「どうして?」
「まだ話の途中なんだ」
「でも、だいたい分かったよ」
「分かってない。ちゃんと最後まで聞いてくれ」
B子は、少しだけ悲しそうに笑った。
「A男くんも、そうだったよ」
A男は言葉に詰まった。
B子は続けた。
「私が何かを感じていても、A男くんの中ではもう終わってた。私がまだそこにいても、A男くんの中ではもう“済んだこと”だった」
「違う。俺は……」
「楽しかったなら、それでよくない?」
その言葉は、A男自身の声に聞こえた。
A男は椅子から立ち上がった。
「やめてくれ」
B子は言った。
「お互い大人なんだから」
A男は、何も言えなかった。
そのとき、背後の壁に大きな鏡が現れた。
鏡の中には、過去のA男が映っていた。
スマホを見ながら笑っている。
相手からの長いメッセージを読み、面倒くさそうに画面を閉じている。
次の相手に、同じような言葉を送っている。
「君といると楽だよ」
「今は本気」
「そういうの、重いよ」
「楽しかったなら、それでよくない?」
過去のA男は、鏡の向こうから今のA男を見た。
そして、肩をすくめた。
「何を怒ってるんだよ」
A男は震える声で言った。
「俺は、ちゃんと聞いてほしかっただけだ」
過去のA男は笑った。
「でも、相手はもう満足したんだろ?」
「俺はまだ満足してない」
「それ、重いよ」
A男は膝から崩れ落ちた。
過去のA男は、最後にこう言った。
「満足したら終わりでいいだろ?」
その言葉と同時に、ラウンジの照明が消えた。
―――――
次の朝。
A男は、また誰かの前に座っていた。
相手は優しく微笑んでいる。
「A男くんって、話しやすいね」
A男は、その言葉に怯えた。
始まってしまった、と思った。
きっとまた、すぐに終わる。
それでも、A男は口を開いた。
「お願いだ。俺の話を――」
相手は、腕時計を見た。
「もういいかな」
「まだ、何も始まってない」
A男は叫んだ。
相手は微笑んだ。
「でも、私はもう満足したから」
部屋のどこかで、過去のA男の声が聞こえた。
「満足したら終わりでいいだろ?」
A男は、初めて知った。
早く終わらせていたのは、時間ではなかった。
相手の気持ちを待つ力だった。
相手の存在を受け止める余白だった。
そして、自分の中に残っていたはずの、人と向き合う感覚だった。
けれど、気づいたところで朝は終わらない。
また誰かが微笑む。
また何かが始まる。
そして、A男が何かを伝えようとした瞬間、世界はまた、あっさりと終わる。
―――――
自分だけで終わらせた時間は、形を変えて自分の中へ返ってくる。
この話は、身体の問題を笑うための話ではない。
ここで描いているのは、もっと手前にある態度だ。
自分が満足したら終わり。
自分が飽きたら終わり。
自分が面倒になったら終わり。
相手がまだ何かを感じていても、そこには関わらない。
そういう形で、人との時間を一方的に閉じてしまうことがある。
もちろん、関係を終わらせること自体が悪いわけではない。
合わない相手と無理に続ける必要はないし、離れる自由もある。
曖昧な関係を長引かせることが、かえって相手を傷つける場合もある。
けれど、問題はそこではない。
相手を一人の人間として扱っていたのか。
それとも、自分の満足のための時間として扱っていたのか。
その違いは、外からは分かりにくい。
言葉ではいくらでも整えられる。
「お互い大人だから」
「付き合っているわけじゃないから」
「重くなられても困るから」
「楽しかったなら、それでいいだろう」
どれも、もっともらしく聞こえる。
けれど、その言葉がいつも自分だけを守るために使われているなら、そこには相手の居場所がない。
この話の裏側にあるのは、性的な話だけではない。
会話でも、仕事でも、人間関係でも、同じことが起こる。
自分が言いたいことだけ言って終わる。
自分が得たいものだけ得て終わる。
自分が気持ちよくなったところで、相手の続きを見ない。
そういう小さな終わらせ方は、日常のあちこちにある。
そして怖いのは、それを続けているうちに、人と向き合う時間そのものが短くなっていくことだ。
相手の沈黙を待てない。
相手の不安を受け止められない。
相手が言葉を探している時間を、面倒だと感じる。
自分にとって都合のよいところだけを受け取り、それ以外を「重い」と切り捨てる。
その先で、人は誰かを軽く扱っているようで、実は自分自身の深さも失っていくのかもしれない。
もうひとつ、この話には、自分の中だけで反応が回り続ける怖さもある。
人は、自分の満足だけを追っていると、満たされているようで、実は同じ場所を回り続けていることがある。
一瞬の快さはある。
けれど、それはすぐに薄れ、また次の刺激を探し始める。
悩みが、自分の中で同じ場所を何度も回り続けることがあるように、満足もまた、自分一人の中だけで完結させようとすると、どこかで同じループに入り込むのかもしれない。
相手がいるということは、面倒なことでもある。
誤解も起きる。
衝突も起きる。
自分の思い通りにならないこともある。
それでも、相手の喜びを感じられたとき、自分一人では届かない満足が生まれることがある。
自分だけが嬉しいよりも、相手が嬉しそうにしていることの方が、なぜか深く残る。
それは、満足が自分の中だけで反射して終わるのではなく、相手との間で響き合うからなのだと思う。
自分の中だけで完結した満足は、すぐに薄れてしまう。
けれど、相手と感じ合った満足は、時間が経ってもどこかに残ることがある。
それは、自分だけの反応ではなく、相手とのあいだに生まれたものだからだ。
A男が捨てていたのは、相手の気持ちだけではない。
本当は、自分自身がもっと深く満たされる可能性でもあった。
A男の地獄は、誰かに振られ続けることではない。
自分がしてきたように、何もかもが途中で終わってしまうことだ。
話し始めた瞬間に終わる。
味わおうとした瞬間に下げられる。
分かってほしいと思った瞬間に、「もういい」と言われる。
自分が相手にしてきたことを、自分が受け取る側になる。
この物語が最後に置いている問いは、そこにある。
自分が満足したあとにも、相手の時間はまだ続いていたのではないか。
そして、自分が「終わった」と決めたその場所に、まだ誰かの気持ちが残されていたのではないか。
相手と感じ合うことを捨てたとき、人は楽になったつもりで、もっと大きな満足を手放しているのかもしれない。
その問いの前では、「楽しかったなら、それでいいだろう」という言葉も、少しだけ違う重さを持ちはじめるのかもしれない。