遠回りにも、意味はあるのかもしれない。失敗や気づきを、物語・歌・動画にしています。
山盛りは、祝福に見える。
けれど、その高さを支えているものが、畑の実りではなく、誰かの空腹だったとしたら。
残忍な山盛りをめぐる――裏思考遊戯。
―――――
山に囲まれた小さな村では、秋になると収穫祭が開かれた。
村の広場には、毎年、大きな台が組まれる。
その上に、果物、野菜、穀物、干し肉、保存食が積まれていく。
赤い実。
黄色い瓜。
土の匂いを残した根菜。
束ねられた麦。
艶のある果物。
それらは広場の中央で山のように盛られ、村人たちはそれを「豊穣の山盛り」と呼んだ。
子どもたちは、その周りを走り回る。
大人たちは酒を飲み、笑い、今年の山の高さを去年と比べる。
旅人が来れば、村人は胸を張ってそれを見せた。
「この村は豊かだ」
「今年もよく実った」
「山盛りが大きいほど、村は栄えている」
そういうことになっていた。
A男も、幼い頃からその祭りを見て育った。
山盛りを見ると、村全体が一つの家族になったような気がした。
誰も飢えず、誰も置き去りにされず、皆で実りを分け合っている。
そんな物語が、そこにはあった。
けれど、今年の秋だけは違った。
A男は畑を見ていた。
雨が少なかった。
虫も多かった。
山側の畑は、土が乾いて割れていた。
収穫量は、例年より明らかに少ない。
それなのに、広場に組まれた山盛りは、去年よりも大きかった。
村人たちは笑っていた。
「今年も豊作だな」
「これなら冬も安心だ」
「長老のおかげだ」
A男は、その言葉が喉に引っかかった。
豊作。
その言葉は、畑の現実と合っていなかった。
A男は、祭りの準備をしている男たちに尋ねた。
「今年、こんなに採れていたか?」
男たちは一瞬だけ手を止めた。
だがすぐに、笑って言った。
「細かいことを言うなよ」
「祭りなんだから、景気よく見せるんだ」
「山が小さいと、村が沈むだろ」
A男は、それ以上聞けなかった。
聞けなかったのではない。
その笑いの中に、聞いてはいけないものが混じっていた。
数日後、A男は市場で妙な噂を聞いた。
隣の谷の村で、今年の蓄えが足りないらしい。
別の村では、水利の約束を盾に作物を差し出させられたらしい。
山道の向こうの村では、「奉納」という名で収穫物を持っていかれたらしい。
奉納。
その言葉に、A男は引っかかった。
その夜、A男は長老の家を訪ねた。
長老は、囲炉裏の前で茶を飲んでいた。
背筋は伸び、顔には深い皺が刻まれている。
A男は言った。
「今年の山盛りは、村の畑だけでは作れません。
どこから集めたんですか」
長老は湯呑みを置いた。
「村の繁栄は、村の努力の結果だ」
「答えになっていません」
長老はA男を見た。
「余計な穴を掘るな。
穴を掘れば、埋めてあったものまで出てくる」
その声は穏やかだった。
けれど、穏やかさの奥に硬いものがあった。
A男はその夜、眠れなかった。
翌日の深夜、A男は村の倉庫へ向かった。
祭り用の山盛りに使う作物は、広場の裏にある大きな倉庫に保管されている。
鍵はかかっていたが、古い扉の蝶番は甘かった。
A男は、扉の隙間から中へ入った。
倉庫の中には、木箱が何段にも積まれていた。
A男は松明の灯りを近づける。
そこには、見慣れない作物があった。
この村では育てていない品種の芋。
山向こうの村でしか採れない果物。
川下の村の印が押された穀物袋。
その印を見た瞬間、A男の舌の奥に、去年の冬に母と食べた甘い芋の味がよみがえった。
病み上がりの母が、湯気の立つ椀を両手で包んでいた。
A男も同じものを食べた。
あのときは、ただありがたかった。
冬を越せることに、ほっとしていた。
知らなかった。
そう言い訳しようとした。
だが、身体は覚えていた。
あの山盛りの一部を、自分は確かに食べていた。
その味で、少しだけ助かっていた。
A男は、松明を持つ手に力が入らなくなった。
箱の端には、紙が貼られていた。
「奉納分」
「不足分は来年倍」
「遅延時、水利停止」
「協力により村の安全を保証」
奉納。
協力。
保証。
どれも、やわらかい言葉だった。
だが、読めば分かる。
それは命令だった。
A男は、箱の一つに手を置いた。
冷たい木の感触がした。
ここにある一つひとつが、どこかの家の食卓から消えたものなのかもしれない。
どこかの子どもが食べられなかった分なのかもしれない。
どこかの老人が、冬の蓄えから削ったものなのかもしれない。
A男は、初めて山盛りの高さが怖くなった。
山盛りは豊かさの証ではなく、誰かの不足を積み上げた形かもしれなかった。
収穫祭の朝。
広場は熱気に包まれていた。
太鼓が鳴り、旗が揺れ、村人たちは晴れ着を着て集まっている。
中央には、例年よりさらに大きな山盛りがあった。
陽光を受けて、果物は輝いていた。
野菜は鮮やかで、穀物の束は黄金色だった。
子どもたちは歓声を上げた。
「すごい!」
「今年の山、いちばん大きい!」
「これなら冬も大丈夫だね!」
A男は、その声を聞いて胸が痛んだ。
子どもたちは何も知らない。
知らないまま、喜んでいる。
しかし、知らないから無関係なのだろうか。
祭りの挨拶が始まる直前、A男は壇上に上がった。
長老が眉をひそめる。
村人たちがざわめく。
A男は、倉庫から持ち出した紙を掲げた。
「この山盛りは、村の畑だけでできたものではありません」
広場が静まった。
A男は続けた。
「他の村から集めたものです。
奉納、協力、保証。そういう言葉が使われています。
けれど、その実態は、拒めない形で差し出させたものです」
村人たちの顔が変わった。
驚いた顔。
怒った顔。
目をそらす顔。
A男は言った。
「この山盛りの下には、誰かの空腹が埋まっています」
一瞬、風の音だけが聞こえた。
次の瞬間、怒号が飛んだ。
「伝統を汚すな!」
「村を売る気か!」
「よその村のことまで知るか!」
「今年の冬をどうするつもりだ!」
A男は、その声の中に、恐怖が混じっているのを感じた。
怒っているのではない。
失うことを恐れている。
長老が壇上へ上がった。
声は静かだった。
「A男。お前は、正しいことを言っているのかもしれん」
広場が少し静かになる。
長老は続けた。
「だが、正しさで腹は膨れん。
この村には、この村の冬がある。
子どもがいる。老人がいる。病人がいる。
お前はその者たちに、今年は食べるなと言うのか」
A男は言葉に詰まった。
長老は、そこを逃さなかった。
「村が生き残るには、優先順位がある」
A男は、ようやく言い返した。
「その優先順位の下で、他の村が飢えるんですか」
長老は、わずかに口角を上げた。
「他の村が飢えているのは、この村のせいだけではない。
雨もある。土もある。運もある。
我々は、機会を逃さなかっただけだ」
機会。
A男は、その言葉の軽さに背筋が冷えた。
奪うことは、機会と呼べる。
押しつけることは、協力と呼べる。
従わせることは、保証と呼べる。
言葉を変えれば、現実は少しだけ見えにくくなる。
そのとき、群衆の後ろから、一人の女が前へ出た。
見慣れない顔だった。
だがA男は、どこかで見た記憶があった。
数年前、山道の市で野菜を売っていた女だった。
女は、静かに言った。
「私は、差し出した村の者です」
広場がざわめいた。
長老の表情が、ほんの少しだけ動いた。
女は山盛りを見上げた。
「今年も、うちの村は奉納しました。
あんたたちの山が高くなるたびに、うちの蔵は低くなった」
村人たちは黙った。
女は続けた。
「でも、あんたたちだけが悪いわけじゃない」
A男は女を見た。
女は、自分の胸に手を当てた。
「私たちも、最初は黙った。
黙れば、次は別の村だと思った。
少し差し出せば、残りは守れると思った。
でも、それは違った」
女は広場を見回した。
「黙った瞬間に、契約が成立した」
その言葉は、太鼓よりも重く響いた。
村人たちの何人かが、目を伏せた。
知っていたのだ。
全員ではない。
細部まで知っていたわけでもない。
けれど、何かがおかしいことは知っていた。
山が大きすぎること。
畑の量と合わないこと。
他所の村が痩せていくこと。
それでも、黙っていた。
A男は、怒りよりも深い疲れを感じた。
長老が言った。
「聞いたか。知っている者は、知っている。
それでも祭りは回る。
祭りが回る限り、村は生きる」
A男は震えた。
「それが、生きるということですか」
長老は答えなかった。
答えないまま、群衆を見た。
誰も壇上に上がってこなかった。
誰も長老を止めなかった。
誰も女の隣に立たなかった。
村人たちは、怒っているのではなかった。
選んでいた。
真実よりも、今年の冬。
正しさよりも、目の前の山。
遠くの空腹よりも、自分の家の鍋。
A男は、そこで改めて思い出した。
去年の冬、自分の家も山盛りから分けられた作物で助かっていた。
体調を崩していた母が、あの山の芋を煮て食べていた。
A男自身も、それを食べていた。
知らなかった。
そう言える。
だが、何も感じなかったわけではない。
山が大きすぎると思ったことはあった。
他所の村が静かになったと思ったこともあった。
それでも、A男は深く考えなかった。
食べたのだ。
山盛りの一部を。
その事実が、A男の舌の奥に苦く残った。
祭りは、結局そのまま続いた。
太鼓が鳴り直される。
酒が回る。
子どもたちの笑い声が戻る。
山盛りは少しずつ崩され、村人たちの手に渡っていく。
女は、いつの間にか広場の端に立っていた。
誰も声をかけない。
誰も追い出さない。
ただ、見えない場所に置く。
A男は山盛りの前に立った。
村の子どもが、皿を持って近づいてくる。
「A男、これ食べないの?」
子どもの皿には、山向こうの村の印が入った果物が乗っていた。
A男は答えられなかった。
食べるな、と言えば、その子は理由も分からず怖がるだろう。
食べろ、と言えば、自分がさっき言ったことを裏切る気がした。
どちらも正しくなかった。
夜。
祭りの後、広場には皮や葉の残りが散らばっていた。
山盛りはもうない。
台だけが残っている。
A男は一人で倉庫の前に立った。
扉には、昼間の紙がまだ貼られていた。
奉納。
保証。
協力。
A男は、その文字を指でなぞった。
そこへ、昼間の女が近づいてきた。
「返してほしいものがあります」
A男は顔を上げた。
「何を」
女は、静かに言った。
「作物ではありません。
うちの村の飢えを、あんたたちの繁栄の飾りにしないでほしい」
A男は何も言えなかった。
女は続けた。
「返すと言っても、またあんたたちが配る側になる。
謝ると言っても、またあんたたちが許された側になる。
だからまず、山を見上げるのをやめて。
その下を見て」
女は去っていった。
A男は、空になった広場を見た。
山盛りは消えている。
だが、山盛りを作った沈黙は、まだそこにあった。
翌朝。
村の掲示板には、新しい張り紙が出ていた。
「来年の収穫祭について」
そこには、こう書かれていた。
今年の指摘を受け、次回からは近隣村との連携をさらに強化し、共生の山盛りとして開催します。
A男は、しばらくその張り紙を見つめた。
共生。
また、きれいな言葉だった。
村は、告発を消そうとしなかった。
むしろ、それを取り込み、来年の祭りをさらに美しく見せるための材料に変えていた。
暴かれた傷は、反省の証に変わる。
奪った過去は、連携の物語に塗り替えられる。
黙っていた沈黙は、改善のきっかけとして飾られる。
来年の山は、今年よりも優しい顔をして立つのだろう。
もっと丁寧な説明を添えられ、もっと反論しにくい形で。
奪う言葉は、協力になった。
告発は、改善になった。
沈黙は、連携になった。
山盛りは、来年も作られるのだろう。
名前を変えて。
説明を増やして。
もっと見栄えよく。
もっと反論しにくい形で。
A男は、村の外へ続く山道を見た。
遠くの谷に、別の村がある。
そこには、山盛りに載らなかった空腹がある。
A男は、初めて思った。
山を崩すだけでは足りない。
山ができる前に、誰の皿が空になるのかを見なければならない。
その日、A男は自分の家に残っていた祭りの取り分を袋に入れた。
それが返済になるとは思っていない。
償いになるとも思っていない。
ただ、何もなかった顔で食べ続けることだけは、もうできなかった。
袋は軽かった。
山盛りの一部に過ぎなかった。
だが、その軽さの中に、A男は自分の村の平和の重さを感じていた。
―――――
この話の裏側にあるのは、豊かさの見え方だ。
山盛りは、分かりやすい。
見た目に豊かで、写真に映え、祝いの場にふさわしい。
そこに並ぶ果物や野菜は、努力の成果にも、村の誇りにも、未来への安心にも見える。
だからこそ、危うい。
山盛りが大きければ大きいほど、人はそれを「豊かさ」だと思いやすい。
だが、その下に何が埋まっているのかは、見えにくい。
誰の畑から来たのか。
誰の蓄えが削られたのか。
誰が断れなかったのか。
誰が黙ることで、自分の家だけは守ろうとしたのか。
そこを見なければ、山盛りはただの祝福になる。
この物語で一番残忍なのは、奪う手だけではない。
奪われた弱さだけでもない。
知っていながら、あるいは薄々気づきながら、祭りを続ける普通の沈黙だ。
もちろん、人は簡単には声を上げられない。
自分の家族がいる。
冬の不安がある。
村の中で生きていかなければならない。
真実を言えば、次に自分が孤立するかもしれない。
だから、沈黙には理由がある。
だが、理由があることと、契約が成立しないことは同じではない。
黙った瞬間に、何かを許したことになる場合がある。
見なかったことにした瞬間に、山は少し高くなる。
「仕方ない」と言った瞬間に、次の誰かの皿が少し軽くなる。
山盛りの残忍さは、奪ったものを祝福の形に積み直し、誰かの空腹を見えなくするところにある。
そして、もっと厄介なのは、自分もその山盛りを食べているかもしれないということだ。
A男は告発する側に立った。
だが、去年の冬、彼もその山の一部に助けられていた。
知らなかったと言えるかもしれない。
けれど、まったく何も感じなかったわけではない。
大きすぎる山。
痩せていく隣村。
妙に整いすぎた言葉。
違和感はあった。
それでも、食べた。
このねじれは、遠い村の話ではない。
私たちの周りにも、山盛りはある。
安すぎるもの。
早すぎるサービス。
便利すぎる仕組み。
誰かの負担が見えないまま、自分の生活を少し楽にしてくれるもの。
それは、現代の大きな仕組みにも重なる。
安く買える衣服。
すぐに届く荷物。
画面の向こうで、いつでも動いてくれるサービス。
綺麗な店先。
便利な暮らし。
何気なく受け取っている快適さ。
その背景には、どこかの誰かの低い賃金、長い労働、削られた生活、傷ついた土地があるかもしれない。
それを直接見ることは少ない。
だから、山盛りはいつもきれいに見える。
そして社会は、その歪みに気づいたあとでさえ、新しいきれいな言葉を用意する。
持続可能。
共生。
連携。
改善。
配慮。
それらの言葉が本当に必要なこともある。
だが、ときにそれらは、罪悪感を薄め、祭りを続けるための布にもなる。
さらに言えば、システムが整っている場所ほど、ものはあふれやすい。
余るほど届き、選べるほど並び、使いきれないほど積み上がる。
一方で、システムが届きにくい場所には、必要なものほど届かない。
足りない場所では、さらに足りなくなる。
余っている場所では、さらに余っていく。
そして、余ったものは、今日もどこかで静かに捨てられていく。
この世界は、以前よりも近くなった。
遠くの出来事を知ることも、遠くのものを受け取ることも、昔よりずっと簡単になった。
それでも、格差が広がる仕組みの中では、近くなったはずの世界が、別の意味で遠くなることがある。
画面を見れば、遠くの苦しみも目に入る。
けれど同じ画面は、次の刺激も、次の娯楽も、次の買い物も差し出してくる。
見えているようで、見ないで済む。
知っているようで、感じないで済む。
その仕組みの中で、個人がシステム全体を変えることは簡単ではない。
あまりにも大きく、あまりにも生活に入り込みすぎている。
山盛りを批判している自分も、その山盛りの上で暮らしている。
だから、諦めに似た感情が生まれるのも、自然なことなのかもしれない。
けれど、完全に変えられないことと、何も見なくていいことは同じではない。
山盛りをなくすことは難しくても、山盛りを欲しがり続ける自分に気づくことはできる。
システムから完全に降りられないとしても、山を高くする側へ無自覚に手を貸さないことはできるのかもしれない。
必要以上に動かない。
必要以上に摂り込まない。
必要以上に積み上げない。
目の前の豊かさを、ただ消費するだけで終わらせない。
それは、大きな革命ではない。
けれど、自分の皿の上にあるものが、どこから来たのかを思い出す小さな抵抗にはなる。
もちろん、すべての豊かさが誰かの犠牲でできている、と言いたいわけではない。
努力や工夫や技術によって、本当に生まれた豊かさもある。
テクノロジーによって救われる時間もある。
画面の向こうにあるものが、すべて人を鈍らせるわけでもない。
問題は、それを使う自分が、何から目を背けているのかだ。
便利さに感謝することと、便利さの下にあるものを見ないことは違う。
豊かさを受け取ることと、山盛りを当然だと思い込むことも違う。
本当に豊かな時間には、山盛りはいらないことがある。
隣にいる人と、同じ空気を静かに味わう。
温かいものを分け合う。
今ここにあるものを、必要な分だけ受け取る。
そこには、積み上げるための高さはいらない。
見せるための豊かさもいらない。
この物語が最後に置いている問いは、そこにある。
あなたの周りの山盛りは、何でできているだろうか。
その豊かさを支えているものは、見えているだろうか。
それを知ったとき、あなたは何を守ろうとするだろうか。
真実か。
平和か。
自分が罰せられない形か。
それとも、山盛りがなくても足りていると感じられる、小さな今か。
山盛りを見るとき、その高さだけを見ているうちは、祭りの中にいる。
その下に埋まった皿の軽さを見ようとした瞬間、人は少しだけ祭りの外へ立つのかもしれない。
そして、祭りの外に立ったとき、初めて分かることがある。
山盛りがなくても、手を取り合える時間はある。
空気を一緒に味わえる人がいる。
必要以上に積み上げなくても、すでに足りているものがある。
そこに気づけるなら、豊かさの意味は、少しだけ変わって見えてくるのかもしれない。