遠回りにも、意味はあるのかもしれない。失敗や気づきを、物語・歌・動画にしています。
利益を選ぶのか。
環境を選ぶのか。
その問いは、一見すると分かりやすい。
けれど、環境に優しい未来を本気で組み立てようとしたとき、削られていくのは、汚染物質だけなのだろうか。
正しさの組み立てをめぐる――裏思考遊戯。
―――――
A子は、深夜のオフィスで一人、机に向かっていた。
窓の外には、眠らない都市の光が点々と浮かんでいる。
遠くのビルの明かりはまだ消えず、道路には小さな車の列が流れていた。
A子は、一流企業のプロジェクトマネージャーだった。
これまでにも、多くの決断をしてきた。
人員配置、予算配分、製品開発、撤退判断。
どれも軽いものではなかった。
けれど、今日の決断は、それらとは少し違っていた。
机の上には、二つの提案書が置かれていた。
一つは、短期間で大きな利益を見込める新規事業。
初期投資は少なく、回収も早い。
株主は喜び、会社の数字は一気に改善するだろう。
ただし、環境への負荷は大きかった。
資料には、排出量、水資源への影響、廃棄コストが、細かな数字で並んでいる。
短期的には利益が出るが、長期的には大きな負担を社会に残すことになる。
もう一つは、環境負荷を大きく減らせる新技術の開発プロジェクトだった。
利益が出るまでには時間がかかる。
コストも高い。
失敗すれば、会社の業績に大きな傷がつく。
それでも、長期的には持続可能な社会に貢献できる可能性があった。
A子は、何度も資料を読み返した。
「利益か、倫理か」
言葉にすれば、分かりやすい。
しかし、実際に数字と人員と責任を前にすると、それは簡単な二択ではなかった。
利益を選べば、会社は救われるかもしれない。
環境を選べば、未来は少しだけ救われるかもしれない。
どちらを選んでも、誰かに影響が出る。
A子は椅子にもたれ、目を閉じた。
自分は、どんな未来を望んでいるのだろう。
すぐに利益が出る未来。
それとも、今は苦しくても、次の世代が少し呼吸しやすくなる未来。
しばらくして、A子は目を開けた。
そして、環境に優しい新技術の開発プロジェクトにサインをした。
その瞬間、胸の奥に小さな安堵が広がった。
自分は、正しい方を選んだ。
少なくとも、そう信じることができた。
翌朝、A子はチームに決定を伝えた。
反応は分かれた。
「短期利益を捨てるのは危険です」
「でも、長期的には正しい選択です」
「株主への説明はどうしますか」
「環境価値を打ち出せば、ブランドにはなります」
議論は続いたが、最終的にプロジェクトは動き出した。
A子は覚悟を決めていた。
多少の困難はある。
それでも、正しい方向へ進むのだから、乗り越える価値がある。
最初の数ヶ月、プロジェクトは順調に見えた。
新技術は期待通りに動き、従来の方法よりも排出量を大きく減らすことができた。
試験データも良く、市場からの反応も悪くなかった。
社内では、A子の決断を評価する声が増えていった。
「やはり環境を選んで正解だった」
「これからの時代に合っている」
「会社のイメージも良くなる」
A子も、少しずつ手応えを感じていた。
けれど、ある日、品質管理部から報告が上がった。
新技術に使われる素材の一部が、特定の地域の水資源に負担をかけているという。
A子はすぐに調査を命じた。
たしかに、製品そのものの環境負荷は低い。
しかし、その素材を採掘し、精製し、輸送する過程で、別の環境負荷が発生していた。
A子は、素材の調達先を見直した。
すると、今度はコストが跳ね上がった。
コストを抑えるために別の供給ルートを探すと、労働環境の問題が見つかった。
労働環境を改善すると、輸送距離が伸び、排出量が増えた。
輸送を減らすために地域生産へ切り替えると、品質のばらつきが大きくなった。
品質を安定させるために検査工程を増やすと、またエネルギー消費が増えた。
A子は、ひとつずつ問題を潰していった。
素材。
輸送。
労働環境。
製造工程。
包装。
販売方法。
使用後の回収。
リサイクル。
廃棄。
環境に優しい製品を作るためには、製品そのものだけでは足りなかった。
その周囲にある、すべての流れを設計し直す必要があった。
A子は、プロジェクトの組み立てを絞り込んでいった。
無駄な素材を減らす。
無駄な輸送を減らす。
無駄な包装を減らす。
無駄な在庫を減らす。
無駄な返品を減らす。
無駄な使い方を減らす。
減らすべきものは、次々に見つかった。
やがて、チームは製品の使い方にもルールを設けるようになった。
指定された環境で使うこと。
一定期間内にメンテナンスを受けること。
使用後は必ず回収ボックスへ戻すこと。
改造や再販売は禁止。
非対応地域への持ち出しも制限。
「ここまでしないと、本当の意味で環境負荷を減らせません」
担当者は、そう説明した。
A子も理解していた。
せっかく環境に優しい製品を作っても、使い方が乱れれば意味がない。
回収されなければ、リサイクルもできない。
別の目的で転用されれば、想定外の負荷が生まれる。
正しい未来を守るためには、使用者の行動まで設計する必要があった。
A子は、さらに組み立てを絞った。
購入できる人。
使える地域。
使える時間。
返却する場所。
修理する業者。
廃棄する方法。
すべてが最適化されていった。
数字は、見事だった。
排出量は下がった。
廃棄量も減った。
資源の循環率は上がった。
環境評価機関からも高い評価を受けた。
会社は、A子のプロジェクトを大々的に発表した。
「未来のための、完全循環型プロジェクト」
会場には拍手が響いた。
A子は壇上で、完成した資料を見つめていた。
そこには、プロジェクトの成果が整然と並んでいる。
環境負荷削減。
資源効率改善。
廃棄物削減。
長期的社会コストの低下。
すべて、正しい方向を向いていた。
そのはずだった。
けれど、最後のページにある一文を見たとき、A子の手が止まった。
そこには、こう書かれていた。
「本プロジェクトの最大の成果は、製品そのものではなく、利用者の選択行動を最適範囲内に制限できた点にある」
A子は、しばらくその一文を見つめた。
環境に優しい未来を作るために、無駄を減らした。
無駄を減らすために、行動を整えた。
行動を整えるために、選択肢を制限した。
気づけば、A子が作っていたのは、単なる新技術ではなかった。
人がどう買い、どう使い、どう捨てるかまでを組み込んだ、ひとつの生活システムだった。
たしかに、環境には優しい。
たしかに、未来には必要かもしれない。
けれど、その未来は、人間にとって自由な未来なのだろうか。
会場では、拍手が続いている。
「素晴らしいプロジェクトです」
「これこそ持続可能な社会です」
「世界標準にすべきです」
A子は、壇上の照明の中で、静かに息を吸った。
短期利益のために環境を壊すプロジェクトを、彼女は拒んだ。
その選択に後悔はなかった。
けれど、環境を守るために、生活の隅々まで管理するプロジェクトを作ったことにも、気づいてしまった。
利益を選べば、未来を傷つける。
未来を選べば、現在の自由を少しずつ絞り込む。
A子は、拍手の中で思った。
正しい未来とは、もしかすると、
誰も反対しにくい理由で、人間の余白を削っていくものなのかもしれない。
その夜。
A子は、深夜のオフィスに戻っていた。
机の上には、新しい提案書が置かれている。
タイトルは、
「完全持続可能社会に向けた生活最適化プラン」
A子はペンを手に取り、しばらく動かなかった。
環境を守るため。
未来を守るため。
次の世代を守るため。
それらは、どれも正しい言葉だった。
だからこそ、怖かった。
正しい言葉ほど、反対する理由を奪っていく。
A子は、提案書の余白に小さく書いた。
「私たちは、未来を守っているのか。
それとも、未来という名目で、人間の選択肢を組み立て直しているのか」
その問いだけが、深夜のオフィスに残った。
―――――
この話を、少しだけ裏側から見てみたい。
環境を守ることは大切だ。
短期的な利益だけを追いかけて、未来に負担を先送りすることは、決して望ましいことではない。
だから、A子が環境に優しいプロジェクトを選んだこと自体は、間違いとは言えない。
むしろ、その判断は誠実だった。
けれど、誠実な選択であっても、それを現実に成立させようとすると、別の問題が立ち上がる。
環境に優しい製品を作るには、素材を選ばなければならない。
素材を選べば、調達先を選ばなければならない。
調達先を選べば、労働環境や輸送や廃棄まで考えなければならない。
そして最後には、使う人の行動まで設計しなければならなくなる。
ここに、静かなねじれがある。
正しい未来を実現しようとするほど、
その未来から外れる行動は「無駄」や「問題」として扱われやすくなる。
もちろん、すべての制限が悪いわけではない。
信号も、ルールも、回収制度も、人間の暮らしを守るために必要な場面はある。
しかし、未来のためという言葉が強くなりすぎると、
今を生きる人間の迷い、遠回り、余白、失敗までもが、削るべき非効率に見えてくる。
効率の悪い人間。
予測できない選択。
予定外の使い方。
気まぐれな消費。
それらを絞り切った先に、たしかに整った未来はあるのかもしれない。
だが、その未来は、本当に人間が生きる場所なのだろうか。
この話が裏側から差し出している問いは、ここにある。
私たちは、地球を守るために、どこまで人間の選択肢を絞り込むことを許せるだろうか。
そして、その絞り込みを「正しい未来」と呼ぶとき、
私たちは何を失っていることに、気づかないふりをしているのだろうか。