遠回りにも、意味はあるのかもしれない。失敗や気づきを、物語・歌・動画にしています。
夢というと、華やかな職業や、大きな成功を思い浮かべてしまう。
大きな会社を作ること。
有名になること。
たくさんのお金を稼ぐこと。
誰かに羨ましがられるような場所へ行くこと。
私も長い間、そんな夢を追いかけていたのだと思う。
インターネットで成功したい。
少ない作業で大きく稼ぎたい。
自分の力で、時間とお金の自由を手に入れたい。
そう願って、いろいろなことに手を出した。
サイトを作り、記事を書き、商品を売り、広告を試し、何度も可能性を探した。
けれど、気づけば多くのものは形にならず、残ったのは、遠回りしたという感覚だった。
そんな私が今、軽運送という仕事を始めようとしている。
荷物を運ぶ。
車を走らせる。
指定された場所へ届ける。
言葉にすれば、とても地味な仕事かもしれない。
けれど不思議なことに、私はそれを考えると、少しだけ心が動く。
幼い頃、長距離トラックに乗せてもらった記憶がある。
大きな車体。
低く響くエンジンの音。
ディーゼルの匂い。
走り続ける車内の、どこか守られているような安心感。
私は運転手になりたかったわけではない。
長距離トラックに憧れていた、と言い切れるほど明確な夢でもなかった。
それでも、車の中にある小さな自分の空間。
そこに身を置きながら移動していく感覚。
自分のペースで走り、自分の手で何かを届ける感覚。
そのようなものが、ずっと心の奥に残っていたのかもしれない。
だから今、軽運送をただの仕事と呼ぶには、少し惜しい気がしている。
もちろん、生活のためでもある。
きれいごとだけで始めるわけではない。
現実的な収入が必要だから選ぶ道でもある。
それでも私は、そこに少しだけ、別の意味を見つけている。
夢がかなった、とはまだ言えない。
そこまで大げさに言えば、自分に言い聞かせているだけのようにも感じる。
けれど、夢と呼んでみたくなった。
それくらいなら、許される気がした。
夢とは、本当は追いかけるものだけではないのかもしれない。
すでに叶っている小さなことを、毎日少しずつ積み重ねていく。
その中で、いつの間にか「これは夢だったのかもしれない」と気づく。
大きければ夢で、小さければただの日常。
そんなふうに分けてしまうから、私は今まで、足元にあるものを見落としてきたのかもしれない。
時々、満たされた人生を語る人を見かける。
けれど私は、そこに少しだけ違和感を覚えることがある。
もし本当に、すでにあるもので満たされているのなら、
それを誰かに証明してもらう必要はあるのだろうか。
注目されること。
意味づけされること。
立派な物語として取り上げられること。
そういうものを手放した先にこそ、
本当に満たされた静けさがあるのではないか。
大切な人がいる。
一緒に生きている猫たちがいる。
季節の空気や、朝の光や、車の中に流れる静かな時間がある。
不満がないわけではない。
不安が消えるわけでもない。
それでも、よく見れば、私はすでに多くのものに包まれていた。
ならば、夢とは遠くにある特別な何かではなく、
すでにあるものを、もう一度大切にしながら生き直すことなのかもしれない。
夢とは、必ずしも大きくて、華やかで、人に誇れるものだけではない。
レジに立つ人が、誰かの日常を支えている。
荷物を届ける人が、誰かの今日をつないでいる。
掃除をする人が、誰かの場所を整えている。
同じ仕事でも、
「生活のために仕方なくこなすもの」と見るのか。
それとも、今日という一日を、自分の手で少しだけ前に進める行為として見るのか。
その違いだけで、目の前の景色は変わるのかもしれない。
私は長い間、遠くばかりを見ていた。
もっと特別なもの。
もっと大きなもの。
もっと自由になれるもの。
そういうものを探しているうちに、足元にあったものを見落としていた気がする。
車を走らせること。
荷物を届けること。
自分の空間で、自分のペースを守りながら働くこと。
それは、私にとって、思っていたよりずっと自然なことなのかもしれない。
軽運送だけで人生を終えても悔いがない。
そこまで言えるわけではない。
まだ作りたいものがある。
書きたいものがある。
見たい未来もある。
けれど、軽運送をただのつなぎとして見たくもない。
この仕事の中にも、私が忘れていた何かがある。
子どもの頃の私が、少しだけ頷いているような気がする。
だから私は、これから始める軽運送を、生活のための仕事としてだけではなく、もう一度、自分を思い出すための道として見てみたい。
夢という言葉が大げさなら、こう言えばいいのかもしれない。
これは、私が遠回りの果てに見つけた、
夢と呼んでみたくなった仕事なのだと。
もし誰かが今、地味に見える仕事の前で立ち止まっているのなら。
その仕事の中にも、まだ名前のついていない夢が眠っているかもしれない。
私は、そう思ってみることにした。
地味に見える日々の仕事の中にも、まだ名前のついていない夢が眠っている。
誰かの今日をそっと支える手に、感謝を込めて作った歌です。
少し重たい まぶた擦(こす)り
アラーム止める 冬の朝
冷めたコーヒー 飲み干して
駅への道を 急ぎ足
白い吐息と 靴音が
乾いた街に 響いてる
誰に見せる わけじゃない
今日が静かに 始まっていく
レジに立って 笑顔を添え
重い荷物を 運び上げ
誰かが歩く 床を磨き
「お帰り」を待つ 灯(あかり)をともす
誰も見ない 汗の跡(あと)や
すり減ったままの 靴の底
ため息混じりの 毎日に
確かな熱が 宿ってる
名前のない夢が ここにある
誇れるほど 大きくなくても
誰かの今日を そっと支える
あなたの手が 一番美しい
拍手なんて なくていいから
ただ明日(あした)を 一歩分だけ
優しく照らす 光になりたい
地味な日々が 宝物
空も水も この土も
巡り巡って 今がある
見えないところで 流す汗も
誰かの明日を 作ってる
「私なんて」と 思う夜も
独(ひと)りじゃないと 信じたい
見えない糸で 結ばれた
命のめぐりの 真ん中で
名前のない夢が ここにある
何気ない 日々の隙間に
誰かの今日を そっと支えて
自分の明日も 照らしてる
特別な 魔法じゃなくて
ただ今日を 丁寧に生きる
それだけでいい それがいいんだと
風が優しく 囁(ささや)いた
朝の光に 目を細め
今日も靴音 響かせて
まだ名前のない 夢を抱き
一歩、また一歩 歩き出す
ありがとう 今日のあなたに
ありがとう 今日の私に