200503

三月三十一日

家賃を振り込んだ。苦労した。コンビニで電気代金とかの振り込みも。僕にもこんなことぐらいできるのです。住人の人には驚かれた。じぶんでも驚いた。

三月三十日

BEとみきちゃんのフェアウェルパーティ。いろんな人が来て楽しい。Alanに京大生と言ったら、石垣カフェを知っているか?と言われた。あそこがなくなるのは残念だってことを英語で言ってた。

あとご飯がうまかった。生きていることに喜びを感じた。

 

三月二十七日

大学の階段を歩いていると特に理由もなく絶望的な孤独感に襲われた。この孤独感はきっと人生の本質に違いない。打ち勝たねば。 たぶん三月二十八日

住人のBEのライブで住人と踊る。踊るのは楽しい。今日が最終日だけどもっと時間を見つけて行けばよかった。音楽ってすごいもんだと思ったのであった。二台目自転車は家に住んでいる彫刻家のsimonにあげた。

二週間遅れてしまったので、ダイジェストで駆け抜けます。

三月二十四日 大学の卒業式

見に行こうと思いきや、寝坊してだめだった。

卒業するしおめさんと会う。写真とって食うとこ探す。歩き回った結果ルネだった。東京に旅立つしおめをむまのはなむけす。

自転車を貰った。二台目だ。何に使おう。

三月二十一日(月)

高校のギタマンの定期演奏会。私は写真要員で行く。道すがら、コンビニでデスノートの特集を読んでたら、たかおに見つかってしまった。

写真はリハでとるのが肝要なり。というわけでとりまくる。

本番。今年は本当にうまい。心に響いた。

二部から隣に座った友人を送った後、集合写真を撮った。

その後、OBの総会があるが、モーセの第十一戒律「汝、会議するなかれ。」に従いさぼり、Quantum Gravityを読む。もうすぐloop 重力がなんなのか分かりそうだ。

その後、打ち上げ。「会費を払ってください。後で調べるのでいくらでもいいです。」と言われて、打ち上げ代と思って千円払ったら、それはOB会費で すでに完納している私は、「寄付ありがとうございました。」ってことになってしまった。「生きるのに困っている。返してほしい」といったが、返してくれな かった。

その後、ちゃんとした打ち上げ代として四千円払った。しばらく99円ショップのコーンフレークで生きていく決意をした。

しかし打ち上げは、楽しかった。アルコール飲まないのに飲み放題を注文するのは非常にお金がもったいないと思った。

終わったら、すぐに帰った。帰る途中、憂鬱が襲ってきたが耐えた。

三月二十日(日)

ヘリに乗っていたら歩兵にライフルで腰を打たれ、それから病院に行く夢を見た。

今日は一日勉強していた。たぶん。

三月十九日(土)

山でカルト宗教に追われる夢を見た。

朝は母と神戸へ。円空展を見に行った。量産型仏像は慣れで作っている感じで心に響くものがないのだが、一品物はすごい。ピカソの作品を思わせる異常な造形の仏像は一見の価値がある。

母がブログをはじめているのでリンクしておこう。

夜は中高同じだったの友人、Oと昨日と同じお好み焼き風月で食事。

あってから実に十二年の年が流れ、しかも六年間同じ学校であったにもかかわらず、ちゃんと話をしたのは実は今日がはじめて。こんなことがあるから人生は面白い。また中高の思い出話とかしたいものだ。

三月十八日(金)

バスではあまり眠れなかった。青春ドリーム号はあまりいいバスとはいえないなあ。荷物の積み下ろしも認証しないので、勝手に荷物を持っていかれそうだ。朝七時ごろ実家に帰る。それから旅の疲れをいやすためただ眠る。

お昼にたにえりと実家の近所のお好み焼きやでご飯を食べた。一年ぶりに会ったがあまり変わっていなかった。

それから十秒ばかしギタマンの練習を見て、帰ってまた寝たのであった。

おきて「太陽の塔」の作者森見 登美彦の新作「四畳半神話大系」を一気に読んだ。とてもよい実験作。出町柳周辺半径2kmで繰り広げられるとんちきな大学生の異常な日々。こういう人たち がいなさそうでごろごろいるのだから京都の町は恐ろしい。以下の人にお勧め、1、太陽の塔を読んで面白いと思った人。2、京都の大学生 3、土屋賢治風ペ ダンティックな文体が好きな人。

 

三月十七日(木)

ようやく解放された。そのままバスに乗って東京へ。

渋滞に巻き込まれて、一時間ほど遅着。次の予定がある身としては困る。

三時にお茶の水へ。はるひさんと会う。神田神保町で古本屋巡りし、喫茶店でおしゃべりする。loop重力の(θ∧θ)顔文字が見えたとかのお話。

そして東京駅へ。オアゾの丸善へ。とりあえず数学、物理の本の所へ「数理科学」を見つける。それから芸術のコーナ行って、コミックのコーナへ行ってと本屋を楽しむ。

東京駅前ではるひさんと別れる。

それから、高校の五つ下の後輩、航空管制官の卵Wと会う。

ご飯食べる場所をさがして東京駅周辺をうろつくが、結局再びoazo入りし、カゴメキッチンで食べた。四方山話にもりあがり、楽しいときをすごした。

食後、スターバックスもどきで珈琲飲んで、話の続きをした。明日飛行機で大阪に帰るそうだ。ならば明日大阪で会っても良かったのでは。

夜行バスに乗り込む。携帯のライトは夜の読書に役に立つ。さっき丸善で買った、岡本太郎「自分の中に毒を持て」を太郎の情熱にしびれながら一気に読んだ。

三月十六日(水)

悪いけど昨日と同じ。ここには本当に何もない。

六時に今日の研究会が終了して、加速器を一周してみた。一時間ほどで周れた。ここは本当に日本の本州か?と思えるほど、広い平野だ。森に沈む夕日が美しい。

いくつかプレハブがあって人が生活している気配がしたが、この人たちはいったいどこで食事をしているのか気になった。食堂は各食事どきごとに一時間程度しか営業していないはずだが、食堂に来ている気配がない。広大な敷地を利用して自給自足をしているのかもしれない。

KEKの航空写真http://www.kek.jp/photoarchive/campusbuildings/KEKair2004-04M.jpg

友達が二日間ばかり部屋から出てこない。勉強→ゲームボーイ→カップめんを食う→勉強→…といった生活をしているようだ。「こんな所へいたら本当に自殺したくなりますよ」とは彼の言。

ここで理論の研究会をする必要があるのだろうか?東京の適当な大学を借りればいいのではないだろうか?

今夜は最終夜なのでM1で宴会。

三月十五日(火)

早くもここから出れる日を待ち望むようになってしまった。一日中研究会。夜は本当になにもすることがないので九時に寝る。

二時に起きて勉強。

相部屋なのだが、隣の人は早々にカーテンの内に引きこもってまだ顔も見ていない。

KEK(高エネルギー加速器研究機構)内の本屋に言った。普通雑誌や漫画が平積みされているところには、物理の本が平積みされていた。

友達がスターバックのことをブルーバックス、バスのことを場の理論と聞き間違えていた。

三月十五日(火)

二時までKEK内を探索。

ここには何もない。人間の文化が到達していないようだ。ここにずっといると気が狂いそうだ。

ここでは新札が自動販売機を通らない。使えない紙幣など紙切れに等しい。

悪いことに食堂は食券を自販で買わないと食べれないので、新札の使い道は次の三つに限定される。1.高いレストランで食事 2.売店で買い物 3.本屋で買い物。

この三つはすぐ閉まるので、下手するといくらお金を持っていても餓死しかねない。

研究会はいつもと同じ感じ。2Bマトリックスモデルがおおはやり。あまり研究のバリエーションがないとも言える。

三月十四日(月)

朝九時に京都駅に集合して、みんなで筑波のKEKへ。

鈍行で東京へ行くのは初めて。思っていたほどしんどくはなかった。というよりはむしろ快適で楽しい。ただし東京からKEKへの二時間バスを除く。

ついたら八時。ついても宿舎に行くのにどこへ行けばいいのか分からない。というわけでM2の人の後をつけた。

そして筑波での生活が始まった。

三月十三日(日)

明日はKEK行き。朝早いので徹夜した。最近RovelliのQuantum Gravityを読んでいます。一章は解析力学、古典的一般相対理論、量子力学について示唆的であまり他で触れられていないことについて書かれているので、学部生にもかなりおすすめできます。

とりわけrelational quantum mecanics「状態がどうであるかは、だれから見ているかによって変わる。(シュレディンガーの猫の話では、箱の外の人にとって箱の中の状態は重ねあわせでかかれ、箱の内側の猫にとっては状態は収縮している。)」はなかなか目から鱗です。

明日もって行くための論文を大量印刷した。

三月十一日(金)

十時起きた。

花粉症のため病院に行った。

二時間待ちは辛かった。この時期は花粉と風邪で耳鼻科は大繁盛のようだ。待っている間に隣に座っていたおばあさんと仲良くなった。

薬を限界の四週間分出してもらう。これで安心。

眠くならない薬は心臓に負担がかかることがわかったので、出せなくなったそうな。

三時に寝た。

三月十日(木)

退官教授の最終講義で写真を撮る。暗くてぜんぜん撮れた感触がない。

大見さんの講演では大変なことが起き、講演は中止。明細は伏す。

保険書がなくて困っていたところ、ふとsuperstringの本を開けるとパラリと保険書が落ちてきた。どうやら、無意識のうちに栞代わりに挟んでいたようだ。

三月九日(水)

花粉症がひどくなってきた。武内君に即効性のない薬を一粒もらい、自己暗示による偽薬効果で今日は耐えた。

珈琲と生姜はあう。 学校でお勉強。

物理学教室の1階にご自由にどうぞと、本が並んである。

「ツァラストラス解説」と書いてある本を見つけた。昭和四年発行、二円五十銭。いい本を見つけた。旧字体が和む。字が一文字だけ上下逆になっている誤植を発見。現在じゃ考えられない誤植だな。

三月八日(火)

一月二月、二か月分の光熱費=2500円(笑)

ちなみに家賃は月二万円。これでも物理学教室素粒子論M1の中では五人中三番目の家賃。

三月七日(月)

教室発表会の字おこしをした。ビデオを再生して一字一句文字に変えていくのはかなり辛い作業であった。

覚えていないが、たぶんこの日にプールの年間会員になった。ちゃんとした大浴場までついているのでお得。

三月六日(日)

朝はMSと北野天満宮へ梅を見に行った。

バスで行くとあっというまに着く。千本通りあたりは去年毎日見た風景で懐かしい。

梅は美しい。また来る。

現地でご飯を食べようと思ったが、あまり店がない。だからバスで出町柳まで。

ユトリロキッチンでご飯を食べようと思ったが、満員だったので隣のしぶんかいかん?の地下でご飯を食べた。あそこのカレースープを出す店はかなりうまい!

NF祭の総合スローガン、あれはなんでいつもどうしようもないのか?(今年度のはよかった「倒れるときは前のめり」)と聞いた。それは事務局の人が 無理やり出しているからだそうだ。「あれは出せばいいことあるの?採用者には一万円とか?」と聞いたら、「説明文を書かされる」だそうだ。それは確かに誰 も出さないかも。

三時ごろから学校に戻った。

三月五日(土)

 

たぶん四時ごろ家に帰ってまた出たと思う。家は誰もいなかった。

そうそう漫画「プラネテス」を買って読んだ。かなりいい。

論文講読会の準備、道は遠大。ループ重力をやりたいのだが、重力理論についてそうとうの基礎積みが必要。

今日はいきなりアシュテカの論文に挑戦したが途中で挫折。

三月四日(金)

成績をもらいに吉田キャンパスまで行った。時計台前には「吉田寮入寮面接会場」として、コタツだけある小屋ができていた。吉田寮の人々の建築技術はすごいものだ。入試や合格や不合格記念で時計台前で記念撮影をしに来た受験生が哀れだ。

教室発表会はその後の懇親会も含めてさぼった。

そしたら、行った人からビーフシチューのあまりをもらった。明日の朝食費用が浮いた。

今日は、CFTゼミ。内容は忘れた。

三月三日(木)

教室発表会あり、で記録係。カメラが「二分とると自動で録画が終了する」というモードになっていて、冷や汗をかいた。

教室発表会というのは、あまり上品な場所でないことが分かった。

M1発表で、たこ部屋を今後どうするかという毎年お決まりのアンケート結果発表があった。そのあと、院生教育とかジェネラルエデュケーションとか についての意見の出しあいがあったが、決定権のない場でいくら話し合っても無駄のような気がした。そもそも、この話し合いに意味があるとしたら、それはス タッフと院生との教育現状についての話し合いであるべきだが、研究室ごとのスタッフで教育について何の統一見解も持っていないのは問題であると思う。予想 通り、何の結論も出ず混乱したのみで話し合いは終わった。

そもそもジェネラルエデュケーションってなんなんだ?どういう理念でどういう制度なんだ。

三月二日(水)

何に関心がありますか?と聞かれて、「ループ重力とストリング理論の架け橋になりたい。」と言った。なかなかいいことを言った。

三月一日(火)

高校の卒業式に行った。N野から頼まれた贈り物があったので、こちらでも花を用意したのだが、普段病院用の花束しかつくらない花屋だったようで、包装とかが極めて不粋であった。

一年のときから強烈な異彩を放っていた文中のS,O,Pなどが卒業するのは極めて感慨深いものあり。

あのような特異な人間集団に会うことは今後稀有であろう。

さく先生と話すに意外な人の意外な進路を知り、驚愕を覚えた。

明日が数学の試験だというので、微積分の解説にかりだされた。最近は高二生がsinとかの微分ができるらしい。

「卒業式中アイジョウについて考えていたのですが」と喋りかけられ、「愛ってなんなんでしょうね?」みたいな話を期待したのだが、詳しく話を聞くと、考えていたのは愛情ではなく、「マイナス1の平方根乗」についてだった。

いずれにせよ、とにかくよし。テーラー展開、ガウスの公式を教えた。

家に帰り、体力切れで夕方まで寝込み、それから