「酒粕」は「発酵食品」。こう結びつかない方も多いのではないでしょうか。酒粕は麹菌などが関与する発酵食品で、多くの論文で健康効果が実証されていたり、処方箋薬や補助食品として流通したりしている成分を、常識的な酒粕の摂取量で効果が出てもおかしくないくらい含んでいます。一方、残念ながら酒粕を用いたヒト試験が不足し、実証が足りません。酒粕は、健康効果を示してもおかしくないが、実証されていない、潜在力の高い食品といえそうです。このエッセイでは、酒粕の潜在力について紹介したいと思います。
そもそも、酒粕とは何でしょうか。酒粕は清酒醸造で得られる固形の副産物で、麹菌や清酒酵母、生もと造りでは乳酸菌も関与しています。酒粕にはヨーグルトや味噌、塩麹ほど発酵食品のイメージがないものの、成り立ちは、れっきとした「発酵食品」といえます。
また、酒粕は、麹菌が生産する機能性成分と清酒酵母が生産する機能性成分の両方を含みます。米麹の機能性成分含量がもろみ中で減少しない(酵母に使われない)場合で、麹歩合(仕込みに使う米のうち麹に使う米の割合)20%かつ粕歩合(仕込みに使う米を100とした酒粕の重さの割合)20%と仮定した場合、酵母が生産しなくても、酒粕の機能性成分含量は、計算上、米麹の含量とほぼ同じになります。実際に食品標準成分表の「米こうじ」と「酒かす」の成分量を比較すると、表示されるビタミン類のほとんどで「米こうじ」より「酒かす」の含量の方が多いか同等であることが確認できます。
酒粕は日本人にとって食経験の長い食品でもあります。万葉集の「貧窮問答の歌」で山上憶良の、糟湯酒(かすゆざけ:酒粕をお湯で溶いたもの)で寒さをしのぐ様子を「寒くしあれば 堅塩を 取りつづしろひ 糟湯酒 うち啜ろひて・・・」とうたう歌が残っています。また、昔は、美味しい透明な清酒をみんなが飲めたわけではなく、ドブロクとして酒粕部分も摂取している人が多かったようです。さらに、欧米で使用しない麹菌や清酒酵母を用いて発酵した食品という意味では、日本固有の発酵食品ともいえそうです。
我々は、全国の清酒製造場にご協力をいただき、製造方法が異なる109点の酒粕を収集し、「老化抑制」・「脳機能活性化」に関係する機能性成分Sアデノシルメチオニン、葉酸、αグリセロホスホコリン、ポリアミンなどを測定しました。その結果、酒粕中には、処方箋薬や補助食品として、あるいは穀類への強制添加ビタミンとして、長い流通実績のある成分が機能性を示してもおかしくない含量含まれていることがわかりました。
ご紹介したい成分や効果は多いのですが、ここでは葉酸についてだけ紹介します。葉酸は世界86カ国以上で穀類に強制添加されているビタミンですが、それらの国では脳卒中や心筋梗塞が減りました。日本でも埼玉県坂戸市で「さかど葉酸プロジェクト」という「社会実験」が行われ、葉酸摂取の推進により、人口10万人の市で年間約10億円の医療費・介護費の削減効果が見られています。また、葉酸は飲酒や老化による脳の萎縮速度を抑制する成分でもあり、飲酒により必要量が増える成分でもあります。
葉酸のことを考えるだけでも、日本人の健康には清酒よりドブロクを飲む方が理にかなっていそうです。かつて江戸わずらいと呼ばれた脚気が、玄米の糠に含まれているビタミンB1をとれず、美味しい白米だけを食べることで起こったことと同じように、美味しい日本酒だけ飲むのは、多くの日本人が適応するには歴史が浅く、悪い影響も出やすいかもしれません。
とはいえ、いまさらおいしい日本酒を飲まずにドブロクに戻ることはできません。美味しい日本酒を飲んだ分、酒粕も摂取すると、日本人にとってはバランスがとれるかもしれません。酒粕の潜在力がヒト試験で実証され、日本人の健康に酒粕が役立つことを願っています。
酒粕は江戸時代には前渡し金予約方式で取引され、蔵人の給料は粕代で支払っていたと聞きます。一方、現在、酒粕の一部は廃棄が検討されるほど、価値が下がっています。文字数の関係で詳細をご紹介できませんでしたが、もし酒粕に興味が湧きましたら、我々の研究室サイトをご覧ください。
私はお酒も扱う食品系企業で約34年間、健康分野の研究に従事してきましたが、2018年に新潟大学に設立された「日本酒学センター」の理念に感銘を受け、2021年からその活動に参加しています。
新潟大学では、学部生や大学院生向けに多様な日本酒学の講義が提供されていますが、それとは別に、より広く日本酒や日本酒学に触れてもらうための取り組みも行っています。その一つが、留学生向けの日本酒(学)紹介活動です。新潟大学には2025年5月1日現在、55の国・地域から459名の留学生が在籍しており、国際交流センターの先生から「せっかく新潟に来たのだから、日本の伝統産業であり、大学の特色でもある日本酒学に触れてもらいたい」とのご相談をいただきました。私もその趣旨に大いに共感し、2021年度より蒙韞准教授と共に活動を始めました。
新潟県酒造組合のご協力のもと、英語で講義をしてくださる酒蔵を募集したところ、2つの酒蔵が快く応じてくださり、国際交流センター蒙韞准教授が担当している、外国人学生と日本人学生が共に学ぶ「国際共修クラス」で講義を実施しています。講義後には酒蔵見学も行い、製造工程を実際に見学する機会を設けています。
グループワークでは、留学生が自国の酒文化を紹介したり、日本酒を広める可能性について各々の視点から議論し、グループとして意見をまとめて発表しています。アジア、欧米、アフリカなど多様な国からの学生が参加しており、私自身も多くの学びを得ています。中には「将来自国で酒蔵を経営したい」と語る学生もいました。日本語がある程度できる学生の中には、学部生向けの日本酒学講義を受講している人もいます。魚料理との相性の話題では、「魚を食べる文化がない国ではどうすればよいか」といった質問もあり、文化の違いに気づかされる場面もあります。
多くの留学生は短期滞在ですが、日本酒文化を帰国後に伝えてくれることを願っています。この小さな取り組みが、日本酒の魅力を世界に広めるきっかけとなり、日本酒が「世界酒」として親しまれる未来につながることを期待しています。