メールマガジン第2

(2021年4月16日発行)

【エッセー】

「農と醸をつなぐ試みは醸造家の本懐」

丸本 仁一郎(丸本酒造株式会社)

 高名な研究者や技術者の方々がおられる中、私のような未熟者が紙面を使わさせて頂くことに心より恐縮しております。恥を省みず述べさせて頂きます。

 ここ8年以内のこと、テロワールやドメーヌといった言葉が日本酒業界のなかで流行るようになった。グローバル化やワイン関係者が日本酒に関心を持つことで、それに応えようとした業界全般が、販売のために対応した現れと思う。日本酒醸造はワイン醸造と違い、たとえば甘辛の作り分けは原料に依存するのでなく醸造過程で設計される。また、ブドウは運ぶと痛むが米は輸送も保管も容易く、地域を超えて利用することにさほど不便はない。日本酒学研究会の方は、この”流行り”に違和感を感じる方は少なくないと思います。親友のヨーロッパのワイン醸造家は、首を横に振り苦笑し、私の知る限り酒造組合中央会の文書にテロワールは使われていない。幸いなことに、5年前に比べるとこの流行り言葉もトーンが下がってきた気がする。

 ところで、問題はこれからである。

 お米を栽培する技術とお酒を醸造する技術が協調して、より美味しい酒を目指すのが、本来の理想像のはずである。ワイン醸造にしても、料理人にしても、材料を見定めるのは当然のことであり、日本酒を造るときにお米の等級だけを盲信するのは責任放棄である。なぜなら、穀物検査は米の外見のみ評価し内容物には水分値以外は関与していないからである。(注1)正直に告白すると、私自身も山田錦の栽培を始めて5年ほどは、ひたすら等級の高い栽培技術を追求し、同時に自らの栽培技術の無さも痛感した。この誤りを教えてくれたのが、元大阪国税局鑑定官室長の永谷正治先生だった。「肥料を与えすぎるとお米のタンパク質が増えるので、収穫が減り等級が下がっても肥料を控えよ」と言う先生の教えはとても理にかない、この事は米穀業界では常識なのに、酒造家や杜氏はこの事に関知しなかった。35年前の農家の価値観は、一粒でも多く、等級は最高に、最大限に肥料と農薬を入れて人より稼ぐのが自慢だったが、今日では、多収穫と食味を勘案して極端な施肥は行わない農家が増えた。

 それに引き換え、私たちはこれまでの間に知見を高めることが出来ただろうか。

 現在、参考になる数値は穀物検査以外では、胴割率、タンパク含有、糊化温度、などが挙げられる。なぜならこれらの数値は醸造過程に直接影響を及ぼすからで、発酵の現場は日本酒の品質に直結する。上記の胴割れは新中野工業株式会社の知見が深く、タンパクは言うに及ばず、糊化温度は酒類総研が着眼した測定法である。もちろん、今後これら以外の評価値も見出されるだろう。等級も含めこれらの数値は、田んぼによりばらつきがある。これは農家では常識だが、日本酒業界の人は関心が低い。酒蔵の杜氏たちは、いつも混ざった検査後の米しか手にすることがないので、いつまで経っても確認できない。では、収穫する田んぼ一枚ごとに穀物検査をするのか? そんな無謀な手間はだれも容認しない。できるのは唯一、あらかじめ目的別に栽培し、その目的ごとにまとめて収穫することである。この選択収穫されたお米を評価すれば良い。そのために”目的”を醸造者が明確にして、理想的な米の状態を農家へ示すことである。(注2)じつは農家は農家で、いろいろな引き出しを持っていて対応可能なことも少なくない。一昔前の農家なら一蹴にされていたことも、今のやる気のある農家なら可能性はある。収穫された後で評価して基準を作って値段をきめて市場競争原理を働かせば良いと言う単純な発想では無理である。

 ところで、前述は醸造を中心に置いた思考であり、土や気候やお米の味をダイレクトにお酒に反映するアイディアは加味されていない。日本酒とワインでは酒質の決定要素が異なることは冒頭で述べたが、土や気候・風土を味に表すと言う考え方は否定されるべきでない。マーケティング手法としても有望だが、未だまた未知なる事実が眠っているはずである。例えば、弊社ではオーガニック認証を2007年に取得して以来毎年有機酒を作ってきた。なぜか、有機酒には一つのパターンが味に乗ってくる。同じ山田錦でも慣行栽培と有機栽培では味が異なり、何年産でも、精米歩合が50または60でも、同じ傾向が現れる。酸度分析には現れない、ある種の酸味というか辛みである。必然的に貯蔵期間を十分取った方がバランスが良く、これまた独特の味になる。(くどい味ではない。)商売目線だと「農薬や化学肥料を使わないから味が違う」と言いたいところだが、実際は栽培環境における施肥バランスや土壌の状態が異なる。有機栽培ではおのずと、圃場に投入される肥料の種類や量が制限され、土壌分析にも現れるが、栽培ポートフォリオとしてはかなり偏った栽培になる。この例だけでなく、圃場ごとのバイアス、農家の癖によるバイアス、年毎の気候によるバイアス。これらが味に関与するはずである。(圃場ごとのバイアスとは、地質や気候や水環境など多岐にわたる。)

 今、心から業界の皆様に期待したいことは、急いで農と醸の知見を接続することある。でなければ、グローバルマーケットをがっかりさせることになる。

(注1)穀物検査は非常に真面目で完全な検査方法であり、運用自体は世界に誇るべきことです。

(注2)弊社では、麹用と掛米用を区別し、圃場選びから肥培管理まで変え、評価基準としては心白率と糊化温度に着目している。


【ちょこっと日本酒学】

「おちょこ“いっぱい”運動のすすめ」

伊豆 英恵(独立行政法人酒類総合研究所)

 私は新潟大学の「日本酒学」の講義で「日本酒と健康」を担当しています。飲酒経験のない未成年の学生さんも受講されており、お酒が飲める体質と飲めない体質があることについて、講義で説明しています。それは、学生時代に飲酒で悪い思い出を作ってほしくないからです。

 お酒の研究所で働いていると言うと、「お酒に強いんですね!」という反応が戻ってきます。実のところ、私はお酒に強くありません。まったく飲めないわけではないけど、顔が赤くなる体質です。意外ですが、杜氏さんにも、そういう方がおられます。

 私は日本酒の審査で審査員をつとめることがあります。審査では、酒を飲みこまず、吐き出すとはいえ、アルコールが体内に吸収され、顔が赤らみます。審査の途中、同じように顔が赤らんだ審査員と目が合いました。審査後にその方とした会話です。

「飲むのは好きだけど、お酒に強くなくて、たくさん飲めないんです。」

「そういう方でも、お酒を楽しむことができる『おちょこ“いっぱい”運動』を広めましょう。」

「飲む量が少ないと、値段を気にせず、良いお酒が飲めるのがいいですよね。」

 お酒に弱い方の「いっぱい」とは、まさしく「一杯」という意味です(少し大きめのおちょこかもしれませんが)。お酒に強い方は、ぜひとも「いっぱい(たくさん)」お楽しみください。講義で「適量」は健常男性で日本酒1合、お酒に弱い方、女性や高齢の方はこれより少なめと紹介しています。参考までに日本人の約4割近くがお酒に弱い体質と言われています。

 お酒に弱い講師が日本酒学で講義をしているため、視点の偏りを心配しましたが、そうではない先生方が多いようで、バランスがとれていいのではと安心しています。日本酒学をきっかけに日本酒に親しみをもっていただければ嬉しいと思い、講義しております。

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