メールマガジン第4

(2021年915日発行)

【エッセー】

「神々と日本酒」

神崎 宣武(民俗学者)

「御神酒〈おみき〉あがらぬ神はなし」、という。

 日本では、古くから神まつりに不可欠なものとして酒が造られてきた。日本での酒のはじめはそこにある、といってもよい。

 サケ(酒)という言葉そのものも、酒の神聖性を表している。

 サは、接頭語であるが、ただの接頭語ではない。サニワ(斎庭)、サオトメ(早乙女)、サナエ(早苗)などと同様に無垢にして清純な状態、と解釈しなくてはならないのだ。すると、サケも、とくに清浄なケ(饌=食べもの)ということになるのである。

 古く、酒は、まつりにあわせて仕込むものであった。各地に伝わる近世文書の「祭礼記」の類には、諸役のいちばんはじめに「神酒〈みき〉造り」が載る例が少なくない。

 さらに古くは、たとえば「この御酒〈みき〉は わが御酒ならず 大和〈やまと〉なす 大物主の醸〈かみ〉し神酒」(大神〈おおみわ〉神社の酒〈さか〉掌〈ひと〉、活〈いく〉日〈ひ〉)とうたったように、酒造りそのものが神がとりもつものであった。現在も、神まつりに酒は欠かせない。

 神饌〈しんせん〉(供えもの)の上段中央部に御神酒が供わっているはずである。

 歴史を通じてみると、もっとも貴い食材である米をふんだんに使って手間をかけて発酵させた酒が最上位の馳走と位置づけられたことは、疑う余地がない。まさしく、神をもてなすには「酒がさき〈ゝゝ〉さき〈ゝゝ〉」(サキは、サケの女房言葉)なのである。

 神饌のなかでも、とくに御神酒は、祭典がすむと神前から下げる。直会〈なおらい〉のためにである。

 まつりが成就の意義のひとつは、神人共食(共飲)にある。その代表的な礼席が直会〈なおらい〉なのである。

 直会は、「ナオリアイの約」(『広辞苑』)である。その斎〈いつき〉(潔斎)を正して、改めて約する。神と人の約束ごととは、人の側からすると、祈願が通って「おかげ」を得ることに相違ない。そこに酒が深く介在するのである。

 直会の顕著な伝承例は、いうまでもなく神社での祭典の直後に行なわれるそれである。神酒を下して頭屋(当屋)や総代などの参列者がいただく。神々が召しあがった酒を、人びとが相伴する。それによって、神人が一体化する。ナオリアウのである。

 直会での「酒礼」の次第や作法は、必ずしも統一されているわけではない。が、古儀としての正式なかたちは、「式三献」にある。

 式献とは、原則は酒一盃と肴一品のこと。つまり、酒肴一対。正式には、一献ずつ折敷〈おしき〉(白木地の敷板)か膳に配し、それをとりかえて供する。これを三度くりかえすのが式三献である。

 神に供えた神聖な酒を丁重に三口で飲み干す。契約儀礼であるから、慎重に念じながら確かめながら。そして、肴で口をあらためる。さらに、次の盃(酒)をまた三口で。三口で三献(三盃)であるから、掛けると「三々九度」である。が、一般的な直会では、一献一巡(一盃)ですまされることが多い。

 式献の形式は、平安朝での宮中儀礼にはじまる、とされる。そして、それは、のちに武家社会においての「固めの盃」とか「契りの盃」として定着する。

 この式献における酒と肴の献立の習俗は、以来民間にも広まり、その慣習が不断の連続性をもって現代にも伝わる。たとえば、居酒屋で酒を注文すると、頼まないのに先付け(おとおし・おつまみ)なる一品がでてくるではないか。つまり、酒肴一対。日本人ならではの文化共有、文化伝承とみることができるのである。

 さらに、主従の年賀式。そして、民間においては祝言(結婚式)での「三三九度」(女夫〈めおと〉盃)もよく知られるところだ。これらは、酒(御神酒)を介しての人と人との約束ごとを固めるのである。「盃事」ともいう。この場合の盃は、いうなれば契約書である。本来なら、神棚や箪笥〈たんす〉に納めて大事に保管すべきもの。そして、破談となれば、この盃を割って契約破棄とする。これも、日本的な契約儀礼、といえるのである。

 日本における酒は、ただの祝い酒ではない。神と人、人と人とをつなぐ「誓〈せい〉酒〈しゅ〉」、といってしかるべきなのである。

【ちょこっと日本酒学】

「日本酒の起源は甘酒?」

後藤 奈美((独)酒類総合研究所 前理事長)

 今回のエッセイをご執筆いただいた神崎宣武先生は、ご著書『酒の日本文化』(1991、角川書店)のなかで「お神酒のもとは一夜酒」と述べられています。一夜酒(ひとよざけ)とは飯と麴で作られた甘酒のことで、神様にお供えされたそうです。微発酵した一夜酒から本格的に発酵した酒が造られるようになったのでしょうか、神崎先生は「一夜酒の系統がのちの清酒に発展してゆく」と書かれています。なるほど!

 一夜酒がどのように造られるようになったのかも興味のあるところです。平安時代まで、米は炊飯するのではなく、蒸した強飯として食べられていたそうです。つまり蒸米ですから、麴を造るにはぴったりの水分含量。冷蔵庫もないので、カビが生えてしまうこともよくあったことでしょう。でも貴重なお米ですからもったいない、とお粥にしたのが一夜酒の始まりではないでしょうか?甘いものがほとんどなかった時代、一夜酒の甘味は大変貴重で、これは神様にお供えしなくては、と考えたのでは、と想像が膨らみます。酒造りの技術は稲作とともに大陸や朝鮮半島からもたらされたと考えられているそうですが、伝来した技術と日本の風土や習慣が融合して生まれた、とも言えそうです。

 実はビールの誕生についても、諸説あるものの、元々は湿って発芽してしまった大麦(麦芽)から甘いお粥ができることが分かり、それが自然に発酵して・・・とか、麦芽で作ったパンが硬くなったので、お粥にした残りが発酵して・・・とかと考えられているそうです。

 ワインだけでなく、日本酒もビールも最初は偶然だったというのは、納得できる気がします。その後、より再現性良く、より美味しい日本酒を造ろうとした先人たちの知恵と工夫の積み重ねが現在の日本酒につながっている、と言えるでしょう。

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