令和4酒造年度の全国新酒鑑評会では、福島県の金賞受賞数1位が10年連続するかどうかが大きな関心事でしたが、蓋を開けてみたらなんと山形県が1位で私達が驚く結果になりました。本県はこれまで2003、2014酒造年度に日本一になっており今回で3回目の栄誉になります。
全国新酒鑑評会は1911年から始まった日本酒の新酒の全国規模の鑑評会で、金賞・入賞率は入賞が約50%(うち金賞が約25%と)なっています。鑑評会では長い間金賞を取るための方程式があるとされていて、現在も使用されるその方程式はYK-35と呼ばれます。「山田錦」(Y)という米を精米歩合35%まで磨き、協会9号(K)という酵母を使用して造る大吟醸酒ということです。加えて平成に入った頃からは高い香りを生成する酵母を使用し、平成の中ごろからは甘い酒質を生み出す麹菌を使う技術が加わりました。
近年の鑑評会で好成績を取るには香りが高く甘い酒質が有利とされていました。今回本県が1位になった要因は「トータルバランスの良いものは高く評価してください。」と主催者側から審査員への継続した呼びかけがあったことと、県産酒米「雪女神」を使用した出品酒が高い評価を得たことによるものでした。県単位で金賞受賞酒の半数以上が山田錦以外の米というのは画期的な出来事でした。
平成初期までの鑑評会金賞受賞酒は飲んでも美味しく市場でも高い評価を得ていましたが、香りや甘さの量が3倍程度になった現代の金賞受賞酒は、欠点はないが味が重く感じられ飲むのはグラス一杯と言われているようになりました。
令和4年東北清酒鑑評会(令和3酒造年度)の成績を解析したデータがあります。出品酒を新甘辛度(グルコース濃度から酸度を引いた数字)の区分に分けると、入賞酒以上の140点(出品総数271点)の内やや辛口と辛口を合わせた点数は11点と極端に少なく(データ非公開は33点)、96点は甘口とやや甘口の区分に入っています。やや甘口と甘口の酒が優等賞以上に入りやすい状況をこのデータは示しています。
やや甘口の表示は前述の新甘辛度では1.1~1.8という範疇にあり、酸度は少なくとも1.0以上(一般的には1.2~1.6程度)あるのでそれを加えると、グルコース濃度はやや甘口では2.3~3.4%、甘口(1.9以上)では軽く3.0%をオーバーします。
現在のきき酒方法は最終的にお酒を吐き出して評価するので、ある程度の甘さは味の難点を隠してくれるのです。欠点がないことは大前提として、それぞれの酒の個性が評価されることを願っています。
今年に入り2回ほど海外でのセミナーや県産酒のプロモーションのため欧州と米国を訪問しました。本県は1998年の米国市場視察を皮切りに各機関のご協力を頂きながら酒造組合で精力的に輸出に取り組み、全国第5位前後の輸出量を誇っています。2013年12月に和食がユネスコの無形文化遺産に指定されてから日本の食文化が高い評価を受け、海外での日本酒の位置付けは著しく向上しました。海外での日本酒はほぼワインと同じ流通や消費パターンを取り、食中酒として求められる酒質は辛口になります。「穀類からこの香りと味わいが生まれるの!」が海外の方々が最初に発する吟醸酒に対する反応です。
以前の日本酒は甘口や辛口のような表現しかありませんでしたが、ワイン文化圏に切り込むにはそれでははなはだ心許ない状況です。ワイン業界のテロワールの概念を十分に理解することと、ワインのような強い特徴を持つ飲料に伍するために酒質のレパートリーを広げる必要があります。現在の日本酒業界の英知を活用すれば十分に対応できると考えています。私も工業技術センターに勤務していた時、一貫して日本酒の低アルコール化や新しい香りや酸味・苦味・発泡化等の研究にスタッフと一緒に取り組み、それらに関するライセンス取得や新製品も開発しました。それらが県産酒の多様化に貢献できていると感じています。
かつての国産の電機製品などは品質的には世界に誇れるものでしたが、後の評価では高価格やオーバークオリティ等を指摘されていました。一方現在も有力産業である自動車業界は高級輸入車等も当初から存在したこともあり国際化に取り組まざる得ない状況で、日本人の勤勉さや優れた合理化精神等が見事に融合し、世界市場でも優勢な産業に育ってきました。一億二千万人の国内市場に注力してきたところと世界市場を見て頑張ってきたところとの差が大きな違いを生んだように思います。
日本酒もまさに今がその大きな分かれ目に差し掛かっていて、伝統的な日本酒の良さを中心に考えながらも、新しい技術を活かした多様で魅力的な日本酒の出現を期待しているこの頃です。
『管巻太平記(くだまきたいへいき)』という、天明8年(1788)に江戸で刊行された絵入り物語冊子がある。登場するのは人間ではなく、すべて酒をキャラクター化した者たちだ。
「剣菱五位の尉(けんびしごいのじょう)」という名の検非違使のもとに、「酒盛入道上燗(さかもりにゅうどうじょうかん)」がやって来る。彼は、「冷や酒の大酒(ひやざけのたいしゅ)」なる者が謀反を企てている、と訴える――このように、「剣菱」・「上燗」(燗酒)に対し、「冷や酒」が謀反を起こす、というストーリーである。
「剣菱」・「上燗」の軍と「冷や酒」の軍との合戦は、当初「冷や酒」軍が優勢であったが、中盤からは逆転。一時撤退した「冷や酒」軍は、「焼酎泡盛(しょうちゅうあわもり)」という名の猛者に援軍を頼む。彼の登場によって戦は互角となり、なかなか決着がつかない中、「満願寺の上人」という僧が登場し、両軍の和睦を結ばせるのであった。
この物語は、一見すると「燗」と「冷や」、温度の違う酒同士の争いのようだが、それぞれの軍勢の装束に注目すると、別の対立構造が見えてくる。ぜひ、以下のURLから国会図書館が所蔵する本の挿絵をご覧いただきたい。
https://dl.ndl.go.jp/pid/10301158/1/12
画面は物語終盤、両軍がにらみ合う場面だ。画面右手で樽を掲げる「上燗」の軍勢の胴部は薦樽(こもだる)、筵で巻かれた樽で描かれている。長距離輸送に耐えうる薦樽は、江戸とは離れた、上方(関西地方)から運ばれてきた「下り酒」を指す。対する画面左奥、「冷や酒」の軍勢の胴部は、木樽である。木樽は近距離輸送向きで、江戸近郊で造られた「地廻り酒」を表している。つまり、「燗」と「冷や」との争いに見えたこの物語は、実は、江戸で高級酒とされた「下り酒」と、低級酒とされた「地廻り酒」の争いとして読み解くことができるのだ。
文学史の上では「草双紙」などと呼ばれる、江戸の絵入り物語冊子には、酒をキャラクター化し、その人間模様を描く物語が複数確認できる。そこには、単に酒器や酒樽に手足を描き加えて面白がるのではなく、言葉と絵を用いた知的な遊びの世界が広がっている。こうした日本の酒をめぐる豊かな世界を知ることが、これからの日本酒や日本酒学の発展にも有益な示唆となると信じている。