醸造家の今井翔也と申します。私は、2016年より日本酒スタートアップWAKAZEの共同創業者として技術を担当しつつ、2024年からLinné(リンネ)というSAKEブランドを新たに創業して、SAKEの定義を拡張するような技術開発を行ってまいりました。各創業時は醸造所を持たないファントムブリュワリーとして事業を始め、2018年東京・三軒茶屋醸造所、2019年フランスパリ郊外・KURA GRAND PARIS(クラ・グラン・パリ)という醸造所を立ち上げた経験を踏まえ、21世紀にさらなる文化や技術をまとった世界酒SAKEとしてあるべき再定義の一考察を述べさせていただきます。
私の考える「世界酒」とは、世界中に銘醸地が点在し、世界で一番自由な醸造酒であることが証明された状態をいいます。その前提で、まずSAKEの再定義について、産地や素材の各多様性から述べていきます。
はじめに産地多様性について。日本で生まれた日本酒は、いま世界各地で醸造されるようになりました。きた産業喜多社長の資料によれば、1899年カナダで及川甚三郎氏が始めた醸造所の記録があり、19世紀末に滑り込む形で海外醸造の歴史が始まったといえます。同時期の日本では、広島の醸造家・三浦仙三郎氏が明治31(1898)年に「改醸法実践録」を出版したことで、灘の宮水などの硬水優位性による19世紀「下り酒」時代に対して、軟水醸造法を基盤とした日本全国への銘醸地拡張が起き、結果として20世紀「日本酒」時代を形成しました。この流れと並行して、精米技術と低温管理技術による吟醸酒隆盛・6号酵母発見による清酒酵母系譜が、時代の要請に応えながら直近100年の現代酒造技術の骨格となりました。
これらのパラダイムシフトに最大の敬意を表しながら21世紀を概観すれば、フランスという世界の食の中心地のひとつ、かつ超硬水でも美酒を醸す“硬水醸造法”を確立することによって、19世紀以来の水の硬軟の振れ幅から解放された「世界酒」への技術証明の道筋があると考え、超硬水・現地低精白食用米・現地由来ワイン酵母による骨格で醸造体系を構築してきました。世界各地の水質多様性を味方につけることで、穀物酒SAKEの優位性が築かれていくと信じています。
次に素材多様性について。パリに先行した三軒茶屋醸造所は、「その他の醸造酒」という酒造免許を新規取得することで、米以外の素材を副原料として醪に受け入れる新しいSAKEのあり方を開拓し、造り手の新しい場所と表現手法をもたらしました。その素材自由度は、日本的発酵である並行複発酵の対象を博物学の領域まで拡張し、五感・技術・文化など米を幹としたあらゆる接続を可能にしました。
いま世界の食文化になりつつあるSUSHIは、米×世界各地素材を組み合わせた型により、日本の文脈を超えたグローバル×ローカルのプラットフォーム化が進んでいるといえます。世界酒になる過程で、SAKEも同じような構造を経由する可能性があります。また、BEERはホップ、WINEは果皮といった植物素材や部位を味方につけることで、複雑味や機能性や熟成ポテンシャルを手にしており、副原料は同様の進化をもたらすかもしれません。
比喩的にも直接的にも、SAKEが“色彩”を得ることで、水墨画から水彩画のような幅で造り手の自由な表現が可能になります。ひいては米のみから醸される究極の型である清酒が、高みや奥行きとしての正統な評価を得るきっかけになるのではないでしょうか。
こうした経緯を一周したことで、私は日本に帰国し次のテーマを麹に定めています。並行複発酵の可能性を解放するもう一つの扉を開けるべく、SAKEの固有性を決定づける麹の可能性を探っていきます。何をSAKEやKURAの懐に入れるかどうかが、次の可能領域を決めます。そうした可能性をひとつひとつ解放して相対化された先に、どんな時代にも世界に求められる酒造りの文化があると信じています。
KURAの多様性、生態系についても最後に述べておきます。世界的に見ると、ブリュワリーはガレージ(自家醸造)→ファントム(委託醸造)→マイクロ(自社醸造)→…と段階を踏み生まれ育ちます。自家醸造禁止の日本では第一段階がなく、必然的にファントムの重要性が増します。つまり、蔵があり造り手が相乗りすることで、酒蔵は伝統と革新の中心地となる。これは同時に私のような醸造家が支えられてきたことへの感謝でもあります。私の実家(聖酒造株式会社)を含む修行先、委託醸造先、偉大な先達の皆様から受け継いだ恩と縁を次の世代に繋ぐべく、伝え手や飲み手の皆様と共に、これからもSAKE / KURA / CULTUREを創造していく道を選んでまいります。
清酒酵母と言えば、まず思い浮かぶのはきょうかい酵母でしょう。実際、酒造現場では一部の例外を除き、きょうかい酵母の各系統やこれらの派生株が常に選ばれてきました。これらは、遺伝的には極めて近縁な関係にある一方で、それぞれ個性的かつ優れた醸造特性を示します。
しかし近年では、より一層の品質の多様性、話題性、物語性などを求め、酵母の新しい選択肢が注目を集めつつあります。その一つが、植物、土壌、水圏など自然環境から分離された菌株の利用で、これまでに、様々な地域の研究機関や大学で多くの菌株が分離され、一部は実用化に至っています。全国から約80株を集めた解析の結果では、数株を除き清酒酵母とは遺伝的に全く異なる系統に属していました。また、きょうかい7号と比較した清酒醸造特性は、もろみ後半の発酵が緩慢で、酸度が高く、香気成分の生成が低い傾向で、加えて、清酒酵母の使用ではみられなかった燻製・香辛料様のオフフレーバー成分も生成するという問題点もあります。
このような酒質ですが、そのままでも一定の支持層を獲得できるでしょう。ただ、造り手の選択の動機が主に話題性などである場合、一過性の流行りではなく消費者から継続的な支持を得て定着するためには、次なる展開が重要と考えます。例えば、菌株を供給する側にとっては、菌株を育種改良していく方向です。製造現場や消費者に対し、欠点の解消をはじめとするニーズへの対応も大事ですし、簡単ではありませんがこれまでにない特性の付与もあり得るでしょう。また、菌株を使う側には、これらを清酒酵母とは全く別のものと考え、最適な発酵管理法の模索や、菌株の特性を活かした新しいタイプの市場への提案などのチャレンジが期待されます。一方でこのような展開は、逆説的ながらきょうかい酵母の再評価という面も少なからず持ち合わせるでしょう。自然界の菌株を通じた取り組みには、清酒の世界をより豊かにするポテンシャルがあるはずです。
ところで、我々研究者は、新しい知見を得れば広く知ってもらいたいものですが、売る人、伝える人、飲む人との隔たりを感じることが多々あります。各分野の第一人者が集う当研究会には、各層間のハブとしての役割を期待いたします。