寄せ集め短歌鑑賞

短歌の鑑賞は、短歌を作るのと同等の文学行為だと思います。

渡辺松男

(まだ準備中ですが一部公開)

ここには、さまざまな機会に書いた短歌鑑賞を集めてあります。

必ずしもその家人の代表作であるわけではなく、また、評言の長さや口調も一貫しません。

なお内容はアップする際に手直ししていますので、評論等の掲載時と異なります。

パネーコメントは、ここにアップする際に付けています。


まだまだ書きかけ

パネー! 感動したポイントにこの絵をつけます。

※パネー=半端ではない→ハンパない→ハンパねえ→パネー なんてすてきな言葉の変化だろう。「パネー」は語感がすばらしい。 「スゲー」はやや汚くて底の泥を巻き上げるような濁りがある。「パネー」は明るくて翼が空にはじけ輝く感じがする。

目次

ふゆの疎林にまんじゆしやげ青くあるところ運命はえらびとりうるにあらず

ねむれずにゐるきみのなか海老いろの癌はうごくかだいなみつくか

ふゆの疎林にまんじゆしやげ青くあるところ運命はえらびとりうるにあらず

渡辺松男『雨(ふ)る』2016年

青方偏移!

・曼珠沙華は、ふつう九月頃、晩夏や秋口に咲くものだし、たいがいは赤い花だ。(白と黄色の品種もあるが青はない。)

つまり、冬の青い曼珠沙華なんてありえない。

・ありえないが、これは「曼珠沙華が青くある」ことでファンタジーに偏移した世界みたいだ。

・下の句「運命はえらびとりうるにあらず」は、花言葉が青方偏移したかのようなテイストである。※

(いきなりだが、天文学に赤方偏移、青方偏移という言葉を想起しちゃったのだ。光の波長うんぬんの科学知識は不要。)

※余計なことだが、「青方偏移したかのようなテイスト」って、自分で言うのもなんだが、かなり面白い。

⇨短歌に調節ツマミがあったらいいな!

短歌にいちいちツマミがついていて、赤方へ回すと心情系に、青方に回すと哲学系に、言葉を調節できるんだったら楽しくないですか?

※青方偏移は、SFだと、宇宙の縮小、終焉を意味するらしいです。

※普通の曼珠沙華の花言葉は、「悲しき思い出」「あきらめ」「独立」「情熱」だそうです。

ねむれずにゐるきみのなか海老いろの癌はうごくかだいなみつくか

渡辺松男『雨(ふ)る』2016年

こんな癌の描写、見たことない!

癌という生き物が体の中を動き回る。「だいなみつくか」は、怪獣映画をスローモーションで見るような迫力だ。

即物的な表現は同情的な言い回しよりも真に迫る。

これはすごい。

こういう種類の内容をここまで即物的に描いて成功する例はなかなかないと思う。

相手への対人的、心情的配慮から、こうも即物的に書かないのが普通だ。でも、その配慮って、同時に「自分はそういう配慮ができるまともな人間です」と表明する〝社会的配慮〟でもあるだろう。

しかし、怪獣に身体を蹂躙されている人は、もはや社会的配慮なんか気にしている場合ではない。かつ、他者はそのむごい痛みを本人と同じく感じることは不可能である。それゆえに、こういう客観が精一杯のアプローチだ、というふうに感じられる。

■なお、いろいろな理由で「眠れない」歌は数々あったが、「痛みで眠れない」という歌はこれしかなかった。現実にはよくあることだが、今のところまだまだ〝詠みにくいこと〟なのかもしれない。

こういうふうに誰かが皮切りの歌を詠み、他の人が少しずつ追随する。そうやって、短歌は〝詠めること〟を増やしてきた。