短歌俳句をやってて
思うことは
その時その時
おもいがあらわれては消え
あらわれては消えを繰り返すことである。
おもいが途切れる事はない。
そういう事が短歌や俳句をやってて痛切に感じる。
誰にも理解されなくても
例え相手にされなくても
おもいは途切れない。
その事実が
私を支えている。
おもいは果てしない。
ひたすらに私のおもいを発露する。
その事だけに私は肯定的になる。
何事においても
そういう発露を繰り返してきた。
それが私の生き様なのである。
あとは
女も金も権力も何にも私は期待していない。
止まらないおもいこそ芸術だ。
そういう芸術が爆発している。
そういう意味で他人にはあきれ果ててる。
何も期待していない。
わかりあえる気がしない。
//2014/08/26 追記
私自身がわかるために学習するなら私の事だからわかる。
でも他人がそんなに学習能力あるのかわからない。
この世の中にどんな学習能力があるのか私にはわからない。
私の身に起こっている事は
わかりあえる事は学習能力に限っても絶望に等しい。
//end
私が満足するのは
ただひたすらにわがおもいを発露するのみである。
2014/07/03 新規作成
2014/08/26 追記