無責任と鬼

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無責任な私と無責任な先生は

自らをコワイ存在から遠のいた。

仮に私に責任があったら指令をいっぱい出し

それにこたえない他人を更正させるため鬼になったかもしれない。

それは無責任な先生にも言える。

責任から逃れてるから馬鹿な事も見過ごし笑っていられる。

そういう意味では拒否する他人に対して私のセンスは通用しない。

応じてくれる他人だけ私のセンスはひかる。

だから

私は他人が拒否する前に私が拒否している。

そんな面倒くさい責任を持ちたく無い。

そういう意味では私のセンスは私のものである。

子供のセンスをあげてやる助言のような指令をチョコチョコ与えれば

子供は勝手に成長する。

私の場合はそれは友人と母親だったような気がする。

鬼になりたくない

私の人生そのものが私のセンスである。

それはある意味他人を拒絶して成り立っている。

それはニコニコしている先生にも言える。

それがいいのか悪いのか私にはわからない。

もっと心を鬼にして指導するのも大切のような気もする。

そういう所でもし先生に責任を押し付けたら

ニコニコしている先生は激減する。

先生は従わない生徒を更正すべく鬼になるだろう。

だけど生徒は自由から束縛になる。

その空気も重い。

私自身はそれなりに自由も必要だし従わない生徒に鬼になるのも必要かもしれないと思う。

だけどそんな判断を私は今する必要が無い。

だから私は鬼にならない。

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2014/08/05 新規作成