結局一浪して
地方の国立大学に入学した。
高校卒業後の永久機関について
出来るかどうか物理事典で調べたり
シュミレーションしても放物線のように下がりながらもその後上昇に転じた。
どうも永久機関は出来そうである。
それからそれをどうやって物理学として説明すればいいか悩んだ。
幻聴も浪人時代に聞こえ
大学一、二年はあんまり聞こえなかった。
でも三、四年と大学院時代は幻聴は良く聞こえて
ストレスでしかなかった。
そんな状況でよく勉強したと思う。
自分に物理が合ってなかったら卒業や修了なんて無かったのではないかと思う。
他にも
背中が熱かったり
気が遠くなったりした。
何か気持ちの悪いアパートに住んだように思う。
バックと筆箱無くしたり
鍵がうまくしまらなかったり
冷暖房の機械の上が外と開いてたり
卒業間際振り返って何か劣悪な所に住んでいるような気がした。
やっぱり鉄筋のマンションの方が快適である。
外の音とかいろんな面で落ち着くような気がする。
そういう意味では宿代とか考えると相場なのかもしれない。
いろんな意味で経験だったような気がする。
そして一人暮らしで
結構健康を害する人が多かったような気がする。
私も息が臭かったりした。
多分食べるものに影響していると思う。
ちゃんとしたものを食べなければいけないそう思った。
そういう意味で色々自己防衛反応があったような気がする。
当時は大学と大学院とインターネットし放題出来なくて
電話代払わなければいけない時代だった。
そういう意味では今はもっと違う生活が出来そうだなと思う。
インターネットの通販なんて出来たら
買物する時間も大分短縮出来たし
料理のレシピも簡単に手に入っただろう。
ただ大学生のとき車の免許はとったが
今も(2014/07)ペーパーのままである。
それが何となく私の不安材料である。
親戚や父が運転出来るとは言え
何か私が運転しなければいけない状況にならないかちょっと不安な要素である。
大学院入試試験は
一ヶ月ほどかけて勉強した。
日記つけながら自己管理した。
図書館や大学の部屋とか気分もかえて勉強した。
量子力学と統計力学と数学を中心に勉強した。
あんまし統計力学は良く無かったようであるが
何とか大学院にいける事となった。
大阪市立大学の原子核理論の先輩のアドバイスが私には響いた。
それも何かの縁であろうと思う。
ただ市立大の先生に挨拶をして帰らなかったなあと残念に思っている。
何かそういう所から勉強している気はする。
何かあんまり記憶がうすれつつあるが
当時の事を挨拶ぐらいはしたい気がする。
2014/07/01 新規作成