高3の時高校の図書館で永久機関の歴史を科学雑誌で見ていた。
その当時冷蔵庫の永久磁石が不思議でたまらなかった。
何で永久にくっつくのか妙に自分の頭の中で気になった。
浪人を一年やったが
高校の卒業した三月に
幻聴とともに
永久磁石の不思議さを自分で考えているうちに
自分自身で永久機関を思いついてしまった。
浪人は
幻聴のため暗記が出来なかった。
英単語は忘れていく一方だった。
それにつけて近道する人が多く
妙に大学受験のためにみんなよく勉強しているように思えた。
私が大学に受かったのは
みんなが勉強しない分野だったからだと思う。
東大なんか合格しても
自分が何を不思議と思うのか
何がしたいのか
そういう動機が無くては成功しない。
ただ漫然と勉強しているようではアイデアなんて浮かばない。
それからというもの
私の物理の発想は
すべて永久機関から発生している。
大学では物理の辞書を調べると
私の思いついた永久機関が実現しそうだった。
何か物理がおかしい。
どうしたらこれを説明出来るかそのアイデアの連続だった。
あとを考えると相対論の次元とかでまとはずれなアイデアも
物理には必要なアイデアだった。
そういう意味で
私の物理は永久機関の副産物であり
東大合格するのとどちらが重要なのか私にはチンプンカンプンである。
みんな物理とか科学とかにだまされているかもしれない。
そういう疑念が私の発想の源である。
量子論を疑うのもアインシュタインの感性を信じてみた。
私が根拠を持って疑っているわけではない。
そういう意味でただ素直に勉強しているようではいけないそう思う。
なのにみんなは近道をしようとする。
それ自体は仕方ないかもしれないが
長い目で見れば人生はそんなものではない気がする。
私は苦労してこそ価値がある気がする。
そういう意味で
のほほんとした自分にかつをいれるために苦労して勉強して合格なら東大行く価値がある。
のほほんと東大行く奴には価値は無い。
そう私は解釈している。
そして影響力のあるものの研究は
物理とは何か、科学とは何か、勉強のとは何か、
というような普遍性のある研究である。
そういう意味でもアインシュタインは天才やなあと思う。
分野をこえて
純粋な物理とか純粋な科学とか純粋な勉強とか
そういう普遍性はかなりの力を発揮する。
そう私は実感している。
そのためには一分野でもとことん掘り下げてやってみなければ到達しないだろう。
2014/06/25 新規作成