世相

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親戚と話をして

ひたすらに自分が一番偉くひたすらに自己主張するのが理解出来ないと言っていた。

私はテレビがそういう風になっていて

それでみんながまとまらなければ学歴社会しかないと言った。

そういう話は

私の小学生時代に似ている。

決して是々非々の関係ではなかった。

そういう風にしたかった周りもいたように思うが

そういう意味でテレビが防波堤であって

それもダメなら序列しかない。

みんな個々に努力はしているがどう見たって円熟した社会ではない。

それがテレビに如実にあらわれている。

主人公でも無くても生きていける。

でも世の中にはそうでもない人がいる。

世の中は主人公としての自己主張型になっている。

そう私は認識している。

どう考えても円熟していない。

話してまとまる世の中ではない事は確実である。

そういう風に世相を私は感じている。

そういう意味では

西郷隆盛みたいに

大きく鳴ったら大きく鳴る。

小さく鳴ったら小さく鳴る。

そういう人間関係しか今も持てないかもしれない。

ただ私が主人公で無くていられるのは

私には私の役割が果たされるかもしれない中で私なりに努力しているつもりだからだ。

もしかしてあいつがダメでも私が何とか出来るためであり、

そういう意味で本当に私が活躍しない世の中をのぞんでいる。

だから私の考える事は最後の手段だと思っている。

だけどみんなは最後の手段を使う事に抵抗がない。

それはそれで悲しい事だと思う。

せめて公式よりも数学を分解した数字で理解できるように

英語を会話できるように

数学と英語さえ出来ればこわくない。あとはそれにプラスアルファである。

あんまり私に頼らない世の中が健全だと思っている。

//2014/10/29 追記

大学入試の面接で

判断できないとか大槻教授が言っている。

結局一般入試も機能していないから判断できないのではないかと思う。

入試試験では判断できないあらわれである。

本当に賢いって何なのか誰も理解していないあらわれである。

どのように生きたら成功するか

導ける人もいないし導かれる人もいない。

それが大学なんだと実感した。

本当に変な世の中だと思う。

効率的な世の中でない。

先進的でもない。

むしろ後進的である。

それでも私は良くやっている。そう思う。

//2014/10/29 end

//2014/10/30 追記

結婚で一発逆転とか

宝くじで一発逆転とか

競輪や競馬や競艇で一発逆転とか

パチンコやパチスロで一発逆転とか

ああ波乱万丈やなあ。

本人が楽しむならいざ知らず他人が聞いていると疲れる。

私も宝くじ買ってるけど他人にはそんな話しない。

父親も宝くじ買ってるけど私にはあんまり良く聞こえない。

やっぱり他人には自分で努力する話しか良く聞こえない。

私自身もそういう自己努力してる話しか受け付けない。

そういう意味では幻聴の主は、

タコの中のタコのタコである。

全然つまらない。

一体どんな努力してるというのか全然理解できない。

叫んでるから努力してるなんて

タコの中のタコのタコである。

そんな奴誰が付き合いたいのか私には理解できない。

そんなんで努力しているのなら

私も叫びたい。

そんなのありえないから叫ばない。

ひたすら努力あるのみである。

努力の無い普遍性なんて

私はそんな神を信じられない。

//2014/10/30 end

//2014/11/04 追記

私には私の人生があり

かまってられない。

私の言うことや私のやる事が

出来なくても

自分の出来ることをやるしかない。

それさえやらないのも人生だろう。

特に私には関係の無い話である。

かりにそれがつまらないのなら

自分で面白くするしか無い。

他人にどうにか出来る話でもない。

自分でどうにかする話である。

つまり面白いのもつまらないのも

自分が原因なだけである。

私にはどうしようもない。

私は私が面白いために

生きている。

それが他人にも面白いなら幸いである。

//2014/11/04 end

//2014//11/09 追記

誰が本当に賢いのか私にはわからない。

私の方がまともなんじゃあないのかそう思ってしまう。

予備校に通う前の高校卒業した春に永久機関を思いついた。

その春は一浪の春である。

そんじょそこらの東大生より賢い。

私自身そう思う。

九大のカウンセラーの先生にそんな話はしなかったが

物理が信じられない事と永久機関の話もした。

高校の物理知ってたら難しい話ではない。

九大のカウンセラーの先生にも通じたと思う。

永久機関が銀河系まで話が発展した。

誰一人私の不信感を解決してくれる人はいなかった。

ここまで私のやってきた事を肯定しなければ今はなかった。

その現実は

大学にこたえは無いという事だ。

もう四十歳で学校の先生になろうとは思わない。

出来ても資格のいらない大学の先生ぐらいである。

文部科学省で私をかってくれるなら

全国の小学校詣でをやってみたい。

どこもこいつも結果がなかなか出ない。

それを比べれば私は一人でよくやっている方だ。

それを認めない日本社会もどうかしている。

結果があるのだからゆっくり

待っていたい。

四十歳で仕事のために資格なんて考えられない。

やる事はやっている。

そういう認識が無いのが私には信じられない。

こんな歳でステップアップする仕事なんて取捨選択する気も無い。

これまでやってきた延長線上しか無い。

世の中は現状認識が甘いそう思わざるおえない。

そんなのほっといて

ボチボチやろうと思う。

//2014/11/09 end

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2014/08/30 世相