合唱通信 No.35 2020/06/17
◇ 服部克久氏ご逝去 ◇
先日(6/11)、作曲家で編曲家の服部克久さんが亡くなられたとのことです。享年83歳とのこ
とですが、高齢化社会の現在ではまだお若いと言って良いほどの年齢です。
服部克久さんといえば、昭和の大作曲家、服部良一さんのご子息で、“お洒落な”そして“ヨー
ロッパの香り”に満ちたスマートな曲作りで知られた方でした。作曲や編曲だけでなく、ご自身
もピアニストとして多くのアルバムを出されていますが、私は彼の自作自演による『ル・ローヌ』
という素敵なピアノ曲に魅了された一人です。服部さんは『音楽の料理人』と評されるほど優れ
た作・編曲の腕で知られ、手がけた曲は6万曲もあるそうです。
つい数年前に知ったことですが、1960年(昭和35年)にダークダックスがソ連から招聘を受
けて初めてソ連に演奏旅行に赴いた際、アレンジャー・音楽監督として一緒に出向いたのが服部
克久さんだったということです。その際、一行がソ連で初めて耳にした曲が『モスクワ郊外の夕
べ』だったとのこと。(ソ連で生まれた“ソ連製ポップス”と服部さんは表現していました)
ダークダックスが携えて行った曲は、ロシア民謡や黒人霊歌、そして日本の曲だったとのこと
で、その当時ソ連で新しく流行していた『モスクワ郊外の夕べ』という曲については知るよしも
なく、その演奏旅行のプログラムにも当然のこと含まれていなかったようです。
服部さんは、ソ連で新しく生まれ、流行しているこの美しいメロディーの『モスクワ郊外~』
をプログラムに組み込み、日本から来た若いクァルテットが歌えば、聴衆に『この新しい曲を知
っているのか』と驚かれたり喜ばれたりして、演奏会を成功に導けるのではないかと考え、即座
にアレンジを施し、バリトンの喜早哲さん(ゲタさん)が日本語の作詞をして、ツアーのプログ
ラムに組み入れたとのことです。
実際、ステージ上でこの曲を演奏したところ、極東の小さな島国から来た若い四人組が“他の
国では知らないだろう”と思われたこの曲を、厚いハーモニーで生き生きと、そして見事な表現
で歌い上げる様子に感動し、会場全体が他のプログラムも含めてヤンヤの喝采で受け容れてくれ
たばかりか評判を呼び、それ以降の演奏会場も大盛況になったということです。(当時ソ連では、
合唱は大人数で歌うものとされ、たった四人で合唱するということも驚きだったようです。)
いわば服部さんの目のつけどころとアレンジの巧みさが、この演奏旅行成功の大きなカギにな
ったということが言えそうです。
この『モスクワ郊外~』という曲は、私が高校時代に組んでいたクァルテットの主要なレパー
トリーで、私自身も大好きな曲の一つですが、このような成功の経緯をもって日本にもたらされ
たものだったと知って、ますますこの曲への愛好心が高まったものです。
1960年と言えば、ダークダックスのメンバーも服部さんも20代前半。日本も敗戦から15年ほ
どでまだまだ復興途上の頃ですが、その頃から服部さんが音楽界で“重要だが知られざる存在”
として既に活躍をされていたということに少なからず感銘を覚えたものです。
ジャンルを越えて日本の音楽界に大きな功績を残された服部克久氏のご冥福をお祈りいたします。