合唱通信 No.8 ◇◇ 祈りをこめて歌いましょう◇ ◇ 2011/04/07
3月11日の東日本大震災のとき以来、私はどういうわけか涙もろくなってしまったようで、翌日の新聞の一面に大きく掲載されていた大きな「東日本 巨大地震」の見出しと津波と同時に起きた火災の様子を写し出した紙面の半分にも及ぶ大きな写真を見たとき、なぜか涙がどっと出てきて文字も写真もぼやけてしまいました。地震と同時に起きた停電のために、何が起きたのか、どういう状況なのかがまったくつかめずにいたのですが、その新聞を見てはじめてことの重大さを知ったせいかも知れません。
それ以来どのようなたぐいものであれ、地震の報道に接する度に涙をおさえることができなくなってしまい、今でも避難所の人々のようすやボランティアの人たちの懸命な姿、辛いだろうに明るく振る舞う子どもたちの表情、未だに手つかずでがれきの山と化してしまった町のようすなどを見聞きするにつけ、涙があふれてきて困ってしまうのです。
ブログにも書いたことですが、平安時代の昔から東北は、都人もうらやむほどの「まほろば」だったと言われています。都の統治からなかば独立した奥州の政権は、豊かなものなりと金の産出を背景に、特に藤原三代の確かな統治のもとでは、絢爛豪華で見事な文化を打ち立てた歴史を持った地方です。
そのような独自の歴史を持つ奥州が、いま大変な惨状に見舞われているわけですが、被災地の方々は家を失い、家族を失い、なりわいと生活のすべも失い、冷たい体育館や教室の床で眠れない夜を重ねているに違いありません。将来に、たとえわずかでも光明が見えれば、それを頼りに勇気や元気を奮い立たせることもできるかも知れません。しかし、原発事故の収束について見通しがつかず、そればかりか警戒区域や計画的避難区域に指定されてふるさとを追い立てられるように他県に避難せざるを得ないという過酷な現実の前で苦しみ悩んでいる人々のことを思うと胸がつぶれそうになります。
とは言いながら、何もなすすべがない私としては、ただただ祈るような気持ちで、いつか夜が明けますようにと願うことしかできません。
そこで、私たちの声が届くわけでも、祈るような気持ちが届くわけでもありませんが、今年の「三日月橋公民館 ふれあいコンサート」では、東北のがれきにおおわれてしまったすべての地域が、かつての奥州のように豊かで幸せな「まほろば」に生まれ変わることを願い、『花の街』を心をこめて歌いたいと思うのです。また、ふるさとを離れることを余儀なくされてしまった人々の悲しみを思い、いつかまた帰れるという希望をつなぐためにも『なつかしきバージニア』を、そして眠れぬ夜の苦しみが少しでも癒されることを願って『はるかな友に』『夢路より』を歌いたいと考えました。
そしてさらに、いつかまた明るい陽射しの中でいっしょに歩みを進めていけるようになることを願って『おおシャンゼリゼ』を陽気に、また元気に歌って、ふれあいコンサートを私たちの「祈るような気持ち」をあらわす場としてみたい、と考えているのですがいかがでしょうか。