合唱通信No.26 2016/08/24 ◇ 言葉の「意味」で歌う ◇
先日、毎日新聞のサイトを眺めていて、偶然に8月10日付けの大阪夕刊に掲載された記事が目に
止まりました。
それは東京混声合唱団を創設し、88歳の現在も東混の指揮者として活動している田中信昭氏に
ついて書かれたものです。今回はその内容についてお伝えしたいと思います。
田中が音楽を志すターニングポイントとなったのは、先の大戦で終戦を迎えた時だったと記事
は伝えています。
その中で田中は、終戦を迎えた喜びと虚脱感、そして虚無感に襲われて見上げた空は『真っ白
で何もなく、地平線をのこぎりで切り取ったようなうつろな空』でしかなく、呆然とするばかり
だったと述懐しています。
旧制大阪高校(現大阪大)の医学部に籍を置き、医師をめざしていたにもかかわらず、終戦を
告げる玉音放送を聴いてからは授業に出席する気も失せ、大阪の街中を歩きまわる日々を過ごし
ていたそうです。
そんな折、校内の講堂で一台のグランドピアノを見つけ、幼いころから得意だったこともあっ
て、毎晩のようにピアノを弾き続けているうちに学生たちが集まり出し、彼らと合唱部を作った
のが転機だったと記事は伝えています。
「みんな敗戦のショックを引きずっていたから歌で心を慰めていたのだ」と田中は振り返って
いますが、それが契機となって高校を辞め、履歴書を持って飛び込んだ大阪市内の中学校で音楽
を三年間教え、その中で生徒がいきいきと歌う姿に音楽教育の大切さを感じ、一年間勉強をして
東京芸術大学に入学を果たしたというのです。(これもまたすごい話ではあります)
記事によれば『芸大に入学後、声楽の学生を誘って結成した合唱団が地方からも声がかかるほ
ど評判となる。「こんなに喜んでもらえるなら、このメンバーでプロの合唱団を作ろう」と56年、
約20人で東混を設立し、自身は常任指揮者となり、卒業式の夜に開いた第1回定期演奏会は超
満員だった』ということです。
以下記事からの引用です。
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(今年)7月、田中は大津市でびわ湖ホール声楽アンサンブルの定期公演に向けた練習を指揮
していた。「言葉の意味がお客さんに伝わるように」「声で歌うんじゃない、意味で歌うんだ」。
身を乗り出し、身ぶり手ぶりを加えながら、若手声楽家たちとの熱のこもった練習は何時間も
続いた。
~中略~
田中が特に力を注いできたのが、日本語の合唱曲を作ること。「歌は言葉がそのまま音楽にな
る。日本人の思いを音楽にするには、日本語の合唱曲でなければならない」。
作曲家に委嘱を続け、田中の指揮で初演した合唱曲は約460曲に上るという。「時代が変わ
ると日本人の思いも変わる。合唱曲は永久に必要になる」と各地の合唱団にも委嘱するよう呼び
かけている。現在は東混の桂冠指揮者である一方、全国で年間約10団体を指揮している。
「合唱で一番大切なことは?」との問いに、しばらく考えてこう答えた。「大勢が心を一つに
する必要はない。曲に対する感じ方はそれぞれ違うのだから、一つであるはずがない。違う考え
の一人一人が出会い、その曲の心を考えて一体となることが大事です」
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田中信昭指揮の東混を初めてレコードで聴いて衝撃を受け感動したのは、私が大学一年生の夏
のことでした。『これが日本の合唱なのだ』といたく興奮したことを鮮明に覚えています。
それはやはり言葉を大切にし、一語一語に生命を吹き込むようにして歌われていることが若く
未熟だった私にもひしひしと感じられたことに因るに違いない、と今でも思っています。