合唱通信 No.13 ◆「きよけきかな雪」について◆ 2013/04/17
この曲は、フランツ・シューベルトの「ドイツミサ曲」の中の「聖なるかな(Sanctus)」の主題を編曲したものです。
男声合唱の定番として、多くの合唱団が歌っている曲ですが、先日のこと次のようなお尋ねがありました。
それは、三段目の“みそらゆふる”の“ゆ”とはどういう意味か、というものでした。
“ゆ”は、古語の格助詞で、「~から」「~を通って」といった具合に、起点や経由点を意味する言葉ですが、現代語では頻繁に耳にすることはあまりありません。
しかし、この“ゆ”が使われている有名な短歌が、万葉集に載っていますので一度は耳にされておいでの方もいらっしゃることでしょう。
「田子の浦ゆ うちいでてみれば真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける」(山部赤人)
“ゆ”は経由点を意味しますので、「田子の浦を通って富士山が見えるところまで出てみると、高い嶺に雪が降って白く見えている」、とでも現代語訳できるでしょうか。
実は、同じ山部赤人の詠んだ和歌が新古今和歌集にも載っています。
「田子の浦に うちいでてみれば白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」(山部赤人)
こちらは“ゆ”ではなく“に”と表記されていますので、多少意味が異なるでしょう。
たとえば、田子の浦に出てみたら、真っ白な富士山の嶺にいまも雪が降り続いている、といった具合です。
ともあれ“ゆ”が起点や経由点を意味する言葉だとすれば、「きよけきかな雪」で詠われている“みそらゆふる”は、どうやら「空から降ってくる」と訳せばよさそうです。
手のひらで受け止めるとすぐにでも融けてしまいそうなはかない雪、生まれたばかりの天からの白く光り輝く贈り物を「慈しみたいものだ」との思いをSanctusのメロディーに乗せて大木惇夫は詠ったのでしょう。
男声合唱では原詩で「Heilig Heilig Heilig~」と歌うのが常ですが、我がフロイデではこの大木惇夫の訳詞を採用しています。言語は異なっていますが、このSanctusは決して高ぶらず、終始静かで穏やかな表情でゆったりと、しかも敬虔な祈りをイメージして歌うことが求められます。
そうした静寂な祈りの気分に満ちた曲想を、大木は音もなく静かに降る「雪」に重ねて表現したのかもしれません。