合唱通信 No.4 ◇◇ 育つ感性 ◇◇ 2010/07/14
私がコカコーラをはじめて口にしたのは、高校1年生の時でした。
文化祭が終わった後の合唱団の反省会の折、テーブルの上に並べられていた見たことのない形のビンに入った黒い液体がそれでした。恐る恐る口にして“何という妙ちきりんな味の飲み物か”と思ったものです。何かの飲み薬を炭酸で溶いたようなその飲み物がアメリカからもたらされた最新の、現代風に言えば「トレンディー」なカッコいい飲み物だ、と先輩から聞かされても“こんなものが?”と俄には信じられませんでした。
しかし、どの時代の若者もそうであるように、「最新」「流行」「先取り」ということばの魅力には逆らえず、その後も「飲みにくさ」を我慢して挑戦?するうちに、不思議とその味に慣れ、ついには“おいしい”とまで思えるようになってしまい、挙げ句の果てにはコーラ中毒のようになってしまった経験も持っています。
さて、幼い子どもは、「甘い」=「うまい」というせまい味覚の中で生活しています。
長じるに従って、「辛み」「酸味」「苦み」「鹹味(塩味)」などさまざまな味に出会い、そうした味に慣れるための経験を積み、複雑な味の持つ「よさ」を(文字通り)味わうことを通して味覚を自らのものとして身につけていくはずです。それは、それぞれの味の「よさ」を感じ取る力を身につけ、自らの中に育てていくという意味で「味に対する感性の育ち」ととらえることができると考えています。ちょうど、おいしいとは決して思えず、刺激的とも思えたコーラの味に感覚がなじみ、最初は不味いと感じた味をも「よさ」として受け入れることができたように。
音楽でも、幼児期は2音から3音で構成されるわらべ唄や繰り返しの単純な旋律、わかりやすい単純なリズムによる歌や曲を好んで歌ったり聴いたりします。
ところが、成長するにつれて跳躍音程でも歌いこなせるようになったり、元気で弾むようなリズムによる曲だけではなく、静かな曲、優しいゆったりした曲、複雑なリズムや和声進行を伴う曲にも慣れ、さまざまな曲の持つ「よさ」を感受し、味わい楽しむことができるようになります。
それはとりもなおさず、「音楽的な感性が育った」ということですが、人間はその成長段階に於いて徐々に「よさを受け入れ、よさがわかる感覚」(価値に気づく感覚=感性)を身につけていきますが、それはどこまでも「徐々に」であって、少しずつ体験を重ねることで自己成長を遂げていくのだということに着目したいと思うのです。
大人になるとその成長段階にあった頃のことを忘れてしまうのですが、そうした新しい様式に出会い、新しい様式を受け入れ、その「よさ」がわかるようになるには、それなりの努力が要ったはずですし、誰もがそうした苦労と努力を経験したきたはずなのです。
ちょうど、はじめてコーヒーを飲んだ高校生が“苦いだけの不思議な香りの飲み物”としか感じなかったのに、その苦みを“おいしい”“好きな味だ”と思えるようになる過程で誰もが体験する葛藤に似た自己内の戦いです。(そうした努力を怠ると、甘いものしかおいしいと感じられない幼稚な味覚のままの大人になってしまうのですが)
新しいよさ(価値)を自分の内にある価値体系に組み込むためには、それまでの体系をいったん否定し、壊し、築き直す必要がありますが、そのためには「行きつ戻りつ」し、わかりやすさに戻ってみたり、“それではいけない”と自分を励まして新しい価値の世界に立ち戻ったりして、価値観を「徐々に」身につけることが不可欠です。
音楽するという極めて人間的な行為であっても、プリミティブ(原初的)な音楽趣向からより質の高いそれに向かうためには、いったんそれまでの「音楽的価値観」を打ち壊し、改めて再構築する内的作業が必要になることでしょう。それを怖れたり、面倒だからと言って「はじめて出会ったよさ、未体験のよさ」に遭遇しても、それと向き合う努力を放棄してしまえば、感性の育ちは期待できません。
ことに合唱という「大勢で創造する音楽的なよさ」に向かう活動においては、そのよさを前向きに受け入れ、真っ正面から向き合い身につける努力を怠れば、合唱団全体としての調和の取れた、しかもよりよくコントロールされた表現は期待できませんし、楽曲に価値付けや意味づけをするという「表現」の創出は難しいことになるでしょう。そこでは、自分が一人で思いのままに歌う
のではなく、他のパートの歌を聴いてそれに寄り添い、ハーモニーを創り出すという誠に「高い感性の働き」に支えられた歌唱の技術と努力が要求されるからです。(そのような「よさに向かう心情」こそが情操の持つほんとうの意味ですが、他人と合わせるというレベルの高い行為も情操の働きがあるからこそ可能になるのです)
“「感性の育ち」なんて、豊かな人生経験を持つ熟年の私たちには釈迦に説法だし、そもそも今から育つなんて”とお叱りを受けそうです。
ところが、うまくしたことにどうやら「脳と精神の可塑性」は歳をとってからでも若い頃と同じように保たれ、成長し続ける可能性があるという研究報告がつい先頃なされたのです。
すなわち、身体の細胞は歳と共に衰えることがあっても、脳のシナプスは外部からの刺激を受けると若い頃と同じように盛んに活動して伝達物質を放出し、新しい神経細胞のつながりを創り出すのだと言うのです。歳をとると脳は成長を止め、固定化し、それどころか衰える一方かと思っていたのですが、どうやらそうではなさそうなのです。
そして「よさに感応する」感性も、活発によさを味わい楽しむ活動をすること、新しいモノゴトに出会って新鮮な驚きを感じ続けることで、同じように成長を止めず瑞々しさを保つのだと言うではありませんか。
歳をとったことで、新しさに向かう愉しみを諦めることを余儀なくされるかと思っていた私には、この上もない朗報でした。
しかし、条件があるようです。その条件とは、「盛んに精神活動を行うこと」なのだそうですが、フロイデ合唱団の皆さんは日頃から見事にさまざまなことに積極的に取り組んでおいでです。
脳の可塑性の開発を普段から巧まずして実行しておいでの皆さんです。子どもや若者以上に(人生経験が豊富なだけにいっそう)新鮮な驚きをもって、新しい音楽経験を積み重ね、より上質な感性の働きを支えにして「合唱の魅力」を創出していけるはずだと思っているのです。